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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

ご復活のときは……近い?

2019年01月20日 22時54分06秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
 今回はまぁ、特に何を観たとか、どっかに行ったとか言う話題もないんですけれども。

 いや~、アニメ版第6期『ゲゲゲの鬼太郎』、順調に放送第40話を数えましたね……
 第6期、わたくしの唯一の毎週チェックしてるアニメ作品なわけですが、やっぱりおもしろいですね!
 単にキャラクターデザインの一新だけでなく、お話の内容もちゃんと2010年代に放送するだけのオリジナリティを持たせてやるぞという、野心たっぷりのアレンジがほぼ毎回観られるのがうれしいですね。
 その点、原作の味わいをあえて捨てている部分も少なからずあるにはあるわけですが、それでも、

「水木しげるが今現在も現役バリバリだったら、この話題は絶対にネタにしているだろう。」

 という視点を常に持っているダークなテイストがしっかり入っているのはうれしいです。これには本当に大満足!
 個人的には、やはり第14話『まくら返しと幻の夢』が40話までの中でのベストエピソードでしょうか。まくら返しが登場した原作マンガとは全く違う内容なわけですが、「現代性」と「まくら返しが登場する意味」と「原作マンガのサイドエピソード(鬼太郎父子まわり)の補完」の全てをおさえた上に、「アニメ第6期ならではの声優ネタ(異常に強い復活親父)」まで盛り込んできたという大盤振る舞いには、まったくもって感服つかまつりました。
 そういえば、目玉の親父を演じておられる野沢雅子さまは、かつてプリキュアの映画で「絶対に死なない夢の世界の悪夢」を演じておられていた……それじゃあもう、さすがのかないみかさんでも勝てるわけがねぇよ! 岩崎ひろしさんのハイテンションも素晴らしかったですね。

 まぁ、そんなこんなで毎週毎週ありがたや~とアニメ第6期を堪能してはいるわけなのですが、そんなわたくしでも、少しずつ少しずつ、ふつふつとつのってくるフラストレーションはあるのです。
 そりゃあもう……このブログをパ~っと眺めておられる、そこの奇特なあなたさまなら、理由はご推察ですよね? ね!?

 「あのお方」が、まだ出てねぇ~んだよ……

 え? ドラキュラ親分? そうそう、彼もまだ出てないし気になるわけなんですが、彼は2番目ですよね。

 気になるなぁ……いつお出ましになるのかな……
 勝手に予想してたのは「演・島田敏」だったのですが、島田さんはすでに準レギュラー枠に入っておられるのでその可能性はうすい。今作でそうとう根の深いラスボスになりそうな感のある「名無し」の正体も気になるのですが、どうもあの方をにおわせる雰囲気は、今のところ無い。
 いくら「過去シリーズとの差別化をはかる」心意気高しとはいえ、まさか「一回も登場させない」つもりなのでは……いや、そんなバカな!

 そこで気になるのが「ご復活はいつなのか?」ということなのですが、ここで出てくるのが、

「第46話」

 というキーワードなわけです。

 これ、なんなのかといいますと、あのお方がアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の過去シリーズに最も「遅く」初登場したエピソードが第46話だったんですよね。アニメ第4期です。
 第1期の続編という位置づけの第2期には登場していませんが、あのお方は第1期では第12話、第3期では第4話、第5期では第8話(本格的に登場)でそのお姿を現しておられます。
 それらの話数を華麗にスルーしていった第6期なわけですが、さすがに最後のラインである第46話さえも未登場で突破していってしまったら……私、泣いちゃうかも。

 制作スタッフさま、もう第40話になっちゃいましたが、第46話、期待してますよ! 勝手に!!
 だいたい、第4期であのお方を演じられた西村知道さんの悪魔ベリアル、あれで退場!? いやいや、もっと強いでしょ! 腕なまりすぎじゃない!?

 ツンツンするのはテーマ性だけにしてほしいです! われら「おぬら様信者」にも、おめぐみを~!!

 いや~でも、どなたが演じられるのか、ほんとに楽しみですね。


≪追記≫
 あ! そういえば、沢城鬼太郎さまも、ご産休で休養されるんでしょ? そっちのピンチヒッターもどなたになるのか気になるなぁ!
 わたくしとしては、野沢~戸田~松岡~高山の週替わりシフト制でいっていただきたい!! 野沢さまが演じられる回では目玉の親父は登場させず『墓場の鬼太郎』テイストでいくとかだったら、もう言うこたありませんやね。
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どこへともなく そして、どこからともなく

2015年11月30日 22時26分43秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
おばけは しなない

びょうきも なんにもない


だから、悲しむことも泣くこともない。

なにか大きなものを失ったような気持ちになる必要も無い。

妖怪とは、それを記録している言葉が残っている限り、

それを記憶している人がいる限り、

たとえその姿が見えないのだとしても、

永遠に心の中に生き続ける存在なのだという。

だとするのならば、

彼はもうとっくに

永遠の生命を得た大妖怪なのである。

われわれの小さな頭の中から

彼の記憶、彼の残した膨大なイメージの奔流を落とすことは

もはや不可能であろう。

そして子々孫々、末代にいたるまで

われわれ人間族が

彼のかけた幸せな呪いから逃れることは

できないのであった。


ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ


おりから おけらや かえるたちが

彼をたたえる「ゲゲゲの歌」を うたいはじめた……
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今さらですが……  『ぬらりひょんの孫』にささげるバラード  勝手に事故調査委員会報告書 第二次

2013年10月04日 10時32分23秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
 ホント、話がやたら長くなってすみません!!
 やはり愛ゆえのクドさなのか!? いいえ、ただ単に文章を簡潔にする腕がないだけなんです。どうすればいいんっすかね、文章を5千字以内におさえるのって。

 今回でこそ! ちゃんと終わらせますんで、はひ……ヘーコラヘーコラ進めてまいりましょー。


問題その5、「開けてはならなかったパンドラの匣、安倍晴明」

 なにはなくとも安易なんですよね、安倍晴明がラスボスだという、その発想が。

 そりゃあ確かに、一見すれば「もんのスゲー奴が出てきた!」というサプライズ感はあるんですが、かつて2001年頃にアホみたいに氾濫した「平安貴族の扮装をしたクールな感じの美青年魔術師」というイメージでカッチカチに凝り固まったキャラクターにしかならないんですよね、生半可な筆力じゃあ。あのあたりの圧倒的な重力から解放されるのなんて、ムリ!! こんなに応用のきかない不自由なキャラ、そうそういないですよ!? 織田信長とか沖田総司なみに使い勝手の悪い定型イメージっぷり。
 結局『ぬらりひょんの孫』の中でも、「全てを滅ぼすのだ……」ってことしか言わないバカ丸出しな脳筋お兄さんになってたでしょ? 千年ぶりに復活しただけに、脳みそん中も千年前からまるで進歩してません。つまんない! つまんないことこの上ない恐竜みたいな絶滅必至キャラです。

