あれからねあせで夜中に二度着替える毎晩だが二度目のあとねむれない。たとえばさっき、丸まるように横になり目を閉じて子守唄をなぞってみたが二つとも歌詞が最初しか思い出せずのこのこ起きる 検索する。
ねむれねむれ母のむねに
ねむれねむれ母の手に
こころよき歌声に
むすばずや楽しい夢
眠れよい子よ
庭や牧場に鳥も羊も
みんな眠れば
月は窓から銀の光を
そそぐこの夜
眠れよい子よ
眠れや
シューベルトは幼稚園の昼寝タイムに遠藤先生が歌っていた。 ような気がする。ラスト行は知らない言葉だ。何を言っているのかわからないままだったのだろう。モーツァルトのほうは遠藤先生だったのか長じてから知ったのだったか思い出せない。
家から5分の旅館に泊まるという本を私は予約していたまるで記憶がないままなんだかどんよりした低空飛行のような雰囲気に片身ほどにひたるうち、「つながっている向こうの場所で」という章で活字が濃くなってくる。
たべたいぷのんぺんたみや酒店(さけてんでいいのか?読めない)
ポーランド孤児たち被害ユダヤ人たちを歓待した敦賀を語る施設の入り口脇にあるポーランド人道支援金は 現 ウクライナからの避難民を積極的に受け入れるポーランドを支援するという
外房御宿には海難船救援を語り継ぐメキシコ搭がある。
海に囲まれた国にはしずやかに無数の交流が融けているのかもしれない。
大原に旅館は思い出せるだけでもいつつはあった。船宿とは違う。洸洋荘の息子は相貌もおしゃれもぼっちゃんだった。セーラー服の勝浦の旅館の娘は色白の小顔に細い首、発声から眉の抜き方まで竹久夢二。 現 田無の駅にほどちかく旅館あり。ダイヤモンドユカイが泊まるテレビ番組を興味深く見たなどなどなど記憶がにょろにょろにょろにょろでももうおしまいまたあした続きを読むのかなわからないまた丸まってみよう。
So it goes.
「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった」
Que Sera, Sera