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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

たかこ・みゆき・かずこ 三代女優山陰最大の決戦 feat. ゆうこ ~映画『恋谷橋』~

2011年11月23日 15時02分11秒 | ふつうじゃない映画
 ハイどうも~こんにちは! そうだいでございます。
 みなさま、だいぶ寒くなってきましたがカゼもひかずにがんばっておられますでしょうか? もう年末も近いですからねぇ!
 まわりは体調を崩している人も多いのですが、あいかわらず頭がアレなもんで、私はカゼをひく気配もございません。

 そういえば、うまく大晦日まで逃げ切れたらなんと私、今年はなんの病気にもかからなかったことになるのよ。
 身体はそうなんですけど、この『長岡京エイリアン』をごらんいただいてもおわかりのように、私はまぁ生まれつき病気にかかり続けているようなもんなんで……プラマイ、ちょいマイみたいなもんかしら!? ちょいどころじゃないか。


 さて、そんなていたらくで病膏肓にいっているわたくしなのですが、先日、数々の病巣の中でも特に致命的なものの発作がぶり返してきました。

 いや、ただ信仰の対象となっているおたかさん主演の映画を観てきたってだけなんですけど……


映画『恋谷橋 La Vallee de l'Amour 』(主演・上原多香子 監督・後藤幸一)

 現在は、東京都内では新宿と六本木の1館ずつで上映中で、私が行ったのは「シネマート六本木」のほうでした。ちょっと大通りから入ったところにあるのですが、上映作品も多いしおしゃれな映画館でしたね。
 千葉に住んでいると、乗り換えが多い六本木はなかなか行く機会がなくて……六本木は心中のメッカだとどっかで聴いたことがあったのですが、日の出ている内はふつうの街でしたね。安心。

 いや~、それで観てきたんですけどね。

 ど~にも不思議な言い方になっちゃうんだよなぁ、観た感想が……
 あの、私そうだい自身はひっじょ~に満足しております! 冒頭、鳥取空港の出入り口からおたかさんが来迎したシーンの時点で、思わず私は「100点」のパネルを上げてしまい、後ろのお客さんにスクリーンが見えないと怒られました。

 まぁそれは言いすぎで、私も道楽で信仰しているわけではないのでちゃんとおたかさんの威光が失われていないかどうか、エンドクレジットまで厳しくチェックしつつ見入っていたのですが、おたかさんに限らず、この映画は役者さんの力にずいぶんと助けられているところが大きいな、と感じました。もちろん、そうやって役者の皆さんが良く映るということは、そのまんま製作スタッフの実力のたまものでもあるわけです。


 と・こ・ろ・が。

 私はなぜか、この映画を人にすすめることがものすんごくはばかられる気分になってしまうのです。

 何度でも言いますが、私は『恋谷橋』を存分に楽しみました。私ほどおたかさんびいきの人でなかったとしても、純粋に出演している俳優さんたちの演技を楽しむつもりで観ていたら、

「まぁまぁ、ベテラン勢も良かったし、いいんじゃない? 上原多香子も思ったより主人公ができてたし、若い人たちもヒドくはなかったし。」

 と評価してくれるのではないのでしょうか。


 説明がこの前に転載させてもらった記事とかぶってしまうのですが、『恋谷橋』は鳥取県東伯郡三朝(みささ)町を舞台とした物語で、長い歴史にはぐくまれた三朝温泉街にある老舗の大旅館「大橋」の女将の娘である主人公(おたかさん)が、20代後半という年齢をむかえて、不景気で苦しむ親の職業をつぐのか、東京都内で照明デザイナーとして自活していく道を目指すのかの選択にせまられるという筋になっております。タイトルの「恋谷橋(こいたにばし)」は三朝温泉に実在する橋で、大橋さんも本当にある旅館なのですが、もちろんおたかさんも含む経営者一家の設定はフィクションです。

 こういったお話ってさぁ。はっきり言っちゃうと完全なる「他人事」じゃないですか。

 おたかさん演じるデザイナーがどっちの道を選ぶのかはあくまでも本人の自由でして、家族や地元の仲間たちと一緒に故郷を盛り立てていくのも東京で自分の夢を追い続けていくのも、どっちが正解どっちが間違いということはないはずです。そして、最終的にそこでの選択が良かったのかどうかを判断するのは、「選んだ道をしばらく歩いてからの本人の感覚」なんですから。そういう意味では、おたかさんがその選択を決めるところで終わっているこの映画は、「主人公が選んだ道」にかんしては特にこだわっていない作品なのです。だってその結果はえがかれていないんですから。要は、「主人公が勇気をもって道を選ぶにいたった過程」が重要なんですよ。

 ということなので、「故郷か夢か」というなかなか答えの出てこない、撮りようによってはウジウジして「どうでもいいわ、そんなこと!」と見はなされてしまいかねないこの作品を、おたかさんをはじめとする豪華な役者陣でいろどったキャスティングには「お見事!」とうなってしまいました。

 すごいんですよ~。
 まず、主人公であるおたかさんの周辺がすごい。


おたかさんの母   …… 松田美由紀
母の若かった頃   …… 土屋アンナ
おたかさんの父   …… 小倉一郎
おたかさんの祖母  …… 吉行和子
おたかさんの姉   …… 中澤裕子
旅館「大橋」の板長 …… 松方弘樹
板長の息子     …… 水上剣星(みかみ けんせい)


 すごいだろ~。
 松田さんの若い頃の土屋さんは、過去のシーンでのほんのちょっとの出演なんですが、土屋さんが何十年かしたら松田さんになるっていうこのキャスティング、私はものすんごくしっくりきてしまったんですよ。特に似てはいないんですがなんか通じてる!
 また、ただでさえ出番の少ない土屋さんにほとんどセリフをしゃべらせなかった製作スタッフの英断には感心しました。夜の街にたたずむ無言の土屋さんはほんとにきれい。またここでの土屋さんがそうとうな苦悩を読みとらせるいい表情をしているのですが、その理由がまぁ~ったく!その後の物語で語られることがなかったのが非常に不可解でした。なんだったんだ、あの思いつめた顔……

 吉行さんがおばあちゃんで、松田さんがお母さんで娘が中澤さんとおたかさん。小倉一郎のDNA はいずこ?

 いや~でも、この映画でいっちばんいい味を出してたのは間違いなくその小倉さんなんだよなぁ!
 大変に失礼ながら、いっつもTV で小倉さんのことを「信頼の小者ブランド」「黄金のねこぜ」「Mr.尻しかれ」などと思っていたのですが、その小倉さんに感動しちゃったねぇ~。物語の中盤で大病に倒れてしまうのですが、い~い味わいを出してるのよ!

