流木の橋は流れてマイ箸や。いみなし。

2007-10-22 23:33:21 | memo。
そこに至るバスの中では行政に翻弄される西目屋のやまの近代史の一部が語られました。翻弄されるというのはあくまでも私の印象です。皮肉でも諧謔でもありそうでなさそうな 淡々とした語り口でした。「西目屋に嫁に行くことが決まって泣き明かす娘」が、どういう方法であれ、いなくなったことはよかったことです。

山の景色に動じやすい私は、ダム湖に映じて細かく揺れる錦模様にうるうるしながら、そうさせるのは、窓外に見下ろすその美しさのゆえなのかダムのために二度も引っ越しを余儀なくされたシンリャクノコウズゆえなのか判然とはしていませんでした。

私の実家は雑貨店で小学生時代は毎日のように割箸の大きな箱を車や店まで運んだものです。100膳ずつだったかしら「御割箸」とか「元禄箸」と黒く印刷されたポリ袋に裸の箸が入ったものと、一本ずつ銘々が箸袋に入ったものがあり、裸の箸はそのまま、箸袋入りのほうは、その後その箸袋の質でクラスができ、より美しい20膳入りが主流になるころというのは、つまり町が寂れてきたということでもありました。



「こんな話ばかりするから怒られるんですよ── まいはしって今ありますよね。──白神マタギ舎の工藤茂樹さんの穏やかな口調がそれを口にするとき、私は、きた…と思うのでした。私が持つマイ箸はいちいの木で、扇を閉じた形のケースがうつくしく、昔、中部地方もしくは北関東の土産物店で買ったものです。

そのころはまだ、産業的な実態はともかく、森林を護る人のために割箸は使ったほうがよいという時代を引っ張っていましたし、それにかかわりなく、自分の弁当以外の外食で自分の箸を使う者は奇異にも近く見られたものです。だから、使ったのは最初だけで、去年マイ箸もどきで引っ張りだすまで食器棚の引き出しの奥にありました。

工藤さんは幾つかの心や手を経由して海外の森林が伐採されているがゆえにマイ箸が言い出されたことを十二分にご存じです。

なぜ用途に応じた利用しかしない方法で日本のなかで山や木を護らず一方では地球温暖化を招き一方では木をまもれと言うのか(実際はこんな言い方ではなく、より詳細で謙虚で実質的な物言いでした)

私の言っていることはおかしいですかと微笑むように言います。


私もほんのすこしは知っていてマイ箸を持つのです。
工藤さんはよく知っていてマイ箸に少し引っかかるのです。


白神に源流を持つ青森側の川はすべてダムなどでせきとめられて漁のもともとの文化はなくなったそうですが、それは網や素手によるもので、秋田側にはある「釣り」は青森側にはなかったのだそうです。

今、堰堤によって多くの川原ができ、そこにできた洲などに 下流にしかなかった柳などが当たり前のように自然になじんで見えますが、ここには川原というものはもともとはあり得ず、(もともとがつづきますが)それはもともとの自然ではないと言います。


やまの誰が考えても要らぬ工事が繰り返され、何でつくるんだと工務店に聞くと、金が出るから仕事が来るからやるのだと言われると、お互い十分にわかっている同士で話は仕舞いになるというお話です。望む仕事のひとつなどはいくら頼んでもやってくれないそうです。今全国で見直されているダムですがここでは進捗していますという話を聞いて最低の有効求人倍率の数字がよぎるのは穿った耳かもしれません。


川原に2つの流れがあって、それぞれ石を渡っていくのですが、樹齢千年と言われる桂の木まで行った帰り、同じ川が増水していました。ちょっと動きそうもない黒い流木を梃子の要領でふっと浮かせて、あとは工藤さんたちの体力勝負。流れは速い。我々はただ突っ立って見ているだけです。暫くの時間を要して木が橋になりました。全員が あ と思う間もなく流され、流木は向きを変えて、すぐ先のやや深みにドデンと沈み、工藤さんも我々もただ笑います。

流木の前にやめた、石を積む方法に戻りますが、気の利いた東京の中年男二人が先立って大きな石を投げてうまく積まれたように見えます。工藤さんはその折角の石を逆に掘るようにして、ダムつくっちゃいかんのですと笑いつつ、それは、流れをよくして、それまでの流れに見え隠れしていた石をはっきりと浮かせるようにしたという感じでしょうか、まあとにかく山男と山女しか(指示装備的に)いない筈の中になぜか混じってしまった、へなちょこ靴の私も無事に二つの流れを渡ることができました。



雨はかなり降りました。ブナは枝も葉も空に向かって掌を広げて雨を受けるし樹幹流もあるしということなのでしょう、靴に限らずへなちょこ装備の私がそれほど濡れずに済むのでうれしい驚きでした。落ちてくる粒は大きくて、ハンドベルの演奏のように私の予期せぬ順序と間隔でりるらんぴろんと下草を揺らすのです。




  *** 記憶喪失症者の印象記ですので、そのままの事実ではありません。
   工務店の人との何でそんなことをやるんだという問答を引く中に、
(あえて私たちと言わせてもらいますが)私たちのあり方に対しての思いも込められているのでしょう。

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