ホント、話がやたら長くなってすみません!!
やはり愛ゆえのクドさなのか!? いいえ、ただ単に文章を簡潔にする腕がないだけなんです。どうすればいいんっすかね、文章を5千字以内におさえるのって。
今回でこそ! ちゃんと終わらせますんで、はひ……ヘーコラヘーコラ進めてまいりましょー。
問題その5、「開けてはならなかったパンドラの匣、安倍晴明」
なにはなくとも安易なんですよね、安倍晴明がラスボスだという、その発想が。
そりゃあ確かに、一見すれば「もんのスゲー奴が出てきた!」というサプライズ感はあるんですが、かつて2001年頃にアホみたいに氾濫した「平安貴族の扮装をしたクールな感じの美青年魔術師」というイメージでカッチカチに凝り固まったキャラクターにしかならないんですよね、生半可な筆力じゃあ。あのあたりの圧倒的な重力から解放されるのなんて、ムリ!! こんなに応用のきかない不自由なキャラ、そうそういないですよ!? 織田信長とか沖田総司なみに使い勝手の悪い定型イメージっぷり。
結局『ぬらりひょんの孫』の中でも、「全てを滅ぼすのだ……」ってことしか言わないバカ丸出しな脳筋お兄さんになってたでしょ? 千年ぶりに復活しただけに、脳みそん中も千年前からまるで進歩してません。つまんない! つまんないことこの上ない恐竜みたいな絶滅必至キャラです。
そうとう新しい解釈像を打ち出すことができるという自信がなけりゃあ、そんなに易々と持ち込んでいい人物じゃあないんですよ、安倍晴明という大人物は。
椎橋先生は、「大江山酒呑童子」とか「平将門」とかいうビッグネームはけっこう気にして避けてたじゃないっすか。だったら、どうして晴明さんにもそのくらいの配慮をもって接しなかったんですかねぇ? 一度出したら、自分の腕の足りなさを否が応でも露呈させる可能性の高いデンジャラスなじゃじゃ馬であることは火を見るよりも明らかだったでしょう。
だいたい、花開院家という大陰陽師の一族を出した時にも「陰陽師といえば……」と誰もが連想するはずの晴明さんの名前は出さなかったし、作中で京妖怪連合が闊歩する京都中の名所も、「弐條城」「鹿金寺」「相克寺」「西方願寺」といった具合に実在のものとは違うフィクション世界の京都に改変されていました。
つまり、京妖怪連合編を始動させたその土壇場になっても、椎橋先生はまだ実在する人物である安倍晴明を出すかどうかは悩んでいたのではなかったのでしょうか? そして、晴明を出す以上に有効なオリジナルキャラクターを創出することを断念した、その消極的選択によってえっちらおっちら晴明を召喚してしまったのです。
そんなひよった召喚で晴明が完全復活するかバカー!! 中途半端に召喚される身にもなってくださいよ……
それはそうとして、私がとにかく椎橋先生に聞きたいのは、なんでまた「安倍晴明=鵺(ぬえ)」という構図を導入したのかってことなんですよ。わたくしめは鵺にはちょっとうるさいですよ……なんてったって、大学の卒論が鵺だったんですからね。笑わば笑え!!
じゃあ何ですか、平安時代末期に出現して近衛天皇(1139~55年)だったか二条天皇(1143~65年 近衛帝の甥)だったかを苦しめたっていう魔獣「ヌエ(「鵼」という字をあてるほうが正確で、「鵺」というのはあくまでも怪物・鵼と同じ鳴き声で鳴くトラツグミのことを指すらしい)」のことを、椎橋先生はなんだと解釈してるんですか? 要するに、ヌエっていう怪物が跋扈したのは晴明が死んでから150年以上未来のことだったんですよ。そこをどうしてつなげたのか、その謎はぜひとも明らかにしてほしかったんです、あたしゃ!
でも、結局ここらへんの解説なんか全然無視して『ぬらりひょんの孫』は終わっちゃったでしょ? そういういい加減な流し方だからダメだって言うんですよ。回収する目算もない伏線なんか、ハタ迷惑なだけだから最初っから張らないでくださいよ!
アンタは江戸川乱歩か? デイヴィッド=リンチか!? 思い上がりもはなはだしい!!
そんな椎橋先生には、安倍晴明を一族の敵と恨んでいるあの大陰陽師から一言、大事なアドバイスを贈っていただきたいと思います。謹聴してくださいね。
「身の程を知れェェぃい!!」(映画『帝都大戦』より)
問題その6、「花開院一族の教訓、御門院一族に生きず」
京の地を守る大陰陽師一族・花開院家。しかし、『百物語組編』もやっと大団円を迎えるかという第182幕に唐突に出現した、ちょっとイラっとするにやけ顔の少年。純白の直衣に身を包み、あの花開院竜二の術をも軽くいなしてしまう「七芒星」の術式を操る彼の正体とは……
日本という国家全体の中枢を護持するために陰で暗躍し続けてきた、あの安倍晴明の子孫たる一族・御門院家! ババァアーン!!
……ふあぁ~あ。まったナントカ院一族のおでましですか。そんなんもう花開院で使ってる手だし、上がる血圧もありゃしません。また名前いっぱい覚えなきゃいけないのかよ……で、どうせそのうちのほとんどは大して活躍もせずにフェイドアウトするんでしょ? やんなっちゃうなぁ、もう!
竜二が「聞いてはいたけど初めて会った。」っていうのも、なんだかなぁ……陰陽師なんて、そんなに広い業界じゃないと思うんだけどなぁ。花開院家は京都が拠点で、御門院家は東京だとかいう設定はあるんでしょうけど。
だとしたらですよ、重箱の隅をつつくつもりはないんですが、やっぱりこの作品における日本も、現実の私たちが住んでいる日本と同じように「かしこきところのお方」は東京に遷都してるんでしょうね。それに御門院ファミリーもついていって京都を離れたと。
でも、「葵城跡」が皇居になってる形跡はないのよね……いや、描写されてないだけで、やっぱりあそこにおわしてたのかな? 難しいところなのはよくわかるんですが、古代陰陽道をここまで作品に引っ張っておきながら、帝のあたりを全く語らないまま葵城跡(=江戸城跡=皇居)を最終戦の舞台にするのは……都合がよすぎませんか?