 ご本人の演技力以上にこの作品の小倉さんの存在意義が大きかったのは、それ以外の役者さんたちが軒並み「現実離れした外見」をしていたからなんですね。
 吉行さん・松田さん・おたかさんの三代は、はっきり言ってそれぞれの実年齢よりも大幅に若く見えます。おたかさんなんか、国宝の三徳山三仏寺・投入堂を参拝するために過酷な登山道をのぼって汗を流す姿は、デビュー時のダンストレーニング風景かとみまごうばかりの若々しさでしたよ。
 そうなると、三代にわたる美人女優の競演(中澤さんもいるヨ)は絵としては最高なのですが、「不景気に苦しむ旅館の経営者一家」や「将来の道になやむ30代手前の女性」といった部分のリアリティはないんだなぁ。
 また、おたかさんの幼なじみとして地元で生活している人たちも、水上くんを筆頭としてほとんどが美男美女だったりして。なかなか日本のどこにでもある地方都市という前提が希薄になりがちに。

 そういった面で足りなくなっている「重さ」をほぼ1人でカバーしていたのが小倉さんだったというわけ。すっごくいいたたずまいでした。

 余談ですがこの『恋谷橋』には、私が今年の夏に観た映画『大鹿村騒動記』(監督・阪本順治)でも村人として共演していた小倉さんと石橋蓮司さんがまた出てきています。2人がいっしょのシーンはなかったのですが、なんか地方都市にいそうな顔なんですかねぇ。


 女優さんときてやっぱり忘れてならないのが、三朝温泉で実現した「中澤さんとおたかさんのツーショット」ね!!

 世間的には、2人がいっしょに姉妹として談笑しながら歩いていたり温泉につかっているのを観て「うをを!」とときめく人はどのくらいいるのかはわからないのですが、少なくともあんな「ざっくりすぎるアイドルグループ史」なんて気のふれた企てをやらかしてしまったわたくしは素直に感動してしまいましたよ。

 SPEEDとモーニング娘。ねぇ。
 モーニング娘。の当時のレギュラー番組『ハロー!モーニング。』を観るかぎり、微妙に活動時期がずれているし、この2つのグループがお互いの話題を口にすることをタブーにするほど対立した関係だったことはなかったらしいのですが、やっぱり前後して日本芸能史上におけるそれぞれの一時代を築いたメンバー同士の夢の共演ですからね。キャリア的にはおたかさんのほうが先輩なのに実年齢は中澤さんのほうが上というねじれがいい感じでした。

 それはそれとして、『恋谷橋』でおたかさんの姉を演じた中澤さんは、自分勝手とも言える気ままな態度のために家族を振り回してしまうちょっとした「悪役」を演じているのですが、けっこう良かったですねぇ! 観ようによっては「なにコイツ~!?」とか「いけすかねぇ奴だなぁ!」などと感じられてしまいかねない損な役回りだったのですが、そこはそれ、そう生きるしかない30代なかば過ぎの絶妙な「をんな」を演じきっておられたと思います。

 まさか、『ハロモニ。劇場』でのあの過酷なツッコミ専属の日々がこうして女優としての大輪の花を咲かせることになろうとはねぇ……しみじみ。
 もしかしたら、『恋谷橋』での中澤さんの演技を観て「わざとらしい」ととる方もいるかも知れないのですが、中澤さんの役はあのくらい滑稽な「トリックスター」にならないと映画全体がにぎやかにならないからねぇ。あのくらいが絶妙でいいバランスなんですよ。


 さてさて。まぁこんな感じでいろいろと役者さんに関して「おもしろかった点」をあげてきたわけなのですが……

 そんなわたくしが、なじょして『恋谷橋』を人にすすめることができないというのか。

 それはねぇ。役者さんがいくら良くても、総合的な「ひとつの作品としての完成度」がきびしいんですよ。


 私ねぇ、な~んかこの映画、ほんとにそう思っていたのかどうかは別としても、製作スタッフに「ご当地映画なんだから、このくらいでいいだろ。」という甘さがあったからOK になったとしか思えないシーンやカットが多いなぁと感じちゃったのよ。

 カットとしては、やっぱり作品の目玉になっている三仏寺投入堂の映像は美麗の一言に尽きたのですが、それ以外の野外での撮影シーンで露骨にピントが合っていなかったり、カメラを横に移動させながらのアップが「ちょっと動いてアップ、ちょっと動いてアップ」のくり返しでカクカクしてたりして、せっかくの役者さんのセリフの内容がじぇんじぇん頭に入ってこないくらいに気が散る局面が多かったのに本当に驚きました。心の底から、「えっ、これをOK にしちゃうのが今の日本の映画界なんだ……」と愕然としました。

 いろいろとね、2008年から映画化が決定していたのに、実際に撮影がおこなわれたのが2010年の暮れ近くで劇場公開が2011年の秋になっちゃったという経緯からして、予算や撮影スケジュールの点でひとかたならざる苦労があったであろうことはわかるのですが、だからこそ! ひとつの「芸術作品」としてのこだわりを『恋谷橋』につぎこむプロの漢気(おとこぎ)が観たかったです。

 少なくとも、うまいうまくないは別にしても、俳優のみなさんからテキトーにやっている気配はみじんも感じられなかったのですが……ほんとに厳しい言い方をしてしまいますと、製作スタッフがこの映画を「日本全国や全世界に評価を問うことができる映画」にしようとして作っているのか、それとも単なる「地方の町おこしのPR ドラマ」としてしか作っていないのかがわからなくなる、どうしようもない甘さが感じられたんですよ。

 なんか熱の入れ方がバラバラなんですよ。あるシーンでは「どうやら地元にいる有名人らしいしろうと」にセリフをしゃべらせる「ご当地映画特有」の苦笑い演出を入れているのかと思えば、あるシーンではぎょっとするような非現実的な特殊効果カットをさしこんでいるし、三朝温泉を全面的にバックアップした映像を盛り込んでいたかと思えば、地元の人なら首をかしげざるを得ないような役者さんの所作もそのまま撮影に採用されているし。

 あのシーンの、ストッキングねぇ……いや、おたかさんがストッキングを履いたまま入った足湯の残り湯を手にしたものは世界を統べることができるという「ロンギヌスの槍」的な効能があるから、おたかさんは履いて入ってもいいのかもしんないけどさぁ。
 あと、三仏寺の登山道は本当に危険だから、1人でのぼっちゃいけないことになってるんですよね?
 どちらも、映画の中では重箱のすみをつつくように小さなポイントなのですが、ここで矛盾の無い応用をきかすのがプロの脚本力だと思うんですよ。地元の人が守っているルールを無視しちゃダメよ。

 ちょっとしたことなんですけど、鳥取砂丘のシーンはせっかく抜群に幻想的なロケーションだったのに、緑地化して水たまりができているスペースが堂々と映り込んでいたのはがっかりしちゃったなぁ。風紋のカットとか、おたかさんの悩むかんばせにマッチしてものすごく良かったのに。


 なんかね、この映画を観て「あぁ、こんないい映画を撮るプロが日本にいるんだ!」と世界のどこかで誰かに感じてもらえるかも知れないステキな可能性を、作り手自身が勝手に自分で握りつぶしているような気がするんだな。

「こんなんでいいでしょ。こっちもツラいんだよぉ~。」

 なんていう言い訳、プロの口から聞きたくないじゃないですか。言い訳するならするで、ちゃんとおもしろく言い訳をしていただきたい。


 ましてや!! この『恋谷橋』はァア!! かけまくもおたかさんの「初主演映画」であらせられるゥウアッシャァアア!!


