アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

西欧古代から中世の迷路

2023-05-15 20:30:28 | 究極というものの可能性neo

◎無文字の謎

(2017-02-13)

 

オリエントから西には、古来王侯の庭園や教会の内部あるいは外の敷地に迷路を置くことがあった。

今やモバゲーやPCゲームにダンジョンは欠かせないが、ネタバレを見ながら解くのが一般的になっているかもしれないので、迷路本来の機能は失われている。

人間社会のあらゆる問題は死の恐怖から来ている。生保、損保、そして生活を安定させ余計な死のリスクを分散させる税の再配分のシステム、家庭、社会秩序、軍備、政治イデオロギー、そうしたものは本来時々刻々直面している自分の死のリスクから来る緊張を緩和するために作られたものである。

死のリスクを論じるならば、死のステップをチベット死者の書などで見ていくことも避けられない。死の初段は、肉体死から「原初の光」を意識しつつ、エーテル体の崩壊、中有へ移動、アストラル体への移行と進む。

そしてアストラルに留まればそれは単なる霊がかりであって、本質的な解決には程遠いものに終わる。

東洋では迷路などを置かなくてもそういう問題意識や解決の方向性は、自然や社会の中に備わっていたところがある。

西洋では、人間知性の限界と闇を無文字な謎という形で訴求しようとしたのだろう。

【ローマ時代の迷路_イタリア_クレモナ】

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ブリハドアーラヤニカの死のプロセス

2023-05-15 05:36:47 | 浅い霊感から神人合一まで

本山博の死のプロセス

 

ブリハドアーラヤニカ(ウパニシャッドの一つ)の死のプロセスは、以下。

『死のメカニズム

 

まず、人が死ぬ時、その魂 (個我)は、その微細身と一緒に、身体(肉体)のどこを 通り抜けて出ていって死が完了するかのメカニズムについて、ブリハドアーラニヤカ (ウパニシャッドの一つ)の中に述べられていることを要約してみよう。

 

心臓が止まり、 人が死ぬと、ジーヴァ (個我)は心臓に来た微細身の中に、生前行なった行為の果を種子として貯え、その微細身の中に宿って身体から抜け出る。その時、あるジーヴァ(個我)は目(アジナチャクラ)を通り、あるジーヴァは脳天(サハスララチャクラ)を通り、あるいは他のジーヴァはその他の部門を通って身体から去る、 というふうに書いてある。

(カルマと再生―生と死の謎を解く 本山 博 宗教心理出版 P72-73から引用)

 

死に際して、ジーヴァ(個我)は、目や脳天やその他の部位を通って身体を抜け出ると、あっさりと書いている。大悟覚醒のためには頭頂から出ねばならないなどという限定はない。

この文章に引き続いて、本山博は、死後いろいろなルートで転生していくことを述べており、そもそも大悟覚醒して転生しない道に進むことにはあまり重きを置いていないような印象を受ける。

 

だから死んだ直後に最大の悟りのチャンスがやってくる(チベット死者の書)などということは、この死のプロセスの要約には載せていないのだろう。

 

ややもすれば死後万人が、速やかに人間としてこの世に再生することがベターみたいな考え方では、人間の直面する不条理や理不尽を二度と味わいたくないというモチベーションには重きを置かず、「苦しみすらまんざらでもないから、次も人間として転生するのが楽」みたいな考え方が感じられる。

 

それでよしとする人には何も言えないが、そんな状態だから、この時代は地獄が現世に移ってきたなどと言われるのではないだろうかとまで思う。

 

参考までにブリハドアーラヤニカの該当部分はこれ。

『4・1

「この自己(āmman)が力のない状態に陥り、意識不明になり始める時に、これらの生気はこれの周りに集まる。これらの熱の微量から成るものを総括しながら、それはまさに心臓の中に降りる。視覚を具えているこの人間がそっぽを向いて戻ってくる時に、人は形態を認識しないようになる。

 

4・2

“彼は一つになる、彼は見ない”と人々は言う。“彼は一つになる、彼は嗅がない“と人々は言う。”彼は一つになる、彼は味わわない”と人々は言う。“彼は一つになる、彼は語らない”と人々は言う。“彼は一つになる、彼は聞かない”と人々は言う。”彼は一つになる、彼は考えない“と人々は言う。”彼は一つになる、彼は触れない”と人々は言う。”彼は一つになる、彼は認識しない“と人々は 言う。

彼の心臓の先端が輝き始める。それの輝きによって、この自己は目から、あるいは頭蓋から、あるいは身体の他の部分から外へ出て行く。息が外へ出て行こうとする時に、すべての生気はその息に従って外へ出て行く。彼は認識を具えているものになり、まさに認識を具えているものに従って降りる。それを知識とカルマン〔行為〕、および前世の記憶が捉える。

 

4・3

例えば、毛虫が草の葉の端に達したあとで、他の歩みを歩み〔他の草の葉の端に達し〕、自己自身を縮めるように、まさにこのように、この自己はこの身体を破壊して、それを無知の中へ入れさせ、他の歩みを歩み〔他の身体の中に入り〕、自己自身を縮める。

 

4・4

例えば、織子が織物の一部を取り去って、他の、より新しい、より美しい形態を仕上げるように、まさにこのように、この自己はこの身体を破壊し、それを無知の中へ入れさせ、他の、より新しい、美しい形態を作る――祖先の、あるいはガンダルヴァの、あるいは神々の、あるいはプラジャーパ ティの、あるいはブラフマンの、あるいは他の生きものの形態を作る。 』

(ウパニシャッド 翻訳および解説/湯田豊/大東出版社P116-117から引用)

 

『彼は一つになる』とは、チベット死者の書でいえば、原初の光あるいは子の光明にあたる部分。ウパニシャッドの時代には死を『彼は一つになる』と捉えていたことがわかる。

 

このブリハドアーラヤニカの書きぶりでは、確かに死のプロセスでは一旦『一つになる』ものの、ある者はブラフマンという覚醒に到達するが、ある者は覚醒せず他の生きものとして転生してくるということであって、覚醒至上ではない。

 

だが、現代はそれでは済まないと思う。

 

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