ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

百枚の予算案

2010-12-10 | 日本のこと
             _ノ乙(、ン、)_


もうね。
好きな海軍とファッションのことを書くつもりで立ちあげたブログで時事ネタばっかり。
毎日が冒頭のヒトみたいな気分ですよ。
しかし書かないわけにもいかん。


民主の政権支持率は、もういかなメディアであろうとも隠していては怪しまれるくらいにうなぎ下がりになっています。
たとえ支持率1パーセントでも政権にしがみつくと公言したというんですが、いかに面の皮の厚い政治家でも、自分が野党時代に支持率の低下を
「少しでも下がればそれは直近の民意がふんだらら」
って言っていたのを忘れたわけでもないと思うんですが。

野党時代の自分に献金問題を追求される鳩山、という編集を見たことがありますが、どうしてこの人たちってすぐ自分にブーメランになって返ってくる言動をとるかな。

それにしても、まだ好感度は自民より高いんですって。
ふーん、そうかなあ。まわりにはそんなヒトいないけど。
自民にも売国政治家はいる。
しかし、そうでない政治家もいる。
売国政策、いや、利益は何もないので亡国政策しか能の無い民主より何ぼかマシ、
っていうのが大方の意見であるはずなんだけどなあ。
それでもまだ民主に政権をとっていて欲しいのかな?マスコミの皆さんは?
支持率やなんかの世論調査は、
「その場で証明できるもの以外、信用するな。操作しまくり」
って、「中の人」の証言です。


で、政権与党ですが、だれも褒めてくれないから、自画自賛入っています。
まず仙谷(裏)首相。

「今まで自民党ができなかったが、(菅政権になって)やれたことがある」としつつも、
「(国民から見て)身近な実感として返ってくるものがない分、つらい状況に政権がある」と述べた。 


具体例を一向にあげない、というのは国会答弁における民主議員の特色の一つですが、これもそのひとつです。

つまり、

「自民ができないことをしたが、それは国民には全く伝わらなかった」(だから説明できない)

でOK?

自民ができなかったことって、何かしら。

「中国様に配慮して海保ビデオ隠蔽 」
「韓国に写本の譲渡を官房長官自ら大統領に申し出る」
「朝鮮高校無償化」(達成中)
「夫婦別姓法案」
「一般人への言論統制」
「問責決議案無視」
「カンニングペーパー見ながらの首脳会談」
「国民を不健全呼ばわり」
「外国人参政権」(達成希望中)
「皇室への直接暴言」
「官僚たたき」
「国会での恫喝」
「国会開催中のファッション誌撮影」
「勝手に韓国に統治を謝罪」
「子供手当のための増税推進」
「自衛隊を暴力装置呼ばわり」

このくらいかな。
まだまだあるかもしれない・・・って、一つとしてまともなものがないではないの。
やらなかったことの方が多くない?

さて、支持率急降下に歯止めになるとは決して思えないのですが、奇しくも管総理も自画自賛入りました。


 内閣支持率が急落、政権危機もささやかれ始めた菅直人首相が6日、臨時国会閉会を受けて開いた会見で、自身の発信や成果が伝わっていないと、いら立ちをみせた。厳しい日程の中、外交など結果を出したと強調したが、知ってもらうためには、自画自賛するしかない苦しい立場が現れた。一方、問責決議案が可決された仙谷由人官房長官について「期待以上」とかばい、内閣改造も否定した。追い詰められた菅首相は今後、展望を見いだせるのか。(中略)

 「APECの前にはG20があり、その前の3日間は7時間、7時間、6時間の国会質疑があって、朝5時起きでやった」と強調。厳しい日程をこなす中、実績アピールの余裕がなかったと説明した。「冷静にみていただければ、(実績は)まだたくさんある。歴代の政権ができなかったこともやっているが、伝える暇がなかった」とも述べた。(以下略)


    _ノ乙(、ン、)_  ふう・・・・・・。



同じこと言ってるよ。
「やっているが伝える暇がなかった」
と言っている暇があったら伝えてはどうか。今。
もしあったのならね。

管首相のいいたいことは
実績はたくさんある
それは何だと言われればそれは言えない

で、OK?


そして、言わなくてもいい一言を言ってしまったために、叩かれています。
「朝は5時起きでやった」

知り合いの某省のお役人はだなあ。
「寝てない」
って言ってますよ。
(ついでに、こんな仕打ちを受けたらもう官僚になろうって優秀な人材は無くなるって)
それは政権がバカだから。
「官僚なんてバカばっかり」
と言い放った本人が、国会で懇切丁寧に一から説明してやらなくては何も分からないど素人だし(本日画像)。

だいたい、早起きを実績に挙げるって・・・夏休みの子供かいっ。

「実績はたくさんある!」
「五年後には評価される!」

つまり抽象的な自画自賛ばかりで
具体論が皆無。

菅談話、普天間問題先送り、小沢問題先送り、尖閣土下座外交、
円高株安ただ様子見、・・・・
首相の脳内では全部「実績」にカウントされているのかもしれません。

「私は寝てないんだ!」
って記者に向かってキレたばっかりに、余計に叩かれた雪印の幹部のように、本人にとっては「寝てない」ってことは大問題でも、起きている間何もなしていないのならかえってこれを言うのは逆効果ではないでしょうか。

どうせ起きてる間寸暇を惜しんで国益を損なうんだから、もう早起きしなくてもいい、ずっと寝ていてくれ。




小さいとき、いつも同じ服を着ている移民の子供が、華やかなクラスの女の子に
「私家に帰れば洋服が100枚あるの」
って言い張って、逆に苛められていた話を読んだことがあります。
「百枚のきもの」というお話でした。


彼女が転校していった後、部屋には100枚のスタイル画が残されていて、それを見たクラスメートはしんみり、
ってオチだったけど。
見栄っ張りな年頃の女の子のついた哀しい嘘。
そんなお話でした。