 そうとう新しい解釈像を打ち出すことができるという自信がなけりゃあ、そんなに易々と持ち込んでいい人物じゃあないんですよ、安倍晴明という大人物は。
 椎橋先生は、「大江山酒呑童子」とか「平将門」とかいうビッグネームはけっこう気にして避けてたじゃないっすか。だったら、どうして晴明さんにもそのくらいの配慮をもって接しなかったんですかねぇ? 一度出したら、自分の腕の足りなさを否が応でも露呈させる可能性の高いデンジャラスなじゃじゃ馬であることは火を見るよりも明らかだったでしょう。

 だいたい、花開院家という大陰陽師の一族を出した時にも「陰陽師といえば……」と誰もが連想するはずの晴明さんの名前は出さなかったし、作中で京妖怪連合が闊歩する京都中の名所も、「弐條城」「鹿金寺」「相克寺」「西方願寺」といった具合に実在のものとは違うフィクション世界の京都に改変されていました。
 つまり、京妖怪連合編を始動させたその土壇場になっても、椎橋先生はまだ実在する人物である安倍晴明を出すかどうかは悩んでいたのではなかったのでしょうか? そして、晴明を出す以上に有効なオリジナルキャラクターを創出することを断念した、その消極的選択によってえっちらおっちら晴明を召喚してしまったのです。

 そんなひよった召喚で晴明が完全復活するかバカー!! 中途半端に召喚される身にもなってくださいよ……

 それはそうとして、私がとにかく椎橋先生に聞きたいのは、なんでまた「安倍晴明=鵺(ぬえ)」という構図を導入したのかってことなんですよ。わたくしめは鵺にはちょっとうるさいですよ……なんてったって、大学の卒論が鵺だったんですからね。笑わば笑え!!

 じゃあ何ですか、平安時代末期に出現して近衛天皇(1139~55年)だったか二条天皇(1143~65年 近衛帝の甥)だったかを苦しめたっていう魔獣「ヌエ(「鵼」という字をあてるほうが正確で、「鵺」というのはあくまでも怪物・鵼と同じ鳴き声で鳴くトラツグミのことを指すらしい)」のことを、椎橋先生はなんだと解釈してるんですか? 要するに、ヌエっていう怪物が跋扈したのは晴明が死んでから150年以上未来のことだったんですよ。そこをどうしてつなげたのか、その謎はぜひとも明らかにしてほしかったんです、あたしゃ!

 でも、結局ここらへんの解説なんか全然無視して『ぬらりひょんの孫』は終わっちゃったでしょ? そういういい加減な流し方だからダメだって言うんですよ。回収する目算もない伏線なんか、ハタ迷惑なだけだから最初っから張らないでくださいよ!
 アンタは江戸川乱歩か? デイヴィッド=リンチか!? 思い上がりもはなはだしい!!

 そんな椎橋先生には、安倍晴明を一族の敵と恨んでいるあの大陰陽師から一言、大事なアドバイスを贈っていただきたいと思います。謹聴してくださいね。

「身の程を知れェェぃい!!」(映画『帝都大戦』より)


問題その6、「花開院一族の教訓、御門院一族に生きず」

 京の地を守る大陰陽師一族・花開院家。しかし、『百物語組編』もやっと大団円を迎えるかという第182幕に唐突に出現した、ちょっとイラっとするにやけ顔の少年。純白の直衣に身を包み、あの花開院竜二の術をも軽くいなしてしまう「七芒星」の術式を操る彼の正体とは……

 日本という国家全体の中枢を護持するために陰で暗躍し続けてきた、あの安倍晴明の子孫たる一族・御門院家! ババァアーン!!

 ……ふあぁ~あ。まったナントカ院一族のおでましですか。そんなんもう花開院で使ってる手だし、上がる血圧もありゃしません。また名前いっぱい覚えなきゃいけないのかよ……で、どうせそのうちのほとんどは大して活躍もせずにフェイドアウトするんでしょ? やんなっちゃうなぁ、もう!
 竜二が「聞いてはいたけど初めて会った。」っていうのも、なんだかなぁ……陰陽師なんて、そんなに広い業界じゃないと思うんだけどなぁ。花開院家は京都が拠点で、御門院家は東京だとかいう設定はあるんでしょうけど。
 だとしたらですよ、重箱の隅をつつくつもりはないんですが、やっぱりこの作品における日本も、現実の私たちが住んでいる日本と同じように「かしこきところのお方」は東京に遷都してるんでしょうね。それに御門院ファミリーもついていって京都を離れたと。
 でも、「葵城跡」が皇居になってる形跡はないのよね……いや、描写されてないだけで、やっぱりあそこにおわしてたのかな? 難しいところなのはよくわかるんですが、古代陰陽道をここまで作品に引っ張っておきながら、帝のあたりを全く語らないまま葵城跡(=江戸城跡=皇居)を最終戦の舞台にするのは……都合がよすぎませんか?

 まぁ、とりあえずですね、ちょっと『御門院家編』に登場する陰陽師のみなさんを整理してみましょうよ。


花開院 秀元  …… 戦国時代後期から江戸時代初期にかけて活躍した花開院家十三代目当主。故人。
花開院 ゆら  …… 花開院本家の陰陽師。次期当主候補。中学1年生
花開院 竜二  …… 花開院本家の陰陽師で、ゆらの実兄。高校3年生。
花開院 魔魅流 …… 花開院分家の陰陽師。本家に養子入りする。高校生。
花開院 秋房  …… 妖刀制作の名門である花開院分家「八十流(やそりゅう)」の次男。
花開院 破戸  …… 花開院分家「愛華流(あいかりゅう)」の陰陽師。
花開院 雅次  …… 結界術を得意とする花開院分家「福寿流(ふくじゅりゅう)」の陰陽師。

安倍 晴明(921~1005年) …… 御門院家の始祖。鵺(ぬえ)とも呼ばれる羽衣狐の「やや子」。
安倍 吉平(954~1027年) …… 御門院家二代目当主。安倍晴明の長男。羽衣狐の血を4分の1引いており、リクオと同じ妖怪と人間のクォーター。
安倍 雄呂血        …… 御門院家三代目当主。在位期間は1185~1333年。女性。
安倍 有行         …… 御門院家四代目当主。在位期間は1334~92年。南北朝時代の当主でもあり、北朝の京都と南朝の吉野の両方を守護した。
御門院 泰長        …… 御門院家五代目当主。在位期間は1393~1476年。安倍有行の実子。(存在が語られるのみで登場せず)
御門院 心結心結      …… 御門院家六代目当主。在位期間は1477~1568年。
御門院 天海(1536~1643年)…… 御門院家七代目当主。在位期間は1569~1643年。
御門院 泰忠        …… 御門院家八代目当主。在位期間は1644~1852年。
御門院 水蛭子       …… 御門院家九代目当主。在位期間は1853~67年。
御門院 有弘        …… 御門院家十代目当主。在位期間は1868~1926年。
御門院 長親        …… 御門院家十一代目当主。在位期間は1927~45年。
御門院 泰世        …… 御門院家の一族。青森の恐山にいる修験者。妖刀作りの名手であり、八十秋房を指導していた。


