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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

愛されて25年・信頼と実績のサウンド BUCK-TICK『くちづけ』 夜の部

2010年12月27日 22時29分50秒 | アニメらへん
《前回までのあらすじ》
 今週で最終回になる深夜アニメ『屍鬼』(フジテレビ毎週木曜日)の前期オープニング主題歌だったBUCK-TICKの『くちづけ』はいいですよ~!!


 ということで、なぜそんなに『くちづけ』が気になったのか? いろいろ考えてみましょう。
 まずはやっぱり、ホラーアニメのオープニングを飾るにふさわしい、その「ゾクゾク感」、「ワクワク感」ですよね!

 ホラー、特に「吸血鬼」をあつかうとしたら、イメージとしてどうしても「背徳感」「お耽美感」というあたりが切りはなせない要素になっている昨今なんですが、『くちづけ』というかアニメ版『屍鬼』は、もちろんそのへんもしっかりおさえています。
 全体的に「闇」「血」「骸骨」といったキーワードを取り入れた映像の中、藤崎竜による「とても日本の田舎にいるとは思えない美形」キャラクターの面々がズラズラとフラッシュバックのように顔を見せていきます。
 いったいどんなものを食べて育ったら、あんなに軒並みモデルみたいな体型で目がぱっちりしてて髪の毛の色が真ピンクだったりする美少女・美男子ばっかりになるんだろう!? 
 なにか、村人しか口にしない特産の食い物でもあるんだろうか、スイスかどっかの長生き村みたいな……うーん、吸血鬼なんかよりもよっぽど気になる。あっ、でも、よそから来た人たちもみんな美形だしな。

 それはさておき、これらのレギュラー登場人物たち中で、果たして誰が吸血鬼なのか? そして誰がその犠牲者となっていくのか? とてもスリリングでワクワクするオープニング映像です。

 それにあわせて流れる肝心の『くちづけ』がまた、『屍鬼』の雰囲気にピッタリ寄り添っていながら、しっかり独自の「色」を出していてすばらしいんですね。
 私は別にロックに詳しいわけでもないし、ましてやバンドの演奏のどんなものが理想の形なのかもよくわかんない人間なのですが、『くちづけ』の音楽的なバランスはかなり理想的なんじゃないでしょうか?
 ギター、ベース、ドラム。それぞれがそれぞれ主張していながら、バランスがちゃんととれている。ベースとドラムのきざむ短いスパンのリズムが緊張感をかきたてます。
 あと、オルゴールのような音色でか細く響く「ポーン、ポーン……」という音もいい味だしてます。この曲の内容上、だんだんと人間の脈のように聞こえてくるのが不思議。

 しかし、BUCK-TICKの『くちづけ』である以上、もっとも重要な要素となってくるのが、なんといってもヴォーカルをつとめる櫻井敦司さまの歌声。
 吸血鬼っぽい、まるで聴く相手を誘惑するかのように甘く響きわたる声!
 これまた、私はちゃんとBUCK-TICKを聴いてきた人間ではないので『くちづけ』だけを聴いた印象しか言えないのですが、櫻井さんの声は本当に甘い。ともするとポップ歌手?と勘違いしてしまいそうな明瞭でのびのある高音なんですが、そこを踏みとどまって25年間日本のロックシーンの最先端を走り続けることを可能にしてきたのは、やはりその一貫した作品世界の美学と常に新しい音楽性を求道し続けるロック魂でしょう。
 また、サビの部分での叫びに近いフレーズの呼びかけも、「誘惑」があり「渇望」があり、そして「哀しみ」があるという味わい深さ。モノホンの吸血鬼か?
 あと、発音の実にはっきりした歌声なのに、おそらく自分の歌唱哲学にのっとってのものなのでしょう、かなりの自信をもって意図的に歌詞の母音を変えて唄っているのが非常に興味深いです。
 「おいで」が「あーいで~」になって、「狂わせる」が「くーるーわっせーろ~」になるんですね。OがAになったり、UがOになったり。
 でも、確かにそっちのほうが聴いたときの音の感触がいいんだなぁ。さっすがぁ!

 この『くちづけ』の作詞をしているのもまた櫻井さんなんですが、その歌詞もいいんですねぇ。
 私がもっとも気になったのは、やはりサビの部分です。


おいで この腕の中 「あっちの闇はにがいぞ」
君は  惑い     ゆらめく
やがて 永遠になる 「こっちの闇はあまいぞ」
僕は  深く     突き刺す


 吸血鬼ものの歌がつくられる場合、歌い手さんが「吸血鬼」になって聴き手が「犠牲者」になるというのはよくある定型ですし、吸血鬼の「突き刺す」牙というものがたぶんにセクシャルな意味を含んでくるのもさもありなんな感じなのですが、気になるのは、そういった「吸血鬼」と「犠牲者」のほかに、この作詞世界のなかに第三者の影があることなんです。どこにいるのかな?

