ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「幽霊」と「悪魔」〜イントレピッド航空博物館

2015-08-17 | 軍艦

さて、MiG2機とエタンダール、外国機をご紹介した後は、
おなじみ(わたし的に)米軍機の残りと参りましょう。



甲板に展示してある航空機の数々。
ここに限ったことではありませんが、外に航空機を展示するということは、
そのダメージの速さを考えると、それ自体がチャレンジです。
その補修を常に行い、展示機の状態をメンテナンスしているのは、
ここイントレピッド博物館においてもボランティアの技術者たちです。

専門の航空機整備とはまた別の技術が必要となるため、彼らはそのために
治金学や航空機内部の化学的反応とその変化などを学ぶことになります。

彼らはダメージの種類を特定し、それに応じてその部分を修復していきますが、
所有機が沢山あるイントレピッド航空博物館においては、
それは半永久的に終わることのない仕事です。


彼らは常に甲板上で仕事に当たっていて、その作業を見せることも「展示」の一種である、
とイントレピッドのHPには書いてありますが、
わたしが行った時には
整備中の機体だけがテント内にあって(シコルスキー)
作業をしている人はいませんでした。




Douglas/XBT2D-1 Dauntless II (A-D1Skyraider)


(以下延々とドーントレスではなくアベンジャーの説明がされているわけは
コメント欄にて<(_ _)>) 





さて、イントレピッドのHPには、


「アベンジャーからブラックバードに至るまで」 

という決め文句が書かれているのですが、アベンジャーがこの中で一番
「古い」という意味だったりするんでしょうか。

アベンジャーを設計したのはリロイ・グラマン(1895-1982)。
グラマン社を創立した実業家でもあり、テストパイロットでもありました。

wiki 


ガレージで車の整備から始めた彼の会社は、航空機製造会社として
第二次世界大戦開始時には一定の評価を得ていました。
(大企業とはしかし見なされているわけではなかったようです)

しかしフランスとイギリスが参戦することが決まった頃、グラマン社は
それまでの流れを一気に変えるヒット作品を生み出しました。

F4F、ワイルドキャットです。
ついで名機F6Fヘルキャットを生み出したグラマンと協同経営者が、
戦争の拡大によって
最大の大きさをもつエンジンを搭載した飛行機にチャレンジし、
その結果できたのが、
このアベンジャー、TBFでした。

因縁というのか、グラマンがアベンジャーのお披露目を行ったその日、
日本軍が真珠湾を攻撃しました。
TBFの愛称が「復讐者」となったのはこのためだという噂もありましたが、
実はこの名称は真珠湾攻撃の2ヶ月前には決定されていたのだそうです。

一体何に復讐するという意味だったのか。

アベンジャーは「雷撃機」です。
日本でいうと「艦攻」にあたり、「天山」とか「九六式」などがあるわけですが、
アベンジャーは艦爆のような急降下爆撃もすることができたといいます。

日本では「艦攻乗り」と「艦爆乗り」は明らかに気性が違う、と、
元海軍の脚本家、『連合艦隊」「大空のサムライ」なども手がけた
須崎勝彌氏が、彼らの佇まいを見て

「艦攻乗りは紳士的、艦爆乗りは気性が荒い」

と分析していたという話を昔したことがありますが、これでいうと
アベンジャーに関してはその「性格分別」はできないということになります。



そうそう、アベンジャーというと思い出すのが「バミューダトライアングル」ですよね。

(そうなのか?)
1945年12月5日にバミューダ海域を5機の本機が飛行し、
遭難事故を起こしたことが消失事件ということになっているようなのですが、
そもそもこのバミューダ海域での事故の多くは、悪天候時に起こったものや操縦ミス、

計器の確認ミスであり、遭難が他の一般的な海域よりも多いという事実はなく、
アベンジャーの事故は、悪天候に加えてパイロットの訓練不足が重なり、
彼らが方向を見失ったことで起きたものだと現在では考えられているそうです。


その他のエピソードとしては、イントレピッドのHPに、

「知っていますか?」


「アベンジャーにはジョージ・ブッシュ元大統領が乗っていました」


と書いてあります。

もちろんパパ・ブッシュの方ですが、彼は海軍に志願し、
アベンジャーのパイロットとして、
空母「サン・ジャシント」乗組でした。
パイロット時代、ブッシュは二回撃墜されていますが、二回目は同僚が全員戦死し、
一人で海を漂流しているところを潜水艦に救助されて、命を永らえています。

この時にブッシュが生きのびたことで、その彼がアメリカ大統領になり、
イラク軍のクェート侵攻に介入して湾岸戦争に参加し、その息子がイラクに軍を侵攻させることも、
全て決まったということになるんですが、ふと、

「ブッシュが死ななかったことで直接間接に死ぬことになったアメリカ人は何人に上るのだろう」

などということを、ふと考え込んでしまいました。
このときブッシュが死んだとしても、別の大統領が別の戦争を起こしていたことは、

アメリカという国の成り立ち自体を考えても、間違いなかったとは思いますが。





Vought (F8U-1) F-8K Crusader 1957

このヴォート・クルセイダーについては一度お話ししているので
そちらを読んでいただくとして、このシャーク塗装ですが、

目が変じゃないですか?

