◎神とは、絶対の未知自身だ
明星を見て、悟りを表現しているケースが、釈迦、空海、クリシュナムルティとある。
ダンテス・ダイジのアメジスト・タブレット・プロローグの一節で、呼吸停止、心拍停止を経て、自意識が頭頂から半球状に出た状態で、上方を見ると、はるかかなたに透明なる光の光源(中心太陽central sun)を望見するシーンが出てくる。これは文字通りなら見神。だが、三者ともその際見神体験に止まったかどうかは、別の問題であって、語ったり、書くことを許されなかったかもしれない。
ババジの書籍の挿絵でババジの両目が三白眼になり上方を向いている意味もひょっとしたらそういうことかもしれない。
『クンダリニー・ヨーガによろうと、ニア・デス体験によろうと、
君は、今、肉体死を経験しつつある。
全世界は、未知と化し、
君自身さえも、まったく未知にいる。
肉体という枠は、冷たく硬くなり消滅している。
目覚めよ、知覚を鋭敏にするのだ!
純粋意識自身に、目覚めよ。
君自身という純粋知覚は、頭部から半球状に突出している。
彼方の光源に向って、三本の白銀色のコードを、下方の輝く球体 (チャクラ) から、一つずつはずしていくのだ。
もし、君が、六個の輝く球体(チャクラ)から、光り輝くコードを純粋知覚なる頭頂の透明球へ引き上げることができれば、未知は、至高の解放として、透明球である君自身の上方に、光り輝いている。
透明なる光の光源に向って飛翔せよ!
今や、未知は、君自身の至上の故郷へと変容している。
神とは、無限の彼方の光源自身だ。
目覚めよ!ジャンプせよ!
君自身が、遠い昔に出て来た発出源へ、今や帰る刹那が来ているのだ。
神とは、絶対の未知自身だ。』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジP121-122から引用)
三本の白銀色のコード:スシュムナー、イダー、ピンガラー。
なお、このシーンは、「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」のP97付近のイラストで説明されている部分である。
またニア・デス(臨死体験)で見神するケースは稀であり、ほとんどが見神しないようだ。
空海は明星が口に飛び込んだと言うが、それはサハスラーラの開口のことだろうか?
虚空蔵菩薩求聞持法に明星を拝む手番がある。
※20世紀の聖者クリシュナムルティ。
『勧められるままに木の下に行き、私はそこで座禅を組んだ。そのようにしていると、私は自分が肉体を離れ出るのを感じた。私は若葉の下に坐っている自分を見た。私の身体は東を向いていた。私 の前には自分の肉体があり、頭上にはきらきらと輝く美しい「星」が見えた。』
(クリシュナムルティの世界/大野純一P73から引用)
脱身したが、頭上に星を見たというのは微妙なシチュエイションではある。