 総勢19名!? 多すぎだろ!! 花開院家以上に新しく登場する御門院家の人数が増えてどうするんでしょうか。完全にこれ、歴史の勉強のイヤ~な感じのとこのにおいを放ちまくってますよね!? もう、陰陽師が町の美容院か整体院ってくらいに氾濫しています。そんなに需要ねぇから!
 こんなに中ボスだらけのバトルマンガなんか、途中から読んでる方の感覚がマヒしてきてラスボスの強さもよくわかんなくなるに決まってるじゃないですか。
 それなのに、序盤の第186~190幕に登場した先鋒の御門院泰世は、最初のかましにふさわしいけっこうな強敵だったのに「御門院家の当主ですらない」というしたっぱ扱い。いや、それ風呂敷を広げすぎでしょ! ハードル上げてるなぁ。それでさらに「黒装」だの「白装」だのと味もそっけもない新情報のオンパレード……『ジャンプ』はいつから強制つめこみ型の参考書になったのでしょうか。

 その後の展開を見ていきますと、バトルに参加するのは安倍雄呂血(第193~209幕)、御門院水蛭子(第193~200幕)、御門院天海(第196~206幕)、御門院長親(第196~98幕)、御門院有弘(第196~99幕)、御門院泰忠(第203幕)、安倍吉平(第208幕)、御門院心結心結(第208~10幕)、安倍有行(第209~10幕)、安倍晴明(第209~10幕)といったシフトになっております。御門院泰長は彼が創造した「半妖の里」という異空間が連載終了後の番外編に登場するのみで、本人は登場しません。
 『ぬらりひょんの孫』は第208~10幕が季刊『ジャンプ NEXT!』の連載になっているため、最後の各3話はそれまでの回の3倍の分量の約60~70ページにボリュームアップしております。ですので、一概に戦った話数だけで比較するわけにもいかないのですが、それにしてもギレン総帥のそっくりさんの長親と無精ヒゲの有弘、1コマしか戦ってるところが描かれずその末路さえ誰にも語られなかった泰忠あたりのへっぽこぶりが目につきますね。すさまじいまでの泰山府君祭のデフレーションです。進研ゼミ並みに誰にでもできる寿命改竄! たぬきとか酔っ払ったかわうそとかに負ける晴明の末裔って……
 あと、彼らのダメダメさのおかげで目立たなくはなってますが、御門院家の人物として最初に現れてインパクト大だった生意気そうなガキンチョ有行も、よくよく見ると大して戦ってません。やっぱりたぬき1匹相手に苦戦してました。おめーも結局は口ばっかしクンかコノヤロー!!

 それにしても、いちおう主人公としっかり対決してたから強敵っぽい雰囲気もあったし、更には唯一人、主人公と「4分の1妖怪」という点で同じ境遇だった安倍吉平が、たった1回の対決で退場したのは残念というかなんというか……登場が遅すぎましたねぇ。ゲルググみたいなお人でしたね。
 晴明の末裔でありながら、たった一人だけ「なんでおめーの言うまんまに生きなきゃなんねぇんだよ。」という、まっとうにも程のあるリアクションを返して一族を去り「半妖の里」を作ったという御門院泰長の存在が、連載終了後の番外編でとってつけたように補足されていたのも、もう手遅れもいいところっつうか……そうとうおいしい立ち位置だったと思うのですが、使われる時間もページも無かったですね。
 だいたい、晴明一族の「安倍」姓が途中から「御門院」姓になったのって、連載中は「強さのランキング」みたいになってましたよね? 御門院より安倍のほうが手ごわいぞ~みたいな。
 それを連載終了後になって、「泰長の『脱晴明』の決意の表れとしての改姓だった」と言い出すのは……じゃあ、泰長以降の面々はなんでそんな名字を堂々と名乗って晴明に仕えているのでしょうか? 事情を知らずに「御門院ってカッコいいね!」としか捉えてなかったのか? バカなのか?

 結局、晴明の麾下にありながら堂々と有行や雄呂血、泰世あたりが使っていた「七芒星」の意味も全然わかんなかったし。そこはオリジナリティ出しちゃいけないとこなんじゃないかな……水蛭子が身体張って説明してた通り、五芒星は陰陽五行思想あっての「五」なんでしょ? それに何が2つ加わって「七芒星」なのか、さっぱり語られなかったし。架空の陰陽師の流派ということでそれを出すんだったら、花開院家と同じなんでいいかとは思うんですが、思いっきり瞳に五芒星が浮いてる晴明が登場した後でも七芒星を推すって、作者さんには一体どんな公算があったというのでしょうか? もしかして、安倍一族は「あいつらは新作落語やし、多少いきがって変なことやってても、ええんちゃう?」みたいな自由な空気に満ちているのか? でも、根本のトレードマーク変えちゃいけないと思うんですが……
 そんな一門の結束で、果たして千年前の大師匠が復活するのであろうか……あっ、復活したのは羽衣狐のおかげだし、もしかして「本当に復活するとは思わなかった……どうしよう。」みたいなドタバタ感で集合したから、あんなだったのか。それはわかるなぁ。江戸時代の隠れキリシタンも、明治になって外国の宣教師さんが来てみたらびっくりするくらい違う宗教になってたっていうし。
 なるほど……晴明が子孫たちにどことなく冷淡なように見えたのは、冷たいんじゃなくてただ愕然としてリアクションできなかっただけか! そりゃそうだ、『金烏玉兎集』のどこをどう読んだらゴスロリファッションでぬいぐるみのクマにミルク飲ませる呪法スタイルになるんだよ!? わしゃもう、若いやつらの考えてることがわからん!!

 まぁともかくですね、いくら最終章だからといっても、全員ちゃんと描写するという責任も確証も無いまま10名もの新キャラクター(晴明と泰長以外)を見切り発車で生み出してしまった作者さんの親としてのネグレクトっぷりは、やっぱりひどすぎると思います。『京妖怪編』での花開院分家のみなさん(メガネマッチョとかドレッドヘアとか布とか)の無意味すぎる生と死は、まるで親の心に響くものではなかったのですね。子の心、親知らず!! なんか、晴明の子孫に対する無責任さと非常にオーバーラップする構図ですよね。いやぁ、人柄が出るもんだねぇ!


問題その7、「人気があるのはわかるが……羽衣狐は再登場するべきではなかった」

 晴明一族の猛攻に対抗せんとして、ぬらりひょん親分が切ったジョーカーとは……地獄に堕ちたはずの羽衣狐の復活だった!
 やってしまいましたね。大人気悪役キャラの、味方としての復活パターン! 王道だなぁ。

 ただ、それ自体はいいとしても、問題なのは彼女が晴明の実の母親であり、しかも晴明がここまで妖怪討滅だ人類討滅だと1000年間も血迷っているのは、彼女が人間(当時の貴族)のせいで非業の死を遂げたことが原因だということなのです。
 ふむ。じゃあ、これは晴明の前に羽衣狐がやって来て「私も復活したし、人間許したってーな。」と説得して和睦する平和的なエンディングを迎えるのでありましょうか?
 いえいえ、展開はさにあらず。晴明は「俺は母ちゃんのロボットじゃねーっつーの!!」……とは言わないのですが、母ちゃんの言葉を全く意に介さず攻撃を続け、盛大な母子ゲンカにもつれこんでしまうのでありました。

 もとをただせば、晴明を現代に復活させたのは地獄に堕ちる前の羽衣狐だったのですが、主人公に敗れた母ちゃんを見た晴明は、なんだかよくわかんないんだけどその母ちゃんを地獄に堕として「俺が新世界の神になる。」と宣言していたのでした。
 え? 母ちゃんが殺されたことに腹を立てて全世界滅亡を誓った子どもが、自力で復活した母ちゃんの手で復活したかと思ったらその母ちゃんを殺しちゃって、そしたらそのうちまた母ちゃんが復活してきて、世界滅亡をやめろと言われたら大ゲンカになって……??