前方の男性の立ち位置から見るとそうでもないこの目、この角度から見ると
まるでニヤついているシャークに見えてあまりかっこよくありません。

元々こうだったのか、ここで塗装された段階でこうなってしまったのか。



去年パシフィックコーストで見たクルセイダーは凛々しい顔をしています。
もしかしたら、この角度から見たらカッコよく見えるように描かれているだけで、
真横から見ると皆同じっていうオチ?

さて、以前のエントリでは主にヴォート社の救世主としての面を

あつーく語ってみたわけですが、よく考えたらこの飛行機は
すごいタイトルを持っていたんですねー。

単座で音速を破った最初の飛行機

というものです。
変な形してますが、こう見えてすごかったんですね。

1955年3月25日、クルセイダーは、処女飛行で音速の壁を破りました。

イントレピッドもこのF-8を艦載しており、イントレピッドを飛び立った飛行機の中で
その歴史上一番速かったのがやはりこのクルセイダーだったということになります。

アメリカ海軍と海兵隊がどちらも運用し、ベトナム戦争にも参加しています。

1968年9月19日のこと。
イントレピッドのパイロット、VF-111(サンダウナーズ)のアンソニー・ナージ
サイドワインダーミサイルで北ベトナム軍のMiG-21を撃墜しました。
(あれ、このこと前に書いたな。ナージ大尉ってイントレピッド乗り組みだったんだ)

今ここにあるのは、その時にナージ大尉がイントレピッドから飛び立った、
まさにそのクルセイダーであるということです。 

 



McDonnell (F3H-2N) F-3B Demon 1956

この角度、後ろのビルも含めて我ながらいい構図ではないかと思ったりするわけですが。
ちょっとファントムと似てるなあと思いません?

わたしなど、うっかりこれもファントムだとサムネイルだけ見て思ってしまい、
また部下に面倒をかけるところだったのですが、それもそのはず、
ファントムIIはこの機体のデザインをもとにしているんです。


こちらは当初不良品のエンジンを積んでしまったせいで「ウィドウメーカー」、
後家作りなどと不名誉なあだ名がついたこともありましたが、その件も含め
反省点は全てファントムIIの製作に生かされたうえ、製作台数も400台を超えるなど、
多くの部隊で運用されるだけの実力がある飛行機であったと言えます。


しかしそれにしてもこの名前ですがね。

デーモン。悪魔ですよ悪魔。

余談です。
存在しないアドレスにメールを送った時に来る「Mail Daemon」というのを
「Mailの悪魔より」だと思っている人も広い世の中にはいるかもしれませんが、
こちらは悪魔じゃなくてむしろ「守護神」って意味なんです。 
「だえもん」じゃなくてダイモーンって読むんですよ。覚えておいてね昔のエリス中尉。 


それはともかく、なんだってこんな中二病的な名前をたかが戦闘機につけたのか。
中二の人たちが「悪魔」いうのとは全く意味的に違い、英語圏の皆さんには
「悪魔」というのは絶対悪として忌むべきものと認識されているはずなのに。

そこで今思いついただけなので、間違っていたらすみませんが、
わたしが間違えた「ファントム」(幽霊・亡霊・アンデッドモンスター)というのは
この「デーモン」シリーズの勢いで
付けた名前だったんじゃないでしょうか。


「デーモン」「ファントム」ときたら次は?
それこそ「ダイモーン」とか?
とにかく「ルシファー」とか「リヴァイアサン」が出来る前にシリーズ終了して良かったです。





 



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13 Comments

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立派! (雷蔵)
2015-08-17 06:05:22
F-3。あまり知らなかったので、調べて見ました。スパロー(戦闘機同士が向き合った状態で発射出来る空対空ミサイル。サイドワインダーは、敵機の後ろにつかないと発射出来ないが、スパローは出会い頭に発射出来、使いやすい)を最初に撃てる戦闘機(後期型のみ)だったのですね。F-4が最初だと思っていました。

ついでにスパローの歴史も調べて見ました。かなりお世話になったのですが、開発史までは知りませんでした。なんと開発開始は1946年!第二次世界大戦終結の翌年から始めて、設計当初に見込んだ性能が出せたのは1962年!