 ハイそうです。「あっちの闇はにがいぞ」の、「あっちの闇」という存在が『くちづけ』の世界にはあるんですね。
 吸血鬼である歌い手が「こっちの闇はあまいぞ」と誘う以上、「こっちの闇」は、吸血鬼になって夜の住人となる選択肢でしょう。ということは、吸血鬼がごく普通の人間である聴き手に向かって「あっちの闇はにがいぞ」と言う「あっちの闇」とは?
 これはもう、平穏無事に荼毘に付されて灰になるか、土深く埋められた棺の中でみずからも大地の一部となって朽ちていく「永遠の死」の世界ということになるでしょう。
 つまり、この『くちづけ』の世界での吸血鬼は、「おだやかな何もない死」から見放された場所でずっと生き続けなければならない人たちなんですね。なんかかわいそう!
 そう考えると、「あっちはにがい、こっちはあまい。」という誘いかたも実に幼稚でせつないものだし、だいたい「人の血を吸って同じ吸血鬼にする」という行為も、自分の栄養補給よりも「仲間がほしい!」というねがいの方にウェイトがあるように思えて仕方ありません。

 吸血鬼ってのは、夜になると空は飛ぶは血は吸うはいろんな動物に化けるはで実におそろしい存在なんですが、いったん陽が昇ってしまうと、陽が沈みきるまでの半日まるまる外に出られないダメオヤジと化してしまいます。この激しすぎるギャップがまた吸血鬼の病気っぽいイメージを助長しているんでしょうね。
 血の気のない真っ青な顔、なんだかわかんないけど高貴な格好と態度、血を吸う相手はだいたい顔で選ぶ、にんにくキライ、さんさんたる日光ダイキライ……
 な、なんて繊細っちゅうか神経質なモンスターなんだ! 体育会系のフランケンや狼男とか、半魚人には見られないキャラクター性ですね。

 だいたい、西洋の吸血鬼ヴァンパイアは「人はいつかかならず死ぬ」という神様の創ったルールから逸脱している種族だと解釈されています。ここでいう「神様」というのは当然ながらキリスト教の神様のことで、だからこそ、キリスト教の聖なる象徴である十字架をあれほどまでに極端に嫌うんですね。
 西洋の吸血鬼はたぶん、十字架の形とか聖なる力が苦手なんじゃなくて、神様の創った常識的な世界に対してハンパじゃなく「やましい気持ち」、「ああ、おれ間違った生き方してるなぁ。」という背徳感があるからこそ、あんなに律儀に「十字架を嫌うことにする。」というポリシーをみずからに課してしているんじゃないでしょうか?
 だからって、さわったらヤケドしちゃうまで嫌いにならなくてもいいのに……実に愛らしい、どこまでも神経質でまじめで生きるのがヘタな種族です。肩身がせまいモンスターだねぇ。

 だったらさっさと日光にあたっちゃって、灰になって成仏すればいいのに?

 いやいや、そんなことを吸血鬼のみなさんに言うのは酷ってもんでしょう。吸血鬼だって、「ほんとに死んだらどうなるのか」がわからないからこそ、「あっちの闇はにがいんだろうな……」とビクビクしながらこつこつと仲間を増やしているんです。
 「死ぬのはこわい!」と思うのは、吸血鬼も人間もおなじことなんですね。ただライフスタイルが違うだけですよ。

 小野不由美の『屍鬼』もBUCK-TICKの『くちづけ』も、ちゃんとそういった「吸血鬼の哀しみ」をくみ取ってるから素晴らしいんですよねぇ! ただのモンスター界のアイドルってだけにしていない厚みがあるから味があるんだなぁ。
 私はどうも、吸血鬼がど真ん中の主人公、ヒーローとして活躍する物語は好きじゃないんだなぁ。今が旬の『トワイライト』シリーズとか、ひとむかし前にはやった『インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア』の『吸血鬼レスタト』シリーズとかね、吸血鬼がかっこよすぎるのは、ちょっとねぇ。

 やっぱり、ベタですがイギリスの名門ハマープロの作品でのクリストファー=リー演ずる吸血鬼ドラキュラ伯爵がいいんだよなぁ。
 なにがいいって、伯爵本人は大まじめなのに、その「吸血鬼」という生き方の不器用さがどうしようもなくマヌケなの!

 『ドラキュラ’72』って作品の伯爵なんて、もう涙、涙ですよ。
「私と闘おうというのか、夜の支配者である私と!」
 とドドーンとのたまっておきながら、数分後には小学生でもひっかからないような仕掛けにひっかかって灰になっちゃうの。は、伯爵~!!


