◎登ってはいけない山-2
(2021-05-28)
さらに大江山。
『古事記』崇神天皇の段では、崇神天皇の弟である日子坐(ひこいます)王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、土蜘蛛の玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討った。
また用明天皇の時代に、聖徳太子の弟の麻呂子(まろこ)親王の鬼退治伝説がある。
また一条天皇の時代、長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らが大江山に住む鬼(酒呑童子)を征伐したという伝説もある。
出口王仁三郎は、
『大江山は日本の悪霊の集まつて居る所である。山の中腹を邪気線(死線)が六十間位の幅で取り巻いて居る。されば此山に登る事は危険な事である。大抵の人間がこの邪気に犯されると思想まで悪化して了ふのである。元伊勢の内宮から、外宮にかけて霊線が通つて居る、この霊線は良い線で、これを突破して大江山に登つた大本信者は悪霊の教唆によつて、遂に信仰から離れて行くものが多い。』(水鏡/大江山と邪気線/出口王仁三郎から引用)
※大江山の東南東に10キロほどの山道を行くと元伊勢内宮がある。外宮(豊受大神社)は内宮から4キロほど南であり、この間に良い線があるわけだ。この元伊勢に行った人でないとこの文はわからないのではないか。
ところが、どんなパワースポットでも、白でも黒でもない大勢の人が繰り返し登れば、その霊線は弱まるということはあるのではないか。よって次のような歌が出てくる。
『大江山鬼の住家は八衢(やちまた)の都大路に宿をかへたる』(出口王仁三郎全集第7巻歌集 巻下 道歌より引用)
そういう訳で、今この時代に、現世に地獄が移っていることの悲しさよ。