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南北戦争の”男装の軍医”〜ミリタリー・ウーメン

2017-08-12 | アメリカ

フォールリバーで展示艦となっている戦艦「マサチューセッツ」には
広いスペースを利用してたくさんの戦時に関する展示があり、
セカンドデッキの艦首側のスペースには、これからお話しする

「アメリカ軍に参加した女性の歴史コーナー」

がありました。

すでに女性の最高位が陸海軍に生まれているアメリカですが、近代になって軍が組織され、
第二次世界大戦に至るまで、
女性はどのように関わってきたのでしょうか。

今日は、独立戦争、米英海戦、南北戦争時代に軍とか変わった女性についてお話しします。

当コーナーでは、ぐーんと遡って、1775年、つまり独立戦争時から
軍と関わりのある女性について、歴史を紐解いてまいります。

例のボストンティーパーティーは愛国心からイギリス製品をボイコットした
女性のムーブメントも大きなうねりとなり繋がっていった、
ということについて一度書いたことがあります。

この女性はアビゲイル・アダムス。
言わずと知れた第二第アメリカ大統領となったジョン・アダムスの奥さんで、
第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズの母でもあります。

「リメンバー・ザ・レディス」

という言葉は、アメリカでは有名で、ミュージカルにもなっているそうですが、
1776年に革命を成し遂げたアメリカ議会に対し、彼女が送った

「女性たちのことを忘れないでください。
そして彼女たちに対して寛大かつ好意的であってください。
夫の手中にかようにも絶大な権力を与えないでください。

全ての男たちが、暴君となりうることを忘れないでください。
もし女性たちに特別の注意が払われないのならば、
私たちは謀反を煽動することを決心するとともに、

私たちの声が反映されていない、
いかなる法律に私たちが縛られることもないでしょう」

という、女性の権利を求める最古の文章とされています。

しかし、ウーマンリブの元祖はあまり軍と関係ない気がしますね。
そう、ミリタリーウーマンというのはこういう人でないと。

彼女の名前は、メアリー・ルードヴィッヒ・ヘイズ、別名モリー・ピッチャー
1778年、独立戦争の「モンマスの戦い」で夫の砲兵部隊に付き添っていた彼女は、
兵士たちに水を供給する任務を買って出て、このあだ名を奉られました。

炎天下の中の長時間の戦闘においても彼女は任務を離れることなく、
彼女の夫が戦闘で倒れた後、スカートの間に砲弾が落ちても
怯まずに戦闘に参加し、その功績をたたえて、今でも陸軍砲兵隊部隊には
彼女の名を冠した名誉協会が存在するのだそうです。

彼女の名はデボラ・サンプソン。(1760-1827)

アメリカで最初に軍人として戦闘に参加したことで知られる女性です。
ただし、女性として採用されたのではなく、体の大きな彼女は
自分を男性だと偽って砲兵隊に入隊しました。

このころ、入隊に際して身体検査なんてのをやらなかったんですね。

マサチューセッツ第4連隊に配属になり、1782年ターリータウンの戦いでの
初めての銃撃戦で、彼女は2発のマスケット銃の弾丸を受け負傷します。

1発目は腿に命中して弾が体内に食い込み、2発目で額を抉られるというもので、
治療を受けるも、腿の弾は取り出せず、再び戦場に戻ることはできませんでした。

最後まで女性であることを悟られないまま17ヶ月従軍し、除隊。
彼女は故郷に戻り結婚し、退役軍人年金を受給して幸せに暮らしましたとさ。

ちなみにUSS「サンプソン」の名前にはなっていませんので念のため。

「事実かフィクションかはわからないながら」

と但し書きのある「お針子物語」の図。
ベッツィー・ロスというお針子は、初めて星条旗を製作したという女性。
軍服の修繕やテントの修理など、裁縫で銃後の守りをしてきた彼女は、
次々と?夫を戦争で失いながらもたくましく腕一本で生き抜いた女性です。

彼女がワシントン提督のために国旗を作ったというストーリーは、
その孫が彼女の死後に手紙にそう書いてあったということで主張を始め、
国民もそれを受け入れたものの、真偽には証拠が乏しいとされます。

当ブログでもかなりの時間をかけてお話しした帆船、
USS「コンスティチューション」にも女性の影が?ありました。

「コンスティチューション」の就役は1797年、1812年の英国海軍との戦闘で
いかに弾を受けようとビクともしなかった彼女には

「オールドアイアンサイズ」(鉄の横っ腹野郎?)