百枚の予算案

「みなには言ってないけど実績があるの、朝5時起きで頑張ったのよ」」
首相は繰り返すのだけど、みな信じず、
「なにもしてないじゃないか、朝5時に起きたって国会ではずっと寝てたし」
かえって苛めはひどくなりました。

そして、さんざん支持率を下げ、解散したあと、国民は総理官邸に
驚くべき数の書類を見つけました。

それは、首相が実現できなかったけど、こうなればいいと理想をつづった法案、
国民が幸せになるために心血を注いで書きあげられた予算案で、
それはちょうど百枚の書類にびっしりとしたためられていました。

最後の一枚にはこう書いてありました。


私の政権のもっとも誇れる功績は、
国民ひとりひとりが政治に対して危機感を持って真剣に考えるようになったことだ。

私はそのためにあえて泥をかぶったのだ。
大丈夫、もうみんなはやっていける。
私の役目は終わった。


日本に栄光あれ

第九十四代内閣総理大臣 管直人





あんまりな菅野大尉

2010-12-09 | 海軍
菅野大尉について散々マンガで描いてきたのですが、まともな肖像を描くのは初めてです。

昔、私の好きなネイビーシリーズ「鴛渕孝大尉」の記事で、
「菅野大尉には強引に口説かれてみたい」
などとお叱りを受けそうな妄言をついぽろりと出してしまったエリス中尉ですが、実在の人物であった海軍搭乗員に対し配慮して不埒なことは妄想といえども控えているにもかかわらず、このようなことを菅野大尉にだけは書いてしまうというのは何故なんでしょうか。

菅野大尉があまりにもキャラクターとして大きくなりすぎ、却って現実感が薄くなっているのでしょうか。


先日200日を迎えたこのブログですが、100日記念サマリーで
「菅野大尉の検索が毎日一つは必ずある」
と書いたのを覚えておられますか?
いまだに毎日誰かが「菅野大尉」を検索してこのブログに来られます。

一度、菅野大尉を画像検索したら、なんと自分なりのイメージでキャラクター化した菅野大尉(ワンピースの登場人物風味)を画像バンクで売っている人までいて驚いてしまいました。

なぜこんなに菅野大尉がこれほど愛されるのか、そのうち語ってみることにやぶさかではありませんが、今日は菅野大尉の容姿について語ってみたいと思います。

鴛渕大尉や白根斐夫少佐のように皆が口を揃えて「美青年だった」
という人物には押し並べて特徴があります。
彼らはその前に「長身の」とつくのです。

写真というものは、実物を伝えているようで伝えきれない部分が必ずあるように思うのですが、特に団体写真や素人写真しか残っていない軍人については、真実の容姿はなかなか後世に伝わりにくい気がします。
(軍人の容姿だあ?と怒らないでくださいね。単に事象として述べているだけですから)

「美男子だった」「いい男だと皆が言っていた」と言われる伝説の軍人さんも、素人写真では特に秀でた美青年に写っていません。

しかし、実物の、生きて動き出したときに醸し出す雰囲気が美青年のそれであったというのは、紛れもない事実なのだろうなあと思います。
長身であった、というのは全体の雰囲気に「美青年度」を加味する上で重要なエレメンツであるのかもしれません。

TОの知り合いの女性の顔写真を見ていて
「わあ、この人美人!」というと
「うーん、でもね、写真が綺麗でも実物がきれいに思えないってことはあるもので」
と言われました。

逆もまた真なりで、写真でしか知らない人物の魅力というのは、本当に100%伝わっているかどうかは怪しいものだとおもうのです。

これは、別に海軍とは何の関係もない一般論ですが。




さて、菅野直大尉です。

遺された写真から見ても、虻のような紫電改を見て
「隊長みたいだな」と隊員の誰かが言ったという話から考えても、菅野大尉が小柄で「ブルドッグのような」男であったことは確かなようです。

確かに、菅野大尉に「美青年だった」という評判はありません。
顔だけ見ると結構整った、端正な顔をしているのですが。

しかし、魅力があります。
大尉であった頃、つまりまだ23歳の戦死直前の写真はどれも悪戯っ子のようで、
特におにぎりを頬ばって食べている有名な写真はいかにもこんな男の子がいたのだろうなあと思わせるビビッドな存在感を強烈に放っていて、こんな人物と一緒にお酒を飲んだら楽しいだろうと(飲めませんが)思わされます。

菅野大尉は周りの証言によると、ずいぶん人によって受ける印象も、おそらくは接し方すらも違っていたようです。
あるものは「飲みっぷりと言い粗野な態度と言い、まるで与太者みたい」
といい、別のものは同時期に
「颯爽として溌剌、凛然たる若武者の風格というか、気品すら感じた」
という真逆の印象を残しています。

繊細な精神の持ち主が戦争という事態の中で自分をどう遇するかについてさえも若く柔軟なその心を極限にまで追い込んでいたのではないかと思わせる証言です。







さて、ここで、この画像を見ていただきたいのですが、
これは、戦記マンガの永遠の名作、「紫電改のタカ」からのスケッチ。
こういうの、描くのは楽なんですよ。
菅野大尉の画像は一時間かかりましたが、こちらは十数分で描けてしまいました。
もっとも、滝城太郎の方はちばてつや独特のタッチまでマネられないので微妙にパチもの臭がするスケッチですが。

御存じない方のために説明しておくと、この漫画は松山空剣部隊という実在の部隊に、
坂井三郎、源田実、白根斐夫、そして菅野直という実在の人物が登場します。
実在の人物は出てきても、全てが史実とは全く異なります。
それも、マンガであるからには当然といえば当然なのですが、もっとも
「あんまりだ・・・・」
とおもったのが、この菅野大尉。
なんですかこのヒゲダルマはっ。

敢えて主人公の滝城太郎と並べてみたのも、
いかに冒頭の菅野大尉が滝城太郎と似ているか
ということを皆さんに言っておきたかったからなのですが、
知らない人が見たら搭乗員服が菅野大尉だって思いますよね。