日本では、16年間も成果を出せないプロジェクトは、装備開発(公共事業)としては、まず認められません。いいとこ、10年目くらいでキャンセルでしょう。

日本でもF-4と共に導入しましたが、アメリカ人の血と汗と涙の結晶を「買って来た」だけです。立派!アメリカ人は根性あります。
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TBM-3E? (お節介船屋)
2015-08-17 08:47:54
クレームをつけてすみませんが。
冒頭と3枚目写真はTBM-3Eではなく
A-1 Skyraiderの派生機ではと思います。
根拠は単座、4枚プロペラ、脚の後方格納、爆弾格納槽が無い事。
A-1は翼、胴体にハードポイントが15あるのに、本機は2か所しかないため派生機と思います。
約3000機生産されているし、ベトナム戦争当時まで使用されており、多くの派生機がありますので、機種を特定できません。
プロペラ機の傑作で、なんでも搭載できるとして、ベトナム戦時、便器まで搭載投下したそうですが。
再調査をお願いします。
お節介まで。
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DAEMO-N(;>_<;) (筆無精三等兵)
2015-08-17 09:32:21
メールアドレスをミスる度に、何故か某国民的キャラクターを思い浮かべる三等兵です。

どうもご無沙汰致しておりました。皆様に置かれましてはお元気そうで何よりです。

イントレビット・シリーズ、ワクワクしながら読ませて頂いてます。

今までの飛行機紹介エントリを読みながら思っていたんですけど、アメリカさんの創る機体で技術的な過渡期の物には、正直「ダサい」と感じる物が多い気がします。

技術の検証、醸成の為にTry&errorを繰り返すのは洋の東西を問わない物だとは思いますが、アメリカはそれが思い切りが良すぎるというか、ともすれば大雑把な感じなんでしょうねぇ。
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間違いでした! (エリス中尉)
2015-08-17 11:29:09
お節介船屋さん、よくぞ御指摘下さいました。
おっしゃる通りこれはドーントレスでアベンジャーではありませんでした。
部下に迷惑をかけないようにと本文中で縷々書いておきながらこの様です(冷や汗)
お礼を申し上げます。

言い訳になりますが、なぜ間違えたかというと、
間違えない様にイントレピッドのHPの解説をチェックしたのがあだになりました。

つまり、どうもアベンジャーも少し前にはイントレピッドにあったみたいなんですが、
よりによって最近ドーントレスと入れ替えをしたようなんです。
そしてHPは書き換えていなかったと・・。

でも似てますよね?え?似てない?

ブッシュがどうとかバミューダトライアングルがどうとか書いてしまったので、
今更削るわけにいかず、写真の説明だけ変えさせていただきました。

航空機の入れ替えについては、こんなページを見つけました。
http://www.nytimes.com/2012/04/19/nyregion/anticipating-space-shuttles-arrival-old-warplanes-ship-out.html?_r=2

アベンジャーつながりで言えば、この飛行機はカーチスのヘルダイバーと、
アベンジャーを参考に作られたということになっています。
戦時中は攻撃機の主流派ジェットパワーエンジンだったのですが、
ピストンエンジンのドーントレスは第一次世界大戦の頃への「先祖返り」
というべき飛行機だったため、
SPAD(フランスの第一次大戦時の飛行機会社)というあだ名を奉られていました。

当然ドッグファイトなどを想定した仕様ではないのですが、ベトナム戦争のとき、
MiG17と交戦して、これを撃墜した
パットン中尉という人がいたそうです。
MiGをプロペラ機が撃墜したというのは後にも先にもこの一例だけでした。



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雷蔵さん (エリス中尉)
2015-08-17 11:38:37
F-4の「たたき台」というべき偉大な原型だったんでしょうね。
改良後はそれなりに安定した供給があったようですし、ミサイルの設置も
デーモンによって試しにつけられ、改良されてその成果がファントムであったと・・。
ファントムの成功のためデーモンはあまり有名になりませんでしたし、
わたしがオチでいったような「悪魔シリーズ」の後継につながらなかったのは、
それだけF-4が名機出会ったということなんだと思いました。

スパローミサイルの開発期間のお話、感動しました。
そういう見方もできるのだと。
アメリカという国のいろんな意味での器の大きさですね。
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総火演 (kyari3)
2015-08-17 12:07:38
エリス中尉 さま