まぁ、とりあえずですね、ちょっと『御門院家編』に登場する陰陽師のみなさんを整理してみましょうよ。
花開院 秀元 …… 戦国時代後期から江戸時代初期にかけて活躍した花開院家十三代目当主。故人。
花開院 ゆら …… 花開院本家の陰陽師。次期当主候補。中学1年生
花開院 竜二 …… 花開院本家の陰陽師で、ゆらの実兄。高校3年生。
花開院 魔魅流 …… 花開院分家の陰陽師。本家に養子入りする。高校生。
花開院 秋房 …… 妖刀制作の名門である花開院分家「八十流(やそりゅう)」の次男。
花開院 破戸 …… 花開院分家「愛華流(あいかりゅう)」の陰陽師。
花開院 雅次 …… 結界術を得意とする花開院分家「福寿流(ふくじゅりゅう)」の陰陽師。
安倍 晴明(921~1005年) …… 御門院家の始祖。鵺(ぬえ)とも呼ばれる羽衣狐の「やや子」。
安倍 吉平(954~1027年) …… 御門院家二代目当主。安倍晴明の長男。羽衣狐の血を4分の1引いており、リクオと同じ妖怪と人間のクォーター。
安倍 雄呂血 …… 御門院家三代目当主。在位期間は1185~1333年。女性。
安倍 有行 …… 御門院家四代目当主。在位期間は1334~92年。南北朝時代の当主でもあり、北朝の京都と南朝の吉野の両方を守護した。
御門院 泰長 …… 御門院家五代目当主。在位期間は1393~1476年。安倍有行の実子。(存在が語られるのみで登場せず)
御門院 心結心結 …… 御門院家六代目当主。在位期間は1477~1568年。
御門院 天海(1536~1643年)…… 御門院家七代目当主。在位期間は1569~1643年。
御門院 泰忠 …… 御門院家八代目当主。在位期間は1644~1852年。
御門院 水蛭子 …… 御門院家九代目当主。在位期間は1853~67年。
御門院 有弘 …… 御門院家十代目当主。在位期間は1868~1926年。
御門院 長親 …… 御門院家十一代目当主。在位期間は1927~45年。
御門院 泰世 …… 御門院家の一族。青森の恐山にいる修験者。妖刀作りの名手であり、八十秋房を指導していた。
総勢19名!? 多すぎだろ!! 花開院家以上に新しく登場する御門院家の人数が増えてどうするんでしょうか。完全にこれ、歴史の勉強のイヤ~な感じのとこのにおいを放ちまくってますよね!? もう、陰陽師が町の美容院か整体院ってくらいに氾濫しています。そんなに需要ねぇから!
こんなに中ボスだらけのバトルマンガなんか、途中から読んでる方の感覚がマヒしてきてラスボスの強さもよくわかんなくなるに決まってるじゃないですか。
それなのに、序盤の第186~190幕に登場した先鋒の御門院泰世は、最初のかましにふさわしいけっこうな強敵だったのに「御門院家の当主ですらない」というしたっぱ扱い。いや、それ風呂敷を広げすぎでしょ! ハードル上げてるなぁ。それでさらに「黒装」だの「白装」だのと味もそっけもない新情報のオンパレード……『ジャンプ』はいつから強制つめこみ型の参考書になったのでしょうか。
その後の展開を見ていきますと、バトルに参加するのは安倍雄呂血(第193~209幕)、御門院水蛭子(第193~200幕)、御門院天海(第196~206幕)、御門院長親(第196~98幕)、御門院有弘(第196~99幕)、御門院泰忠(第203幕)、安倍吉平(第208幕)、御門院心結心結(第208~10幕)、安倍有行(第209~10幕)、安倍晴明(第209~10幕)といったシフトになっております。御門院泰長は彼が創造した「半妖の里」という異空間が連載終了後の番外編に登場するのみで、本人は登場しません。
『ぬらりひょんの孫』は第208~10幕が季刊『ジャンプ NEXT!』の連載になっているため、最後の各3話はそれまでの回の3倍の分量の約60~70ページにボリュームアップしております。ですので、一概に戦った話数だけで比較するわけにもいかないのですが、それにしてもギレン総帥のそっくりさんの長親と無精ヒゲの有弘、1コマしか戦ってるところが描かれずその末路さえ誰にも語られなかった泰忠あたりのへっぽこぶりが目につきますね。すさまじいまでの泰山府君祭のデフレーションです。進研ゼミ並みに誰にでもできる寿命改竄! たぬきとか酔っ払ったかわうそとかに負ける晴明の末裔って……
あと、彼らのダメダメさのおかげで目立たなくはなってますが、御門院家の人物として最初に現れてインパクト大だった生意気そうなガキンチョ有行も、よくよく見ると大して戦ってません。やっぱりたぬき1匹相手に苦戦してました。おめーも結局は口ばっかしクンかコノヤロー!!
それにしても、いちおう主人公としっかり対決してたから強敵っぽい雰囲気もあったし、更には唯一人、主人公と「4分の1妖怪」という点で同じ境遇だった安倍吉平が、たった1回の対決で退場したのは残念というかなんというか……登場が遅すぎましたねぇ。ゲルググみたいなお人でしたね。
晴明の末裔でありながら、たった一人だけ「なんでおめーの言うまんまに生きなきゃなんねぇんだよ。」という、まっとうにも程のあるリアクションを返して一族を去り「半妖の里」を作ったという御門院泰長の存在が、連載終了後の番外編でとってつけたように補足されていたのも、もう手遅れもいいところっつうか……そうとうおいしい立ち位置だったと思うのですが、使われる時間もページも無かったですね。
だいたい、晴明一族の「安倍」姓が途中から「御門院」姓になったのって、連載中は「強さのランキング」みたいになってましたよね? 御門院より安倍のほうが手ごわいぞ~みたいな。
それを連載終了後になって、「泰長の『脱晴明』の決意の表れとしての改姓だった」と言い出すのは……じゃあ、泰長以降の面々はなんでそんな名字を堂々と名乗って晴明に仕えているのでしょうか? 事情を知らずに「御門院ってカッコいいね!」としか捉えてなかったのか? バカなのか?