 「あぁ、いろんな人たちの顔色をうかがいながら作っていくのが映画なのかなぁ。」という部分はかなりリアルで身にせまるものがあったのですが、「商業作品」であることはよくわかったから、「お金がどうこういう次元の産物じゃない、観る人に夢を与えてくれる」ほうの一面がもっと観たかったなぁ、と思った今回の『恋谷橋』なのでございました~。


 次におたかさんの御姿をスクリーンで観られるのは、いつのこととなるのだろうか……それまでは、死ねぬ。
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『サイコ』(1960年) とゆかいな仲間たち

2011年09月17日 14時16分58秒 | ふつうじゃない映画
 ハイどうも~こにゃにゃちは。そうだいでございま~す。
 いやぁもう今朝はとてつもないゲリラ豪雨の「ドドドド」音で目が覚めたんですけどね。ちゃっちゃとやんでいつもの夏日のカンカン照りに戻ってしまいました。でも昨日までよりはいくぶん涼しいのがありがたい。


 前回までぺらぺ~らと映画『サイコ』関連の個人的な思い出をくっちゃべってまいりました。

 前もって有名な「シャワーシーン」があることは知っていたし、「残酷な殺人描写を直接えがかない」というヒッチコック作品でもあったのですが、そんな手段のキレイさなど軽くふっとんでしまうようなショックを、結末の「真犯人」の説明から当時の私はくらってしまったんですな。たまげたね~。

 実は、同じように「たまげた」経験としては、小学3年生だった時に、TVであのアニメ映画『AKIRA』(1988年 原作&監督・大友克洋)を目の当たりにしてしまった体験が先にあったのですが、『AKIRA』のほうは私もガキンチョだったので、はっきり言って嫌悪感しか残らなかったんですよ。大学生になってから観なおしたんですけど、今でも『AKIRA』は好きにはなれないの。

 今回はですね、その偉大なるサイコサスペンスのさきがけ『サイコ』になにかしら関連のある作品をツラツ~ラとならべてしめたいと思います。
 私としましては、実は『サイコ』以上に大大だーい好きな作品もあったりして!


『サイコ』にインスピレーションをあたえた実際の事件

エド=ゲイン事件(1957年11月に逮捕)
・アメリカ合衆国北西部(五大湖沿い)のウィスコンシン州プレインフィールドで発生
・農場経営者エド=ゲイン(1906~84年)による2件の女性殺人と墓場の死体荒らし(ゲイン宅で発見された遺体は10体分前後ですべて女性)
・1968年の結審により精神病院に収容され84年に病死
・1945年に溺愛する母オーガスタが死去したことが犯行のきっかけになったと言われる
・ゲインの家は逮捕後の1958年に放火により焼失している


エド=ゲイン事件をモデルにした『サイコ』以外の映画

『ディレンジド 人肉工房』(1974年2月 ジェフ=ギレン&アラン=オームズビー共同監督)
・役名などは変えられているが、ほぼ実際のエド=ゲイン事件に沿った内容になっている
・タイトルの通り、犯行の異常さに注目した作品

『羊たちの沈黙』(1991年 ジョナサン=デミ監督)
・1988年に発表されたトマス=ハリスのサイコサスペンス小説の映画化
・2011年8月時点までに4作発表されている「レクター博士シリーズ」の第2作
・作中に登場する連続誘拐殺人犯バッファロー・ビルの犯行手口がエド=ゲインをモデルにしている

『エド・ゲイン』(2000年 チャック=パレロ監督)
・はじめてエド=ゲイン事件を忠実に映像化したとされる作品
・ゲイン役を演じたのはスティーヴ=レイルズバック


監督は否定しているがエド=ゲイン事件との類似性がよく話題になる映画

『悪魔のいけにえ』(1974年10月 トビー=フーパー監督)
・「映画史上もっとも恐い」との呼び声も高いホラー映画の金字塔(フーパー監督31歳のデビュー作!)
・2011年8月時点までに3作の続編と2作のリメイク版シリーズが製作されている
・登場するホラーキャラクター「レザーフェイス」の「人の皮でつくったマスク」がエド=ゲインを想起させる
・特にそれ以外のゲイン事件との共通点はない
・レザーフェイスの家族構成は男系の大家族(父親や兄たち)で、その点もゲインと大きく異なる
・物語の舞台もアメリカ南部テキサス州で、北のゲイン事件と環境がまったく違う
 ※『サイコ』の舞台も、アメリカ南西部のアリゾナ州となっている


『サイコ』の正統な後続作

原作者ロバート=ブロックによる小説の正式続編
『サイコ2』(1982年)
・翌83年に公開された映画『サイコ2』とは内容がまったく異なる
・前作で発生したノーマン=ベイツ事件をもとにした映画が製作されるという、映画『サイコ』を皮肉った展開
・前作を軽々と凌駕してしまう驚愕のオチにそうだい少年も昏倒
『サイコハウス』(1990年)
・原作者ブロックによる正統シリーズ最終作(ブロックは1994年に77歳で死去)
・小説版『サイコ2』の続編であるため、同年に放送されたTV映画『サイコ4 ザ・ビギニング』とは内容がまったく異なる
・ノーマン=ベイツよりは、彼の経営していたベイツ・モーテルとベイツ邸が物語の主人公となっている
 ※映画『サイコ』の撮影に使用されたモーテルとベイツ邸は、現在もアメリカ西海岸カリフォルニア州のテーマパーク「ユニヴァーサル・スタジオ・ハリウッド」に残っている
 ※撮影のために建築されたベイツ邸は「住んでいるノーマンを画面上で引き立たせたい」というヒッチコック監督の演出意図から、わざと小さめに作られている

映像作品としての正式続編
『サイコ2』(1983年 リチャード=フランクリン監督)
・ヒッチコック監督没後に製作された正式続編(前作の23年後!)
・前年に発表された小説版『サイコ2』とは内容がまったく異なる
・ノーマン=ベイツの他に、前作で活躍したライラ=クレイン(美人OLマリオンの妹)も登場する
『サイコ3 怨霊の囁き』(1986年 アンソニー=パーキンス監督!)
・ノーマン=ベイツ役のパーキンスがついにメガホンをとった続編
・ノーマン=ベイツと「母親」との対決にクローズアップした展開
『サイコ4 ザ・ビギニング』(1990年 ミック=ギャリス監督)
・アンソニー=パーキンスが最後にノーマン=ベイツを演じたシリーズ最終作(パーキンスは1993年に60歳で死去)
・第1作『サイコ』の脚本を担当したジョセフ=ステファノが再登板している
・ノーマン=ベイツが10代の日々を回想するという内容
・予算規模の縮小により、シリーズ完結編ながらTV映画という形での製作となった

