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GO ARMY, BEAT NAVY ! 〜アメリカ陸軍士官学校 ウェストポイント

2018-11-11 | アメリカ

 アメリカ海軍について調べていると、時折目にすることになるのが
「BEAT ARMY!」という不穏な言葉です。

 

アメリカ海軍はこの「ビート・アーミー」をどこでも、例えば
日米海軍軍人の懇親会などで何も知らない日本の旧軍軍人を巻き込んだり、
レギュラスミサイルの発射管の蓋にわざわざ印刷したりしてアピールするので、
ははあ、アメリカ海軍、よっぽど陸軍が嫌いなんだなと思っていたわけですが、
ここウェストポイントに実際に来てみれば、なんのことはないこちらの方でも
「ビートネイビー」を叫んでいるらしい、ということがわかりました。

しかしわたしが当初思っていたより険悪な意味はなく、実はこれ、
陸海軍の間に行われるスポーツの試合、特にフットボールで、
ライバル同士である陸海軍が互いに相手をやっつけるぞ!
と挙げる「お約束」の気勢だったのです。

歴史的には大変古く、アメリカに陸海軍士官学校ができ、
スポーツ交流が始まると同時に

Beat Army!」

「Beat Navy!」

が双方で叫ばれるようになりました。

その昔、ジャパンインペリアルネイビーとアーミーは犬猿の仲でした。
アメリカでももしかしたらそれ以上に仲が悪かったのですが、
アメリカのいいところは、上の方のいがみあいはさておいて、
どうせいがみ合うなら徹底的にやりあおうぜ!
と実際に「代理戦争」たるスポーツに昇華してしまうあたりでしょう。

帝國陸海軍も上の方はともかく下々だけでも野球かなんかで
徹底的にやり合うくらいの余裕があれば、もう少し戦況も
なんとかなったのではないか、と思うのですが今はさておき。

またよりによって、ボクシングの試合でネイビーの顔に
パンチが決まった瞬間を選ぶあたりにその本気度が現れています。
これにも書いてありますが、陸海軍士官学校は伝統的にライバル関係。

100年前は頭脳はもちろん肉体的にもエリートだった
カデット&ミシップマンたちは、一般大と比してもスポーツが強かったのです。
そもそも大学にいく青少年の数そのものが少なかった時代ですのでね。

しかし、今は?

猫も杓子も大学に行くことができるようになり、勉強できなくても
フットボールの有名選手なら諸手を挙げて入学させてくれる大学、

勉強せずに一日スポーツさえやっていればいい大学に
恐ろしいほどにカリキュラムが充実した士官学校が勝てるはずありません。

というわけで、21世紀となった現在、正直いって両校のスポーツレベルは
一般に比べいずれも大したことはありません。

しかし彼らのレベルが落ちたのではなく、他のレベルが上がっただけなので、
同じような条件な両者の力量のバランスはほぼ互角、

ということで今でもライバル関係は成り立っているというのです。

ネットでもいうじゃないですか。

「争いは同じレベルの者同士にしか発生しない!」(AA略)

って。


ところで左下にチアリーダーの写真がありますね。

アメリカのスポーツシーンに欠かせない華、チアリーダーですが、
陸軍士官学校にもちゃんとUSMA(陸軍士官学校のこと)
ラブル・ロウザースというチアリーダーがいる、と書いてあります。

まさかこのチアリーダーたち、カデットじゃないよね?

チアリーダーと選手の間に恋が芽生え・・・などという話も、
一般の大学では普通にありますが、学内恋愛禁止の(ただし一年の時だけ)
ウェストポイントでは
いろんな意味で起こりにくいかもしれません。

もちろん可能性はゼロではないようで、学内カップルも当然いるらしい)

伝統的な陸海軍対抗試合のパンフレット各種。

両者の対抗試合にかける気合いは鬼気迫るものとなります。
他の学校はともかく、とにかく海(陸)だけには負けてはならん!
という悲壮な意気込みのせいで試合前には大変なことになるそうです。

