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海軍短刀

2012-06-11 | 海軍

「海軍さんはMM」という稿で、中指を駆使して描いた、真継不二夫撮影の兵学校生徒。
ツールを使って再チャレンジです。
先日訪れた教育参考館の、東郷元帥の遺髪を納めてある階段を上がった正面での撮影です。
いろんな著者がその表紙や装丁に使っていることからも、
いかにこの写真が、まるで鏡面の湖に映る月のような冴え冴えとした内面の美しさを
余すところなく表現しているかがわかろうというものです。

くっきりした二重の眼を伏せがちに、しかし指先までぴんと張り詰めた精神の緊張を表わす姿勢。
何者でもない一個の石となって、わが身の全てを崇高な奉仕の使命に捧げんとする無私の心が、
今、この瞬間、端正なその美貌に姿を借りて立っている・・・。
この青年と同じ日本人であることを、心から誇りに思える、そんな立ち姿です。


そしてかれの腰の短剣がその姿に与うる精彩のいかに大きなものかもお分かりでしょうか。
本日のお話はこの短剣です。


陸軍士官の軍刀に相当するこの短刀は、

一旦軍籍に身を入れたる諸子は、今日武士となりたるものにして、
其の形こそ違へ、短剣は即ち日本刀に相当するものなり。
故に常に武人たるの誇りを持して短剣の手前、言行を慎み、
之に依って自己の魂を練磨すべし。


とある年の機関学校入学の訓示にもあるように、武士の魂の刀に相当するものでした。
海軍士官にとって、短剣は誇りと栄誉の象徴となったのです。
同時に、この短剣姿は「粋な海軍士官」のトレードマークとなり、憧れの的になります。

「白い夏用詰襟の第二種軍装を佩いた海軍士官の姿は、
多くの女性の心を魅了して止まなかった」(旧日本陸海軍『軍刀』より)

・・・・・・・・・そうでしょうとも。
しかし、ここで我が意を得ているばかりでは話が進みませんので、
女性とこの短剣の関係については別の日に回すことにします。
女性ばかりでなく、青雲の意気に燃える青少年たちにとっても、この短剣は憧憬の対象でした。
「短剣を吊りたい」
実はそれが一番の士官志願動機だった、と戦後告白している人はたくさんいます。

あの短剣とスマートなネイビーブルーや純白のジャケットが海軍の軍服でなければ、
いくら兵学校が「一高、三高、海兵陸士」と当時の優秀な若者の目標の一つであっても、
兵学校のみならず予備士官や短現士官にも志願が殺到することはなかった、と、言えないでしょうか。
そして兵学校が陸士より人気だったことの一つに
「学生でありながらほとんど士官と同じ仕様の軍服、そして陸士のゴボウ剣ならぬ海軍短剣」
があったことは否めません。

人は、どんなことでもまず外側からその本質を知ろうとするわけですから、
海軍への憧れイコール短剣への憧れであったと断じても、
当事者たちから何らのお叱りも受けないとわたしは信じるのですが、いかがでしょう。

だいたい、あの井上成美大将ですら、海軍志願の動機は
「海軍士官の短剣姿だった」と言っているではありませんか。

そして念願なって夢にまで見た短剣を吊る日、少年の感激は一生忘れ得ぬほどに大きなものになります。


それでは、何故海軍は短剣なのか。
明治から大正にかけて近代化し、軍艦の内部構造が複雑になってくると、
その艦内で長剣をブラブラさせての行動は、迅速さを欠くことにもつながります。
そのうえ多数の士官が長剣を吊って艦橋に上がると、コンパスの指針が狂ってしまいます。
それまで、短剣は「士官のタマゴの印」として兵学校生徒だけが使用していたのですが、
この理由で、お偉いさんもフネの上では短刀を吊ることになったのでした。

本日画像の、教育参考館にあるブロンズのドアに施されたのは、日本海海戦の様子なのですが、
上から二番目の仕切りに見られる東郷元帥は、長剣を帯びているのです。
(この絵で確かめずに、東条鉦太郎作『三笠艦橋之図』で調べてくださいね)
皇室の御加護を願い、連合艦隊の指揮権の象徴、そして勝利への祈願をこめての名刀佩用でしたが、
なんと。
「コンパスが狂うのでおやめください」と言った幕僚がいたそうです。
ここにもいたよ。日本的官僚的ジョブズを怒らせた関空の税関職員みたいな人が。

空気読め、と周りは誰もこの幕僚の進言を止めなかったのでしょうか。
案の定、長官には断固退けられたそうです。そりゃそうでしょうな。


海軍士官の象徴であった短剣ですが、リベラルで科学的をモットーとする海軍、陸軍のように
「陛下の武器に何かあれば切腹」
というような極端な物質崇拝を押し付けるようなことは無かったようです。
「万が一短剣を無くしても、切腹なぞしないように」
と、短剣を紛失して責任感を感じるあまり自決未遂をした生徒が出たとき、お達しが出ました。

先祖伝来の短刀をしつらえたり、名刀を仕込む凝り性の、あるいは経済的に余裕のある士官もいましたが、
官給の刀そのものはステンレス製で、あまり切れなかったと言われています。

しかも、熱望してなった三校出身者と違い、召集されてなった準士官などは、
あまり短剣そのものに対する思い入れもないものか、ある下士官の話によると
「見せてくれといったら断られた。
構わず引き出したら、ザラザラという音がして錆びの塊が出てきた」
という具合。
兵学校出のそれはさすがにどれも「ピカピカに磨きあげられていた」そうです。

嫌われ者の士官は、短刀のサヤに塩を入れる、という嫌がらせをされました。
少し気付かないでいると、直ぐに錆の塊に化してしまいそうです。
わざわざ精神的な象徴をこうやって辱める、というのは悪戯と言うには悪質すぎて、
よほどの恨みでもあったのかと言いたくなります。


戦争も末期になってくると、刀に使う金属は悉く供出されて無くなってしまいましたから、甚だしきは
「セルロイドの短剣」
「柄、刀一体型」(つまりガワだけで抜けない。玩具より酷いかも)
といったものを吊らざるを得なかったそうです。


これだと、たとえ士官が集団で艦橋に押しかけたとしても、
コンパスが狂うことはまず無かったでしょうけど。








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