 な、なんなんだ? この母子のモチベーションはどっからわいてくんの? そして……結局なにがしたいの?
 今さら論理が破綻しているとかいうクソ真面目なことは言いませんし、別に破綻していてもマンガなんだからいいかとは思うのですが、ちょっと1つだけ。


この母子……おもしろすぎない?


 つまり、この2人の地球規模で迷惑な圧倒的存在感の前には、ぬらりひょんファミリーなんか一瞬でかすんでしまうということなのです。
 実際に、最終話の1コ前の第209幕における母子の会話で、晴明の現世滅亡の論理は見事に否定されてしまっているのです。強者のみが生き残り、愚かさや弱さを一切認めない完璧な世界を創造すると豪語した晴明に対して、羽衣狐はこう宣言します。

「ならば、わらわはもう自分の思うがままに生きよう。今後は人もあやかしも全てを慈しむ母であろうと思う。」

 愚かさも弱さも、この不完全な世界の全てを赦し受け容れるという、母ちゃんの心意気……これぞ菩薩!!

 これはダメだ……こんな人にド正論を言われちゃったら、ついこないだ主人公らしくなったばっかりの中坊ごときに一体なにができるというのでしょうか。そりゃまぁ少年マンガなんだから晴明を力でギャフンと言わせる絶対的存在は必要になる訳ですが、その貫禄と説得力の時点で、羽衣狐のほうが主人公よりもよっぽどデウス・エクス・マキナにふさわしい資格を有してしまっているのです。主人公の立つ瀬なし!
 作者さんもまぁ~、もう自分じゃ止めらんないみたいな筆致で羽衣狐を実に生き生きと描いているわけなのですが、そのおかげで主人公以下、全レギュラーメンバーの影がもれなく薄くなってしまったのでした。じゃもういいからさ、タイトルを『ぬらりひょんの孫』じゃなくて『羽衣狐のバカ息子』に変えてくれよ!! 略して『はごばか』でいいよ。

 ダメだろう、子供同士のケンカに巨神兵呼んできちゃぁさ。


問題その8、「主人公をリクオに任せられない、祖父と父の深刻な子離れのできなさ」

 こりゃもうね、全25巻を通読された方ならばみなさん漏れなく感じられる印象なのではないのでしょうか。
 つまるところ、カンフル剤のごとく事あるごとに差し挟まれる「若い頃のじいちゃん」か「生きてた頃の父ちゃん」のサイドエピソードが、確かに一時的なお話の盛り上げにはなるのですが、「本筋の主人公を補助する」役割を担っていないのです。なんか、投入されるたんびに孫のオリジナリティが薄れていくというか、「こういう親分を目指せよ!」という説教を毎回グチグチ言われて委縮していくような気がするんですよね。
 隠居した隠居したっつって、結局じいちゃん最終話直前の第209幕まで元気そのもので安倍雄呂血ぶった切ってるんだもの!

 思えば、少年マンガの世界でこれほどまでに「超高齢化社会の弊害」を切実に語った作品は無かったのではないのでしょうか。元気すぎる老人に圧迫される若者の苦悩! 『サイボーグじいちゃんG』は、じいちゃんが主人公だからいいんですけど、『ぬらりひょんの孫』はあくまでも孫が主人公であるべきですからね。そこはじいちゃんも控えるべきであったし、ましてや故人であるキャラクターは10分の1くらいの出番にしても良かったのではなかろうかと思うのです。

 作者さんの饒舌さや筆の走りが、主人公メインの本筋から遠ざかれば遠ざかる程無責任に暴走していくような傾向が、特に後半の『百物語組編』と『御門院家編』でどうしようもなく感じられてしまったのは、私だけでしょうか。それはもう、羽衣狐と晴明の因縁エピソードもそうなんですけれども。

「リクオ……わしゃ、いよいよ本気で隠居じゃ。」

 って最終話で言われてもよう! 孫のマンガでいいとこ全部かっさらってさんざん暴れまわった挙句、残しといた取り分は、母ちゃんにダメ出しされて改造ベロクロン2世並みにヘロヘロになった再生晴明の首だけ!? そりゃないぜグランパ!!


問題その9、「効果音がやけに邪魔なマンガ」

 これはそんなに大きな問題ではないと思いますし、『御門院家編』でもラストスパートにいくに従って、特に季刊連載になってからはかなり鳴りを潜めたように感じられたので軽く触れるだけにしておきますが、まぁ~ともかく『百物語組編』の珠三郎がひどすぎたんですよね。

「ポンポンポンポン……カポォォォン」

 と、言われましても、ねぇ。当方といたしましてはなんとも答えようが。

 実験精神にあふれてる、ってことなのかしらねぇ。でも、あの「二十七面千手百足」を生み出した作者さんとはとても思えない「じぇんっじぇん怖くもなんともない閉鎖空間」になっちゃいましたよね。いや~、なんだかんだ言ってもオノマトペは大事ですよ!

「このしらけきった舞台で、おまえの生きる道はねぇ!!」

 って、首無に言われるまでもなくしらけきってたからね。つらいなぁ。

 作者さんの、たぶん意図的に使っていたミョ~に古臭いかすれた筆書き調の効果音表現は、『京妖怪編』くらいまでは好きだったのですが、やっぱり『百物語組編』から暴走が目についてきちゃったかなぁという印象がありました。絵がポップなだけにそのギャップが面白かったのですが、やはり過ぎたるはなほ及ばざるがごとし。バトルだバトルだと濫用し過ぎると、効果は薄れちゃうものなんですね。


でもね……「『九相図』と『葵螺旋城』をジャンプに持ち込んだ勇気はたたえたい」

 私がなんだかんだと目の敵のように言ってきた『百物語組編』も、たぶん山ン本五郎左衛門を前面に出さず、舞台も東京都心全域を一気に大パニックに陥れるようなスケールにせずに「柳田編」、「雷電編」、「圓潮編」のように小出しにやっていけば、「袖モギ様」や「邪魅」のような丁寧な粒の揃った好エピソードが続いたのではなかろうかと思います。それはやっぱり、偉大なる先人『ゲゲゲの鬼太郎』や『地獄先生ぬ~べ~』(終盤を除く)の路線ですよね。
 その中でも一番「鏡斎」は面白くなると思うんだけどなぁ! だって天下の『ジャンプ』で「九相図」ですってよ!? メジャー少年マンガ誌に腐乱死体!! とてつもない勇気と冒険ですよね。これはもう、素晴らしいの一言です。

 ただ、それをあの時間制限ギチギチのドタバタの中、しかも渋谷という超繁華街で展開させてしまったのは、いかにも素材がもったいないという感想だけが残りました。表現上の規制が多いであろうあの誌上で大虐殺……でも、虐殺の描写はその直前の、いかにも小林ゆうさんが声をあてそうな悪食の野風が十二分にやってくれましたし、主人公の肉体が腐乱するという恐ろしい展開も、なんだか墨汁を頭からかぶっただけみたいな描き方になっちゃったし。難しいですねぇ、いろいろと!