特に一年生(プリーブ)は、試合前になると学内を四六時中歩きながら

「ゴーアーミー!ビートネイビー!」

を叫ぶことを強要され、学内がうるさくて仕方ないとか。
おそらくアナポリスでも同じような事情なのではないでしょうか。
(今度見学できたら確かめて来ます)

伝統の一戦、陸海軍フットボールで試合開始のトスを行う
当時の合衆国大統領ハリー・トルーマン。

1950年のゲームということですから、彼らはおそらく
この後朝鮮戦争、ベトナム戦争に出征したと思われます。

このゲームが、両者ともにたいした実力でもないにも関わらず
人気があるのは、彼らが軍人であり、特に上級生は
これを最後に任官して戦地に赴く運命にある、という
「イモーショナルな」ものが纏わっているからといえましょう。


アーミー・ネイビーゲームには歴代大統領が必ず観覧したり
トルーマンのようにトスを行う栄誉を担います。

海軍予備士官だったジョン・F・ケネディは1963年、その年のゲームを
観戦予定だったのですが、試合8日前、ダラスで暗殺されました。

直前だったこともあって史上初めてゲームの中止が検討されたのですが、
ケネディ夫人ジャクリーンが、

「夫は自分の死によってゲームが中止になるのを望まないだろう」

といったこともあって、予定から一週間後になる12月7日、
なぜかパールハーバーデーに合わせてこの年のゲームが行われ、
アナポリスが勝利をおさめました。

ウェストポイントのマスコットは「ラバ」です。

わたしのラバさん〜酋長の娘〜という歌がありますが、
それではなく、騾馬。ミュールです。
1899年に制定されたマスコットラバさんは、その名も

ブラックジャック

ラバのくせに力こぶとシックスパック作ってんじゃねー(笑)

ところで・・・・ブラックジャック・・・だと?

それはもしかして、陸軍士官学校の偉大なる先輩、
「”ブラックジャック”・パーシング」から来てますか?

これ、もともと黒人部隊の指揮官だったパーシングが
「ニガージャック」と悪意を込めて呼ばれていたのを、
新聞記者が忖度してマイルドに言い換えたもの、
ってもちろんウェストポイントの皆さんは知ってますよね?

それに対し、海軍のマスコットはヤギさん。

今年の初めに掲載した「軍と動物」シリーズで、アナポリスのマスコットが

「ビル・ザ・ゴート」

であるとお話ししたことがあります。

ところでこの英文、読んでみてくださいよ。
海軍兵学校には専用の農場があってヤギが飼育されてるわけですが、
いつの頃からか、試合前になるとわざわざニューヨーク郊外から
ウェストポイントの生徒がワシントンまで出張して忍び込み、

ビルを誘拐していく

という悪ふざけが流行り出しました。

アメリカの大学生というのはよくライバル校同士で

「相手の学校に忍び込んで何かを盗み出す」

ということをやらかすのですが、(例えばMITの学生が
わざわざ大陸横断してCALTEC構内のキャノンを盗んで持って帰るとか)
このカデットによるヤギ強奪も歴史的に回を重ねているのです。

この写真は1953年、アナポリスからさらわれて来たビルと、
ビルをさらってきた誘拐犯人、いやカデット。

写真のキャプションには

 「それ以前にもこれ以降にもよくあること」

とさらっと書いてありますが、アナポリスも毎年のことなら
もう少し防衛するとか犯人を捕まえるとかせんかい。
候補生とはいえ一応軍隊なんだから。

1953年ビル誘拐時の新聞記事

アナポリスが防衛する気がないもんだから、
陸軍だけでなく空軍士官学校も調子に乗って試合前にビルを強奪、
空軍士官候補生らしく?爆撃機で輸送していったこともあるし、
あろうことか一般大学学生にも誘拐されているんですよこれが。

アナポリスがヤギ強奪を軍学校同士の「馴れ合い」として、
あー、別にビルって一匹じゃねーし、やりたければ拐えば?
と醒めた態度でいるだけなのかもしれませんが、それにしても
パンピーに領地侵入され、さらに捕虜を取られるとは情けない。

かもアナポリス、これらの事態にも自衛手段を講じず、
なんとペンタゴンに直訴して誘拐禁止令を出させるという
あまり可愛げのない法的手段に訴えました。

んが、その後も粛々とビル誘拐は繰り返され、
YouTube登場後はついに計画から犯行現場までその様子がアップされる事態に。

Hey Navy... missing anything?