私なぞ、菅野大尉の名前を知ったのもこの漫画が最初だったので、てっきりこんなオヤジなんだと思ってましたよ。
菅野大尉が戦死したとき二十三歳なんて、信じられませんでしたよ。
ついでに言えば、白根少佐は「美青年」ということは忠実に表わしているようですが・・。
なんだってあんなに髭が濃いんですか。
見分け易くするためですか。


・・・・・あ、そうか。


白根少佐も、菅野大尉も、実物に忠実に表現すれば滝城太郎になってしまうからなんだ。
つまり、三人ともキャラが被ってしまうということなんでしょうね。


実物の菅野大尉は容姿もさることながら、向こう見ずで一本気、ファイトあふれる熱血漢と、伝えられる性格はまるでマンガの滝城太郎のようです。
敢えて作者が描き分けをしたということなのでしょうが、

それならなぜ、創作の人物を使わなかったのでしょうか。

さっきも言いましたが、この漫画の魅力は戦記上の実在する人物が絡むこととは切り離せないのです。
多少(かなり)実物とは違っていても、それが作品の魅力となっていることは否定できません。

少なくともわたしは
「本当にいた人物」が出てくるから、この漫画が好きだったような気がします。





GPI指数に見る日本の平和度

2010-12-08 | 日本のこと
1941年の今日、真珠湾攻撃をきっかけに戦争は始まりました。
どんなふうに挑発されたか、どこまで追い詰められたか、そういうさまざまな水面下の事情はともあれ
「先に手を出したのは誰」かというと、それは日本だったわけです。

相手からは「戦犯国」であり、侵略を企てた「悪の枢軸国」と呼ばれても仕方がなかったわけです。

しかし、その戦争に敗戦し、その後60数年を経て、日本は平和になりました。
今や平和度を決める権威からそう呼んでもらえるほどの平和な国になったのです。


これは、決して嫌味で言っているのでも、平和ボケしているという非難のマクラとして言っているのでもありません。

日本は実際平和なのです。

今年2010年のGPIランクが発表になりました。

GDPが後退している!
ハーバード大学への日本人留学生が激減している!
国際競争力が低下の一路をたどっている!

という「日本危し」一色を一面全部割いた日経新聞の紙面を示して、TОが
「どうする?無茶苦茶心配になってきた」
と懸念を示していました。

いや、そんなランクはもういい!
我々には誇るべきこのランキングがある。
(と今は言っておこう)

決して新聞では大々的に報じない今年度のGPIランクを、このサイトで発表します。
これは何かと申しますと、イギリスの経済平和研究所(IEP)が毎年発表している、世界平和度指数なのです。

日本は2008年の5位、2009年の7位から躍進し

2010年は3位に躍り出ました!


GPIランクとはglobal peace indexの頭文字で、つまり平和指数のこと。

  1  ニュージーランド
  2  アイスランド
  3  日本
  4  オーストリア
  5  ノルウェー
  6  アイルランド
  7  ルクセンブルグ
  8  デンマーク
  9  フィンランド
  10 スェーデン

日本より上位のニュージーランドは人間より羊が多い、って国ですし、アイスランドもあれですから、先進国では日本が最も平和だと言いきってしまってもいいと思います。

稿末に長いですが全順位をあげておきました。
お暇なら見てくださいね。

爆撃問題がもう少し早ければ、韓国のランクはかなり落っこちたものと思われますが、調査時点では43位。
その相手北朝鮮ですが全調査国149位中139位。
コンゴ、チャド、イスラエル、イラク(ぶっちぎりの最下位)そしてロシアより北朝鮮の方が平和らしいです。
これはちゃんと調査項目があってそれに則っているため、けっして感情的なものやムードや審査員の好き嫌いで選んでいるわけではないのですが、それにしても
おそロシア・・・。

皆さんがおそらく注目するであろう中国は二年前の60位から飛躍の後退を見せ、
80位に輝いています。
ノルウェーの平和度指数がなぜ三位以内から落っこちたのか分かりませんが、それでも堂々の5位。
その5位のノルウェーが与えた平和賞は80位の中国を「平和にしよう」と活動する人権活動家。
なかなか無理のないストーリーですよね。

中国はこの「暴挙」に色をなして怒り、
「この小ノルウェー!」
と罵っているそうですが、・・・
まあ、日本も小日本と言われても痛くもかゆくもないように、ノルウェーも
「いや実際ノルウェー小さいし」
くらいしか思わないんじゃないですか。

昔、大阪でパンパシフィック会議というものが行われた時の話を在阪ホテルのエライ人から聴きました。

そのころ、今は無くなってしまいましたが、ホテルプラザが営業しており、そこに中国関係者が宿泊することになりました。
そして、わりと目と鼻の先にウェスティンホテルというものがありまして、そこに中華民国つまり台湾の関係者が泊ると言うことになっていたのだそうです。

さあ、それを知った中国関係者がゴネはじめました。
その理由。
「建物がウェスティンの方が高い!」

嘘やろ、と思った方、これ本当。
ウェスティンは縦長のっぽで、プラザは横に長い作り。
床面積はプラザの方が広いのです。
しかし、高さ。
眼と鼻の先にある建物だからさらに彼らは気に入らなかったようですね。

彼らは何しろ小より大、少より多、低より高、が
「エライ」
と頑なに信じております。
小日本だの小ノルウェーだの言って勝った気になっているのはそういう文化があるからです。
日本の山椒は小粒でピリリと辛い、とか、大男総身に知恵が回りかね、などという言葉が生まれるべくもありません。

ちなみに同じく中華思想を根本に持っていていまだに中国を宗主国と仰ぐ韓国も、
国名を KoreaからCoreaに変えようと本気で思っているらしい。
その理由。
「オリンピックでABC順に入場するとき日本より先になるから」

・・・・・・( ゜∀゜)アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ\

猫なんかはケンカするとき「上にいる方が優位」らしくて、どちらかが姿勢を高くしたりしているんですが・・・
猫並みですか?猫に失礼か。

そんなことを競うなら、GPIを日本と競うことを目標にすればどうか中国。




因みにこれを見て「9条信者」が、「ほれみろ、わが平和憲法が日本をこれだけ平和国家としての地位を云々」
と調子づくデータになりそうなので先手を打っておくと、このランクは、24項目にわたるチェックポイントがあります。