結局、晴明の麾下にありながら堂々と有行や雄呂血、泰世あたりが使っていた「七芒星」の意味も全然わかんなかったし。そこはオリジナリティ出しちゃいけないとこなんじゃないかな……水蛭子が身体張って説明してた通り、五芒星は陰陽五行思想あっての「五」なんでしょ? それに何が2つ加わって「七芒星」なのか、さっぱり語られなかったし。架空の陰陽師の流派ということでそれを出すんだったら、花開院家と同じなんでいいかとは思うんですが、思いっきり瞳に五芒星が浮いてる晴明が登場した後でも七芒星を推すって、作者さんには一体どんな公算があったというのでしょうか? もしかして、安倍一族は「あいつらは新作落語やし、多少いきがって変なことやってても、ええんちゃう?」みたいな自由な空気に満ちているのか? でも、根本のトレードマーク変えちゃいけないと思うんですが……
そんな一門の結束で、果たして千年前の大師匠が復活するのであろうか……あっ、復活したのは羽衣狐のおかげだし、もしかして「本当に復活するとは思わなかった……どうしよう。」みたいなドタバタ感で集合したから、あんなだったのか。それはわかるなぁ。江戸時代の隠れキリシタンも、明治になって外国の宣教師さんが来てみたらびっくりするくらい違う宗教になってたっていうし。
なるほど……晴明が子孫たちにどことなく冷淡なように見えたのは、冷たいんじゃなくてただ愕然としてリアクションできなかっただけか! そりゃそうだ、『金烏玉兎集』のどこをどう読んだらゴスロリファッションでぬいぐるみのクマにミルク飲ませる呪法スタイルになるんだよ!? わしゃもう、若いやつらの考えてることがわからん!!
まぁともかくですね、いくら最終章だからといっても、全員ちゃんと描写するという責任も確証も無いまま10名もの新キャラクター(晴明と泰長以外)を見切り発車で生み出してしまった作者さんの親としてのネグレクトっぷりは、やっぱりひどすぎると思います。『京妖怪編』での花開院分家のみなさん(メガネマッチョとかドレッドヘアとか布とか)の無意味すぎる生と死は、まるで親の心に響くものではなかったのですね。子の心、親知らず!! なんか、晴明の子孫に対する無責任さと非常にオーバーラップする構図ですよね。いやぁ、人柄が出るもんだねぇ!
問題その7、「人気があるのはわかるが……羽衣狐は再登場するべきではなかった」
晴明一族の猛攻に対抗せんとして、ぬらりひょん親分が切ったジョーカーとは……地獄に堕ちたはずの羽衣狐の復活だった!
やってしまいましたね。大人気悪役キャラの、味方としての復活パターン! 王道だなぁ。
ただ、それ自体はいいとしても、問題なのは彼女が晴明の実の母親であり、しかも晴明がここまで妖怪討滅だ人類討滅だと1000年間も血迷っているのは、彼女が人間(当時の貴族)のせいで非業の死を遂げたことが原因だということなのです。
ふむ。じゃあ、これは晴明の前に羽衣狐がやって来て「私も復活したし、人間許したってーな。」と説得して和睦する平和的なエンディングを迎えるのでありましょうか?
いえいえ、展開はさにあらず。晴明は「俺は母ちゃんのロボットじゃねーっつーの!!」……とは言わないのですが、母ちゃんの言葉を全く意に介さず攻撃を続け、盛大な母子ゲンカにもつれこんでしまうのでありました。
もとをただせば、晴明を現代に復活させたのは地獄に堕ちる前の羽衣狐だったのですが、主人公に敗れた母ちゃんを見た晴明は、なんだかよくわかんないんだけどその母ちゃんを地獄に堕として「俺が新世界の神になる。」と宣言していたのでした。
え? 母ちゃんが殺されたことに腹を立てて全世界滅亡を誓った子どもが、自力で復活した母ちゃんの手で復活したかと思ったらその母ちゃんを殺しちゃって、そしたらそのうちまた母ちゃんが復活してきて、世界滅亡をやめろと言われたら大ゲンカになって……??
な、なんなんだ? この母子のモチベーションはどっからわいてくんの? そして……結局なにがしたいの?
今さら論理が破綻しているとかいうクソ真面目なことは言いませんし、別に破綻していてもマンガなんだからいいかとは思うのですが、ちょっと1つだけ。
この母子……おもしろすぎない?
つまり、この2人の地球規模で迷惑な圧倒的存在感の前には、ぬらりひょんファミリーなんか一瞬でかすんでしまうということなのです。
実際に、最終話の1コ前の第209幕における母子の会話で、晴明の現世滅亡の論理は見事に否定されてしまっているのです。強者のみが生き残り、愚かさや弱さを一切認めない完璧な世界を創造すると豪語した晴明に対して、羽衣狐はこう宣言します。
「ならば、わらわはもう自分の思うがままに生きよう。今後は人もあやかしも全てを慈しむ母であろうと思う。」
愚かさも弱さも、この不完全な世界の全てを赦し受け容れるという、母ちゃんの心意気……これぞ菩薩!!
これはダメだ……こんな人にド正論を言われちゃったら、ついこないだ主人公らしくなったばっかりの中坊ごときに一体なにができるというのでしょうか。そりゃまぁ少年マンガなんだから晴明を力でギャフンと言わせる絶対的存在は必要になる訳ですが、その貫禄と説得力の時点で、羽衣狐のほうが主人公よりもよっぽどデウス・エクス・マキナにふさわしい資格を有してしまっているのです。主人公の立つ瀬なし!