 いや~、そういった吸血鬼の奥深さを見事に自分達のサウンドで表現しきったBUCK-TICK。さすがはその道25年、熟練の腕。ほれました。
 そういや10年くらい前、日本のロックスター2人が香港ロケだったかなんかを敢行してつくった珍吸血鬼映画があったような、なかったような。
 櫻井さんをさしおいて吸血鬼の役を演じるとは……だいそれたことをしたもんだねぇ。
 25年もロックをやってるんだからご本人は健康そのものなんでしょうが、映像の中での櫻井さんの「寝不足感」「不健康感」は、すごいですね。あの眼力にはやられちゃうなぁ。

 アニメの『屍鬼』のクライマックスを観るのはもうちょっと後のことになりそうなんだけど、まずはBUCK-TICKの諸作品を聴いてみようかと思います。
 BUCK-TICKはいいねぇ! なんてったって、ほんとに今も現役なんだから。
 調べてみると、最後にリリースしたベスト盤アルバムは2005年の『カタログ2005』なんだそうですけど、もうベスト盤としての用はなさなくなっちゃってるからね!
 だって、そのベスト盤のリリース後から2010年までの5年間に、過去にならぶかそれ以上の名曲をバンバン出してるんだもの。
 『くちづけ』もそうだし、『Alice in Wonder Underground』とか『かげろう』とか『GALAXY』とか。
 私はちょっとだけ聴いてみて、特に『独壇場BEAUTY』にメロメロになってしまいました。もうノリノリ。若いな~!
 
 まさに信頼と実績に裏打ちされたサウンド。BUCK-TICKさん、来年もがんばってくださいね~!!
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愛されて25年・信頼と実績のサウンド BUCK-TICK『くちづけ』 昼の部

2010年12月26日 21時24分52秒 | アニメらへん
 どうもこんばんは! そうだいです。いや~、なんだかんだでクリスマスも終わりまして。
 みなさん、クリスマスは楽しく過ごされましたか?
 私は……まあ、それなりに……おいしいものを食べたりとか、新しいブーツを買ったりとか……そうそう、この新入りのブーツっていうのがまたとんだじゃじゃ馬で、ははは……

 すみません、なんか、しめっぽくなっちゃいましたね! あぁ、クリスマス楽しかった。

 さて、いよいよ日本は年末らしくなってまいりました。日中はいい天気が続いているんですが、さすが真冬。夜になったらもう、完全に寒いよ!
 今日はちょっと、仕事が終わったあと時間があったので、CD屋さんに行って前々から買いたいと思っていたCDシングルを買ってきました。2010年ももうおしまいですからね。未練の残らないようにしないと!
 そうとう久しぶりにタワーレコードで買い物をしましたね。とんでもないことに、私の住んでいる町には、中古をあつかっているお店はあるんだけど、新品のCDを売っているところはないんですよ。
 それで結局、ひと駅離れたところにあるタワーレコードに行ったわけなんですが。思えば新品のCDを買うのも久しぶりだったなぁ。
 最近は1000円はらってCDシングルとか、3000円はらってCDアルバムなんて、そうとう気に入ったアーティストのそうとう期待できる新作じゃなきゃ買いませんでしたからね。ちょっと待ってたら半額くらいの値段で中古屋で買えるようになるし、聴くだけだったらパソコンで検索して済んじゃうご時世ですから。
 なかなか10~20年前のようにCDがバカスカ売れる時代ではなくなっているようなんですが、こうなった時こそ大事になるのがアーティストの底力だし、それに相応するお金を払ってくれるファンとの信頼関係なんでしょう。

 ところで私、考え方が古いのかも知れませんが、「特典DVDつき」という売り方にはどうもついていけません。歌手ならあくまで歌声で勝負していただきたい!と思っちゃうんですね。
 先月にあれだけ「アイドル! アイドル!」と言っていた私と、態度が矛盾しているように見えるかも知れないんですが、たとえ容姿がいちばん大事なポイントとなってくるアイドルだったとしても、いや、容姿ぬきでは語れないアイドルだからこそ!楽曲CDというフィールドでは「歌声」だけで勝負していただきたいんですね。そっちのほうがかっこいいじゃないですか、剛毅じゃないですか! 容姿に頼る必要のない別の武器がちゃんとあるアイドル! う~ん、ほれちゃうなぁ。

 もちろん、振り付けをおぼえたりファッションや映像のセンスを楽しむという人もいて当然だとは思うんですが、どうも私には蛇足な気がして、そんなことはないんでしょうが歌声イッポンで売り出すことにに自信がないように見えちゃうんですねぇ。
 でも、さっきも言ったようにCDがなかなか売れない時代ですからねぇ! いろいろとおいしい特典をつけて売らなきゃいけないのはしょうがないことなのか。
 むろん、「イベントの握手券つき」なんていうのは問題外! 私はああいう商法にひっかかるような感覚チャンネルと財力を持ちあわせていなかったことを本当に幸せなことだなと思っています。
 そして、握手券だけ抜き取られたあとに早々に中古店に売っぱらわれてしまう大量のCDシングルたちを本当にあわれに思います。CDシングルのつくも神のたたりにあうぞ!
 私、この話を聞くだに、私が小学生だった時に横行していた「ビックリマン」のシールだけとってウエハースチョコを捨てる現象を思い出すんだよなぁ。あのウエハースチョコもおいしいのにねぇ。
 ほんと、「おごるナントカも久しからず」ですよ。まぁ、かくいう私もSDN48の小原春香さんは応援してるんですけどね。