なにかと物議をかもしたやり過ぎリメイク
『サイコ』(1998年 ガス=ヴァン=サント監督)
・脚本もカット割りも1960年版を忠実に再現したという前代未聞の問題作(ただしカラー作品)
・ヴァン=サント監督は前年の『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』(主演・マット=デイモン)でブレイク
・ウォン=カーウァイ監督作品で有名なクリストファー=ドイルが撮影監督をつとめている
・ノーマン=ベイツ役を演じたのは若手俳優ヴィンス=ヴォーン(当時28歳)
・展開も結末もまったくオリジナル版と変わらない内容は大きな議論を巻き起こし、前年に「アカデミー監督賞」にノミネートされたヴァン=サント監督は、本作で「ゴールデンラズベリー最低リメイク賞・最低監督賞」の2冠に輝くことになってしまった


 こんな感じで錚々たる面々なんですけどね。
 『サイコ』のモデルとなった「エド=ゲイン事件」は、今ではもう世界的に「猟奇殺人事件といえばコレ!」みたいな殿堂におさまっている、具体的な犯行の内容なんて口に出すのもはばかられるようなヒドい事件なのですが、実際のエド=ゲインが「頭は足りないけど気のいいおじさん」という印象の人物だったということからもおわかりの通り、さほど『サイコ』と似ている感じはありません。

 というか、あの「暗黒ファンタジーの開祖」ハワード=フィリップス=ラヴクラフトの最後の弟子とも言われた小説家ロバート=ブロックが『サイコ』の題材に取り入れたのは「母親の呪縛に悩まされる男」という部分だけらしく、内容はほぼ創作。ノーマン=ベイツもエド=ゲインとは似てもにつかない人物となっています。もちっとつっこむと、ノーマンは基本的に母親という存在に従属し続ける人間だったのですが、エドは逆に「母親に似ている中年女性」を犯行の対象にしていたという決定的な違いもあります。

 さて、中学生時代、映画『サイコ』に感動してしまった私は、さすがに同年代の友だちにそんなことを口走ったら人間性と正気を疑われると考慮し、翌日、当時読んだ小説について話すことも多かった中学校の国語のアライ先生に鼻息荒く『サイコ』の衝撃を話しました。
 すると、アライ先生はニヒルな笑みを浮かべ(そういう表情が似合う人なのよ!)、

「そうだい、ちゃんと小説の『サイコ』も読めよ。そして続きの『サイコ2』を読め! 『サイコ2』は……もっとすごいぞ。」

 もちのろん、私はすぐに書店に走って小説版の2冊を購入、むさぼるように瞬く間に読みきりました。
 いやぁ~……『サイコ2』。アライ先生、教えてくれてありがとう!

 何度も言うように映画『サイコ』は上品なつくりの中にひとつまみの狂気をきかせた「匠のわざ」的な作品になっているのですが、小説『サイコ』はブラックユーモアあふれるどんでん返しを得意としたブロックらしいギトギト黒光りの逸品となっており、その続編となった『サイコ2』も……とんでもねぇ!! ただその「とんでもなさ」は、ちゃんと映画か小説の『サイコ』を楽しんだ人でなければ味わえないものになっています。こういうオチは……まぁあんまり見かけませんよね。

 小説の『サイコ』と『サイコ2』はぜひとも多くの人に読んでいただきたいのですが、哀しいことに日本語訳された文庫版(創元推理文庫とハヤカワ文庫)はどっちも現在、絶版状態なんだそうですよ~。古本屋で見かけたら必ず買おう!

 リメイク版の映画『サイコ』は言うまでもなく、別に観なくてもいいよ~!!
 ただし、リメイク版で美人OLの役を演じたアン=ヘッシュさんのミスキャストぶりは一見の価値有りです。
 だって、いかにも主人公らしい雰囲気で登場した最初っから顔に死相が出てるんだぜ!? セリフを一言も発することなく「ネタバレ」できる女、ヘッシュ……恐ろしい子!
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記念すべき我が生涯初ビックリ映画 『サイコ』(1960年) いよいよ本題

2011年09月15日 14時34分20秒 | ふつうじゃない映画
 ぎこぎこぎこぎこぎこっ、ぎぎこぎこぎこぎこぎこきっ、

 どうもみなさんこんにちは、そうだいです。
 上のぎこぎこは、別に民謡『こきりこ節』の一節ではありません。アルフレッド=ヒッチコック監督の伝説のスリラー映画『サイコ』(1960年)のオープニング曲の後半に、少なくとも私には確かにそう聴こえる部分があるのです。
 こわいですねぇ~。チェロかコントラバスかわからないのですが、低音の弦楽器をぎこぎこと執拗にひく音は、不吉な物語のはじまりを強烈に感じさせるものになっています。

 モノクロの画面に上下左右から細かく分断されたラインがしかれていき、それらがそろった時にキャスト・スタッフのクレジットが浮かび上がる。かと思うと、ラインはすぐに分解されてしまい、また別の方向から新しいラインがざざざっと画面にとびこんでくる。
 この繰り返しで展開される『サイコ』のオープニングクレジットは、その流れが妙にそっけなく機械的であるところが逆に恐いし、「サイコ」のタイトルと最後の「監督・アルフレッド=ヒッチコック」の表記だけラインのならびに気持ちの悪いズレができるところは、小憎らしいまでにこれから始まる作品の「ゆがみ」を予兆したものになっています。ぞくぞくするねぇ。

 そして、ここで流れる『サイコ』のテーマ曲が見事なまでにおそろしい!
 前回の最後にふれた「ジャン!ジャン!ジャジャン!」というのっけから突っ走る迫力押しの部分と、そこから一転してヒッチコック監督らしい心理劇の展開を予想させる繊細なヴァイオリンの高音によるメロディ、そして今回の最初にあげたような、聴く者に漠然とした不安感を与える低音の不協和音すれすれのはずし。
 たった2分弱のオープニングなのですが、クレジット映像とテーマ曲は、どちらも「ヒッチコック印のエンターテインメント」のはじまりと「そのあいまからチラチラかいま見える狂気」の存在をしっかり伝えるという最高の仕事をしているんですねぇ。
 まさに、「つかみはオッケー!」。中学生になって初めて『サイコ』を観ることとなった私は、序盤からのこの緊張感ガン上がり具合に、正座の姿勢のままで固まってしまいました。こりゃあ、なんだがわがんねぇげどすげぇなぁど思っでよ、まんず!