作者さんもまぁ~、もう自分じゃ止めらんないみたいな筆致で羽衣狐を実に生き生きと描いているわけなのですが、そのおかげで主人公以下、全レギュラーメンバーの影がもれなく薄くなってしまったのでした。じゃもういいからさ、タイトルを『ぬらりひょんの孫』じゃなくて『羽衣狐のバカ息子』に変えてくれよ!! 略して『はごばか』でいいよ。
ダメだろう、子供同士のケンカに巨神兵呼んできちゃぁさ。
問題その8、「主人公をリクオに任せられない、祖父と父の深刻な子離れのできなさ」
こりゃもうね、全25巻を通読された方ならばみなさん漏れなく感じられる印象なのではないのでしょうか。
つまるところ、カンフル剤のごとく事あるごとに差し挟まれる「若い頃のじいちゃん」か「生きてた頃の父ちゃん」のサイドエピソードが、確かに一時的なお話の盛り上げにはなるのですが、「本筋の主人公を補助する」役割を担っていないのです。なんか、投入されるたんびに孫のオリジナリティが薄れていくというか、「こういう親分を目指せよ!」という説教を毎回グチグチ言われて委縮していくような気がするんですよね。
隠居した隠居したっつって、結局じいちゃん最終話直前の第209幕まで元気そのもので安倍雄呂血ぶった切ってるんだもの!
思えば、少年マンガの世界でこれほどまでに「超高齢化社会の弊害」を切実に語った作品は無かったのではないのでしょうか。元気すぎる老人に圧迫される若者の苦悩! 『サイボーグじいちゃんG』は、じいちゃんが主人公だからいいんですけど、『ぬらりひょんの孫』はあくまでも孫が主人公であるべきですからね。そこはじいちゃんも控えるべきであったし、ましてや故人であるキャラクターは10分の1くらいの出番にしても良かったのではなかろうかと思うのです。
作者さんの饒舌さや筆の走りが、主人公メインの本筋から遠ざかれば遠ざかる程無責任に暴走していくような傾向が、特に後半の『百物語組編』と『御門院家編』でどうしようもなく感じられてしまったのは、私だけでしょうか。それはもう、羽衣狐と晴明の因縁エピソードもそうなんですけれども。
「リクオ……わしゃ、いよいよ本気で隠居じゃ。」
って最終話で言われてもよう! 孫のマンガでいいとこ全部かっさらってさんざん暴れまわった挙句、残しといた取り分は、母ちゃんにダメ出しされて改造ベロクロン2世並みにヘロヘロになった再生晴明の首だけ!? そりゃないぜグランパ!!
問題その9、「効果音がやけに邪魔なマンガ」
これはそんなに大きな問題ではないと思いますし、『御門院家編』でもラストスパートにいくに従って、特に季刊連載になってからはかなり鳴りを潜めたように感じられたので軽く触れるだけにしておきますが、まぁ~ともかく『百物語組編』の珠三郎がひどすぎたんですよね。
「ポンポンポンポン……カポォォォン」
と、言われましても、ねぇ。当方といたしましてはなんとも答えようが。
実験精神にあふれてる、ってことなのかしらねぇ。でも、あの「二十七面千手百足」を生み出した作者さんとはとても思えない「じぇんっじぇん怖くもなんともない閉鎖空間」になっちゃいましたよね。いや~、なんだかんだ言ってもオノマトペは大事ですよ!
「このしらけきった舞台で、おまえの生きる道はねぇ!!」
って、首無に言われるまでもなくしらけきってたからね。つらいなぁ。
作者さんの、たぶん意図的に使っていたミョ~に古臭いかすれた筆書き調の効果音表現は、『京妖怪編』くらいまでは好きだったのですが、やっぱり『百物語組編』から暴走が目についてきちゃったかなぁという印象がありました。絵がポップなだけにそのギャップが面白かったのですが、やはり過ぎたるはなほ及ばざるがごとし。バトルだバトルだと濫用し過ぎると、効果は薄れちゃうものなんですね。
でもね……「『九相図』と『葵螺旋城』をジャンプに持ち込んだ勇気はたたえたい」
私がなんだかんだと目の敵のように言ってきた『百物語組編』も、たぶん山ン本五郎左衛門を前面に出さず、舞台も東京都心全域を一気に大パニックに陥れるようなスケールにせずに「柳田編」、「雷電編」、「圓潮編」のように小出しにやっていけば、「袖モギ様」や「邪魅」のような丁寧な粒の揃った好エピソードが続いたのではなかろうかと思います。それはやっぱり、偉大なる先人『ゲゲゲの鬼太郎』や『地獄先生ぬ~べ~』(終盤を除く)の路線ですよね。
その中でも一番「鏡斎」は面白くなると思うんだけどなぁ! だって天下の『ジャンプ』で「九相図」ですってよ!? メジャー少年マンガ誌に腐乱死体!! とてつもない勇気と冒険ですよね。これはもう、素晴らしいの一言です。
ただ、それをあの時間制限ギチギチのドタバタの中、しかも渋谷という超繁華街で展開させてしまったのは、いかにも素材がもったいないという感想だけが残りました。表現上の規制が多いであろうあの誌上で大虐殺……でも、虐殺の描写はその直前の、いかにも小林ゆうさんが声をあてそうな悪食の野風が十二分にやってくれましたし、主人公の肉体が腐乱するという恐ろしい展開も、なんだか墨汁を頭からかぶっただけみたいな描き方になっちゃったし。難しいですねぇ、いろいろと!
なんだかんだと言いたい放題言わせていただきましたが、つまるところ、やはりマンガは構成が命! ということなのでしょうか。『ぬらりひょんの孫』ほどに画力と発想が優れていても、その御し方が整っていなければ覇権を握ることは夢のまた夢だということなのではなかろうかと。
惜しい、惜しかったなぁ。あのゲタの少年が出てこないからと好き放題に勢力を広げすぎてしまったぬらりひょんファミリーは、やはりその絶対的天敵が不在であったがゆえに! 風呂敷を畳みきれずに自滅してしまった、ということなのでしょう。九尾の狐も安倍晴明も届かなかった、鬼太郎という高すぎる壁!!
ぬらりひょんには……やっぱり鬼太郎が必要だった!!
