◎師匠の側の無私、自己犠牲、捨て身
啐啄同機と言っても、普通は修行者から見た立場からしか考えず、「神仏の側からも穿ってくるものがあるのか。」程度にしか思わないものだ。
ところが、神仏の側とは取りも直さず師の側のことであり、孤立化が進んで師を持たない孤独な瞑想(冥想)修行者の多いこの時代には、師が自分に真理を、法を伝えるために相当に時間と労力を費やしてくれたあるいは費やしてくれるものであることには、気がつきにくいものである。
達磨は、漠然と中国に仏教を伝えるために行ったわけではなく、弟子慧可に悟りを伝えるために生命を賭して、タジキスタンの年中強風が吹くパミール高原(葱嶺)を越えたのだ。
そしてその七百年後に禅が日本に伝わったのは、栄西、道元、大応(南浦紹明)という法器が日本に出現したからである。
要するに達磨は、全世界を超能力でスキャンして中国に慧可を発見し、万難を排して中国に向かったのだ。師はありがたいことである。おかげで達磨は、中国で毒殺されることになった。真理を伝えるためにインドから支那に渡って客死した達磨の心情を誰が知ろう。悟りを伝えるというのは、そこまで無私を要求されるものなのか。厳しいことである。
イエスが弟子の足を洗った故事は軽々に見るべきではない。
気軽に万人が神を知る時代が来ると唱えているが、大悟覚醒、ニルヴァーナに入るというものは、一人一人に対し原則正師がいなければあり得ず、正師の方も真理を伝えることが可能な弟子が出現しなければ、ニルヴァーナは伝わらない。
その点で、ある水準に達した冥想教師の意義は、師であるからには、同様に大きい。万人が神を知る時代のために冥想教師が必須であることをダンテス・ダイジは、冥想道手帳で示している。
以下はOSHOバグワンの見方。
『自己を認識した仏陀の弟子であるボーディダルマ(菩提達磨)が、インドから中国に行かなければならなかったのは、中国に彼が持っている知識を伝授することができる人物がいたからだ。
その結果仏教の伝統そのものが、インドの外に出ることになった。このことから人々は二、三 の仏教僧たちが、仏教を広めるために中国に渡ったと理解しているが、その理解は間違っている。それは歴史のできごとを表面的に見ている人たちの理解だ。
慧可が、知識を伝授することが可能な中国における人物だった。そして彼が自らインドに来ようとはしなかったのは面白いことだ。この世の困難は実に驚くべきものであることがよくあ る。慧可がインドに来ることを望まなかったのは、彼が自分の潜在能力に気付いていなかったからだ。そのために、ボーディダルマははるばる中国まで旅しなければならなかった。そして 再び仏教伝統の秘密が、この同じ知識の伝授のために、日本に渡らなければならないときが来 た。』
(神秘の次元 和尚/著 日本ヴォーグ社 P146-147から引用)
なお、OSHOバグワンもアメリカで毒を飲まされたと言われる。