 ちなみに、この『サイコ』の音楽を担当した作曲家バーナード=ハーマンは、ヒッチコック監督の黄金期とも言える1950~60年代の『ハリーの災難』(1956年)、『北北西に進路を取れ』(1959年)といったさまざまな名作でサスペンスフルな名曲の数々を作りあげたことで有名です。『知りすぎていた男』(1956年)のクライマックスで印象的に使われた歌『ケ・セラ・セラ』なんかはもう、今では作品自体よりも知名度が高くなっているかもしれませんね。
 このヒッチコックとハーマンのコンビは正味10年間続き、最終的には仲違いという形で解消してしまったのですが、1920~70年代という半世紀にわたるヒッチコックのキャリアの中でも、特にハーマンと組んでいた時期の作品の輝きはもう別格、あぶらノリノリのものとなっています。

 あと、音楽とならんで印象的なクレジット映像を制作したのはグラフィックデザイナーのソウル=バスで、『ウエスト・サイド物語』(1961年)や『オーシャンと十一人の仲間』(1960年のオリジナル版のほう)など、個性的なデザインのクレジットが展開されるオープニングタイトルを数多く手がけています。「味の素」と「紀文」のロゴデザインもこのお方らしいぜ!? てぇしたもんだ。
 バスがヒッチコック監督と組んだのは『サイコ』も含めて3作品だけだったのですが、その中のひとつである『めまい』(1958年)のオープニング映像は、映画史上初めて CG技術が使用された例だとされています。

 ついでに言うと、バスさんは生涯にたった1度だけ映画監督をつとめたことがありまして、それこそがかのカルトSF映画の極北といわれる大問題作『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』(1973年)なのであります……タイトルからもその片鱗がうかがえるのですが、これ、ある意味では『サイコ』以上にサイコな作品です。おもしろいかどうかは別として。

 そんなこんなで『サイコ』のオープニングは普通じゃない緊張感に満ち満ちており、今までのヒッチコック作品とはちと違う「安心できないなにか」を感じさせるものになっているのです。


 だが、しかし。

 実際にそのオープニングが過ぎて本編が始まると、「ただれた恋愛関係」「つまらない日常生活に不満アリアリの美人OL」「ほんの出来心から会社の大金を横領」「人目を気にしながらの女一匹逃避行」といった感じで、こう言っちゃあナンなんですがベッタベタなサスペンスドラマの一点押しになるんですね。
 あれえ。やっぱりこんな感じなのか? あのオープニングの「狂気」はいったい、どこに……
 『サイコ』は2時間弱、109分の物語なのですが、そのうちの前半3分の1、約30分が金髪の美人OLマリオン(演・ジャネット=リー)視点の筋になっているのですから、観客はてっきり、このマリオンが『サイコ』の主人公なんだろうな、と思いこんでしまうわけなのです。

 ところが! 大金を持って長距離を車で逃げるマリオンが、田舎の道沿いにあった優しい好青年の経営するモーテルに泊まったあたりから、なんとなく物語の「どこか」にゆがみが生じてきたような気がして、なんかヘンだなーと思っていたら……


 シャッ。
「キャーッ!!」さくっ「キャー!」さくっ「ギャー!」さくっ「ぎゃあああ……」さくっ「……」ばったり。


 ええええ~っ!? びび、美人OLさんがシャワーを浴びてたら、あんなことに!

 あの~。この『サイコ』という映画は純然たる「スリラー映画」でありますので、展開をあれこれ説明していくのは非常に野暮なことなのですが、さすがにこのシャワーシーンは世界的に有名ですからね……もう「ネタバレ」もへったくれもないですよね?

 まさか、主人公っぽいあつかいだった人が物語の途中でああなるとは。なんの前情報もなしに『サイコ』を観た1960年公開当時の人々のショックたるや、甚大なものがあったでしょう。

 映画の展開の1パターンとして、「主人公だと思っていた人が主人公じゃなかった!」というびっくりは相当に観客の注目を集める効果があるのですが、これは反面、退場した「主人公デコイ」以上の魅力を持った「本当の主人公」がちゃんといてくれないと、物語への興味がむしろ尻すぼみになってしまうという「両刃の剣」でもあるんですね。そういったドンデン返しをやらかしてしまった以上は、それなりのフォローをちゃんと用意していないといけないわけなのです。
 そういえば、つい最近もそういう理由で後半ずいぶんとガッカリしちゃった映画があったなぁ。『長岡京エイリアン』でも扱いましたね。

 その点、『サイコ』の前半の「美人OLデコイ」は、その後に繰り広げられる狂気の世界へのジャンプ台となるために、あえてベタで平板な描写に徹していたようなフシさえうかがえます。いや、それでも撮り方がうまいから充分におもしろいんですけどね。
 で、美人OLマリオンが「ああいうこと」になってしまった後にストーリーラインのバトンを受け取るのが、くだんの田舎モーテルにいた青年ということになるのです。

 彼の名は、ノーマン=ベイツ(演・アンソニー=パーキンス)。

 出ました。あの「バンダイ SD ホラーワールドガシャポン」でキッチンナイフを持っていたおっさんですね。

 ……え? 「おっさん」?

 いやいやいや、『サイコ』に出てくるノーマン=ベイツの顔には、あんな深いシワは刻まれてはいませんよ? どこからどう見てもさわやかな笑顔がステキな青年ですよ。
 実際、演じていたアンソニー=パーキンスは当時28歳。アカデミー助演男優賞のノミネート経験もある実力派の青春スターとして人気を集めていました。
 ノーマン青年は、「年上の都会のおねえさん」といった感じで色気をふりまいていた美人OLマリオン(演じていたジャネット=リーは32歳)に圧倒されてオドオドする、いかにも田舎ふうの不器用な若者でした。

 そうなんです、『サイコ』に登場するノーマン=ベイツと SD人形になったノーマン=ベイツとのあいだには大きなへだたりがあるんですね。
 そして、そのへだたりの深さと暗さこそが、ホラー映画史上に残る名キャラクターとなった「ノーマン=ベイツ」の魅力そのものだったのです。

 しかし、いくらノーマン=ベイツがドラキュラや狼男といっしょに消しゴム人形になるようなホラーキャラクターなのだとしても、彼がデビューした『サイコ』はホラー映画ではありません。犯人探しを物語の主眼においたスリラー映画で、その中のノーマン=ベイツはあくまでも「容疑者の1人」にすぎないわけです。そして、まぁ~パーキンスさんの演技力とヒッチコック監督のストーリーテリングが見事なものですから、観るものは映画ラストのミラクルどんでん返しにひっくり返ってしまうと。

 ううぅ~、具体的になにがどうなのはなんにも言えない! 観てない人はぜしとも観て。
 わたくしはこの『サイコ』によって、初めて「だまされる楽しみ」を味わってしまったのです。

 あのシャワーシーンもそうなのですが、この『サイコ』もヒッチコック作品らしく、「現代の私たち」からみても観るに耐えない残酷描写というものはさほどありません。「狂気の世界」と言いましたが、実は「狂っている」と目される人物も1人しか登場せず、作品世界全体が狂っているというわけでもないのです。

 でも。あのラストシーンの「顔」は、こ~わ~い~ねぇ~!!
 中学生時代の私はもうシビレちゃいましたよ。ヒッチコックブランドの「安全・安心神話」はガラガラと崩壊してしまいました。ニクイよ!