長くなりますがあげておきます。

1対外戦、内戦の数
2 対外戦による推定死者数
3 内戦による推定死者数
4 本格的な内戦の程度
5 近隣国との関係
6 他の市民に対する不信感の程度
7 人口に対する難民・追放者の割合 ( 発生国の人口に対する難民の割合)
8 政治的不安定さ
9 人権尊重のレベル(政治テロの程度)
10 テロ活動の潜在的可能性
11 殺人事件の数( 10万人あたり。殺意がある場合に限る。乳幼児殺害を含む)
12 暴力犯罪の程度
13 暴動の可能性
14 犯罪収容者の数
15 警察、治安維持部隊の数
16 GDPに対する軍事費の比率 ( 中央政府が軍隊や国境警備隊に使う費用)
17 軍人の数 (人口10万人に対する軍人専任の人の数)
18 普通一般兵器の輸入量( 人口10万人あたりの数量。輸送、購入を含む。航空機、装甲車両、大砲、レーダーシステム、ミサイル、船、エンジンなど)
19 普通一般の輸出量
20 国連の介入度
21 国連以外の介入度
22 重兵器の数 (装甲車両、大砲、戦闘機、戦闘艦)
23 小型武器、携帯兵器の入手しやすさ EIU 2007 内容に応じて5段階評価
24 軍事力、精錬度



他国に対してどれだけ「牙をもっていないか」という部分は後半16以降7項目。
核のあるなしはこの際ポイントに入っていないようです。
しかし、このインデックスへの非難の中に

「外国(特にアメリカ)から軍事的庇護を受けている国に有利でありすぎる」

といった、それなんて日本、みたいな指摘があることも事実。

しかし、日本の肌で感じる平和度の高さは最近でこそ外国人犯罪が増えていると言ってもまだまだ揺るがぬものであることは皆さんがご存知でしょう。

勿論、このポジションを守るためだけに牙を放棄し続けた結果平和裡に国を乗っ取られるようになっては本末転倒ですが。


それにしてもこの日本の笑ってしまうほどの平和っぷり。
もういっそ世界がみんな日本になったらどうか?
・・・・・っていったら物凄いバッシングされるかしら。
「大東亜共栄圏の思想ってのはだなあ!そもそもお前のような考えの奴が」って。

それにしてもいつもこんな高ランクにいながらいまだに「軍国化してる」って言われてる日本って一体。




Global Peace Index 2010

1 New Zealand 1.188
2 Iceland 1.212
3 Japan 1.247
4 Austria 1.290
5 Norway 1.322
6 Ireland 1.337
7 Denmark 1.341
7 Luxembourg 1.341
9 Finland 1.352
10 Sweden 1.354
11 Slovenia 1.358
12 Czech Republic 1.360
13 Portugal 1.366
14 Canada 1.392
15 Qatar 1.394
16 Germany 1.398
17 Belgium 1.400
18 Switzerland 1.424
19 Australia 1.467
20 Hungary 1.495
21 Slovakia 1.536
22 Malaysia 1.539
23 Oman 1.561
24 Uruguay 1.568
25 Spain 1.588
26 Costa Rica 1.590
27 Netherlands 1.610
28 Chile 1.616
29 Poland 1.618
30 Singapore 1.624
31 United Kingdom 1.631
32 France 1.636
33 Botswana 1.641
34 Lao People's Democratic Republic 1.661
35 Taiwan, Province of China 1.664
36 Bhutan 1.665
37 Tunisia 1.678
38 Viet Nam 1.691
39 Kuwait 1.693
40 Italy 1.701
41 Croatia 1.707
42 Lithuania 1.713
43 Korea, Republic of 1.715
44 United Arab Emirates 1.739
45 Romania 1.749
46 Estonia 1.751
47 Mozambique 1.779
48 Ghana 1.781
49 Egypt 1.784
50 Bulgaria 1.785
51 Malawi 1.813
51 Zambia 1.813 
53 Sierra Leone 1.818
54 Latvia 1.827
55 Tanzania, United Republic of 1.832
56 Libyan Arab Jamahiriya 1.839
57 Burkina Faso 1.852
58 Morocco 1.861
59 Namibia 1.864
60 Bosnia and Herzegovina 1.873
61 Panama 1.878
62 Greece 1.887
63 Gambia 1.890
64 Nicaragua 1.924
65 Albania 1.925
66 Moldova, Republic of 1.938
67 Indonesia 1.946
68 Jordan 1.948
68 Equatorial Guinea 1.948
70 Bahrain 1.956
71 Argentina 1.962
72 Cuba 1.964
73 Swaziland 1.966
74 Gabon 1.981
75 Rwanda 2.012
76 Cyprus 2.013
77 Madagascar 2.019
77 Paraguay 2.019
79 Senegal 2.031
80 China 2.034
81 Bolivia 2.037
82 Nepal 2.044
83 Macedonia, the Former Yugoslav Republic of 2.048
83 Brazil 2.048
85 United States 2.056
86 Angola 2.057
87 Bangladesh 2.058
88 Montenegro 2.060
89 Peru 2.067
90 Serbia, Republic of 2.071
91 Guyana 2.095
92 Mongolia 2.101
93 Dominican Republic 2.103
94 Trinidad and Tobago 2.107
95 Papua New Guinea 2.113
95 Kazakhstan 2.113
97 Ukraine 2.115
98 Jamaica 2.138
99 Liberia 2.148
100 Uganda 2.165
101 Ecuador 2.185
102 Congo 2.192
103 El Salvador 2.195
104 Iran, Islamic Republic of 2.202
105 Belarus 2.204
106 Cameroon 2.210
107 Saudi Arabia 2.216
107 Mexico 2.216
109 Mali 2.240
110 Uzbekistan 2.242
111 Cambodia 2.252
112 Guatemala 2.258
113 Armenia 2.266
114 Haiti 2.270
115 Syrian Arab Republic 2.274
116 Algeria 2.277
117 Turkmenistan 2.295
118 Cote D'Ivoire 2.297
119 Azerbaijan 2.367
120 Kenya 2.369
121 South Africa 2.380
122 Venezuela 2.387
123 Mauritania 2.389
124 Thailand 2.393
125 Honduras 2.395
126 Turkey 2.420
127 Ethiopia 2.444
128 India 2.516
129 Yemen 2.573
130 Philippines 2.574
131 Burundi 2.577
132 Myanmar 2.580
133 Sri Lanka 2.621
134 Lebanon 2.639
135 Zimbabwe 2.678
136 Central African Republic 2.753
137 Nigeria 2.756
138 Colombia 2.787
139 Korea, Democratic People's Republic of 2.855
140 Congo, the Democratic Republic of the 2.925
141 Chad 2.964
142 Georgia 2.970
143 Russian Federation 3.013
140 Congo, the Democratic Republic of the 2.925
141 Chad 2.964
142 Georgia 2.970
143 Russian Federation 3.013
144 Israel 3.019
145 Pakistan 3.050
146 Sudan 3.125
147 Afghanistan 3.252
148 Somalia 3.390
149 Iraq 3.406
    