 話を元に戻しまして、そんな私が今日買ってきたCDシングルは、これ。

 BUCK-TICKの29thシングル『くちづけ』。

 はい~。BUCK-TICKですよぉ、ばくちくですよぉ。1985年以来、メンバーチェンジなしで日本のロックシーンをひた走りに走り続けてきた群馬出身の伝説の5人組ですよ!
 すごいですねぇ。25年も続けているロックバンド! もう「日本の匠(たくみ)」の域に達してますよね。
 あれですよ。「友禅染」とか「有田焼」とか「赤べこ」をつくる職人達にまざって、NHKの早朝でやってそうな15分番組で紹介されてもいいころあいなんじゃないですか、そろそろ。
「BUCK-TICKの朝は、早い。」
 みたいな静かなナレーションが入ったりして。

 とまぁ、さんざんなことを言ってるんですが、実は私、今年に入るまでまともにBUCK-TICKの楽曲を聴いたこともないというていたらくだったんです。
 当然のように名前は聞いたことがあったし、なんとなく昔の音楽番組の映像を見て「うおぉ、トンガってる感じだなぁ。」と思ったりはしていたんですが、まさかシングルを買ってしまうほどに好きになってしまうとは。

 きっかけは、この『くちづけ』がフジテレビの有名な木曜深夜アニメ枠「ノイタミナ」で今年の夏から放送された『屍鬼』(しき 原作・小野不由美)のオープニングテーマになっていたことでした。

 いやぁ、『屍鬼』ねぇ。最終回までちゃんと観たかった……第1回から欠かさず毎週観ていたんですが、はじまって2ヶ月後に我が家のTVが天に召されてしまい……
 今週の木曜日で終了するんですよね? くぅぅ~、無念!
 アニメの直接の原作になった『屍鬼』は、正確に言うと小野不由美の小説『屍鬼』を漫画化した藤崎竜の作品です。 
 小野不由美の小説が発表された時、私は大学生だったんですが、ずいぶんすごい吸血鬼小説が日本に生まれたもんだなぁと驚きましたし、前々から小野不由美のファンだった人たちもやっぱり小野不由美はいい!と熱狂していたのをよくおぼえています。

 日本のなんの変哲もない村で、吸血鬼のしわざとしか解釈しようのない原因不明の連続怪死事件が巻き起こるというこの長編小説は、「吸血鬼」になってしまう人々の描写がありきたりなモンスターではなく、「いやおうなく吸血鬼のような体質になってしまった人間」として解釈されていたという点で、それまでにあった吸血鬼もののホラー小説とは一線を画した大傑作でした。確か私の記憶では、発表当時にスティーヴン=キングの『呪われた町』が『屍鬼』のモチーフとなったといううわさが流れていたのでそっちも読んでみたのですが、私は『屍鬼』のほうが数段おもしろいと感じました。
 要するに、「吸血鬼になった人たちのきもち」が克明に描かれているというところだけででも、『屍鬼』は他の諸先輩がたの作品とのあいだに、スーパーファミコンとファミコンほどの密度のちがいがあると思うんですね。

 また、「吸血鬼たち」がつい最近まで村で普通に暮らしていた人たちである、ということもあって、『屍鬼』のクライマックスは本当に哀しかった……

 さぁ、そんな『屍鬼』を独自の美学にもとづいて漫画化した藤崎竜の作品をさらにアニメ化! いったいどんな仕上がりになったのか!?
 それが……今週に最終回になるんですよねぇ。観たいね~。

 まぁ、いいや。来年に新しいパソコンを買ったときにDVDになったやつを観ることにしよう。

 それはさておき、今回いいたいのは、そのアニメ版『屍鬼』の前期オープニングをかざった主題歌『くちづけ』のすばらしさなんですよ!
 私は超おくればせながら、そのたった1曲でBUCK-TICKのファンになってしまいました。

 とにかくいい曲ですね。どういうふうにいいのかは……字数がかさんできたので、また次回!
 どらどらきゅっきゅっ、どらきゅら~(これは別の曲です)。
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悪の華・4人のマ=クベ 「ぼ」の章