というあだ名が奉られました。
その「コンスティチューション」に、なんと男装の女性が乗っていたというのです。
彼女の本名は「ミス・ルーシー・ブリューワー」
彼女は16歳で恋人の子供を妊娠しましたが、相手に結婚を拒否され、
その赤ん坊もメイドの仕事を探すうちに死んでしまいます。
止むを得ず三年間売春婦として生き延びた末、「ジョージ・ベイカー」と名乗って
「コンスティチューション」に乗り込む・・・・というお話

そう、これは「フィメール・マリーン」という当時の小説なのですが、
問題は、ブリューワーなる女性が実在し、この小説は

「自伝的小説」

である、とされていることです。

うーん、本当にそんな人がいたのか?
帆船の中の、しかも兵員の生活でそれがバレないわけがないと思うけど・・。

さて、ここまでがアメリカの「国家創成期」です。

この後、南北戦争、米西戦争と、片時も休まず戦争するアメリカですが、
戦争における負傷者の手当に、女性が活躍の場を広げることになっていきます。

彼女はクララ・バートン。(1821– 1912)
アメリカ赤十字社の設立者で、看護師のパイオニアです。

当時、クララは看護学校に通っていなかったため、自分自身が学んだ看護の仕方を
戦場での経験をもとに教えたということです。

彼女の名前を冠した学校や病院などの施設は全米に点在しています。

アメリカでは1901年に「ナース・コーア」、看護部隊が軍組織になりました。
しかし多くの女性が従事するのは第一次世界大戦が始まってからでした。
陸海軍の従軍看護婦たちはその働きに対して多くが顕彰され、
少なくとも三名が最高栄誉に値する十字賞を、また二十名を越す女性たちが
French Croix De Guerre、フランス十字勲章を与えられています。

 

ところでこの目がとても怖いおばあちゃまですが、

スーザン・ブロウネル・アンソニー(1820-1906)

特に女性の権利獲得を提唱する公民権運動の指導者です。
これもはっきりいってミリタリーとはあまり関係がないような気もしますが、
権利を獲得することが、つまり従属する立場から同等に、最終的には
「ミリタリー・ウーメン」の誕生への道筋をつけたということでしょうか。

彼女が男権論者をやっつけるの図。

強い(確信)

あの禁酒法もこのおばさまが先頭に立って進めた結果生まれたという説もあり、
映画に出てくる「あの手のおばさま運動家」の雰囲気満点です。

彼女らは

「聖なる二十人」(Sacred Twenty)

という、海軍直属の看護師部隊です。
看護師として正式に海軍のもとで任務を行なった最初の女性たちで、
22歳から44歳までの看護師資格保有者を中心に、海軍医療部隊のトップが選出。

ちなみに米国市民であることはもちろん、結婚することも許されませんでした

様々なスキルを訓練によって習得した彼女らは、世界中の病院でその後
実務のほか医療指導を行い、海軍看護の基礎となったことから、
このような敬称を奉られることになったのです。

さて、このイケメン医師は、南北戦争に従事し軍医として活躍しました。
活動中、スパイとして敵にとらわれ、捕虜生活をしたこともあります。

前線で外科医として勇敢に任務を行なったことに対して、
アンドリュー・ジョンソン大統領名で彼女に対し

・・彼女に対し、

名誉勲章も授与されました。

彼女の名はメアリー・エドワーズ・ウォーカー博士。
( 1832年11月26日 - 1919年2月21日)