 なんだかんだと言いたい放題言わせていただきましたが、つまるところ、やはりマンガは構成が命! ということなのでしょうか。『ぬらりひょんの孫』ほどに画力と発想が優れていても、その御し方が整っていなければ覇権を握ることは夢のまた夢だということなのではなかろうかと。

 惜しい、惜しかったなぁ。あのゲタの少年が出てこないからと好き放題に勢力を広げすぎてしまったぬらりひょんファミリーは、やはりその絶対的天敵が不在であったがゆえに! 風呂敷を畳みきれずに自滅してしまった、ということなのでしょう。九尾の狐も安倍晴明も届かなかった、鬼太郎という高すぎる壁!!


ぬらりひょんには……やっぱり鬼太郎が必要だった!!


 この、お寿司に醤油、カレーライスに福神漬け、バットマンにジョーカー、アンパンマンにばいきんまんに等しい地球の摂理を結論としまして、この長すぎた愚痴を閉じさせていただくことといたしましょう。椎橋寛先生、どうもありがとうございました! 大塚周夫さんのぬらりひょん、もっと観たかったです……


大嫌い、大嫌い、大嫌い、大好き!! ああぁ~ん♡
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おトクねぇ~!!  『ゲゲゲの鬼太郎 DVDマガジン』を観る  アニメ第2期 第18~21話の段

2013年09月27日 11時08分19秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
 東北楽天ゴールデンイーグルス、パ・リーグ優勝まことにおめでとうございま~っす!!

 いや~、私は実に運がいい。
 何度も言うように私は現在自宅に TVがないんですが、たまたま山形の実家に帰ってる最中の昨日に、大画面の TVで優勝の瞬間を目の当たりにすることができましたよ。

 あの~、やっぱナイターって、おもしろいね!
 最初のうちは別の試合でロッテも勝ってたし、楽天も西武に先制されてたんで「今日の優勝はないかなぁ。」なんて話してたんですけど、あれよあれよという間にロッテが日ハムに逆転負けして、楽天も逆転。最終9回の裏は1点差で田中投手が出て、相手が3番4番で1アウト2塁3塁というものすごい状況をものの見事に制して優勝なんですからね!
 とんでもねぇ~シナリオだなぁ! これは興奮する、感動する!!

 創設9年目についに優勝。私個人は特にファンでもないんですが、出が東北ですからねぇ。しかもその光景を山形で観ちゃったら、涙ぐむしかないっすよねぇ。田中さんって、ものすごいお人だねぇ……何を今さらですが。ということは、里田さんもいい奥さんなんだな、うん。

 里田さんもそうでしたが、東北楽天ゴールデンイーグルスといったら、公式応援歌のあれこれで、モーニング娘。や℃-ute などといったハロー!プロジェクトの面々と深い縁のある球団です。2013年は本当に、追い風吹いとるねぇ!! きてるよ、きてるよ~。私も早くモーニング娘。のアップデートベストアルバム買わなきゃ!



『ゲゲゲの鬼太郎 TVアニメ DVDマガジン 第5巻』(2013年7月23日発売 講談社)の収録内容

第18話『幸福という名の怪物』 1972年2月3日放送 脚本・安藤豊弘、演出・茂野一清
 原作……非鬼太郎もの短編『幸福という名の怪物』(1967年7月掲載)
 ゲスト妖怪……怪物玉
 他シリーズでのリメイク……なし


第19話『釜鳴り』 2月10日放送 脚本・辻真先、演出・山本寛巳
 原作……サンデー版『ゲゲゲの鬼太郎』第1話『釜なり』(1971年9月掲載)
 ゲスト妖怪……釜鳴り(声・山田俊司)、砂かけ婆(声・山本圭子)、子泣き爺(永井一郎)、塗り壁、一反木綿、つるべ火、山彦、つるべ落とし、原作ふう猫娘
 他シリーズでのリメイク……第3・4・5シリーズ


第20話『ふくろさげ』 2月17日放送 脚本・安藤豊弘、演出・西沢信孝
 原作……サンデー版『ゲゲゲの鬼太郎』第2話『ふくろさげ』(1971年10月掲載)
 ゲスト妖怪……ふくろさげ
 他シリーズでのリメイク……第3・4シリーズ


第21話『心配屋』 2月24日 脚本・柴田夏余、演出・白根徳重
 原作……非鬼太郎もの短編『現代妖怪譚 心配屋』(1969年8月掲載)
 ゲスト妖怪……妖怪バリバリ、子泣き爺(矢田耕司)、5匹のアルバイト妖怪(大映妖怪シリーズの「牛鬼」っぽい妖怪、すっぽんの幽霊など)
 他シリーズでのリメイク……第5シリーズ


スペシャル特典映像『鬼太郎役・野沢雅子インタビュー 前編』(約11分)
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今さらですが……  『ぬらりひょんの孫』にささげるバラード  勝手に事故調査委員会報告書 第一次

2013年09月22日 23時17分42秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
 どうぉ~もどぉ~もこんばんは! そうだいでございます。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました。
 今日も、私の周辺は平和に時が流れていきました。連休ですねぇ。最近、連休が多いですよね。でも、私は基本的に仕事なんですよね~。そんなもんよね。はい、ありがたいありがたいっと。


 最近になって突然思い出したように……っていうか、文字通りに突然思い出して「あっ、やらなきゃ!」と始めた妖怪任侠アクションマンガ『ぬらりひょんの孫』の後半戦についてのあれこれでございます。
 まぁ~……天下のおジャンプ様で連載された作品だし、その上2シーズンもアニメ化されたわけなんですから超有名な物語でもありますし、すでに連載終了しているんですから、今さらわたくしめがしゃしゃり出てあ~だこ~だ言ってもあんまし意味はないんでしょうがね。
 でも、やっぱりなんと言いましても2013年10月現在の時点で、この作品が私の愛する大妖怪ぬらりひょん閣下を扱った作品の最新ヴァージョンであることを考えますと、ハイ終わりましたかそうですかと軽く受け流すわけにはいかないのであります。しかも、「ああいう」終わり方でしょ……

 物好きなそこのあなたならばすでにご存知の通り、我が『長岡京エイリアン』ではかつて2年前の2011年に、9月から12月にかけて33回もの長きにわたって「妖怪ぬらりひょんの歴史」というテーマで、現在流布している「日本の妖怪の総大将」というイメージの裏に隠されていた真実のぬらりひょんの履歴をたしかめました。そして、その時点では『ぬらりひょんの孫』が人気絶頂期ともいえる「千年魔京編」を扱ったアニメ第2期の放送中で、マンガ自体も「百物語組編」の前半戦の真っただ中という状況になっていたため、そもそももとをただせば『ぬらりひょんの孫』について感じたことをぶつぶつつぶやくのが最初の目的だったはずなのに、結局はその行く末をちゃんと見極めることができないまま終結してしまっていたのでした。

 とまぁ、そういうわけでついに今回、世間的には何を今さらな感が強いながらも、個人的にはず~っと心の底の片隅にひっかかり続けていた(そして正直、忘れてしまっていた)『ぬらりひょんの孫』の総まとめに取り組む運びになったわけなんですなぁ~。あぁ~前置きが長い長い!!