2010年11月03日 22時15分00秒 | アニメらへん
 こんばんは~、そうだいです。いやぁ、今日は天気よかったですね! みなさんも、文化の日にふさわしい最高の休日になったのでは?
 あの~、私、今、ラジオをつけっぱなしにしながらパソコンに向かっているんですが……日本シリーズって、おもしろいですね!
 今年はどうやら、中日かロッテか流れをはやくつかんだ方が逃げ切って勝つというパターンが多いのかな?なんて思ってたんですが、今日の第4戦はちょっとちがう! ただいま白熱の延長戦中ということで、やっぱり両チームもファンのみなさんも気合いの入り方が違いますから! ほんとにおもしろいね~。TVがこわれててよかった。
 野球はいいですね。実は今年の夏にも千葉マリンスタジアムに行ってナイターを観たりしたんですが、試合の臨場感もいいんだけど、なにより、いっぱいの人が集まってなにかのことに本気で喜んだり悔しがったりしているエネルギーに直接ふれられるのが楽しいんですよ。よし、来シーズンもまた観に行こう。

 さ~て、今回はそんなナイター観戦なんかぜんっぜん興味がなさそうなお方のお話。私が大好きな「ヒール」キャラクターについてであります。
 その名はマ=クベ。1979~1980年に放送されたSFロボットアニメ『機動戦士ガンダム』に登場した悪役キャラクターです。

 るーるるっるるる るーるるっるるる るーるーるーるーる~……

 今日のゲストはマ=クベさん。名字は「マ」なんですってね。
 マさんはジオン公国突撃機動軍大佐で、1年戦争では地球侵攻軍の総司令をつとめていらっしゃいました。年齢は未公表だそうです。
 TV版『機動戦士ガンダム』では全43話中、第16話に初登場して以来、第37話で主人公ロボット・ガンダムにタイマンはって戦死するまで、とびとびで9話分に出演していらっしゃいます。
 1年戦争の開戦時にはまだ中佐でしたが、ジオン公国総帥・ギレン=ザビ大将の妹である突撃機動軍総司令・キシリア=ザビ少将の直属の部下として、ジオン公国軍の主力兵器・モビルスーツの「統合整備計画」を立案するなど、戦場よりもデスクワークでその才能をいかんなく発揮されて大佐に昇進されました。
 2001年に連載が開始された安彦良和先生による『機動戦士ガンダム』の完全マンガ化作品『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』では、キシリア少将の部下という設定もとびこえて中将というビッグポストについていらっしゃいます。
 1年戦争の前半では主に地球で活躍され、モビルスーツの生産に必要不可欠な鉱物資源が豊富な黒海地域のオデッサを本拠地にしていましたが、11月の地球連邦軍による総攻撃「オデッサ作戦」にボロ負けしたのちには、宇宙にもどってキシリア少将のもとで連邦軍へのリベンジのチャンスを狙っておられました。
 んでもって、12月のジオン公国敗戦も押し迫ったクリスマス明けに、みずから新型モビルスーツ「ギャン」を駆ってテキサスコロニーでガンダムに決闘をいどみ……

 あ、あれ? ちょっとまって。
 あれぇ、この資料だと……マ=クベはギャンになんか乗ってない? あっ、別の資料だと、マ=クベはテキサスコロニーで死んでない! あじゃぱー、こっちの資料だと、そもそも宇宙に帰る前に死んじゃってる!!
 なんだこれ? おんなじ『機動戦士ガンダム』のはずなのに、マ=クベさんの最期が資料によってぜんっぜん違うぞ! ど~なってるの?

 はい~、小芝居、失礼こきました。
 そうなんです。このマ=クベというキャラクターは、そんなにおろそかにもできない重要な存在であるのにも関わらず、1年戦争をあつかったいろんな形の『機動戦士ガンダム』それぞれで、微妙に違った性格と、それにともなう違った末路をたどっているという、実に珍しいお人なんです。
 でも、ここで私が注目したいのは、ただマ=クベがテキトーにあつかわれているということなのではなく、それぞれがそれぞれに甲乙つけがたく「マ=クベらしい!」という奇妙な感じです。殺人的なゴタゴタのピークである戦争末期に、「あの人が結局どうなったのかどうもはっきりしない」という状況って、ちょっと恐いくらいにリアルじゃありません!? 私はここにもシビれちゃった。

 詳しく、現在語られているマ=クベの最期の諸説を、古い方から順番に見てみましょう。
 すべてのマ=クベに共通しているポイントは、「ジオン公国の地球方面軍の実質的責任者」「条約でやってはいけないことになっている水爆ミサイルを発射した」「壺が好き」の3つです。