もうわたし、この1分くらいの映像を見て
久々に爆笑してしまいました。
これによると、2007年、誘拐したのは

ビル32世 ビル33世 ビル34世

の三匹。
もうはっきりいって普通に犯罪です。
しかしこれ、計画表なんか見てると結構いい作戦立案訓練になってないか?

しかし、ここでふと思いついてゲーム結果を調べてみると、

2002年から2015年までの全てのゲームで
陸軍は一度も海軍に勝っていません。

やっぱりヤギの逆鱗に触れたせいでしょうか。


ところで、両アカデミーには変わった慣習があります。
このアーミー・ネイビー試合の少し前に

「プリズナー・エクスチェンジ」

と称して留学生交換を行うのですが、まあていのいい人質ですわね。
試合前に変なことしやがったらこいつがどうなるかわかってるな的な。

互いの暴挙にブレーキをかけるためのこの捕虜交換ですが、ゲーム当日、
何もなくてよかったねということで捕虜釈放の儀式が行われます。

ところが、ある年に起きたビル・ザ・ゴート強奪事件においては、実は
ウェストポイント側のプリズナーが手引きを内部で行なったのではないか、
という黒い噂もささやかれているのだそうです。

人質として入り込み堂々とスパイを行うとは太え野郎だ。

というわけで色々と因縁のアーミーネイビーゲーム。

冒頭写真は、まだビルが誘拐の恐れもなく平和に暮らせていた頃、
1916年、
ニューヨークで行われたアーミー・ネイビーゲームです。

このミュージアムの隣にはアーミーショップが併設されていて、
候補生が着るものなども売っていたりするのですが、
やっぱりありました。「ビートネイビーTシャツ」が。

個人的には「ビートアーミー」なら買ってもよかったかも・・・。


さて先般述べた理由で、一般的なレベルでの強豪とはいえなくなった
陸海軍士官学校フットボールですが、それでも何人かは
プロのフットボール選手になった人がいたというから驚きます。
不思議なことに彼らは全員がアナポリス出身者です。

水陸強襲艦「ペリリュー」に乗った後、軍籍にありながら、
ロスアンジェルスの名門、レイダースでプレイした、

ナポレオン・マッカラム(1963ー)

もその一人。
海軍はそれを禁止してはいませんでしたが、その後彼に「カリフォルニア」乗組を命じ、

彼はこれをレイダースでプレイさせないための配置だと不満を持ったようです。
その後彼は規定の年数(5年)を務めてからプロになりました。

ロジャー・スタウバッハ(1942ー)

は海軍補給隊指揮官としてベトナム戦争に参戦後プロ選手に。

フィル・マッコンキー(1957ー)

はやはり海軍のヘリパイとして4年サービスを務めてからプロ選手に。

カイル・エッケル(1981ー)

はあまりにもアカデミー時代に打ち立てた記録がすごかったので、
卒業するなりプロになったようです。
(巨額の違約金を海軍に払ったのかもしれません)

 

1890年から戦争中も一度も中止せずに行われてきた118ゲームの結果は、
2018年現在、

陸軍51勝 海軍60勝、7引き分け

ヤギ強奪の祟りのせいで(たぶん)陸軍は海軍に9試合リードを許しています。


最後に、アカデミーを卒業した陸海軍人で、老境に入っても

「ビート・ネイビー!」「ビート・アーミー!」

と書簡の最後を結ぶ人は昔から結構いるのだそうです。
きっと探せば、墓石に彫り込んでる人も一人くらいいそう(笑)

 あ、そうそう、今年の試合は真珠湾攻撃の日に行われます。
長年の低迷時代からついに巻き返したウェストポイントが勝つか、
王者の余裕海軍が勝つか 、白熱した勝敗の行方に目が離せない!!!


続く。