冒頭の写真は彼女の中年時代です。

アメリカでも当時珍しい学位を持った女医(シラキューズ医大卒)でしたが、
北軍に民間人として従軍を志望し、
女性の軍医が認められていなかった当時のアメリカ軍で、
看護婦という資格で採用され、実質は医者として活動していました。

そして、のちに女性として初めての陸軍軍医として採用されます。

勇敢なその任務に対して叙勲された彼女ですが、戦後は、
男装姿によって逮捕されるなどと言った経験から、女性の権利、
女性の衣装改革などといったテーマで言論活動を行いました。


さらには戦後、合衆国議会の

「直接戦闘に関わったわけではない者は、名誉勲章受賞に値しない」

という決定によって勲章を返還するように求められましたが、
これを断固拒否し、死ぬまで勲章を身に付け続けたそうです。

 

彼女の名誉回復がなされたのは死後58年経った1977年。
当時のジミー・カーター政権によって勲章受賞が復権されました。

また、第二次世界大戦中にも、彼女の名前はリバティ船、

SS「メアリー・ウォーカー」

に残されています。

ちなみに、彼女は南北戦争時には、男装をしていたわけではなく、
戦争に参加する女性のためのオリジナル軍装などを自分でデザインして、
それを世間に流布するように求めたようですが、叶わなかったので、
その後の生涯で人前ではシルクハットにズボンという姿で通しました。

(タイトルは少し事実とは異なりますので念のため)

さて、ウォーカー博士は南北戦争でスパイ活動をしていたとも言われます。

きっとその手段に際しては、女装をうまく利用したのではないか、
ということがなんとなく想像されるわけですが、この写真の女性は同じ時代、
女優という仮面の下で北軍のためにスパイ活動を行なっていた女性です。

ポーリーヌ・クッシュマン。(1833 –1893)

フランス系の移民の娘として1833年に生まれた彼女は、
ケンタッキーのルイビルで舞台女優として活動していました。

のちに北部での舞台の後、連合国大統領のジェファーソン・デイビスのために
「乾杯を行なった」ことをきっかけにスパイの道に入ります。

敵の幹部に女優として近づき、得た情報は靴に隠すなどして諜報活動を行い、
二度逮捕されて一度は死刑を宣告されたこともありますが、
罹っていた病気が悪化しているという演技で死刑を延期させることに成功し、
そうしているうちに連合軍が侵攻してきて命永らえました。

女優としてのスキルが自分の命を救ったというところです。

いくつかの資料によると、彼女は男装姿で北軍に復帰したということです。
まあ、どう見てもこちらは男性には見えませんが、
彼女の女優としてのコスプレ精神がそれを強く望んだに違いありません(笑)

(しかし、この女優さん、軍服が似合わねー)

このころの女性と軍隊の関係は、看護という分野でなければ、
このような非合法的活動によるものにすぎませんでしたが、
だからこそ男装の女医といい、スパイ女優といい、のちに女性が権利を得て
軍に参加するようになる時代にはあり得ないような、
小説じみたロマンを感じさせる逸話が生まれてきたのかもしれません。

 

続く。

 

 



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3 Comments

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スカーレット・オハラ (Unknown)
2017-08-12 09:11:54
「風と共に去りぬ」が大好きです。

主人公のスカーレットが南北戦争で荒れ放題になった実家の大農場で食料もない中、なんとか生き延びることが出来るきっかけとなったのは、侵入して来た北軍の脱走兵を撃ち殺し、持っていた現金をわが物にしたことでした。

大黒柱だったお父さんはぼけてしまい、精神的な支柱だったお母さんは病死。妹達はお嬢育ちで生活力ゼロ。奴隷には逃げられ、労働力も食料もない。

この小説はスカーレットが16歳から24歳までの8年間を描いているのですが、この時点でスカーレットは19歳か20歳。妹の婚約者を奪ってしまったり、人としてどうかと思うところもありますが、決して家族を飢えさせないと誓い、実行する。