海軍兵学校の平賀源内先生 

2010-12-05 | 海軍人物伝

若き日の昭和天皇のお姿ですか?
と思われたあなた、違います。
これは(しかし似てるな)海軍兵学校の名物英語教授平賀源内先生。
七十一期生徒の卒業式でのフロックコート姿です。

と、ナチュラルに言ってみましたが、もちろんこれはあだ名。
本名は平賀春二先生といいます。

ある日、兵学校生徒がどこぞの名所に課外授業で訪れたとき、
「ここにはあの平賀源内が」
という係の説明がありました。
生徒がそのときどっと笑い出したのです。
謹厳で決して笑わないと言われていた将校生徒が笑いだしたので係は「
この理由は彼らの英語教授が親しみをこめて「源内先生」と言われていたことにありました。

源内先生は明治三十七年、江田島のお膝元広島に生まれました。

海軍が好きで好きで、もともと兵学校に入りたかった源内先生。
視力が悪かったのでそれは当初から断念せざるを得なかったのですが、
広島師範学校卒業、大阪四条畷中学に奉職した後、京都帝大を経て念願の兵学校教授になります。
昭和七年のことでした。
以来、昭和二〇年の終戦のその日まで源内先生は海軍兵学校の名物教授として生徒に親しまれるのです。

前職の四条畷中学では自らを「源内」と名乗っていた先生。
兵学校においては威圧させられる校風に緊張する毎日、そんな余裕をかますどころではありません。

しかし、誰が言うともなく、同僚教師が、そして学生が、平賀先生を
「源内先生」
と呼びだしたのだそうです。

先生も
「天下粒よりの秀才、人格高潔身体強健、まさに紅顔純潔のサラブレッド」
たる兵学校生徒を教えるのに掛け値なしに充実した日々を送ったようです。


私は四十年あまりも教員をしておりますが、あの頃のような授業ができましたのも
後にも先にも兵学校においてだけでした。
教師の気持ちが直ちに生徒に通じ、生徒の疑問がすぐ生徒の眼に読めて、
敵味方火花を散らすような授業でございました。


火花を散らすのは学業のみならず。
打てば響くような彼らのユーモアとノリの良さに源内先生すっかり魅了されます。


先生「そんな下手な質問をするようでよくもまあこの兵学校に受かったもんだな」
生徒「教官、私も不思議に思っとります」
先生「・・・・・」

先生「貴様たちの訳文は冗漫でしかも文がなってない。
オレが電報を打つと誰でも言うぞ。
『平賀さんの電報は語呂が良くて明確で短くて・・』」
生徒「やすあがりで」
先生「・・・・・」

先生「貴様たちの小銃射撃の練習ぶりを見るといかにもなってない。
   今から射撃術を授ける!」(源内先生は京大の射撃部キャプテンだった)
  「(射撃法のなんたらかんたら)つまり照準点の他はなにも見なくてよろしい」
生徒「教官は近眼(ちかめ)のようですが、それでもそんなに当たるのですか」
先生「貴様たちは今まで眼で撃っていたのか―道理であたらないはずだ。
   腹で撃つのだよ、腹で」
生徒「実際!実際!」
生徒「先日貴様たちに取られた一本、ただ今完全に取り返したぞ!!」



この「実際!」は、今では聴きませんが、当時の「ムカつく」「笑える」状態のときに言う
流行り言葉だったようです。
上級生に不当な修正を受けた生徒たちが口々にこう言っていた、という記述を見たことがあります。
そういえば私の父親も言っていたことがあるような・・・?


海軍兵学校について書かれたものの中には、この源内先生がよく登場します。
手許にありませんが、学生時代の野中五郎少佐と一緒に写っている写真を見たことがあります。
野中少佐は昭和八年海兵を卒業していますから、源内先生の見送った最初の一号生徒ということですね。

源内先生はまた現役引退して江田内で兵学校の教材として余生を送っていた軍艦「平戸」に居住していました。
夫人が結核で闘病しており、単身赴任していたのですが、艦長室を宿舎として使用していたのです。
艦長こそいませんが教材といえどちゃんと先任下士官以下二十名の艦船(フネ)。
先生、内心「艦長気取り」でもあったようです。
ある日舷門のあたりで「平賀」「艦長」と聞こえます。

「さっきおれのことを言っていたようだが」

源内先生が尋ねると水兵が当たり前のように

「『艦長在艦』と前の当番兵が申し送っただけであります」

これを聴いて源内先生、小躍りせんばかりに喜びます。
海軍兵学校にに入らずして「艦長」の称号で扱われたわけですからね。

海軍に憧れ、兵学校の生徒が好きで好きで仕方なかった源内先生、海軍式の敬礼も堂にいったものでした。
兵学校では文官教官は敬礼をしないのですが、源内先生だけは
「海軍中佐にも本物ですねと褒められた」自慢の敬礼で生徒にパッと挙手します。


