◎朱橘、パオハリー・バーバー、寇謙之
屍解の例の続き。
3.朱橘
朱橘は、淮南の人で翠陽と号す。宋の理宗皇帝の淳祐二年、朱橘は、郷人の陳六に対し、自分は県庁の官舎の前で仙化するので、その際身体を清い土で上から覆ってくれと頼んだ。
やがてその日になって、朱橘の遺骸を陳六が泥で覆った。するとそこに酔っ払った警官がやってきて、その遺骸を見て大いに笑い、杖でもってこれを突き崩し、ぐしゃぐしゃにした。すると泥土は四方へ散ったが、朱橘の遺骸は見当たらず消え失せていた。
4.謙虚の聖者パオハリー・バーバー
パオハーリー・バーバーはベナレスの近郊でバラモンの両親のもとに生まれた。青年時代に、彼はインド哲学の諸学派を学んだ。のちに彼は世を捨てて、禁欲生活に入り、ヨーガやヴェーダーンタの教えを実践し、そしてインド中を旅して歩いた。最後に、彼はガージープルに落ち着き、その町のガンジス河畔の人目につかないところに小屋を建て、時間のほとんどを瞑想のうちに過ごした。
死ぬ前の数日間、家に閉じこもっていた。それから、ある日、肉の焼ける匂いと一緒にひっそりとした小屋から、煙の立ちのぼっているのに人びとは気づいた。この世の終わりが近づいているのを知った聖者は、至高の犠牲(いけにえ)として、主への最後の供物に自分の肉体を捧げたということが発見されたのである。
(スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯 スワミ・ニキラーナンダ/著 法律文化社P95から引用)
5.寇謙之
寇謙之は、442年、道教を北魏の国教にすることに成功した人物。
幼少の時仙人の成功興について修行。嵩山、華山を遍歴し、嵩陽に定住した。
ある日彼は、師匠の成功興のことを夢に見たと語り、天帝に召されて嵩山の仙官に任ぜられたことを告げるとそのまま死去した。
その際、煙のような青い気が口から出て、高く空中に立ち昇り、半ばにして消えると、彼の身体は見るみる縮小し、ついにはその姿は消えてしまった。