 じゃあさっそく内容に入りますけど、前回2011年に「ぬらりひょんサーガ」をあれこれいじくっていた段階では、私はこの『ぬらりひょんの孫』にかんしては、実はおじいちゃんのほうに夢中になりすぎてはっきりまとめられないまま終わってしまったのでしっかり言及してはいなかったのですが、だいたい、

・妖怪ネタのトピックが盛りだくさん過ぎてひとつひとつをちゃんと扱えきれていない
・主人公の奴良リクオが、初代総大将のぬらりひょんや二代目総大将の奴良鯉伴のカッコよさに埋もれてしまう
・「千年魔京編」のクライマックスにラスボスとして登場したのが安倍晴明という人選が気にいらない
・「百物語組編」の幹部キャラクターが全体的に魅力が薄い

 とまぁ、こんなところをつぶやいていたのですが、それから2年の歳月が経過した現在も、結局言いたいのは上の4ポイントが中心なんですよねぇ~。私という存在がいかに成長のない人間であるのかが如実に証明される事実に直面して驚愕してしまいました。がっくし!

 ということで、2013年の今になって、改めていってみようかぁ~!!


問題その1、「大男、総身に知恵がまわりかね」

 これはもう、なんっつっても「千年魔京編」くらいから無尽蔵に出来してきた問題で、この章段だけでも「九尾の狐」やら「土蜘蛛」やら「大江山酒呑童子」やら「鞍馬山の大天狗」やらと、もうそれだけで余裕でフィクション1作品ぶんのヴォリュームになりそうなテーマがてんこもりな上に、ここぞとばかりにぞろぞろと出しゃばってきた陰陽師・花開院一族と謎の存在「鵺」、そして初代総大将ぬらりひょんと羽衣狐との、400年前の大坂夏ノ陣(1615年)での因縁と、もうむちゃくちゃ。
 ただ、この「千年魔京編」はコミックスで言えば第7~16巻(10巻ぶん)という余裕のペースで語られていたため、それでも「いちおう全体はおさえた」という感じで円満に終結はできていたと思います。限界ギリギリという危なっかしさはありましたけど。

 ところが! だいたいこのへんを限度とおさえておくべきだったのに、その後の「百物語組編」と「御門院一族編」でさらに際限なく膨張してしまった作品世界!!
 「都市伝説」「くだん」「百物語」「山ン本五郎左衛門」「奴良鯉伴」「人間と妖怪の対立」「九相図」、そして「安倍晴明」「秘術泰山府君祭」「天海僧正」「ひるこ」「恐山」「九州熊襲妖怪」「葵螺旋城」……

 んもォ~、だめ。おなかパンクします。
 結果として、すべての要素が物語の焦点を「どうぞ、どうぞ……」とダチョウ倶楽部の如くに譲り合うかのような中途半端なバトンタッチを繰り返してしまったがために、こんなにおいしい素材が目白押しになっているのに、そのほとんどが「奴良リクオが強くなったから、なんとかなりました!!」という理屈にならない理屈でしめられてしまっていたのです。

 あと、この一連の流れはクライマックスでまた性懲りもなく蒸し返されるように、なにはなくとも「千年魔京編」で語られた、「羽衣狐と安倍晴明との愛憎ホームドラマ」を知っていなければぜんぜん理解できない展開で大団円を迎えることとなります。つまり、コミックス第7巻以降は、すべてがなんにも解決してないまんま最終25巻までズルズルひと続きになっていると観てもさしつかえありません。

 ということは、だいたいコミックス20冊ぶんの内容をちゃんとおぼえていないと、ラストのあれこれがわかんなくなるわけなんですな……

 こんなに読みにくいマンガって、ある? よっぽど好きじゃなきゃついてけないって、こんなの!
 いちげんさんお断りもいいところですよ……あんなに一般うけしそうな画風なのに、こんなに敷居の高いストーリーラインにしてどうするんでしょうか。

 でも、このマンガの大問題は、その論理で言っても普通の考え方で言っても、いっちばん大事にしなきゃいけないはずの、『ぬらりひょんの孫』を初期から好きでチェックしているファン層を、かな~りないがしろにするようなツラい展開を強いているんですな! それが次の問題のこと。


問題その2、「どんどん膨張する妖怪世界と、どんどんいらなくなる人間世界」

 結局は個人的な好みの問題になってしまうんですが、私は初期の浮世絵町サイズで展開する物語が大好きだったし、家長カナというごく普通の少女がヒロインとしてちゃんと機能して、清継くん率いる「清十字怪奇探偵団」がコメディパートをがっちりフォローしているという、ささやかながらも絶妙にバランスの取れた「実に少年マンガらしい少年マンガ」の時期が大好きでした。今になって振り返ってみれば、浮世絵中学校の校内でクライマックスバトルを迎えていた「四国八十八鬼夜行編」の、なんとスリムでかっこいいことか。

 第一、奴良リクオという主人公をちゃんと「4分の3人間」という視点で生かすためには、そのリクオの日常である「中学生」をしっかりストーリーに乗せなければいけないわけであって、彼が「4分の1妖怪」であることをひた隠しにしなければいけないスリルと緊張は、作品全体の格好の潤滑油になっていたかと思うんです。
 要するに、『ぬらりひょんの孫』は人間世界と妖怪渡世のやりくりに四苦八苦してこその『ぬらりひょんの孫』なんじゃないかと思うんですね。そこを「妖怪の孫ですけど、何か?」となってしまっちゃあ、作者がせっかく用意したおもしろ要素を、みすみす自分でドブに捨ててしまうようなものだと思うんです。
 例えとして適当かどうかはわかりませんが、この「妖怪で人間」という設定を「ヒーローで教師」に置き換えた過去の作品に、『ウルトラマン80』(1980~81年)と『地獄先生ぬ~べ~』(1993~99年)という2作品があります。前者はこの両立の困難さに直面して早々に「教師」の部分を放棄してしまいましたが、後者は連載のかなり後期にいたるまで実に根気強くこの設定を大事にし続けていました。その結果、どちらが今現在も多くの人々の記憶に残る作品になっているのか……言うまでもないことでしょう。「苦労は買ってでもしろ」という世界の摂理が、ここでもしっかりと息づいていますね。いや、『ウルトラマン80』もおもしろいっすけど!