生徒たちはこの源内式答礼を好んでいたようで、各自の思い出にはこのことが必ず書かれています。
「平賀教授には早めに敬礼しないと向こうから先にやられるぞ」
という申し送りもあったとか。

しかし、源内先生は文官ならではの心配りも忘れませんでした。
教官に敬礼するときはどんなに急いでいても、駆け足から速足、
「頭―右!」―「なおれ!」
をして、威を正して敬礼後、もとの駆け足に戻るわけですが、それを知っている源内先生、
次の課業に間に合うために隊伍を組んで駆け足で急いでいる生徒を認めるやいなや、
物陰に姿を隠して生徒をやり過ごすのだそうです。

生徒はそれを眼の端に認めていて、戦後先生に会う機会があると
「あれは本当にありがたかった」
と当時は言えなかった感謝を述べるのでした。



戦後、先生は、海上幕僚長も務めた兵学校卒の内田一臣氏にこのように語りました。

「生徒館の廊下などを歩いていると、戦死してしまったあの頃の生徒が、そこの柱の陰からとび出してきて、
教官!と呼ぶような気がすることがあります」


そしてどっと涙をこぼしたということです。




平賀源内、本名春二海軍兵学校教授。
晩年広島大学名誉教授を務め、1984年、八十五歳で亡くなりました。




元海軍教授の郷愁 源内師匠 講談十席 平賀春二著 海上自衛新聞社
写真集 江田島 海軍兵学校 
海軍兵学校よもやま話 生出寿 徳間文庫












朝日のダブル・スタンダード

2010-12-04 | 日本のこと
最近、各新聞記事をネットで比較しながら見るにつけ、
「テレビを観て朝日新聞だけを購読している日本人は大丈夫か?」
と思うようになってきました。
「朝日る朝日」や「報道の意味」という記事で、報道が今おかしくなっているという意見を聴いていただいたのですが、何と言ってもおかしいのは

メディア言論のダブルスタンダード

です。

舌鋒鋭く批判している、その同じことを実は自分が昔ちゃっかりやっていたりする。
酷い場合になると、現在進行形で二枚舌を使っていることもある。

こういうのをネット界では「ブーメラン」と言います。


今回、補正予算の決議を受けて、朝日新聞が

「論戦のあり方」―国家は大事争うべし

という社説を出しました。
これがもう何と言いましょうか、いまのところどこのネットサイトも扱っていないようですが、あまりに香ばしい「朝日臭」を漂わせているもので、取り上げてみました。


朝日に言わせると、
成果においても、審議の質の面でも、今国会の惨状は目を覆うばかりである。論ずべき重要課題は多いのに、傾聴に値する議論がほとんどない。


うむ、その通り。
確かにひどかった。
官房長官は野党の質問に指名もされていないのにしゃしゃり出てきて、時間稼ぎの牛歩答弁、矛盾を指摘されればキレる、そして的確に答えず質疑者をイライラさせる、「謝罪」の一言を言いたくないために「誤解を与えたことをお詫び」などと何人もの閣僚が繰り返す。


つまり、アマチュア政権の真骨頂、閣僚が最低レベルにも達していないために
「会議は踊るのみ」だと。

・・・・・・え?違うんですか?


衆参両院の集中審議で野党は、政府の初動の遅れをこぞって取り上げた。「非難」の表明は発生から約7時間後。迅速さを欠いた面は否めない。

そうですよね。
管総理は官邸を留守にして国会対策委員長と問責決議に対する対策を練ってたんですよね。
テレビ見ながら「たいへんだな~」って言ってたんですってね。
岡崎国家公安委員長はずっと検察に登庁しなかったんですってね。


しかし、もっと語るべき問題がある。

いや、野党側は日米韓の問題を真っ先に聞いてましたよ。
首相が「イミョンバクには褒められた。文句あっか」
って切り返したので議論にもならなかったんですがね。

だいたい、野党が対応の遅れを責めても、「いや、適切だった、問題はない」って与党が言い張ってばかりだから、論戦が長引いたんじゃないんですか?
朝日的には、それを問題視したほうが稚拙なんでしょうか。


これほどの事態に直面しても、大局を見据えた議論を深められない国会論戦には失望を禁じ得ない。



いやこれ、まだ隣国の事件でよかったんじゃないんですか?
今ここで論戦しておくからこそ、次に、たとえばターゲットが日本だったときには少しはましな対応が取れるんじゃないでしょうか。
責任の所在を追及しているんじゃなくて、「もし我が国のことだったらどうするのか」
という論旨で野党は追及していたと思いますよ。
私の見るところ。

「在韓邦人の救出をどうして一番に考えないのか」
って、山本一太議員は、非難は非難でも非常に建設的な発言をしていましたしね。

それよりもこの事件を受けて
「民主への追及をかわし対応次第では支持率アップのカミカゼだ」
ととんでもないことを言った民主幹部は誰だったのか暴いた方がいいのではないでしょうか。


 尖閣諸島沖の事件も同様だ。台頭する中国とどう向き合い、日本のかじをどう取るかよりも、ビデオの流出や公開に議論が集中したのは寂しい。


寂しい、ときたもんだ。
寂しくなんかないやい!・・・ていうか何この感想。

そこで質問。
何度も、野党議員が「中国との密約があったんじゃないのか」「細川議員が密使だったのではないか」
って聞いていたけど、報道をスルーしたのはなぜなの?
経団連とマスコミがその問題の根幹、中国に対してまず何より経済的互恵関係を優先するという足許外交を見て見ないふりをするから、結果、流出や公開につながったわけで、言わば自分たちの蒔いた種だったのでは?