こんにちは。
20日の予行演習のチケットが配られたので一応ご連絡をと思いましたが、いくらなんでも急ですし帰国されないですよね(^^;;

今年の15日は仕事ではなくプライベートで靖国神社に参拝してきました。
あれだけ多くの人がいながら、黙祷の1分間は、ただ蝉の鳴き声だけが響きわたっていました。

今年は広島を訪れたばかりでもあって一層感慨深く、黙祷を終えて目を開けた瞬間にはからずも涙がこぼれて自分でも驚きました。

とても暑い日でしたが、不思議と暑さを感じない1日でした。
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そっちですか (エリス中尉)
2015-08-17 17:30:15
だえもん(仮名)が生まれた頃、電子で紙媒体を使うことなく文書をやりとりする、
なんてことはそれこそ漫画の中だけのお話だったわけですが。
人間は「想像できることはいつか現実にすることができる」らしいですね。
過去の人々が想像してきた未来はことごとく実現しているのがその証拠だそうです。
ってことは、タイムトラベルも不老不死もそのうち本当になるのかな。

アメリカの武器業界については雷蔵さんが的確なご意見をお持ちだと思いますが、
素人なりにその理由を考えてみれば、アメリカの業界は会社間の競争が熾烈。
結果を生まなければ明日から仕事がもらえないという弱肉強食で、
昨日と同じことをしていては負けるという技術陣の開拓精神が、
常に思い切った変革を生んできたように思います。

そのため、それまでの常識からは首をかしげる理論でもあえて挑戦してみるだけの
余裕というか、一か八かの可能性に賭けることが許されるのかなと。
雷蔵さんの「16年掛けてミサイル開発」というのはその逆ですね。
いずれにしても、技術のことは技術屋に任せた!いいものをつくれば俺たちが売ってやる!
というような体質なのかと・・。(あくまでも想像です)
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弱肉強食です (雷蔵)
2015-08-17 17:30:52
スパローミサイルですが、最初の主契約者はスペリー、その後、ヒューズとなり、完成させたのはレイセオンです。企業間の競争は熾烈だったと思います。

日本では公共事業の途中で主契約者を変えるのは、まず無理です。

官側の責任者が、会計検査院にその会社を指名した責任を問われ、最初から後継の会社を指名しておけば発生しなかった国損を出したと突っ込まれた場合、言い返せません。

アメリカにもGovernment Accounting Office(日本の会計検査院相当)がありますが、三社も主契約者を変えながら、プロジェクトを完遂させた官側の根性がすごいです。

どうやって、GAOを黙らせたか、知りたいものです(笑)
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kyari3さま (エリス中尉)
2015-08-17 17:49:26
お気遣いいつも本当にありがとうございます。
せっかくですが、実は、予行演習のチケットを取っていただけたので、
それに合わせて帰国することになりました。(大丈夫か私?)
前日宿泊なしの早朝決行でがんばります。
また報告をさせていただきますのでお目を通していただければ幸いです。

靖国に「私人として」お参りされたのですね。
わたしも帰国していればお参りするところですが、毎年間に合いません・・。
しかし、アメリカでは終戦記念日のニュースはチェックしており、
そのご報告もするつもりです。
今年も大変な人が参拝されたようですね。
韓国人が紛れ込んで国旗を揚げようとしてつまみ出されたそうですが、
全く慰霊するつもりもない街宣右翼は今年も公道で暴れまわったんでしょうか。
いずれにしても、日本人が慰霊の日をどうして
厳粛に静かに過ごさせてもらえないのかと悲しく思います。


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冶金学まで (アーサー)
2015-08-18 00:15:23
 展示機の補修に冶金学まで学ぶとは、本当に展示に心血を注いでいますね。露天の展示なので、航空機は軽合金が多く傷みやすいと思います。それをきれいに手入れしているのは素晴らしいです。

 日本は、せいぜい屋内保管がなされていればいいほうですし。アメリカの保存機は幸せですね。

 8/15は地元の護国神社と、宇垣中将が率いた終戦後に特攻した方々の慰霊祭に参加してきました。
 ご遺族も高齢化が進み、関係者も最年少で87歳。慰霊祭の継続が危ぶまれていましたが、数年前から旧大分海軍航空隊・航空技術廠のあった地域の自治会が合同で慰霊祭を行っています。
 海軍航空隊の慰霊祭なので堂々と軍艦旗が掲揚され、海軍ファンの私にとっては気持ちが高揚し、厳粛な気持ちになるひと時です。
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