こんにちは。落雷抑制の松本です。
ニュースで知りましたが、ある地方都市の市長さん、市議会からの質問への答弁をChatGPTを使用したと得意になっていましたが、これはアホの極みとしか言いようがありません。 私がこの市に住んでいたなら、この市長は絶対に信任しません。市議会からの質問には、市長としての自分の信念で答えるべきで、それをChatGPTなどで済ませるとは、責任放棄、その程度の市長であれば、いっそ、全てをChatGPTに任せてトットを引退すべきです。 もちろん、最終的には本人が確認していて、どうせ、議会からの質問に市長が一から起草することはなく、市役所のスタッフが原案を書いて、最後にチェックするとという現実と何ら変わりがないと言われればその通りかもしれませんが、新しいものを使うことが本人の先進性のような錯覚に陥っている発言はよく耳にします。 検索エンジンとしては、非常に強力でしょうが、AIが作った文書の方が、早く、深く広く問題をとらえているというなら、自分の専門性に白旗を上げて引退すべきではないでしょうか?
私は、このブログであるとか、HP、会社の情報などモノを書くことは比較的多いのですが、絶対にAIなど使いません。 文章というのは自分自身の化身のようなもので、自分の考え方から、知識まで自分自身が詰め込まれています。 それをAIなどに委ねてしまえば自分自身を失うのも同じことです。 あの市長さんは、市長であれば色々な公文書が自分の名前で発行されることは多いでしょうが、どの一つも自分で書いたものでなく、役所が用意したものを自分の名前で発行するだけですから、そもそも文書自体に何の愛着も責任もなく、役所のエキスパートが用意したものであるから正しいに決まっているとして自分自身で責任を取ることなど一つもない、ゆえに、文書を用意するのはAIだろうと、役所の職員だろうと同じことなのです。 市長の文書を発案するという立場は、AI時代には真っ先に不要な仕事とも言えますが、それでも最終の責任者として署名する立場は無くなりません。 となると、市長というのは誰がやっても良い、誰でもできるお仕事のようですが、それでも選挙で選ぶという儀式は必要ですから、民主主義の選挙の意味はAIの浸透と共に薄れていくようです。