 もちろん、奴良リクオの「妖怪と人間の橋渡し」という存在意義は確かに最終回までありはしましたが、その片方である「人間」の意見がほとんど聞けないまま「一に妖怪、二に妖怪、三、四がなくて五に晴明。」というバッカみたいなスーパーバトルのつるべ打ちになってしまった「千年魔京編」以降の物語は、まさに人間の読者を置いてきぼりにするのもはなはだしい乖離感を生じさせていたと思うんです。
 「千年魔京編」ということで、舞台が浮世絵町じゃなくなったことで人間側のレギュラーメンバーがほとんど出てこられなくなったのも痛いし、「百物語組編」でまた東京に戻ってきたと思ったら、わけのわかんないバトルのどさくさにまぎれて「リクオは妖怪の総大将でした~」っていう真実がグッダグダでなしくずしに知れ渡っちゃうし……ああなっちゃったら、「百物語組編」を最終エピソードにしないと作品として締まらないと思うんですが、そのまんま続行しちゃったしね。

 ただ、この問題は作者も非常に気にしていたようで、連載の後期になっても、大きなバトルの合間には必ずことあるごとに人間のレギュラー陣がリクオの家に集まって、妖怪世界の近況を聞くというインターリュードが差し込まれるようになってはいたのですが、そんな付け焼刃でレギュラー陣がキャラクターとして機能したり、初期ファンが納得するほど、プロのマンガ世界は甘くないと思うんですよ。それはもう完全に、初期の活き活きとしたおもかげを残していない、「へぇ~、そうなの。がんばってね。」という相槌しか返さないパペット要員なのであって、そこには身勝手な作者の、一方的に別れておきながらしばらくして「いや、元気かなと思って……」などというビチグソなメールを送りつけてくる元カレのような下劣な態度しか見えないのではないのでしょうか。うっせーバカ! てめーが捨てたせいで絶賛失業中だよ!! ってしか言えないよね、生きてる人間じゃなくてマンガのキャラクターなんだから。そんなの、優しさじゃない。

 椎橋先生は、2010年7月に刊行された『ぬらりひょんの孫 キャラクター公式データブック 妖(あやかし)秘録』の中でのロングインタビューで、

「第7巻以降は(単行本のカバーを外したところのマンガで)カナちゃんのサブシリーズをやっていますので、本編で『カナちゃんの出番が少ない……』と思われている方は、ぜひそこのマンガを読んでみて下さい。」

 と語っていたのですが、その考え方って、どうなんでしょうか。私はものすごく納得がいかないんです、ものすごく。
 つまり、ヒロインがヒロインとしてまったく機能していないという状況を、週刊連載の段階では「やむなし」と容認してるってことですよね? それでいいんだろうか。
 これはもう、個性のない家長さんが悪いんじゃないです。「ふつうの人間」が活きる余地を残さなかった作者が悪いと思うんですよ。

 要するに、百物語組だのの安倍晴明だのと妖怪たちとのスーパーバトルがどんだけスーパーなのかを一般人が身に迫って実感しなきゃあ、スーパーにした意味がまるでないわけなんですよ。「100億エスクード」とか「8兆ヌエボソル」とか言われたって、具体的に「何円なのか」がわかんなきゃスゴさが伝わんないでしょ!?
 そこは、人間に距離が近い妖怪とか特殊技能を持った陰陽師が解説したってダメなんですよ。地に足をつけた生活をしている何の特別な能力もないふつうの人間が、ただ話を聞くだけじゃなくしっかりと実感した上で、今の状況とか、「晴明が復活したら人間世界がどうなるのか」を読者に共感させなきゃいかんのですよ。

 つまりはスピードワゴンがいないんだよ、広瀬康一がいないんだよ、エンポリオがいないんだよッ、『ぬらりひょんの孫』にはァアッッ!!

「きみはマ=クベ大佐の下に長年いて何を学んだのだ……」

 また、私の大好きなこの名セリフが脳裏をよぎりました。いや、『ジョジョ』の登場人物はもう、登場してるって時点でどっかが確実に普通じゃないですけどね。


 無論のこと、連載の中期以降は家長さんに代わって、「普通の人間じゃない」という使い勝手の良さで、妖怪の雪女つららと陰陽師の花開院ゆらが充分すぎるほどにヒロイン枠を固めて進んでいったわけなのですが、なんか寂しいことだと思うんですよね、椎橋先生が自らに課した「ごくふつうの人間との交流」という重要なハードルを捨てていってしまったのは。
 そこを両立させて乗り越えた地平にこそ、妖怪と人間の共存というテーマを本当に貫徹した『ぬらりひょんの孫』の姿はありえたと思うんです。そしてそれは、現実の結果ほどハデハデで高カロリーな作品にはならなかったでしょうが、実現不可能な話じゃなかったと思います。


問題その3、「百物語組編の決定的なブレーキ」

 またしてもマンガじゃなくて特撮の例えになってしまうんですが、『ウルトラセブン』(1967~68年)の最終回における主人公の告白がどうしてあんなに効果的だったのか?
 極端な言い方をしてしまいますと、それは主人公の言ったことの内容が素晴らしかったからではありません。パリやモスクワといった世界都市が次々とゴース星人の魔手によって一瞬にして壊滅し、地球規模の危機が迫っている段階のあの渦中で、主人公が真実をちゃんと語ることができる「静寂な時間」が実に周到に準備されていたからなのです。激しい侵略攻撃と巨大ヒーローのバトルアクションの間隙をぬって始まる静かなドラマ。この緩急の設計がしっかり演出されているからこそ、あの最終回は今なお輝きを失っていないのです。

 それが、ひるがえって『ぬらりひょんの孫』はどうかときたら、どうだいあんた……

 バトルの最中になしくずしに妖怪だとわかって、どうすんだっつうの。もったいないにもほどがある札の切り方ですよね。そりゃあ劇的だし、一見ドラマチックな展開に見えなくもないんですが、それを知ったヒロインのリアクションがものすごくおざなりになっちゃうんですよね。闘ってるんだからそれどころじゃない!みたいな流れになって。

 このくだりに限らず、「千年魔京編」に続いて、というか、それ以上にさまざまな要素が大洪水になってしまった「百物語組編」は、もうホントに全体的にまんべんなく采配が失敗し続けるという、大事故連発エピソードになってしまったと感じました。こんなに打つ手打つ手がことごとく裏目に出る展開もないと思います。はっきり言って、それまで奴良リクオと作者がせっせと積み上げてきた「人気の貯金」は、この「百物語組編」であっという間に残高ほぼゼロに帰したと見ていいでしょう。

 私の言いたい失敗ポイントを簡単にまとめあげてみますと、まず、なにはなくともラスボスであるはずの「魔王・山ン本五郎左衛門」の魔王としての器の小ささが最初っから最後まで鼻につきますね。ていうか、魔王と畏れられる資格がありません、こんな奴。子ども1人ぶんの命を奪うのにも3分以上かかってるシューベルトの『魔王』にも劣る口ばっかし野郎ですね。

 言うまでもなく、『稲生物怪録』(1749年)に登場する原典の山ン本五郎左衛門は正真正銘モノホンの風格を持った魔王です。それを、なぜに『ぬらりひょんの孫』は「もと人間で、個人的な恨みで死後に魔王になった。」というサイズにまで縮小してしまったのか……本当に理解に苦しみます。もと人間だとしても、恨みの正当性とボルテージの上がり方次第では、かの崇徳院のように立派な魔王になることもできるわけなのですが、欲得にまみれた人間が私利私欲で何をわめこうが無駄というものです。