そこで、本日のNEW!名言。


野党は政治を停滞させるのでなく、前進させるために批判してほしい。

 問責決議も、旧態依然の抵抗戦術と見ざるを得ない。ビデオの問題を、主要閣僚の進退に直結させるのは短絡だろう。官房長官の立場で自衛隊を「暴力装置」と呼ぶのを適切とは言わないが、謝罪すれば済む話ではないか。

 問題の軽重にかかわらず問責を連発し、辞任に応じなければ審議を拒み、政府を追いつめる。そんな繰り返しの国会では、国民が損害を被る。



「ごめんですむなら警察は要らん」

この古の昔からの古老の知恵ともいえる金言が脳裏をかすめたのはエリス中尉だけでしょうか。

たとえば、カップラーメンの値段を間違えた。
(仕組まれたとはいえ)会見のときに泥酔していた。

謝罪すれば済む、というのはこういう話のことを言うのではないでしょうか。

辞任した柳田元法相の「二つ覚えておけばいい」発言。
本人始め与党は当初「謝罪すれば済まされる」と繰り返していました。
しかし、この柳田発言も、仙谷の暴力装置発言も、決して「失言」などではない。


前者のは、法相としての資質も、資格もない人間であったということの現れであり、後者はサヨクとして学生運動で政府転覆をはかってきた社会主義者の確信犯的発言。
「つい言ってしまった」
どころの問題ではないのですよ。
なってはいけない人物がその地位にいるということそのものが問題なのであって決して「謝罪すれば済む話」ではないと思うのですがね。朝日さん。

今回の秋篠宮さまご夫妻への中井衆院予算委員長の「早く座れよ」暴言事件も、
本人は「聞こえないように言った」という当初の言い訳から
「陛下に向かって言ったのではない」
という風にシフトしていますね。さすがに懲罰動議出てるからね。

「こういう品格の無い人物が国会議員を名乗っていることそのもの」
が問題なのではないですか?

自民の逢沢議員のケイタイが鳴ったというのは確かにかなりの顰蹙もの。
高校生でも映画館やコンサートではマナーモードに切り替えるぞ。

しかし、これには同じ責められるべき事案でも
「ついうっかり」
が付く。

ついうっかり暴言を吐く人間ってのはね、いないんですよ。
まともな人の口にはマナーモードが標準装備されているんですよ。



野党を責める前に「一発だけなら誤射かもしれない」
が、今回不謹慎として糾弾されるような事態にならなかったことをせめて感謝するべきではないでしょうか。


小泉純一郎元首相がよく引用した言葉
「大事争うべし、些事(さじ)構うべからず」
を引用し、野党の質疑を主に非難する朝日新聞。

政府はたがを締め直し、自ら批判の種を振りまくのをやめて大局を論じる土俵をつき固めなければならない。

さすがに一方的に野党批判ではまずいと考えるのか、アリバイのためにこのようなもっともらしいことを書いていますが・・・民主党のタガがはまってたことなんて、今まで一度だってあったのか、と小一時間問い詰めたい。



だいたい、あなた方はあの頃当時の野党と一緒になって「些事構うべからず」と言った小泉首相を誰よりも非難していなかったですか?

何年か経って
「しかしあの時の事情はこうだった」
といくら言い訳しても、いったん世に放たれた言論は消せませんよ。


サンゴの傷と一緒でね。










陸軍分列行進曲

2010-12-01 | 音楽
自衛隊の観閲式について
「管総理が意外と神妙な顔をしていたので少しは防人の気概に感銘してくれたのか」
などと書いたことを、舌を咬みちぎりたいくらい(キーボードをたたき壊したいくらい?)後悔しているエリス中尉です。

民主議員の秋篠宮ご夫妻へ不敬事件、ご存知ですか?
もう次から次へとゴミのような人間が議員を名乗っていることが明らかに。

あいつら、やっぱりダメだ・・・・。


時局を憂うのはまた別の機会にして、今日はそのときに気になった
「陸軍分列行進曲」
について調べたことをお伝えします。

冒頭画像は昭和19年10月の雨の神宮球場、学徒動員出陣式における東京帝国大学の学生。
聡明そうな切れ長の眼が印象的なこの学生は、あの戦争を生き抜けたのでしょうか。

このニュースフィルムのバックで常に鳴っている
「陸軍分列行進曲」。
その学徒動員の悲壮さとあいまって、非情に印象深い曲でした。
しかし、最近になってようやく自衛隊の映像などをインターネットで見る機会を得たとき、この曲が陸自の行進にはいまだに使われているということにむしろ驚きを感じました。

「行進曲 軍艦」が海自のために演奏され続けていることと並んで、音楽までは戦後の軍的なものに対する糾弾の対象にならなかったのですね。
日本人の良識に感謝します。

全くこの曲について知識のない段階で聴くと、この哀愁を帯びた短調のメロディは純国産のように思えます。
ところが、調べてびっくり、この曲は、明治新体制になって軍が喇叭を始めとする儀礼音楽演奏の必要性から招聘した「お雇い外国人」のうちの一人、フランス人のシャルル・ルルーが作曲したものなのです。





陸軍分列行進曲は「抜刀隊」「扶桑歌」などと呼ぶ人がいます。
このどちらもが取り入れられているためです。
ルルーはこの行進曲を作ったとき、すでに作曲してあった
「扶桑歌」をイントロのように使い、コーラス部分にあたるところで
「抜刀隊」と呼ばれる、どちらも日本に来てからルルーが日本で採取した民間の歌謡旋律をもとに作ったものをトリオのように使用しています。


フランスで出版された「扶桑歌」の表紙を上にあげましたが、これにはフランス語で

「日本国天皇陛下に捧ぐ 扶桑歌 日本の行進曲 ピアノ用 
フランス軍軍楽長シャルル・ルルー作、
1885年11月9日、東京の宮城において陸軍教導団軍楽隊により初演」

