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母艦パイロットの着艦訓練~日高盛康少佐

2011-09-25 | 海軍

日高盛康少佐。海軍兵学校六十六期。
瑞鳳、瑞鶴、隼鷹、652空などの飛行隊長として
ミッドウェー、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加。
戦闘304飛行隊長で終戦を迎える。


兵学校66期の戦闘機専修は5名。ほとんどの飛行学生と同じく、
熱烈な戦闘機志望であった日高少佐が晴れて大分航空隊の戦闘機操縦課程を卒業した日。
その日は同時に「任海軍中尉」と「補軍艦飛龍乗組」辞令を手にした日でもありました。

この日を「生涯忘れられない思い出深い日の一つ」として心に刻むほどに、
そのときの日高少佐は喜びに充ち溢れていたのです。

「66期の33期飛行学生」
このキリのいい数字も、日高少佐のこころを弾ませるものでしたが、
なんといっても飛龍といえば後にミッドウェーで最後まで奮戦して有名を馳せたように、
当時から第二航空戦隊に所属する最新鋭の中型空母。
血気盛んな若いほやほやの海軍中尉の胸が高鳴ったのも当然と言えましょう。
練習航空隊を卒業したばかりのパイロットが中尉任官と同時に母艦に直接配置されたのは、
実はこの時が最初と言われています。

ご存知のように母艦パイロットは着艦ができなければならないので、学生、練習生は卒業後、
少なくとも一年くらいはみっちり陸上航空隊で訓練を積んでから配属するというのが、従来の慣例でした。
戦雲急を告げていたこの頃、将来を慮ってこの33期を「テストケース」にしよう、
という中央の思惑がここにあったもののようです。

学生卒業直後のパイロットでも母艦乗りとして使い物になるかどうか?

一人の殉職(原正少尉)で4人となった卒業生のうち、クラスヘッドだった坂井知行中尉と、
この日高中尉の二名がテストケースとしての最初の配属をされました。
「モルモットならモルモットでいい、
後に続く後輩のためにも立派な成績をあげて道を開いてやろう」
と意気込んで、日高中尉は九州の大村基地の猛訓練に参加します。


ところで、飛行機を動いている母艦に着艦させるということは、
全く飛行機の操縦の経験がないものにとってもとてつもなく難行であることは想像されます。
実際、空から見ると、巨大なはずの母艦はあたかも「大海に浮く木の葉」にしか見えないのだそうです。
そして、あんな小さな場所に着艦できるのかと、最初は脚が震えるほどなのだそうです。

訓練の第一段階はまず地上で行う「定着訓練」と呼ばれるものです。
飛行場の着陸地帯に白い布板で母艦の飛行甲板を形どった接地点を表示し、
毎回ぴたりと定点に着陸できるようになるまで、明けても暮れても訓練が繰り返されるのです。

接地点の左側には、赤ランプと青ランプをそれぞれ一列に4個くらい並べて取り付けた、
高さの若干違う木製の台が前後に配置されています。
パイロットは、母艦の艦尾左舷に設置された着陸誘導灯を頼りに着艦します。

つまり、着陸時に
「赤ランプと青ランプが一線に見える高さが、ちょうど該当機種のグライドパス(降下角)と合致するように」
機をコントロールすることによって着艦体制を取っていました。

つまりこれは着艦シミュレーターなのです。
日本の自動車教習所はよく
「後ろの窓のこの辺りにバーが見えたらハンドルを何も考えずに切りなさい」
などという教え方をしますが、まさにそのノリです。
自動車は状況が色々なので、卒業後このテクニックは何の役にも立たなくなりますが、
飛行機の場合は、このシチュエーションが変わることはあり得ないので、シミュレーターを頼りに訓練する、
というのは実に合理的で時間の節約にもなるやり方であると思えます。

さて、日高少佐は戦後航空自衛隊で一等空佐まで務めた根っからの「飛行機野郎」でした。
緻密な頭脳をお持ちであったに違いない日高少佐、
この着艦訓練についても微に入り細に入り緻密な筆致で書き記して下さっています。
この訓練と着艦の方法が興味深いので、何回かに分けてお話ししたいと思います。


皆さんも聴きたくありませんか?母艦に着艦するテクニック。


日高少佐は残念ながら去年の7月、お亡くなりになったそうです。
この稀有な強運の持ち主であり名母艦搭乗員、名隊長の足跡を次回から少し辿ることにしましょう。

この日高少佐の発言に
「元軍人は、戦後(特にアメリカの)戦争映画をどう見ているのか」
ということについて大変興味深いものがあります。

「母艦の艦尾で両手にしゃもじのようなものを持った人間が、それを上下させながら
上手に飛行機を誘導して着艦させている場面によく出会うが」

おおー。そこに目をつけますか。
言われてみればそんなシーンが何となく記憶にありますね。
これが普通の人の見方でしょう。
あのしゃもじ、あれはアメリカ特有だったんですね。調べてないけどイギリスもかな。
アメリカがこういうところで人間の手による誘導方法を取っている半面、
日本は人手を借りないで、マニュアルを定め自力で着艦させるという方法を取っているのです。

日高少佐に言わせると
「これを見るたびに私は、こればかりは日本海軍の方が科学的だったのではないかと
ひそかにほほえんでいるのである」

平和の世に、戦争映画を観ながら「ひそかに微笑む」老いたる元海軍少佐。
これこそなんだか映画のようですね。

それでは次回は訓練の第二段階からお話しします。