天才柳沢教授はヒロミツに問う。
コマ1『今朝NHKのニュースを見ていたらアナウンサーが妙な言いまわしをしていたのだが』
コマ2『犬の散歩をしていた人が殺されたと言っていたのだが
人は犬のように散歩できるのであろうか』
私は慣れていたのでこの問いを受けてヒロミツのようには慌てない。
延々と永遠と始めていくから始めてくるオエッと嗚咽する
生まれてくる慣れていく
いや、 というか
問い直後、即座のヒロミツの超慌てぶりがあらわすのは、ことばの理解度や鋭敏さの顕著さである。教授の問いを一度読み返した私にくらべ (´ρ`)
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みずいろならとりあえず撮って 何か書けたら書く みたいなことがおおい。
バラカン氏が Night on Earth のタイトルは配給元の川喜田さんの意向(アスとアース懸念)で変えられたことに触れていて、前に書いたこと ↓ を思い出した。(すぐに自分の思いちがいだと思いがち。)
https://blog.goo.ne.jp/ramen0069/e/1d11189018de79027ba6f558e9cad22e
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かさねて無関係なはきすて。 加筆→「ひろいもの。」と反対の件。
リリー・フランキーのロードムーピーを見に行った
つもりだった。どこかで自分の印象は間違いだったと思えるだろうと耐えるように過ごしたが
これほど感情移入できない映画は初めてのような気がする。恒松祐里が出てきたことだけが予想外の紅一点的な。その数分も映画のシーンとしては残念な。
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いちいちひっかかる 『「政治とカネ」の問題』
政治じゃなくて政治家じゃないのかと思わないのかと
──── (2024-03-11 22:12)
テレビ画面のテロップは
『ブラシに甲羅をこするカメ』。
デッキブラシと亀が映っているが、ワカラナイ。映像も私の頭の働きも適切さを欠き、ことばのしっぽ踏みには至らず。
映像は転換し、
『石に甲羅をこするカメ』。
石に甲羅を擦り付けている亀の映像で、やっとわかった。
カメにかぎらず何が何をするさせるさせられるの主客がじつにまったくほんとうに曖昧なにっぽんなのであった。
──── (2024-03-12 12:29)
最初に書いた 天才柳沢教授が第何話だったか いま不明だが、日本語に敏感そうだった彼の思いが記述されているシーン(第129話ラスト)。 ↓
『そしてそのあふれる喜びを
私は帰り道
母さんに花を買うという行為に
転化した』
転化した なら 喜びが
喜びを なら 転化させた
でしょ教授。
多くは2ちゃんねるなどネット戯語にもとが辿れる語彙や物言い と 現代文語の語法の変化 という別物が、ことばであることとその変化の速さとで混濁する。
しっぽふみはいいかげんにしたい とは思う。
──── 20240628
しっぽふみはいいかげんにしたいと書いたすぐ下に書くわけである。
先日たまたま聞こえてきたテレビの音声に、わりと恥ずかしくなった。いや、わかりませんが、接続詞「が」で無関係の前段と後段をなにげに繋いで済ます など というのは日本国内だけのはやり語法のように私には感じられたが誰も言うてないわね。下のコピペはネットテキストから。
天皇陛下は、晩さん会でのおことばの中で、「日英両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期がありましたが、苦難のときを経た後に、私の祖父や父が女王陛下にお招きいただき天皇としてこの地を訪れた際の想いがいかばかりであったかと感慨深く思います」と述べられました。
上の上の3/12 の転化した転化せたってとこのしっぽふみ感覚は今のわたくしにはもはやあまりわからない。は?