この、お寿司に醤油、カレーライスに福神漬け、バットマンにジョーカー、アンパンマンにばいきんまんに等しい地球の摂理を結論としまして、この長すぎた愚痴を閉じさせていただくことといたしましょう。椎橋寛先生、どうもありがとうございました! 大塚周夫さんのぬらりひょん、もっと観たかったです……
大嫌い、大嫌い、大嫌い、大好き!! ああぁ~ん♡
やはり愛ゆえのクドさなのか!? いいえ、ただ単に文章を簡潔にする腕がないだけなんです。どうすればいいんっすかね、文章を5千字以内におさえるのって。
今回でこそ! ちゃんと終わらせますんで、はひ……ヘーコラヘーコラ進めてまいりましょー。
問題その5、「開けてはならなかったパンドラの匣、安倍晴明」
なにはなくとも安易なんですよね、安倍晴明がラスボスだという、その発想が。
そりゃあ確かに、一見すれば「もんのスゲー奴が出てきた!」というサプライズ感はあるんですが、かつて2001年頃にアホみたいに氾濫した「平安貴族の扮装をしたクールな感じの美青年魔術師」というイメージでカッチカチに凝り固まったキャラクターにしかならないんですよね、生半可な筆力じゃあ。あのあたりの圧倒的な重力から解放されるのなんて、ムリ!! こんなに応用のきかない不自由なキャラ、そうそういないですよ!? 織田信長とか沖田総司なみに使い勝手の悪い定型イメージっぷり。
結局『ぬらりひょんの孫』の中でも、「全てを滅ぼすのだ……」ってことしか言わないバカ丸出しな脳筋お兄さんになってたでしょ? 千年ぶりに復活しただけに、脳みそん中も千年前からまるで進歩してません。つまんない! つまんないことこの上ない恐竜みたいな絶滅必至キャラです。
そうとう新しい解釈像を打ち出すことができるという自信がなけりゃあ、そんなに易々と持ち込んでいい人物じゃあないんですよ、安倍晴明という大人物は。
椎橋先生は、「大江山酒呑童子」とか「平将門」とかいうビッグネームはけっこう気にして避けてたじゃないっすか。だったら、どうして晴明さんにもそのくらいの配慮をもって接しなかったんですかねぇ? 一度出したら、自分の腕の足りなさを否が応でも露呈させる可能性の高いデンジャラスなじゃじゃ馬であることは火を見るよりも明らかだったでしょう。
だいたい、花開院家という大陰陽師の一族を出した時にも「陰陽師といえば……」と誰もが連想するはずの晴明さんの名前は出さなかったし、作中で京妖怪連合が闊歩する京都中の名所も、「弐條城」「鹿金寺」「相克寺」「西方願寺」といった具合に実在のものとは違うフィクション世界の京都に改変されていました。
つまり、京妖怪連合編を始動させたその土壇場になっても、椎橋先生はまだ実在する人物である安倍晴明を出すかどうかは悩んでいたのではなかったのでしょうか? そして、晴明を出す以上に有効なオリジナルキャラクターを創出することを断念した、その消極的選択によってえっちらおっちら晴明を召喚してしまったのです。
そんなひよった召喚で晴明が完全復活するかバカー!! 中途半端に召喚される身にもなってくださいよ……
それはそうとして、私がとにかく椎橋先生に聞きたいのは、なんでまた「安倍晴明=鵺(ぬえ)」という構図を導入したのかってことなんですよ。わたくしめは鵺にはちょっとうるさいですよ……なんてったって、大学の卒論が鵺だったんですからね。笑わば笑え!!
じゃあ何ですか、平安時代末期に出現して近衛天皇(1139~55年)だったか二条天皇(1143~65年 近衛帝の甥)だったかを苦しめたっていう魔獣「ヌエ(「鵼」という字をあてるほうが正確で、「鵺」というのはあくまでも怪物・鵼と同じ鳴き声で鳴くトラツグミのことを指すらしい)」のことを、椎橋先生はなんだと解釈してるんですか? 要するに、ヌエっていう怪物が跋扈したのは晴明が死んでから150年以上未来のことだったんですよ。そこをどうしてつなげたのか、その謎はぜひとも明らかにしてほしかったんです、あたしゃ!
でも、結局ここらへんの解説なんか全然無視して『ぬらりひょんの孫』は終わっちゃったでしょ? そういういい加減な流し方だからダメだって言うんですよ。回収する目算もない伏線なんか、ハタ迷惑なだけだから最初っから張らないでくださいよ!
アンタは江戸川乱歩か? デイヴィッド=リンチか!? 思い上がりもはなはだしい!!
そんな椎橋先生には、安倍晴明を一族の敵と恨んでいるあの大陰陽師から一言、大事なアドバイスを贈っていただきたいと思います。謹聴してくださいね。
「身の程を知れェェぃい!!」(映画『帝都大戦』より)
問題その6、「花開院一族の教訓、御門院一族に生きず」
京の地を守る大陰陽師一族・花開院家。しかし、『百物語組編』もやっと大団円を迎えるかという第182幕に唐突に出現した、ちょっとイラっとするにやけ顔の少年。純白の直衣に身を包み、あの花開院竜二の術をも軽くいなしてしまう「七芒星」の術式を操る彼の正体とは……
日本という国家全体の中枢を護持するために陰で暗躍し続けてきた、あの安倍晴明の子孫たる一族・御門院家! ババァアーン!!
……ふあぁ~あ。まったナントカ院一族のおでましですか。そんなんもう花開院で使ってる手だし、上がる血圧もありゃしません。また名前いっぱい覚えなきゃいけないのかよ……で、どうせそのうちのほとんどは大して活躍もせずにフェイドアウトするんでしょ? やんなっちゃうなぁ、もう!
竜二が「聞いてはいたけど初めて会った。」っていうのも、なんだかなぁ……陰陽師なんて、そんなに広い業界じゃないと思うんだけどなぁ。花開院家は京都が拠点で、御門院家は東京だとかいう設定はあるんでしょうけど。
だとしたらですよ、重箱の隅をつつくつもりはないんですが、やっぱりこの作品における日本も、現実の私たちが住んでいる日本と同じように「かしこきところのお方」は東京に遷都してるんでしょうね。それに御門院ファミリーもついていって京都を離れたと。
でも、「葵城跡」が皇居になってる形跡はないのよね……いや、描写されてないだけで、やっぱりあそこにおわしてたのかな? 難しいところなのはよくわかるんですが、古代陰陽道をここまで作品に引っ張っておきながら、帝のあたりを全く語らないまま葵城跡(=江戸城跡=皇居)を最終戦の舞台にするのは……都合がよすぎませんか?