 
 せっかくここまできましたんで、次回はその『サイコ』の親戚やクセのありすぎる息子さんたちを紹介してシメましょう。
 実は、この『サイコ』以上にひっくり返ってしまう結末の「続編」があって……ありゃあビックラこいたね。
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記念すべき我が生涯初ビックリ映画 『サイコ』(1960年) やっととば口

2011年09月14日 14時48分25秒 | ふつうじゃない映画
 あづいっす。どうもこんにちは~、そうだいですぶすぶすぶ。
 まいりましたねぇ、まさかこんなに暑い日が続くとは……そりゃまぁ、1ヶ月前にくらべたらいくぶんかは手加減してもらってるんでしょうけど!
 この、何もしてないのにじわじ~わと身体の水分が失われていく感覚がたまんないねぇ。今日もクーラーのかかっている場所で働けるのが本当にありがたいです。


 え~、数回前からつらつらと思い出話ばっかりつづっているわけなんですけどね。ガシャポンとかホラー映画とかヒッチコック監督関連の。

 実は、このあたりの話をしようかと思いついた時には、
「そういうわけのわからないガシャポンが、SDガンダムのブームに隠れてひっそりと発売されていて、それにハマッてしまったのが私のホラー映画好きのきっかけだった。」
 くらいのガシャポンまわりだけの話題だけでチャッチャとおしまいにしようかと思っていたんですよ。

 何がきっかけだったのかはよくおぼえていないのですが、今月のはじめ、ある涼しい風の吹く夜に唐突にあのホラーガシャポンシリーズのことが頭に浮かんできました。この『長岡京エイリアン』ではまったく別のことをつづっていた時のことです。

「よおーし、次はガシャポンの話にしよう。じゃあ……フロはいるか。」

 私の住んでいるアパートは増築に増築をかさね……とは言いすぎなのですが、ある程度は歴史のある建物のようで、外からざっと観ても、1階の部屋の間取りと2階の部屋の間取りとがずいぶんと違っているように見えます。
 特に私のいる部屋は奥の独立した位置にあって、もともとあったトイレしかない間取りにバスルームを増築したような構造になっているのです。そのため、だいぶ家賃も安くてそれなりに古い部屋ではあるのですが、いちおうトイレとお風呂が「セパレート」になっているのがちょっとした良さになっているのです。
 これね、私はとってもうれしい! 昔、大学時代に4年間住んでいたアパートは新築だったんですけど、トイレとバスルームがいっしょになっているユニットバスってぇのがあっしは苦手でねえ。洗い場が狭くって、思いっきりシャワーを浴びるのに気が引けてしまうのが好きじゃなかったんです。

 まあとにかくね、そんな(アパートの安さに比較すると)広く感じるお風呂に、その時も入ってビバノンノンとしたわけです。昭和の表現だねい。
 で、すっきりした気分でバスルームから出てきて足ふきマットの上にのっかり、それから私は右足を1歩踏み出してちょっと離れた場所にあるバスタオルをつかみました。
 んで、バスタオルを頭にひっかけながら、踏み出した右足をまた足ふきマットに戻そうと思って、すっとひいた。すると、

ふらっ、がつん。

 あ痛っ。キッチンに足をぶつけちゃった。

 1歩踏み出してバスタオルを取るという動きは、お風呂に入った時にはいつもやっている行動だったのですが、その日にかぎって、戻るときにちょーっとだけよろめいてしまって、戻す右足を近くにあるキッチンの下のカドにぶつけてしまったんですね。
 かかととアキレス腱のつなぎ目のあたりに鈍痛が。

 でも、昔から「タンスのカドに足の小指をぶつけた」系の小事故が発生した時には、「痛がると、この小事故をくわだてた小悪魔的ななにかの思うつぼなので、怒りをもってノーリアクションでとおす」という対応をしていた私は、この時も足の痛みをガン無視して髪の毛をくしゃくしゃとバスタオルで拭いていました。
 足の小指とはまた違った種類のしつこい痛みを感じながら濡れた髪の毛を拭いて、そろそろおさまったかな?と、身体を拭くついでにちらっと問題の右足首を見てみたら。

「あ……足首が……赤い?」

 ギャー切れちゃった! 血ぃ出てる血ぃ出てる。
 あわてて私はバスルームに引きかえし、シャワーで傷口を洗い流すことに。

しゃ~……

 言うまでもなく、ぶつけて切っただけだったので傷はあさかったのですが、全裸でバスタブに腰かけながら、出血が止まるまで3分間シャワーに濡れつづける自分の足元を見つめているという、疲れきったバブル期のOLみたいな体験をしてしまいました。

しゃ~……

 3分間という短い時間だったし量だってたいしたことはなかったのですが、足首から流れ出るあざやかな赤い血が白いタイルをすべり、渦を巻いて排水口に消えていきます。ケガをして血を流すのは当然ながらやりたくないことなのですが、「流れる血」というのは良かれ悪しかれ見るものに不思議な影響を与えるものです。ぶるぶる。
 そして、その時ふっと思っちゃった。

「そうだ、ガシャポンからつなげて『サイコ』までいっちゃおうかな。」

 ふらっとよろめいてケガをしたのは正真正銘の偶然だったのですが、「シャワールームの血」を見ちゃったらさぁ。そうなるっしょ。これもなにかの「縁」ですよ。
 ダメ押しになったのが、血が止まったあとであわてて部屋の引き出しから取り出したバンソーコーで、いくつかあった中からつかんだのが、

昔、友人からもらった映画『ハンニバル』公開記念の「レクター博士バンソーコー」

 ほんとにあったんだぜ、こんなの。
 ただ、「にやっと笑うレクター博士」がプリントされてるだけのバンソーコーなんですけど、さすがはオスカー俳優。気持ち悪い存在感がハンパありません。
 ちなみに、次の日にくだんのバンソーコーははがして捨ててしまったのですが、今わたくしは、この「レクター博士エディション」を使ってしまったことを心の底から後悔しています。でもさぁ……これを使うとしたら今回みたいなヘンな時が最適だったと思うんですよねぇ。もしくは人にかみつかれた時。

 ともあれ、足首に一泊することとなったレクター博士をながめて私の脳裏に去来したものは、

「うん、これは絶対に『サイコ』までいかなきゃ!」

 という決心でした。
 まぁ……ケガもバンソーコーチョイスもすべて私がやってるんですけど、でも、へんな「シナリオライター」の存在を感じる体験って、あなたもしたことありません? 私だけじゃあないと思うんだけどなぁ。


 とにかくですね、長くなりましたがそんな「変な体験」をしてしまったものですんで、「ホラーガシャポン」の話題からずるっと「ヒッチコック」を経由して今回の映画『サイコ』にいたる次第となったわけなのですよ。

 さぁ、本題です。
 中学生だった私は、前回にも触れたような入り方でちょこちょこっと「サスペンス・スリラーの神様」アルフレッド=ヒッチコック監督のマスターピースを観るようになったのですが、その少ないサンプルの中から私がなんとなく作りあげたヒッチコック監督のイメージは、

