◎個人的な秘密のくずかご
(2017-12-21)
1950年代アメリカでは、効果的な自白剤の開発に余念がなかった。
『真実を吐かせるドラッグという概念自体が、最初から少々荒唐無稽ではあった。これにはまず、精神のほうが自己検閲をする傾向を、化学薬品でバイパスし、精神を裏返してしまい、かくしていた秘密をどっと吐きださせる方法があるはずだという考えが前提になっている。
そして吐きだされた個人的な秘密のくずかごから、求める「真実」に近いものを手にいれられるという前提があった。
この点で、CIAが求めていたものは、鉛を金に変えるとされた「賢者の石」とか、デソトら探検家がさがし求めた「不老の泉」など、おなじみの神話の歪曲版といったおもむきがあった。
つまりなにかにふれたり、摂取したりすれば、たちどころに知恵、不死、永遠の安らぎがえられるといったたぐいの幼稚さが見られたのだ。』
(アシッド・ドリームズ CIA、LSD、ヒッピー革命 マーティン・A・リー/共著 第三書館 P18から引用)
この開発がうまくいったかどうかわからないが、現場では、あまりにも膨大な個人的な秘密のゴミ情報に当惑し、目指す価値ある情報にたどり着くのは大変な労力が必要になったのではないかと思う。
こういった、個人的な秘密のゴミ情報は、冥想シーンでは、雑念、妄想であり、相手にしない、棄てることを励行されるものである。
個人的な秘密のゴミ情報は、個人的無意識とも呼ばれ、その情報群は多重であり、複雑にからみあっており、想像や嘘や思い込みや推測や真実もがんがん入り混じっている。
これに不安、恐怖、喜び、爽快さ、生きづらさなどの情動も加えられて、そんなゴミためを覗いても労多くして益少なしではないかと思う。
だが無意識の世界は、死の世界でもあり、無意識の心理現象は、その奥底で、現実そのものの形成力となり、現在と過去と未来をも構成している。
忙しい現代人にゴミ箱のゴミをチェックしている余裕はなく、ただ確かなもの、本当にしっくりくるものを求めるというのが、まともな情熱というものではないかと思う。
ヨハネによる福音書8-32
『真理はあなたたちを自由にする』