アメリカ女性の神髄ではないかと思います。だからこそ、空前のベストセラーになったのでしょう。

うちの人は日本人ですが、元Nurse Corpでした。やっぱり強いです(笑)
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風と共に去りぬ (エリス中尉)
2017-08-13 11:23:51
中学生の時に読みましたね。
そういえば、その頃学校の英語の先生(女性)が、文法の説明の時に
Gone With The Windというタイトルを出してきて、
「どうしてスカーレットはアシュレに執着するんでしょうね?
レット・バトラーの方がずっと魅力的だと思うんだけど」
とつぶやき、おそらく私以外のほとんどの生徒の首を捻らせていました。
私は当時ワガママで自己中心的な彼女の存在を嫌悪しておりましたが、
当時からそれが一種の「近親憎悪」に類するものだという自覚は子供ながらにありました。
当時の日記に「スカーレット・オハラはどんな女の中にもいる」
なんて書いてるんですよね(笑)

ところで当時「南部では戦争になるほど黒人を酷く扱っておらず、
奴隷と言いながら”マミー”のように肉親のような存在であった」
という印象を受けたのですが、長じて知るところによると、作者のM・ミッチェルは
KKK団のメンバーで、「風と〜」の中では戦後解放された黒人が
狂暴に白人を襲ったこと、白人が黒人から自分たちの身を守るために
KKK団を作るしかなかったことを執拗なまでに語っているそうです。
小説の中ではスカーレットが危うく黒人にレイプされそうになり、
夫たちがその復讐で黒人居住区を襲撃する話が出てくるのですが、
その夫や同調した白人たちがKKK団員で、原作ではその名前も出てきていたとか。
小説のヒット後(1939)原作が映画化されたとき、スカーレットを襲ったのは
白人のならず者とされ、KKKの名前も一切出されませんでした。
小説のクライマックスはKKKの登場なのだそうですが、私にはなぜか記憶がありません。

ストーリーの波乱万丈さとロマン、そしてて"Tomorrow is another day."
のセリフに象徴されるスカーレット・オハラの強さが世界の人を惹きつけた話ですが、
作者が本当に描きたかったことは、実はそれだけではなかった
(あるいはそれらではなかった)ということになります。

ネットが流通するようになって初めて知った驚くべき事実でした。


>うちの人は日本人ですが、元Nurse Corp

自衛隊の看護師という存在を、私は無条件に尊敬しております。
国防への熱き意思と無私の奉仕精神どちらが欠けても、
勤まるような仕事ではないと堅く信じるからです。
unknownさんのうちの元「海上迷彩の天使」どのにも、敬礼。
返信する
風と共に去りぬ (Unknown)
2017-08-14 07:45:33
当たり前ですが、黒人と言ってもいろいろな人がいる訳で勤勉な人もいれば、だらしない人もいます。

南北戦争で解放された黒人奴隷は農園主という保護者を失って、勤勉で人生設計をきちんと出来る人とだらしなく仕返しするくらいしか頭に浮かばない人との間での格差が一気に開いてしまったことがきちんと描かれています。

大人になって初めて真剣に「風と共に去りぬ」を読んだので、著者はなかなかしっかり社会を見ていると思いました。

今日でももめていますが、映画ではぼかしてあるKKKのことも小説ではしっかり描かれています。

面白いなと思ったのは、スカーレットは自分が危ない目に遭ったことに腹を立てた男性陣がいきり立って黒人達に復讐に行こうと立ち上がるのですが、そんなことに血道を上げるなんて馬鹿げていると本人は極めて醒めています。

主人公が瞳に星がキラキラしてそうな乙女ではなく、ちょっとはずれたキャラだったのも、がんじがらめの秩序の下で生きて来た当時(昭和初期)の女性の心を掴んだのではないでしょうか。

日本で言えばちょうど林芙美子の「放浪記」と同じ時期に書かれているので、女性の社会進出のように世界的にそういう気運が高まってきたのだと思います。
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