「お上品なエンターテインメントの名手」

 といった感じでした。
 当時、1990年代前半の日本のTVドラマは、昭和にくらべるとだいぶおとなしくはなっていたのですが、現在から見てもまだまだあからさまに過激な描写を含んでいたサスペンスものがよく放送されていました。
 まぁ要するに、「なんとかワイド劇場」の「なんとか一耕助シリーズ」とかそのお孫さんのシリーズとかなんですが、殺害シーンが直接えがかれて「口から血ブハー!」やら「首がチョンってなってピュー!」やらがブラウン管いっぱいに展開されることがザラだったのです。関係ないけど、深夜のお色気バラエティ番組も今より内容が過激で、出るもん出てましたよね。

 それと比較すると、ヒッチコック監督の諸作は殺人シーンが意図的に淡泊に処理されています。ほとんどの場合では「人が殺される瞬間」はカメラにおさめられることなく「殺人を示唆する動作や雰囲気」までにとどまっており、直接えがかれたとしても、相手の持っているピストルから煙が出たとたんにバタっと倒れるとか、首に巻きついたロープが締めつけられたらちょっとバタバタもがいてすぐに動かなくなるとかいう簡単な動作に終始しており、「はい、ここで死にました。」みたいなそっけない記号的表現に徹しているんですね。

 これは、ヒッチコック監督がバリバリ活躍していた1920~60年代の欧米のメジャー映画界にあった倫理コードの問題もあったでしょうし、当然ながら撮影技術にも限界があってリアルな人の死を再現できないということもあったかと思います。
 でも、やっぱり第一にあげられるのは生粋チャキチャキのロンドンっ子だったヒッチコックさんご自身のポリシーが、殺人描写よりも「そこまでいく雰囲気」をフィルムにおさめることに心血を注ぐものだったからなのではないでしょうか。
 確かに、その頃から「殺人描写」をバッチリえがく過激な映画もあるにはあったのですが、そういった作品は現在から見ると当時の撮影技術のチープさだけが目立つものになってしまい、今でも「古典」として楽しむことができるヒッチコック監督の作品以上に古くさくなって観るに耐えないものになっている場合がほとんどです。まさに「子どもの頃からふけている人は、大人になってもなかなかふけない」。

 とにかく、そんな感じで「お上品、安心してハラハラドキドキを楽しめるブランド」という勝手なイメージをヒッチコック監督にいだいていた私だったのですが、ある意味でそんな甘い読みをドンガラガッシャ~ン!!とくつがえしてしまったのが。

『サイコ』(1960年6月 白黒映画)

 だったんですねぇ~。

 前回にも触れたように、いくつかの情報バラエティ番組で「ヒッチコック監督伝」を観たことがあったのですが、それらで一貫して、

『サイコ』と『鳥』はハンパねぇよ~。

 という前情報が流れていたことを強烈に記憶していた私は、ついに満を持して、恐る恐るながらも親に頼み込んでレンタルビデオ店にあった『サイコ』を借りてきてもらうことにしました。まだ未成年で自分のカードを持てなかったですからね。
 そしてVHSテープをがちゃこんとビデオデッキにさし込み、固唾を飲んで正座する私の眼前に展開された映画『サイコ』の世界とは……

じゃん!じゃん! じゃらっじゃん! じゃらじゃらじゃら……

 うひぇえ~、なに、このむちゃくちゃ恐いオープニング!?
 いったいどんな恐怖の物語が繰り広げられるというのでしょうか。

 てな感じで、問題の『サイコ』驚愕の中身は、誰がなんと言おうと次回に続く~っ!
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記念すべき我が生涯初ビックリ映画 『サイコ』(1960年)に出会うまで

2011年09月12日 14時52分47秒 | ふつうじゃない映画
 いぃ~い入道雲が浮かんでおりますなぁ~。どうもこんにちは、そうだいでっす。
 今日もいいお天気ですな。日射しも強いしずいぶんと気温は上がっているんですが、ふと風が吹いたり雲で日が陰ったりしたとたんに涼しくなるんですねぇ。秋も近いんだね。

 みなさん、夢、見てますか? 寝て見る夢のほう。
 最近、起きたあとも記憶に残るような鮮烈な夢を見ることが多いんですよ、私。
 夕べもなかなかいい夢を見ましたねぇ。

 ほら、よく、「空を飛ぶ夢」は「欲求不満のあらわれ」って言うじゃないですか。

 夕べ、思いっきり飛んじゃったよ……

 っていってもね、鳥みたいな飛び方じゃなくて、グライダーでリアルに滑空する夢だったんですよ。
 リアル、リアル。だって、両手で金具をつかんだり両足を伸ばしたりしながら風に乗ってバランスをとらなきゃいけなかったですからね。しかも、私のうしろにインストラクターのおっさんがいたし。頼もしかったなぁ。
 すごいんですよ。けっこう高い山の頂上から、高さ20メートルはありそうな杉の森が地平線のかなたまで一面に広がっている、『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな山地をサーッと滑空して行くんですね。落ちそうでこわいんだけど気持ちいい! インストラクターのおっさんが私に声をかけてくれます。

「どうですかぁ~、上空からながめる岐阜の町なみはぁ。」

 岐阜すか!? 町なみも何も、人が住んでいる形跡さえ見えない森林ばっかなんですけど……そうか、実際の岐阜はこんなにロッキー山脈っぽいところなのかぁ。
 杉の大木のてっぺんに足先が届くかというすれすれを、色とりどりの紅葉を楽しみながら滑空していって、ようやく見えたお土産屋さんのパーキングに着陸したところで目が覚めました。
 体感時間としては、飛んでいたのは20分くらいでしたかねぇ。岐阜どころか、ほんとに日本だったら海に出ててもおかしくないような距離を飛んでいたような気がします。いやぁ、ずいぶんと爽快な夢でしたね。インストラクターさん、ありがとう!

 なぜ今、「空を飛ぶ夢」を……
 ただ、正確には「滑空」ですからねぇ。みなさんは、もっと本格的に鳥みたいに自力で飛ぶ夢って、見ます? 今度はそういう飛び方もしてみたいなぁ!


 さあさあ、そんな文字通り夢みたいな話をするのはここまでにしておきまして、ここからは……やっぱ夢みたいな話だわ。

 あんの~、前回まで私が小学校低学年だった時にハマッた100円ガシャポンの「バンダイ SD ホラーワールド」の話をしていたんですけどね。
 そのシリーズ自体も、たかだか3センチほどの消しゴム人形の造型が素晴らしいというような魅力はあったんですけれど、のちのちの私にとってもっと重要だったのは、そのラインナップが当時まだ「ホラー映画」らしいものをまったく観たことのなかったガキンチョにとっての、「最低限ここだけはおさえておきたいホラーの古典」としてインプットされたことだったのです。

 吸血鬼ドラキュラ、フランケンシュタインの人造人間、ロンドンの狼男、アマゾン川の半魚人……

 もとになった映画は古すぎて、田舎ではTVでの放送はおろかビデオレンタル屋に置いてある可能性も低いという状況だったのですが、私は学校の必須科目であるかのような必死度でそれらのキャラクターを記憶していきました。まぁ、今でいうポケモンみたいな感覚でおぼえていったわけですよ。
 そういえば、当時ケイブンシャなどからリリースされていた子供向けの特撮関連本は、小学生だった私でさえ「怒られないの、それ!?」と心配してしまうほどざっくりしたくくり方になっておりまして、「ゴジラVSガメラ」や「キングギドラVSゼットン」といったドリームマッチが平気で展開されているおおらかさがあり、そういった「かっこよくて恐いキャラクター」という概念の中に、ホラー映画のエイリアンやゾンビなどが混線することもしばしばだったのです。

