ライブやホール、劇場などはまったくおそろしい。作品以外は流れるだけの美術館や暗い映画館はやや安心なのだが出入り口や待ち時間がある。習い事だって同じこと。
Sさんの掲示板にメリー・ジェーンのことをちょっと書いた。カウンターのしつらえとか壁のジャズメンのサインとかが目に浮かぶその店は今でもやっているはずだが、場ちがいなので行かない。今あそこの近所で時間をつぶしたくなったら喫茶オーワダだ。まだあるかな。
ジェーンつながりでレディー・ジェーンも思い出す。竹橋勤務の昼休み、レディー・ジェーンには一人で2度ぐらい一子さんを聴きに行ったかなと単に話の流れで言ったら、たまたまヘルプに来ていたサンチャ在住の社長の息子が即座に振り返って「にわあねえええええっ」とお叫びになった。やっぱりね、なのだった。
Kさんのコメントに対して新宿厚生年金のことを書いた。そのあと録画スマステを見たので厚生年金で上方から見おろした松田優作のヨコハマ・ホンキートンク・ブルースが浮かび上がる。一番最近が数年前の萬斎さんか。欲求が場ちがいに負けておろおろしているからいつも不完全燃焼で記憶はあまりにも頼りない。誰か一緒ならおまけの顔になれるが、誘ったときに断られたりその作品がおもしろくなかったりが二、三度あって、やっぱりね、なので誘えないから欲求は雲散する。
自分としては別に似合わなくてもいいが場ちがいは人に不快感をもたらす。ひとの目はどれも自分を逸れるということと場ちがい感というものがなぜか仲よしだ。これがなかったら世界はすこし違っただろうと過去を思うのは不毛というもので、これからもおそるおそる足を出したり引っ込めたりしていくほかはない。