◎グルの必要性
坐って息を感じる。大方の呼吸法では、吐く息は意識するが、吸う息は無意識のままでよいとされる。
ヴィパッサナー=呼吸を見つめる冥想法は、釈迦はこれで覚醒したとも言われる重要な冥想法。
吸う息は誕生で、吐く息は死。坐って呼吸を感じると、吐いて吸う間に呼吸のない時間帯がある。深まってきて呼吸の回数が落ちると呼吸のない時間も長くなる。
OSHOバグワンは、その呼吸のない時間、すなわち隙間を感じ取ることがヴィパッサナーの眼目だという(新瞑想法入門 和尚/講話 瞑想社P165)。
彼は、息と意識が一つにならねばならない、息とともに内に入り、息とともに外に出ることによりその隙間をつかむことができるとする。
これは、アナパナサティー(安般念)と呼ばれる冥想法。
ところが、呼吸を見つめ続けると、眠れなくなるらしい。そのせいで発狂もしやすいという側面もあるらしい。
そのことはOSHOバグワンが他の本でつぶやいているのだが、新瞑想法入門でも、井上ウィマラ氏の著書「呼吸による気づきの教え」にも大安般守意経にもそんなことは書いていない。
その意味でヴィパッサナーこそまともなグルの指導なしでは危険な冥想法ではある。
だが今の時代は、メディアとスマホ・ゲームで人間精神を操作しまくっている時代。それだけでも容易に人を耽溺と依存と倒錯に追い込みやすいのだが、精神マニピュレイトという点では同類の冥想もグルなしでは危険な側面がある。
グルを求める気持ちの真摯さは、生得のものもあろうが、環境、教育の影響も大きい。だが、その真摯さがなくして真正のグルにも出会えないとほとんどの経典は口をそろえている。
坐って息を感じる。大方の呼吸法では、吐く息は意識するが、吸う息は無意識のままでよいとされる。
ヴィパッサナー=呼吸を見つめる冥想法は、釈迦はこれで覚醒したとも言われる重要な冥想法。
吸う息は誕生で、吐く息は死。坐って呼吸を感じると、吐いて吸う間に呼吸のない時間帯がある。深まってきて呼吸の回数が落ちると呼吸のない時間も長くなる。
OSHOバグワンは、その呼吸のない時間、すなわち隙間を感じ取ることがヴィパッサナーの眼目だという(新瞑想法入門 和尚/講話 瞑想社P165)。
彼は、息と意識が一つにならねばならない、息とともに内に入り、息とともに外に出ることによりその隙間をつかむことができるとする。
これは、アナパナサティー(安般念)と呼ばれる冥想法。
ところが、呼吸を見つめ続けると、眠れなくなるらしい。そのせいで発狂もしやすいという側面もあるらしい。
そのことはOSHOバグワンが他の本でつぶやいているのだが、新瞑想法入門でも、井上ウィマラ氏の著書「呼吸による気づきの教え」にも大安般守意経にもそんなことは書いていない。
その意味でヴィパッサナーこそまともなグルの指導なしでは危険な冥想法ではある。
だが今の時代は、メディアとスマホ・ゲームで人間精神を操作しまくっている時代。それだけでも容易に人を耽溺と依存と倒錯に追い込みやすいのだが、精神マニピュレイトという点では同類の冥想もグルなしでは危険な側面がある。
グルを求める気持ちの真摯さは、生得のものもあろうが、環境、教育の影響も大きい。だが、その真摯さがなくして真正のグルにも出会えないとほとんどの経典は口をそろえている。