1、TV版『機動戦士ガンダム』説
 テキサスコロニーでモビルスーツ・ギャンに乗ってガンダムに決闘をいどみ戦死(12月のクリスマス後)
2、小説版『機動戦士ガンダム』説
 テキサスコロニー近くの宇宙空間で、主人公アムロの乗っている地球連邦軍の宇宙強襲揚陸艦ホワイトベースと交戦し、乗っていたジオン軍の宇宙重巡洋艦チベごと爆死(1,と同じ日時)
3,劇場版『機動戦士ガンダム3 めぐりあい宇宙編』説
 テキサスコロニーでのくだりが丸ごとカットされていたため死なず、キシリアと行動をともにする
 (この設定を引き継いだ2001年発表の北爪宏幸のマンガ『機動戦士ガンダムC.D.A. 若き彗星の肖像』では、大晦日の最終決戦で陥落した要塞ア・バオア・クーからのザビ家後継者ミネバ=ザビの逃亡をギャンで護衛した際に、地球連邦軍の艦砲射撃を受け1月1日の未明に戦死 めでたくねぇ……)
4,マンガ『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』説
 地球でのオデッサ攻防戦敗退後、ジオン軍と鉱物資源輸送隊の宇宙撤退のためにギャンに乗って地球連邦軍の攻撃を食い止める殿軍(しんがり)をつとめ、連邦軍の戦艦数隻を道連れにして自爆(11月9日)

 なるほど……最期のまったく違う4人のマ=クベ。いったいなにがどうなってこんな違いができてしまったのだろう!?
 つらつら私がかんがみまするに、これはどうやら、基本的に非常に高いマ=クベの「プライド」が、どこを基準に設定されているのかによって違ってきているようなんです。

 まず1、については、地球での自分の作戦をことごとく妨害したガンダムと、そのパイロットであるアムロ=レイをみずからの手でほうむる。しかも、その手柄によって自分のキャリアにとって邪魔な存在である同僚のシャア=アズナブル大佐をだしぬくということに、おのれのプライドと命そのものを賭けています。ここでのマ=クベの執念は鬼気迫るものがあり、新型モビルスーツ・ゲルググに乗ってわざわざ助けに来たシャアの加勢を断固として拒否しているほどです。
 2、もほとんど1,と同じなのですが、シャアに対して強い対抗心は持っているものの、主人公に闘いをいどむモビルスーツパイロットとしてのプライドは持っていません。でも逆に、最後の最後でも決死の覚悟までは持てていないところが人間くさくていいかも。
 3、に関しては、ガンダムをたおすとかシャアが嫌いとかという感情はあまり関係なく、あくまでジオン公国軍人としてのプライドをもって、ジオン最後の希望であるミネバの逃亡に命を捨てています。
 4、はいさぎよく地球での作戦失敗の責任をとり、地球侵攻軍総司令としてのプライドを守るためにほぼ自決に近い選択をとることになりました。

 こうやって見てみるとアラ不思議。時間がたつにつれて、だんだんマ=クベが「軍人」としてちゃんとした人物になってきているという変化が見て取ることができます。1、と4、のマ=クベなんか、もうほとんど別人のような考え方の差があります。
 でも、だからといってもちろん、「責任をとってさっさと自決する」のがいい人間の条件であるわけではありません。むしろ私にとっては、おめおめと生き延びて、それでも出世がたきにかっこわるい部分を見られることだけはしたくないと必死にあがき続けている1、のマ=クベがもっともそうであってほしいマ=クベなんです。そりゃね、ダントツでカッコいいのは4、の彼ですけどね。

 奇しくも、状況も心境もまったく違うであろう1、と4、それぞれの最期で、彼が部下のウラガン中尉に遺した言葉は共通して、
「ウラガン、あの壺をキシリア様にとどけてくれよ。あれは、いいものだ。」
 というものでした。
 アニメ版第37回と、安彦良和先生の筆による『THE ORIGIN』第16巻のクライマックスを見比べるとだいぶ違った印象のあるマ=クベ像なんですが、もしかしたら、ある人から見たらアニメのようにぶざまなまでに人間らしい最期をとげそうな人に見えたのかもしれないし、またある人から見たらマンガのように司令官らしい気高い最期をとげそうな人に見えたのかもしれない。
 希代の声優・塩沢兼人さんによる印象的な声など、まだまだこのマ=クベさんの魅力について語るべきことは残っているのですが、今回のところは、このマ=クベというキャラクターの文字通りの「多面性」をたたえて終わりにしたいと思います。

 余談ですが、マ=クベがその最期まで気にかけていた中国・北宋時代の壺は、数日後に行われた連邦軍との宇宙戦艦同士の戦いの中で、キシリア少将に届けようとして持っていた部下のウラガン中尉ごと宇宙のチリと消えていったそうです……
 嗚呼、無情!! 『機動戦士ガンダム』はほんっとに、わき役にキビしいよねぇ~。
コメント (2)
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悪の華・4人のマ=クベ 「つ」の章

2010年11月02日 23時38分05秒 | アニメらへん
 どもども、こんばんは! そうだいです。だんだんと晴れ間が見えてくる天気になってきましたが、すっかり寒くなりましたねぇ……カゼなんかひいたりしていませんか?