まぁ、とりあえずですね、ちょっと『御門院家編』に登場する陰陽師のみなさんを整理してみましょうよ。
花開院 秀元 …… 戦国時代後期から江戸時代初期にかけて活躍した花開院家十三代目当主。故人。
花開院 ゆら …… 花開院本家の陰陽師。次期当主候補。中学1年生
花開院 竜二 …… 花開院本家の陰陽師で、ゆらの実兄。高校3年生。
花開院 魔魅流 …… 花開院分家の陰陽師。本家に養子入りする。高校生。
花開院 秋房 …… 妖刀制作の名門である花開院分家「八十流(やそりゅう)」の次男。
花開院 破戸 …… 花開院分家「愛華流(あいかりゅう)」の陰陽師。
花開院 雅次 …… 結界術を得意とする花開院分家「福寿流(ふくじゅりゅう)」の陰陽師。
安倍 晴明(921~1005年) …… 御門院家の始祖。鵺(ぬえ)とも呼ばれる羽衣狐の「やや子」。
安倍 吉平(954~1027年) …… 御門院家二代目当主。安倍晴明の長男。羽衣狐の血を4分の1引いており、リクオと同じ妖怪と人間のクォーター。
安倍 雄呂血 …… 御門院家三代目当主。在位期間は1185~1333年。女性。
安倍 有行 …… 御門院家四代目当主。在位期間は1334~92年。南北朝時代の当主でもあり、北朝の京都と南朝の吉野の両方を守護した。
御門院 泰長 …… 御門院家五代目当主。在位期間は1393~1476年。安倍有行の実子。(存在が語られるのみで登場せず)
御門院 心結心結 …… 御門院家六代目当主。在位期間は1477~1568年。
御門院 天海(1536~1643年)…… 御門院家七代目当主。在位期間は1569~1643年。
御門院 泰忠 …… 御門院家八代目当主。在位期間は1644~1852年。
御門院 水蛭子 …… 御門院家九代目当主。在位期間は1853~67年。
御門院 有弘 …… 御門院家十代目当主。在位期間は1868~1926年。
御門院 長親 …… 御門院家十一代目当主。在位期間は1927~45年。
御門院 泰世 …… 御門院家の一族。青森の恐山にいる修験者。妖刀作りの名手であり、八十秋房を指導していた。
総勢19名!? 多すぎだろ!! 花開院家以上に新しく登場する御門院家の人数が増えてどうするんでしょうか。完全にこれ、歴史の勉強のイヤ~な感じのとこのにおいを放ちまくってますよね!? もう、陰陽師が町の美容院か整体院ってくらいに氾濫しています。そんなに需要ねぇから!
こんなに中ボスだらけのバトルマンガなんか、途中から読んでる方の感覚がマヒしてきてラスボスの強さもよくわかんなくなるに決まってるじゃないですか。
それなのに、序盤の第186~190幕に登場した先鋒の御門院泰世は、最初のかましにふさわしいけっこうな強敵だったのに「御門院家の当主ですらない」というしたっぱ扱い。いや、それ風呂敷を広げすぎでしょ! ハードル上げてるなぁ。それでさらに「黒装」だの「白装」だのと味もそっけもない新情報のオンパレード……『ジャンプ』はいつから強制つめこみ型の参考書になったのでしょうか。
その後の展開を見ていきますと、バトルに参加するのは安倍雄呂血(第193~209幕)、御門院水蛭子(第193~200幕)、御門院天海(第196~206幕)、御門院長親(第196~98幕)、御門院有弘(第196~99幕)、御門院泰忠(第203幕)、安倍吉平(第208幕)、御門院心結心結(第208~10幕)、安倍有行(第209~10幕)、安倍晴明(第209~10幕)といったシフトになっております。御門院泰長は彼が創造した「半妖の里」という異空間が連載終了後の番外編に登場するのみで、本人は登場しません。
『ぬらりひょんの孫』は第208~10幕が季刊『ジャンプ NEXT!』の連載になっているため、最後の各3話はそれまでの回の3倍の分量の約60~70ページにボリュームアップしております。ですので、一概に戦った話数だけで比較するわけにもいかないのですが、それにしてもギレン総帥のそっくりさんの長親と無精ヒゲの有弘、1コマしか戦ってるところが描かれずその末路さえ誰にも語られなかった泰忠あたりのへっぽこぶりが目につきますね。すさまじいまでの泰山府君祭のデフレーションです。進研ゼミ並みに誰にでもできる寿命改竄! たぬきとか酔っ払ったかわうそとかに負ける晴明の末裔って……
あと、彼らのダメダメさのおかげで目立たなくはなってますが、御門院家の人物として最初に現れてインパクト大だった生意気そうなガキンチョ有行も、よくよく見ると大して戦ってません。やっぱりたぬき1匹相手に苦戦してました。おめーも結局は口ばっかしクンかコノヤロー!!
それにしても、いちおう主人公としっかり対決してたから強敵っぽい雰囲気もあったし、更には唯一人、主人公と「4分の1妖怪」という点で同じ境遇だった安倍吉平が、たった1回の対決で退場したのは残念というかなんというか……登場が遅すぎましたねぇ。ゲルググみたいなお人でしたね。
晴明の末裔でありながら、たった一人だけ「なんでおめーの言うまんまに生きなきゃなんねぇんだよ。」という、まっとうにも程のあるリアクションを返して一族を去り「半妖の里」を作ったという御門院泰長の存在が、連載終了後の番外編でとってつけたように補足されていたのも、もう手遅れもいいところっつうか……そうとうおいしい立ち位置だったと思うのですが、使われる時間もページも無かったですね。
だいたい、晴明一族の「安倍」姓が途中から「御門院」姓になったのって、連載中は「強さのランキング」みたいになってましたよね? 御門院より安倍のほうが手ごわいぞ~みたいな。
それを連載終了後になって、「泰長の『脱晴明』の決意の表れとしての改姓だった」と言い出すのは……じゃあ、泰長以降の面々はなんでそんな名字を堂々と名乗って晴明に仕えているのでしょうか? 事情を知らずに「御門院ってカッコいいね!」としか捉えてなかったのか? バカなのか?