 つまるところ、おそらく作者は前の「千年魔京編」であまりにも魅力的過ぎるラスボスを出してしまったがために、今回は品性下劣で誰からもまったく支持されない悪人中の悪人をラスボスにしてみたかったんだと思うんです。百物語組の構成員のほぼ全員が、山ン本を慕って加入した妖怪でなく、山ン本の肉体の一部が妖怪化したものか、それがまた生んだ妖怪である、という設定も山ン本の人望(妖怪望)のなさを明確にしていますね。
 でも、その本体に右ならえで、柳田、圓潮、鏡斎、珠三郎、雷電と……幹部の一人一人までもが魅力なく描かれちゃうと、ねぇ。なんかペラいんだよなぁ、キャラクターの厚みが。京妖怪連合みたいなバックグラウンドを捨ててるんですよね、山ン本の一部という出生の背景が。

 それとは対照的に、前半の江戸時代パートで、やけに力を入れて二代目・奴良鯉伴をカッコよく描きすぎたのも、一時的なプラスにはなっても、『ぬらりひょんの孫』全体のバランスを考えると大きなマイナスにしかなっていないと思います。
 あなたは、やたらイケメンの「鯉伴&若き日のぬらりひょん」ペアと、「メガネをかけた中学生男子とジジイぬらりひょん」ペア、どっちのほうが人気が出ると思いますか? 奴良鯉伴の際限のないヒーロー描写は、『ぬらりひょんの孫』本来の半熟ヒーローの成長物語にとっては百害あって一利なしだと思うんです。鯉伴は山ン本の天敵であると同時に、リクオにとっても非常に厄介な存在になってたんじゃないでしょうか。

 あとはまぁ、リクオに襲いかかる人間側の面々の描写が、テンプレートみたいにコッテコテなチーマーとオタクの集合でつまんなかったですね。『ジャンプ』みたいなマンガの世界でまで見たい顔じゃないですよ、あんなの。そういう層がネット上のうわさだけであんなに積極的にリクオを追いかけるほどやる気を出すとも思えませんしね。炎上祭りと実際の暴徒化は違うと思います。

 VS 鏡斎戦あたりでの渋谷の惨状も、う~ん……かなりがんばって作画してはいたんでしょうが、ああいう百鬼夜行による人間の虐殺描写は、言うまでもなく『 GANTZ』の「大阪編」で他ならぬぬらりひょんその人がイヤンというほどにやらかしてたじゃないですか。それを思い出しちゃうと、もちろん『ジャンプ』の連載作品だという制約もあるんでしょうが、椎橋寛先生と、かの「超絶おっぱいマエストロ」奥浩哉神先生との格の違いをまざまざと見せつけられるだけの結果になっちゃいますよね。実際に妖怪が人間を襲撃するという非常に重要なポイントなんですが、な~んか薄っぺらく見えてしょうがない。

 それで案の定、最終的にラスボス山ン本は部下の裏切りにあっちゃって、青行燈とかいう実に意味のない中継ぎをへてやっと現代に復活したかと思ったら、なんやかやでパワーアップしたリクオに一蹴されて滅び去ってやんの。

 グダグダなんですよね、行き当たりばったりなんですよね、何もかもが。
 一見、努力に努力を重ねてひとつひとつのバトルをエキサイティングに描ききっているかのようには見えます。見えるんですが、その回その回を盛り上げるのに必死になりすぎて、全体的な展望というものがまったく存在していないんです。挙句の果てには、それまで築き上げてきた伏線やらスリルまでをも、なし崩し的に食いつぶしちゃってるんですから、フォローのしようも応援のしようもありゃしません。自分の胃酸で自分を溶かしちゃってるみたいな話ですよね。

 『ぬらりひょんの孫』のコミックス第24巻には、2012年7月という連載末期に発表された最後のキャラクター読者人気投票の結果が収録されているのですが、「百物語組編」で初登場したキャラクターの中でいちばん人気を獲得したのは、「第26位」の柳田(36票)。1位の奴良リクオが3201票だったそうなので、100分の1ほどの人気しかありません。それがトップなんですからね。

 なんか、ねぇ……けっこう時間を割いて連載したっていうのに、こんなに報われない話もなかなかないですよね。でも、それにはそれなりの原因があったということで。

 「凶悪さ」と「人望のなさ」って、フィクションの世界ではまったく別次元のものなんですよねぇ。そこが見事にごっちゃになってしまった百物語組の面々に、合掌。

 あ、あと最後にひとつだけ。
 「妖怪くだん」の予言がはずれた理由って、まったく語られてないですよね。
 百物語組の捏造だったってことで、いいんですか? そんなにくだんを軽い扱いにして、バチでも当たるんじゃないですか? あぁ、バチはもう充分すぎるほどに当たってるか。


問題その4、「全然ドキドキしない夜雀と三目八面の正体」

 これは別に夜雀(よすずめ)と三目八面(みつめやづら)2人に限った問題ではないのですが、ようするにこの『ぬらりひょんの孫』というマンガは、やたら安易に「実は裏切り者」というカードを切りすぎるんです。しかも、実は裏切り者というからには、そのキャラクターが潜入先の組織にしっかり根を張った「裏切りそうにない」イメージを持っていなければ効果的でないはずなのに、裏切るヤツにかぎっていかにも裏切りそうな雰囲気満点のワケのわかんないのばっかりなんですよね!
 夜雀でしょ、三目八面でしょ、鏖地蔵(みなごろしじぞう)でしょ、圓潮でしょ……どいつもこいつも部下にしたくねぇ!! あぁ、あいつだったら裏切るだろうなぁ、ってな感じでサプライズ感ゼロですよ! 夜雀なんか、性別がメスだろうがオスだろうがファッキンどーでもいいですもんね。キャラクターに魅力が全然ないから。
 なんかしゃべれや!! 言いたいことはオノレで言わな売れへんで!!

 四国八十八鬼夜行編だろうが京妖怪連合編だろうが百物語組編だろうが、いちいち章が変わるたんびに誰かが裏切ってたら、どんなに好意的な読者でも飽きますって! 消費者をバカにしてんのかって話ですよ。裏切り者をそれらしくなくカモフラージュするという基本作業すらせずに登場させてんですから、もはやつける薬もありません。つまんねーったらありゃしねーってのよ!!

 先ほど私は、椎橋先生が大した意味も無く魔王・山ン本五郎左衛門を貶めたと怒りましたが、これは三目八面にも言えることなんじゃないかと思います。いや、これは三目八面のほうが被害がひどい!
 三目八面はもともと四国の出身で、しかもひょっとしたらあの伝説の凶龍「八岐大蛇」の血族かもしれない大妖怪なんですよ!?
 それがいったい、どこをどう解釈すればあんな風に、縁もゆかりもない千葉を拠点とするチンケなおっさん妖怪になってしまうのか……非礼にも程があります! ちゃんとその「畏れ」ってやつを描ききってくださいよ、差別しないでさぁ!!



 ……さぁ、こうやってここまでたっぷり字数を割いて進めてまいりましたが、まだ言いたいことの半分くらいしか言えてません!!

 ということで、後半戦はまた次回にさせていただきまする~。
 愛です、愛ゆえの長さでございます!

 ちゃんと最後まで読んでくださるそこのあなた……あんたも好きねぇ~♡
 もうちょっとだけ、お付き合いくださいませ!
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