 さーてと、今日はなんの話をしようかな~っと。みなさん、ガンダム好き? ガンダムの話しようか。
 『機動戦士ガンダム』シリーズ! ものすごい人気であります。もうそんなに新しい話題でもなくなりましたが、全高20メートルもある実物大のガンダムが作られて、それが立派な観光スポットになるくらいなんですから。
 詳しい方も多くおられるガンダムシリーズについての話をするのはなんとも口はばったいことなんですが、ゲームなどでのサイドストーリーもあわせるととんでもない数の多さになるサーガの中でも私が特に好きなのは、やっぱりなんといっても「宇宙世紀シリーズ」です。

 ひとくちにガンダムシリーズといっても、実は作品ごとに設定がまったく違って時間軸がつながっていない場合が多く、たとえばひとむかし前に大人気になった『機動戦士ガンダムSEED』と、TVシリーズ最新作の『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』は、物語が連続していません。世界観もまったく別のお話で、たまたま、その物語の主人公が乗り込む巨大ロボットが、白っぽくて「ガンダム」という名前であるという共通点しかないわけなんです。うーん、なんと自由なシリーズ展開。

 私が大好きな「宇宙世紀シリーズ」というのは、そんな数多くの架空未来の中でも、記念すべきシリーズ第1作『機動戦士ガンダム』から最近に発表されたOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション TV放映はまだされていない)作品『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』まで、大部分の作品がその中におさまるというシリーズです。『Zガンダム』も『ガンダムZZ』も、『逆襲のシャア』もこのうち!
 「宇宙世紀」とは、人口が増えに増えたため地球におさまりきらなくなってしまった人類が、巨大な定住用の人工衛星「スペースコロニー」を開発して宇宙に打ち上げ移住した年を「宇宙世紀0001年」として開始される、架空の未来世界のことです。つまり、「宇宙世紀0001年」が具体的に西暦でいう何年のことなのかははっきりしていません。遠い未来のようで、案外、もう何年か後ぐらいのことかもしれない。この絶妙なボンヤリ感がおみごと!
 「宇宙世紀シリーズ」の魅力は、数え切れないほどにたっくさんあり、なおかつ、それぞれが簡単には言い表せないほどに複雑に絡み合っています。現実にある兵器のようなリアルさとSF的な遊びの荒唐無稽さの両方を併せ持っている、巨大人型ロボット「モビルスーツ」と、それを代表する名機「ザク」。宇宙に進出した人類をみちびくかのような特殊能力を持った人々「ニュータイプ」の謎。地球全体はもちろんのこと、無限に続く宇宙空間を舞台に繰り広げられるスケールの大きな戦争のかけひき。
 そして! 今回に強調したいのが、星の数ほどあらわれては散っていく、さまざまな輝きをはなつ登場人物たちの群像劇。要するに、主人公からほんのチョイ役まで、愛すべき人間くささや思わず惚れ込んでしまうカッコいい生き方を見せてくれる人たちばっかなんだなぁ!
 物語の中心で活躍するのは、例えば天才的なニュータイプ感覚でモビルスーツ・ガンダムを操縦する青年アムロ=レイであったり、胸の中では常にあるじへの復讐のチャンスをうかがいながら、表向きは忠実な部下をよそおって戦場へとおもむく、アムロの生涯のライヴァル・「赤い彗星」シャア=アズナブル。
 実にアニメらしい、劇的な境遇や自身の才能をもったキャラクターが主役ではあるのですが、私が注目したいのは、そこら辺の「物語っぽさ」や「マンガっぽさ」をおぎなってあまりある無数の脇役キャラクターたちの「リアルさ」フォローなんですね。
 戦争で「いっちょやったるか!」と生き急ぐ若者、戦争によって平和な日常生活を踏みつぶされる弱者、戦争に行ってしまった愛する人の帰りを待ち続ける恋人や家族、戦争がどんなに激化しようとも自分だけは生き延びようと汲々として策謀をめぐらせる政治家……
 数え上げればきりがない、この人間群像の層の厚さ。とてもただの子供向けアニメとは片づけられない豊富さがあるし、かっこいいロボットバトルを強調しただけの戦争を無責任に美化するような作品には決して出せない気迫があります。

 もちろん、この「宇宙世紀シリーズ」の豊かな魅力は、1979年以来、それだけ多くの後続の作品ができて、あとからあとから足りない魅力をどんどんつぎ足していった結果であることは間違いありません。つまり、1人の原作者が物語のすべてを1作で創り上げたというわけではないということです。
 でも! でも、「宇宙世紀シリーズ」でもっとも偉大なのは、やっぱ記念すべき第1作『機動戦士ガンダム』(1979年4月~1980年1月放映 全43回)よ!
 絵もチビっと古くさい。イケメンとか巨乳美少女もあんまり出てこない。そのかわりにおっさんは山ほど出てくる。ロボットデザインもシャープではない。でもよ!? これがすべてのオリジンなわけよぉ!