結局、晴明の麾下にありながら堂々と有行や雄呂血、泰世あたりが使っていた「七芒星」の意味も全然わかんなかったし。そこはオリジナリティ出しちゃいけないとこなんじゃないかな……水蛭子が身体張って説明してた通り、五芒星は陰陽五行思想あっての「五」なんでしょ? それに何が2つ加わって「七芒星」なのか、さっぱり語られなかったし。架空の陰陽師の流派ということでそれを出すんだったら、花開院家と同じなんでいいかとは思うんですが、思いっきり瞳に五芒星が浮いてる晴明が登場した後でも七芒星を推すって、作者さんには一体どんな公算があったというのでしょうか? もしかして、安倍一族は「あいつらは新作落語やし、多少いきがって変なことやってても、ええんちゃう?」みたいな自由な空気に満ちているのか? でも、根本のトレードマーク変えちゃいけないと思うんですが……
そんな一門の結束で、果たして千年前の大師匠が復活するのであろうか……あっ、復活したのは羽衣狐のおかげだし、もしかして「本当に復活するとは思わなかった……どうしよう。」みたいなドタバタ感で集合したから、あんなだったのか。それはわかるなぁ。江戸時代の隠れキリシタンも、明治になって外国の宣教師さんが来てみたらびっくりするくらい違う宗教になってたっていうし。
なるほど……晴明が子孫たちにどことなく冷淡なように見えたのは、冷たいんじゃなくてただ愕然としてリアクションできなかっただけか! そりゃそうだ、『金烏玉兎集』のどこをどう読んだらゴスロリファッションでぬいぐるみのクマにミルク飲ませる呪法スタイルになるんだよ!? わしゃもう、若いやつらの考えてることがわからん!!
まぁともかくですね、いくら最終章だからといっても、全員ちゃんと描写するという責任も確証も無いまま10名もの新キャラクター(晴明と泰長以外)を見切り発車で生み出してしまった作者さんの親としてのネグレクトっぷりは、やっぱりひどすぎると思います。『京妖怪編』での花開院分家のみなさん(メガネマッチョとかドレッドヘアとか布とか)の無意味すぎる生と死は、まるで親の心に響くものではなかったのですね。子の心、親知らず!! なんか、晴明の子孫に対する無責任さと非常にオーバーラップする構図ですよね。いやぁ、人柄が出るもんだねぇ!
問題その7、「人気があるのはわかるが……羽衣狐は再登場するべきではなかった」
晴明一族の猛攻に対抗せんとして、ぬらりひょん親分が切ったジョーカーとは……地獄に堕ちたはずの羽衣狐の復活だった!
やってしまいましたね。大人気悪役キャラの、味方としての復活パターン! 王道だなぁ。
ただ、それ自体はいいとしても、問題なのは彼女が晴明の実の母親であり、しかも晴明がここまで妖怪討滅だ人類討滅だと1000年間も血迷っているのは、彼女が人間(当時の貴族)のせいで非業の死を遂げたことが原因だということなのです。
ふむ。じゃあ、これは晴明の前に羽衣狐がやって来て「私も復活したし、人間許したってーな。」と説得して和睦する平和的なエンディングを迎えるのでありましょうか?
いえいえ、展開はさにあらず。晴明は「俺は母ちゃんのロボットじゃねーっつーの!!」……とは言わないのですが、母ちゃんの言葉を全く意に介さず攻撃を続け、盛大な母子ゲンカにもつれこんでしまうのでありました。
もとをただせば、晴明を現代に復活させたのは地獄に堕ちる前の羽衣狐だったのですが、主人公に敗れた母ちゃんを見た晴明は、なんだかよくわかんないんだけどその母ちゃんを地獄に堕として「俺が新世界の神になる。」と宣言していたのでした。
え? 母ちゃんが殺されたことに腹を立てて全世界滅亡を誓った子どもが、自力で復活した母ちゃんの手で復活したかと思ったらその母ちゃんを殺しちゃって、そしたらそのうちまた母ちゃんが復活してきて、世界滅亡をやめろと言われたら大ゲンカになって……??
な、なんなんだ? この母子のモチベーションはどっからわいてくんの? そして……結局なにがしたいの?
今さら論理が破綻しているとかいうクソ真面目なことは言いませんし、別に破綻していてもマンガなんだからいいかとは思うのですが、ちょっと1つだけ。
この母子……おもしろすぎない?
つまり、この2人の地球規模で迷惑な圧倒的存在感の前には、ぬらりひょんファミリーなんか一瞬でかすんでしまうということなのです。
実際に、最終話の1コ前の第209幕における母子の会話で、晴明の現世滅亡の論理は見事に否定されてしまっているのです。強者のみが生き残り、愚かさや弱さを一切認めない完璧な世界を創造すると豪語した晴明に対して、羽衣狐はこう宣言します。
「ならば、わらわはもう自分の思うがままに生きよう。今後は人もあやかしも全てを慈しむ母であろうと思う。」
愚かさも弱さも、この不完全な世界の全てを赦し受け容れるという、母ちゃんの心意気……これぞ菩薩!!
これはダメだ……こんな人にド正論を言われちゃったら、ついこないだ主人公らしくなったばっかりの中坊ごときに一体なにができるというのでしょうか。そりゃまぁ少年マンガなんだから晴明を力でギャフンと言わせる絶対的存在は必要になる訳ですが、その貫禄と説得力の時点で、羽衣狐のほうが主人公よりもよっぽどデウス・エクス・マキナにふさわしい資格を有してしまっているのです。主人公の立つ瀬なし!