 いや、そりゃあどっちも「モンスター」だけどさぁ……自分が殺されるかも知れない怖さと、自分の住む町が破壊されるかも知れない怖さは別でしょ。

 しかも折もおり、1980年代後半には「怪獣・怪人ブーム」に加えて「海外のホラー・スプラッタ映画ブーム」や「アジアのキョンシーブーム」、そしてアニメ第3期版『ゲゲゲの鬼太郎』のヒットによる「日本の妖怪ブーム」というあたりの新興勢力までもが参戦してきたため、私の頭の中は世界規模でのわけのわかんない奴らが跳梁跋扈する365日オルウェイズ百鬼夜行パラダイス銀河状態になってしまっていたのです。まわりの友だちはふつうにミニ四駆とかジャッキー=チェンに夢中になっていました。

 ともあれ、こんな感じでゴキゲンに呪われていた少年時代の私にとっては、「SD ホラーワールド」の面々は「テスト必出レベル」で頭にたたき込まなければならない偉大なるレジェンド諸先輩方だったというわけで。
 言うまでもなくあの『怪物くん』のレギュラーメンバーにもなっておられたユニヴァーサルモンスターの御三家などはスーッと頭に入ってきます。
 『日曜洋画劇場』でしょっちゅうやっていた「ジョーズ」はもう知ってましたねぇ。ハエ男やオペラ(座)の怪人といったあたりも、そのインパクト大の外見からすぐにおぼえられました。

 ところがねぇ。ど~にも気になるキャラクターがいるんだなぁ。

 このさぁ……「ノーマン=ベイツ」と「ヒッチコック監督」って、なに? 誰?

 人形の外観は前にもちょっと触れましたけど、ただのおっさん。単なるおっさん人形なんですよ、どっちも。
 「ノーマン=ベイツ」のほうは、でかい包丁を持った顔のこわい中年男です。2頭身の SD人形なのに、この口元と眉間にきざまれたシワの深さは……
 いっぽう、「ヒッチコック監督」はというと、これはもう武器もなにも持っていない背広姿のはげて太ったおじさん。それだけの人形。

 なんなんだ、この2人は。彼らはいったい、どんな恐ろしいことをしでかしてドラキュラや物体Xにならぶモンスターになったのだろうか……外見が普通のおっさんであるだけに逆に恐い!!

 この人形をながめる、1986年当時の私の頭の中には「?」だけしか浮かばなかったのですが、その後、まず最初にわかってきたのは、「ヒッチコック監督」が「映画のキャラクター」じゃなくて映画をつくる側の「監督」という職業の人なんだということでした。

 確か、1990年にフジテレビで放送されていた大人気バラエティ番組『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』の中でやっていた、ヒッチコック監督の『裏窓』をもとにしたパロディコント。それが私にとっての、動くヒッチコック監督との最初の出会いでしたねぇ。いや、正確にはヒッチコック監督のメイクをしたウッチャンだったんですけど。
 もしかしたら『誰かがやらねば!』の後続番組の『やるならやらねば!』(1990~93年)の方だったのかも知れないのですが、そのコントを観てはじめて、

「あぁ、アルフレッド=ヒッチコックって、ジェイソンとかフレディみたいな架空のキャラじゃなかったんだ。」

 と認識したわけなのです。そして同時に、ヒッチコック監督がつくっていた映画の「恐さ」の種類が、「人間じゃない何かの怖さ」を見せるホラー映画ではなくて、「人間の怖さ」を見せるサスペンス映画とかスリラー映画と呼ばれるものなんだそうだ、ということもうっすらわかってきました。スタッフさんの腕が良かったためか、パロディといえどもその回のコントは本家譲りのハラハラドキドキ展開で、まだまだ子どもだった私はずいぶんと興奮しながら見入ったものです。家政婦役の田中律子さんがかわいかった。

 その後、何があったのかはわかりませんが1992年には立て続けにヒッチコック監督が伝記バラエティ番組に取りあげられるということに。具体的にはその年の5月に NHK総合の『西田ひかるの痛快人間伝』で、7月に日本テレビの『知ってるつもり?!』でヒッチコックが特集されたんですね。
 ……なつかしいねぇ、どっちも。『知ってるつもり?!』なんて、2002年に番組が終わってるんだねぇ。知ってるつもり?って聞かれても、もはやこの番組の存在自体を知らない人もざらですからねぇ。よくこの番組のコメンテイターとして出演していた杏里さんとか EPOさんってお元気かなぁ。

 そういえば、車のコマーシャルにヒッチコック監督の生前の映像(監督は1980年に80歳で死去している)が使用されて話題になったのもちょうどそのころだったんじゃないでしょうか。
 あの、かつてアメリカで放送されていたオムニバスドラマ番組『ヒッチコック劇場』ののんきすぎて恐いテーマ曲とともに、ヒッチコック監督の映像に声優の熊倉一雄さんのナレーションを重ねていたCMですね。

 『ヒッチコック劇場』とは、ヒッチコック監督がプロデュースしてサスペンス系・ホラー系をあわせた数々のショートドラマをオムニバス形式で放送していた『世にも奇妙な物語』の大先輩にあたるアメリカの人気番組で、ヒッチコック監督みずからがタモリのようなストーリーテラー役としてレギュラー出演していました。
 この番組は本国アメリカでは1955~65年に白黒で放送されていたのですが、ヒッチコック監督没後の1985年にはカラー版リメイクシリーズが制作されています。

 ともかくですね、そういったちょっとしたヒッチコック・ブームのようなものをまともに受けた私は、タイミング良くその頃わが家でも洋画放送を主体とした「NHK衛星放送第2」を受信するようになったことから、積極的にヒッチコック監督の手がけたさまざまなサスペンス・スリラーの古典にいどむこととなりました。
 『裏窓』、『めまい』、『北北西に進路を取れ』、『バルカン超特急』、『ハリーの災難』などなど。

 これらで「サスペンスの神様」の神テクニックを堪能し、
「あぁ、モンスターが『ガーッ!』て出てくるだけが恐い映画じゃないんだなやぁ。」
 としみじみ感じ入った中学生の私だったのですが、いよいよ、その再会のときはやって来てしまいました。

「ん、なになに、今ちまたを騒がせている(1990年代前半当時)『サイコサスペンス』というジャンルのお初を撮ったのもヒッチコック監督だったんだって? じゃあその最初の作品ってのも観てみようじゃないか!」

 そう、そしてその映画で待っていた人物こそが、あの「包丁を持った恐い顔のおっさん」だったのであります……ギャー!


 ひっぱれてるか? これ。
 まぁいいや、とにかく続く!
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