◎感じて静める、感じて静める
釈迦の呼吸法で、漢訳の大安般守意経では、『仏に六潔意あり、数息、相随、止、観、還、浄、この六事はよく無形を制する。』とあったが、釈尊の呼吸法/村木弘昌/春秋社の解説では、よくわからなかった。
そこで、パーリ語原典からのアーナパーナサティ・スッタの全訳を井上ウィマラさんがやっているので、それを見てみよう。これは、観想付呼吸法の16種セットであって、いわゆる呼吸を見つめるってやつ。最後の4種は、のっぴきならないところに自分を追い込んでしまう可能性が高いと見た。
井上ウィマラさん自身もこの呼吸を見つめる修行法をなさってきた人らしく、文章の端々に精妙な感性を持ってあらゆることに出会っているという風が見える。この状態でだんだんに追い込んで行って、この16段呼吸観想の最後の方は相当に煮詰まってしまうのがわかる。
坐法は、身体をまっすぐに保って、足を組む、だが、クンダリーニ・ヨーガ系らしく、あまり制限はないようだ。
まずは、最初の8段。
『1.長く息を吸っているときには、「長く息を吸っている」と知り、長く息を吐いているときには、「長く息を吐いている」と知る。
2. 短く息を吸っているときには、「短く息を吸っている」と知り、短く息を吐いているときには、「短く息を吐いている」と知る。
3. 「全身を感じながら息を吸おう」と訓練し、「全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
4. 「身体の動きを静めながら息を吸おう」と訓練し、「身体の動きを静めながら息を吐こう」と訓練する。
5. 「喜びを感じながら息を吸おう」と訓練し、「喜びを感じながら息を吐こう」と訓練する。
6. 「リラックスしながら息を吸おう」と訓練し、「リラックスしながら息を吐こう」と訓練する。
7.「心の動きを感じながら息を吸おう」と訓練し、「心の動きを感じながら息を吐こう」と訓練する。
8. 「心の動きを静めながら息を吸おう」と訓練し、「心の動きを静めながら息を吐こう」と訓練する。』
(呼吸による気づきの教え/井上ウィマラ/佼成出版社P226から引用)
感じて静める、感じて静める、これを対象を変えながら、呼吸を軸に深めつつ繰り返していく。目から入るあらゆる映像と耳から入る聴覚刺激で洗脳されまくっている現代人にとってこの訓練はきついかもしれない。
2千年前でもこの修行が簡単だったとも思えないので、きついのは当然か。
釈迦の呼吸法で、漢訳の大安般守意経では、『仏に六潔意あり、数息、相随、止、観、還、浄、この六事はよく無形を制する。』とあったが、釈尊の呼吸法/村木弘昌/春秋社の解説では、よくわからなかった。
そこで、パーリ語原典からのアーナパーナサティ・スッタの全訳を井上ウィマラさんがやっているので、それを見てみよう。これは、観想付呼吸法の16種セットであって、いわゆる呼吸を見つめるってやつ。最後の4種は、のっぴきならないところに自分を追い込んでしまう可能性が高いと見た。
井上ウィマラさん自身もこの呼吸を見つめる修行法をなさってきた人らしく、文章の端々に精妙な感性を持ってあらゆることに出会っているという風が見える。この状態でだんだんに追い込んで行って、この16段呼吸観想の最後の方は相当に煮詰まってしまうのがわかる。
坐法は、身体をまっすぐに保って、足を組む、だが、クンダリーニ・ヨーガ系らしく、あまり制限はないようだ。
まずは、最初の8段。
『1.長く息を吸っているときには、「長く息を吸っている」と知り、長く息を吐いているときには、「長く息を吐いている」と知る。
2. 短く息を吸っているときには、「短く息を吸っている」と知り、短く息を吐いているときには、「短く息を吐いている」と知る。
3. 「全身を感じながら息を吸おう」と訓練し、「全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
4. 「身体の動きを静めながら息を吸おう」と訓練し、「身体の動きを静めながら息を吐こう」と訓練する。
5. 「喜びを感じながら息を吸おう」と訓練し、「喜びを感じながら息を吐こう」と訓練する。
6. 「リラックスしながら息を吸おう」と訓練し、「リラックスしながら息を吐こう」と訓練する。
7.「心の動きを感じながら息を吸おう」と訓練し、「心の動きを感じながら息を吐こう」と訓練する。
8. 「心の動きを静めながら息を吸おう」と訓練し、「心の動きを静めながら息を吐こう」と訓練する。』
(呼吸による気づきの教え/井上ウィマラ/佼成出版社P226から引用)
感じて静める、感じて静める、これを対象を変えながら、呼吸を軸に深めつつ繰り返していく。目から入るあらゆる映像と耳から入る聴覚刺激で洗脳されまくっている現代人にとってこの訓練はきついかもしれない。
2千年前でもこの修行が簡単だったとも思えないので、きついのは当然か。