作者さんもまぁ~、もう自分じゃ止めらんないみたいな筆致で羽衣狐を実に生き生きと描いているわけなのですが、そのおかげで主人公以下、全レギュラーメンバーの影がもれなく薄くなってしまったのでした。じゃもういいからさ、タイトルを『ぬらりひょんの孫』じゃなくて『羽衣狐のバカ息子』に変えてくれよ!! 略して『はごばか』でいいよ。
ダメだろう、子供同士のケンカに巨神兵呼んできちゃぁさ。
問題その8、「主人公をリクオに任せられない、祖父と父の深刻な子離れのできなさ」
こりゃもうね、全25巻を通読された方ならばみなさん漏れなく感じられる印象なのではないのでしょうか。
つまるところ、カンフル剤のごとく事あるごとに差し挟まれる「若い頃のじいちゃん」か「生きてた頃の父ちゃん」のサイドエピソードが、確かに一時的なお話の盛り上げにはなるのですが、「本筋の主人公を補助する」役割を担っていないのです。なんか、投入されるたんびに孫のオリジナリティが薄れていくというか、「こういう親分を目指せよ!」という説教を毎回グチグチ言われて委縮していくような気がするんですよね。
隠居した隠居したっつって、結局じいちゃん最終話直前の第209幕まで元気そのもので安倍雄呂血ぶった切ってるんだもの!
思えば、少年マンガの世界でこれほどまでに「超高齢化社会の弊害」を切実に語った作品は無かったのではないのでしょうか。元気すぎる老人に圧迫される若者の苦悩! 『サイボーグじいちゃんG』は、じいちゃんが主人公だからいいんですけど、『ぬらりひょんの孫』はあくまでも孫が主人公であるべきですからね。そこはじいちゃんも控えるべきであったし、ましてや故人であるキャラクターは10分の1くらいの出番にしても良かったのではなかろうかと思うのです。
作者さんの饒舌さや筆の走りが、主人公メインの本筋から遠ざかれば遠ざかる程無責任に暴走していくような傾向が、特に後半の『百物語組編』と『御門院家編』でどうしようもなく感じられてしまったのは、私だけでしょうか。それはもう、羽衣狐と晴明の因縁エピソードもそうなんですけれども。
「リクオ……わしゃ、いよいよ本気で隠居じゃ。」
って最終話で言われてもよう! 孫のマンガでいいとこ全部かっさらってさんざん暴れまわった挙句、残しといた取り分は、母ちゃんにダメ出しされて改造ベロクロン2世並みにヘロヘロになった再生晴明の首だけ!? そりゃないぜグランパ!!
問題その9、「効果音がやけに邪魔なマンガ」
これはそんなに大きな問題ではないと思いますし、『御門院家編』でもラストスパートにいくに従って、特に季刊連載になってからはかなり鳴りを潜めたように感じられたので軽く触れるだけにしておきますが、まぁ~ともかく『百物語組編』の珠三郎がひどすぎたんですよね。
「ポンポンポンポン……カポォォォン」
と、言われましても、ねぇ。当方といたしましてはなんとも答えようが。
実験精神にあふれてる、ってことなのかしらねぇ。でも、あの「二十七面千手百足」を生み出した作者さんとはとても思えない「じぇんっじぇん怖くもなんともない閉鎖空間」になっちゃいましたよね。いや~、なんだかんだ言ってもオノマトペは大事ですよ!
「このしらけきった舞台で、おまえの生きる道はねぇ!!」
って、首無に言われるまでもなくしらけきってたからね。つらいなぁ。
作者さんの、たぶん意図的に使っていたミョ~に古臭いかすれた筆書き調の効果音表現は、『京妖怪編』くらいまでは好きだったのですが、やっぱり『百物語組編』から暴走が目についてきちゃったかなぁという印象がありました。絵がポップなだけにそのギャップが面白かったのですが、やはり過ぎたるはなほ及ばざるがごとし。バトルだバトルだと濫用し過ぎると、効果は薄れちゃうものなんですね。
でもね……「『九相図』と『葵螺旋城』をジャンプに持ち込んだ勇気はたたえたい」
私がなんだかんだと目の敵のように言ってきた『百物語組編』も、たぶん山ン本五郎左衛門を前面に出さず、舞台も東京都心全域を一気に大パニックに陥れるようなスケールにせずに「柳田編」、「雷電編」、「圓潮編」のように小出しにやっていけば、「袖モギ様」や「邪魅」のような丁寧な粒の揃った好エピソードが続いたのではなかろうかと思います。それはやっぱり、偉大なる先人『ゲゲゲの鬼太郎』や『地獄先生ぬ~べ~』(終盤を除く)の路線ですよね。
その中でも一番「鏡斎」は面白くなると思うんだけどなぁ! だって天下の『ジャンプ』で「九相図」ですってよ!? メジャー少年マンガ誌に腐乱死体!! とてつもない勇気と冒険ですよね。これはもう、素晴らしいの一言です。
ただ、それをあの時間制限ギチギチのドタバタの中、しかも渋谷という超繁華街で展開させてしまったのは、いかにも素材がもったいないという感想だけが残りました。表現上の規制が多いであろうあの誌上で大虐殺……でも、虐殺の描写はその直前の、いかにも小林ゆうさんが声をあてそうな悪食の野風が十二分にやってくれましたし、主人公の肉体が腐乱するという恐ろしい展開も、なんだか墨汁を頭からかぶっただけみたいな描き方になっちゃったし。難しいですねぇ、いろいろと!
なんだかんだと言いたい放題言わせていただきましたが、つまるところ、やはりマンガは構成が命! ということなのでしょうか。『ぬらりひょんの孫』ほどに画力と発想が優れていても、その御し方が整っていなければ覇権を握ることは夢のまた夢だということなのではなかろうかと。
惜しい、惜しかったなぁ。あのゲタの少年が出てこないからと好き放題に勢力を広げすぎてしまったぬらりひょんファミリーは、やはりその絶対的天敵が不在であったがゆえに! 風呂敷を畳みきれずに自滅してしまった、ということなのでしょう。九尾の狐も安倍晴明も届かなかった、鬼太郎という高すぎる壁!!
ぬらりひょんには……やっぱり鬼太郎が必要だった!!
この、お寿司に醤油、カレーライスに福神漬け、バットマンにジョーカー、アンパンマンにばいきんまんに等しい地球の摂理を結論としまして、この長すぎた愚痴を閉じさせていただくことといたしましょう。椎橋寛先生、どうもありがとうございました! 大塚周夫さんのぬらりひょん、もっと観たかったです……
大嫌い、大嫌い、大嫌い、大好き!! ああぁ~ん♡
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