 かくいう私も、実は『機動戦士ガンダム』が初めて放映された時代には生まれておりません。最初、小学校高学年の時に再放送を観た時には、思っていたよりも雰囲気や絵の感じが「むかしのアニメ」であったことに、正直言って少しショックを受けてしまいました。
 でもねぇ……引っぱり込まれたんだんだよなぁ、そのストーリーに! 43回中、すべてのエピソードが濃厚。おもしろい。

 『機動戦士ガンダム』の物語は、宇宙世紀0079年1月3日に開戦して翌年1月1日に終結した、地球連邦政府とジオン公国との戦争(いわゆる1年戦争)を舞台にしています。簡単に言えば、それまで地球も複数のコロニー地域もすべてを支配していた地球連邦という政治組織から、あるコロニー地域に住んでいた住民、というか国民が「ジオン公国」を称して独立し宣戦布告したことが戦争のきっかけでした。

 この1年戦争の後半4ヶ月分を、ほぼ1年かけて克明に描写したのが『機動戦士ガンダム』なわけでして。なんでも1年戦争の結果、宇宙全体で110億人いた人類の総人口は55億人にまで減少したんですって。半減!? むちゃくちゃこわ~い!! お、俺は今まで、そんなド血なまぐさい戦争の道具になったものをガシャポンで集めては悦に入っていたというのか……なにが「SDガンダム」だ! なにが「カードダスバトル」だ! なにが「ミニ4駆」だっ! あ、ミニ4駆は『コロコロコミック』だから関係ねぇや。

 まぁ、そんな戦争ドラマ濃縮還元120%の『機動戦士ガンダム』だったんですが、その中でも特に、私の心に残った味わい深いキャラクターがいました。物語の立ち位置では「悪役」ということになる、ジオン公国軍側にいたお方です。

 とても軍人とは思えないやせぎすの体型。軍服の胸元から真っ赤なスカーフを出すという、他の軍人さんはだぁれもやっていないオレ流着こなし術をつらぬくファッションセンス。ムラサキ色のこんぶみたいなぺったりした前髪の下からのぞく三白眼。聞く者を例外なくゾゾっとさせる、機械的なのにじめじめ湿度150%という絶妙な美声。そして、神経質そうに常に白手袋をはめている手でしょっちゅういじっているのは、中国の北宋時代の名品と言われる、ヘンな形の真っ白い壺!

 マ=クベ! マ=クベ! もうだーいっすき。

 すみません、とりみだしました。
 あの、あれだ、どういうふうにこのマ=クベ様がすばらしいキャラクターであらせられるのか、具体的なところはまた次回!
 
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雨だよ……

2010年09月25日 09時14分06秒 | アニメらへん
 おはようございます、そうだいです。
 いや~、今、大雨が降っております。朝からやだねぇ。確か今日は、千葉国体の開会式があるんでしたよね? がんばれ千葉国体、がんばれテリーさん! 言われなくてもがんばるか。

 今回はなにかと時間がなくなってしまったので、報告までに。昨日、おもしろそうだったので
『らき・すた エンディングテーマ集 ある日のカラオケボックス』
 なる、アニメのサウンドトラックCDを買いました。『らき・すた』は、二00四年から連載されている女子高生の日常ギャグマンガで、アニメ版は二00七年に放送されたものです。
 だがしかし、これはサントラでありながらサントラにあらず。知っている人にとっては「何を今さら。」な説明なのですが、どうやら『らき・すた』のエンディングは、他のアニメのように決まった曲と決まった絵柄が流れる形なのではなく、主人公たちが町のカラオケボックスに入るというところから毎週少しずつ話が進んでいくという、本編からまるまる独立したサイドストーリー形式なんだそうで。その中で、毎回一曲登場人物の誰かが唄っていくカラオケの歌が、そのまんまその回のエンディングテーマになっちゃう。でも、もちろんカラオケの歌なもんだから、音程ははずれるし歌詞もうろ覚えだし歌い出しのきっかけも間違える! 演技とはいえ、なんてムチャクチャ、いや、エンディングテーマの存在意義そのものを根底からくつがえすアヴァンギャルドでアグレッシヴな手法なんだ!
 いやあ……とんでもないね。私、『らき・すた』は原作マンガもアニメもまったく観たことがありません! しかし、こんなぶっとんだエンディングの連続だったとは。これは、いったいどんな位置づけになる流れなんだろう!? これからのアニメの一支流の源泉になるのか、それとも、カンブリア期に生まれ輝き消えていったものたちのような、やりすぎ進化の一種に終わるのか? みなさんのほうがご存じなのかもしれませんが、私は昨日になってはじめてビックラこきました。もっと早く知っておれば……今、DVDもレンタルして観られない状態だからなぁ!
 京都アニメーション恐るべし。ホントに今さらながら。
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