と書かれています。

シャルル・エドアール・ガブリエル・ルルーは前述のように陸軍のお雇い音楽家でしたが、来日した一三名の中では最も本国(フランス)で音楽家として名声を得ていた人でした。
コンセルバトアール出で基礎は完璧なルルー。
着任早々軍の音楽関係者に試験をし、144名全員に「不合格」を言い渡します。
さらに、半分を「不適格」としてクビにし、残りにソルフェージュ(楽譜視唱)楽典の基礎からやり直しをさせるなど、当時日本の西洋音楽の底上げともいえる貢献をしたわけで、我が国における西洋音楽演奏の母とでも言うべき人物です。



さて、扶桑、とは「中国から見た日本」という意味で、瑞穂、大和と同じく日本の別名です。
その扶桑歌の譜面です。
画像が小さいので分かりにくいですが、譜面が読める方は上三段までの部分が
「陸軍分列行進曲」と同じで、下半分は別の曲であることにお気づきでしょう。

この扶桑歌部分に続く「コーラス(トリオ)部分」が
「抜刀隊」と言われる歌です。
時の東京帝国大学教授であった作詞者が、「抜刀隊の歌」として『新体詩抄』に発表した詩にルルーが作曲をしました。

扶桑歌のイントロ部分はB♭m
一、
A (Cm)  吾は官軍我が敵は
     天地容れざる朝敵ぞ
A´    敵の大将たる者は
     古今無双の英雄で
B   これに従うつわものは
     共に慄悍(ひょうかん)決死の士
B´    鬼神に恥じぬ勇あるも
     天の許さぬ反逆を
C(E♭М)  起こせし者は昔より
    栄えしためし有らざるぞ

D (FМ) 敵の亡ぶるそれ迄は
   進めや進め諸共に
D´ 玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
   死する覚悟で進むべし

二番以降は長いので稿の最後に掲げました。
同じ音型の繰り返しはダッシュで示しています。
mはマイナー、Mはメジャーです。
ご存知の方は歌ってみてください。


歌詞の内容は、何とも日本的というか、読んでいただけばわかりますが、「天地容れざる朝敵」と言いながらも相手を褒め称えているのです。
しかし、四番にはラ・マルセイエーズそっくりの歌詞
(相手の流す血で我が畔を潤す、というもの)が見られます。
ルルーも「愛国的な曲」を目的にしたとき「ラ・マルセイエーズのような曲」をイメージしたようです。


東洋的な短調から始まる抜刀隊は歌詞による5行目から短三度上の長調に転調し、(「起こせし者は」から)もう一度元のハ短調に戻ってから後半のヘ長調(「敵の亡ぶるそれまでは」の部分)に進みます。

この辺りの転調が当時の日本人にはないセンスでしょう。
抜刀隊の歌は鹿鳴館で初演され、有名になり、愛唱されましたが、西洋的な音階に慣れていない当時の庶民にはこの転調の変化が難しすぎて唄えなかったということです。





歌詞は、西南戦争の時の巡査隊の活躍を描いたもので、いくつか別に作曲もされたようですが、このルルーの曲が、歌いにくさにもかかわらず独り歩きするかのように膾炙しました。

そのヒットの下地には、英雄西郷隆盛の国民的な人気がもちろんあったのですが、ルルー自身が教育し、ソルフェージュで鍛えた教導団軍楽隊員の歌唱力、さらにパワフルな軍楽隊の伴奏がその人気を盛り上げたことは言うまでもありません。


さて、そこで、不思議なことが一つあります。

エリス中尉がこの曲の作曲者が日本人だと思い込んでいたのは、学徒動員壮行式のような国家の大事に使用されていたこの曲がまさかフランス人の手によるものだと想像がつかなかったせいもあります。

大東亜戦争勃発後、全ての欧米的なもの、敵性言語を廃止するというヒステリックな措置を取った陸軍が、この曲を廃止しませんでした。

ルルー自身はその曲調を「トルコ軍楽曲」のイメージに求めたと言われており、フランス人にとっては「エキゾチックな東洋のメロディ」であったこの曲は、日本人から見るとその感性にピタリとはまる名曲であったがゆえに、陸軍はこの曲を使い続けました。



戦時中、その作曲者名は伏せられていたそうです。



二、
皇国(みくに)の風(ふう)ともののふは
その身を護る魂の
維新このかた廃れたる
日本刀(やまとがたな)の今更に
また世に出ずる身のほまれ
敵も味方も諸共に
刃(やいば)の下に死ぬべきぞ
大和魂あるものの
死すべき時は今なるぞ
人に後(おく)れて恥かくな

※再唱


三、
前を望めば剣なり
右も左もみな剣
剣の山に登らんは
未来のことと聞きつるに
この世において目(ま)のあたり
剣の山に登らんは
我が身のなせる罪業(ざいごう)を
滅ぼすために非(あら)ずして
賊を征伐するがため
剣の山もなんのその

※再唱


四、剣の光ひらめくは
雲間に見ゆる稲妻か
四方(よも)に打ち出す砲声は
天にとどろく雷(いかずち)か
敵の刃に伏す者や
弾に砕けて玉の緒の
絶えて果敢(はか)なく失(う)する身の
屍(かばね)は積みて山をなし
その血は流れて川をなす
死地に入るのも君のため

※再唱


五、
弾丸雨飛(うひ)の間にも
二つなき身を惜しまずに
進む我が身は野嵐に
吹かれて消ゆる白露の
果敢(はか)なき最期を遂ぐるとも
忠義のために死する身の
死して甲斐あるものなれば
死ぬるも更にうらみなし
われと思わん人たちは
一歩もあとへ引くなかれ

※再唱


六、
吾今ここに死なん身は
国のためなり君のため
捨つべきものは命なり
たとえ屍は朽ちるとも
忠義のために死する身の
名は芳しく後の世に
永く伝えて残るらん
武士と生まれし甲斐もなく
義のなき犬と言わるるな
卑怯者とな謗(そし)られそ

※再唱



参考:戦争歌が映し出す近代  堀雅昭  葦書房
   洋楽導入者の奇跡 日本近代洋楽史序説 中村理平 刀水書房
   堀内敬三  音楽五十年史  講談社・講談社学術文庫
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