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九条の会

2005年10月10日 | 健康・病気

昨日、所沢まつりから帰り、新所沢駅の西口に私はいた。
前の会社で一緒に働いていた友人と会うために、
午後5時に待ち合わせをしていたのです。
もう半年ほど会っていなかった。
午前中にメールを送り、飲む約束をしていた。

階段を降りて右側は西友の入り口になっている。
コンコースには企画ものの商品が所狭しとある。
そこで何人かの人がビラを配っていた。
「九条の会です。よろしくお願いします」
と、駅に出入りする人々に何枚かの印刷物を手渡していた。
私は生理的にそういうビラはもらわない。
その人たちとは関係ないというふうに、
たばこを吸ってぼさーと立っていた。
(当然、手には携帯灰皿を持っています)

歩いている人には渡しているが、
私のように立ち止まっている者には遠慮するのか、
印刷物を誰も渡そうとしなかった。
そのうち、ある年配の男性(70歳ぐらいか)が、
マイクに向かって話し始めた。
雨が降っているので傘を差している。

「私たちは『マスコミ・文化 九条の会』といいます。
 今、憲法九条が改正されようとしています」
というようなことを静かに話し始めた。
話を聞いていると、さっきまで近くで、
講演と映画の上映会をやってきて、
そのあとこうしてビラ配りをしているという。

その人たちをあらためて見ると、
みな品のいい年配の人たちだった。
その中のひとりが遠慮がちに私に印刷物をくれた。
それは「九条守って世界に平和」と書いてある
タブロイド版の会報だった。
友人はまだ来ない。
私はその会報を読んだ。

私は、憲法九条を今のままにしておいて欲しいと思っている。
軍隊のような自衛隊があり、海外に“派兵”している現在、
それに似合うような憲法にしなくては不自然だ、
という気持ちは以前にはあった。
しかし、これ以上の活動の拡大を抑えるためには、
九条は必要だと考えるようになった。
九条は守るべきだと。

私はその人たちと一緒にビラを配ってもいいと思った。
でも、昨日の私には飲む約束があった。
友人に「今、どこ?」とメールを打った。
すぐ電話がかかってきた。
小手指にいるという。思えば、約束したとき、
待ち合わせの駅をいってなかった。
彼は小手指駅と思い、私は勝手に新所沢駅と思いこんだ。
それから急いで家に帰り、小手指駅に自転車を飛ばした。


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日記“風”

2005年10月09日 | 健康・病気

今日は、今月で唯一の“休み”の日曜日だ。
やはり世間が休みのときに、
自分も休めるというのは嬉しい。

午前中、義母が来た。
起きてきた息子が、照れくさそうに挨拶していた。
息子は小学、中学、高校と、
家に帰ってから義母に世話になった。
毎日、家に来て息子たちの面倒を見てくれたのです。
そのお陰で、女房は仕事に行けた。

入間のヤマダ電機の2階にあるダイソーに連れて行った。
義母の住む練馬には、
大きな100円ショップがないというので行った。
帰りに、パスタアルデンティーノに寄り昼食を食べた。
ピザ、パスタが美味しかった。
義父が亡くなり、女房は母親とまめに会っている。
今日は、お義母さんが所沢まで来てくれた。
楽しいひとときを過ごした。

義母を送りがてら、所沢駅まで一緒の電車に乗った。
今日は、所沢まつりの日だ。
街にいくつもの山車や御輿が出ていた。
駅前のロータリーには大型トラックのステージがあり、
そこではバンドが演奏していた。

ステージ横のテントの中には知っている顔が何人かいた。
以前やったライブでお世話になった人です。
楽家の常連も来ていた。
私はずうずうしくもウーロンハイをいただいた。
それを持って、ステージの前に坐った。
キムさんのアルトサックスは今日もノッていた。

 

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室井佑月

2005年10月08日 | 健康・病気

今週の木曜日だったか、その日の作業が終わり
あの子たちを送迎車に乗っけてラジオをつけたら、
室井佑月の声がした。
「いきいきホットライン」(NHK 17:05~)
のゲストとして出ていた。私はこの番組が好きで、
この時間、車に乗っているときはよく聴いている。

ブログの話をしていた。
今週のテーマはなんだったのだろう?
この番組は、1週間ひとつのテーマを
ゲストを呼んで話している。
室井佑月も今年ブログを始めたという。
検索して読んでみたらなかなか面白い。

女房が室井佑月は好きだという。
フジテレビの「とくダネ!」を観ていて、
そこでコメンティーターとして
彼女が話すことがいいといっていた。

私も彼女は好きだ。
私の場合、室井佑月の小説が好きなのです。
彼女の小説のジャンルをなんといえばいいのか。
官能小説とは違うな(と私は思う)。
セックスに関した世界を書いてはいるが、ちょっと別だ。
男と女の関係をあっけらかんと書いている。

月曜日に読んだ「money」(小説新潮 5月号)という小説は、
バツイチの子持ちの26歳の女性のことを書いていた。
昼間スーパーでパートをし、夜は風俗店で働いている。
そこに客としてスーパーの店長が来た。
息子のために客の相手をする母親。
小説は、息子と心中しようともとれる終わり方だった。

室井佑月を私は、「むろいうづき」と読んでいた。
正しくは「むろいゆづき」なんですね。


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演劇未中年

2005年10月07日 | 健康・病気

楽家に行った。先週の木曜日以来だ。
Nパパ、ママがいた。いつもこの夫婦はごいっしょだ。
もうひとり40代の男がカウンターの端にいた。
私がNパパとしょうがいしゃとのことを話していると、
「それはよく分かります。
 ボクも以前そういう子たちと働いていました。
 あの子たちは、真っ直ぐですよね。ウソをつきません」
「そうですよね。かわいいです」
そういっている私の心の中では、
(いや、あいつらは立派にウソをつく)と呟く。

その人が帰り、数分後あやちゃんが来た。
マツキヨで働いている素敵な子だ。
Nママの隣りに坐った。
サラリーマンの苦労などを思い出しながら、
Nパパと私は話していた。

そのうちひとりの男が入って来て、
私の席からひとつ隣りに坐った。
前に一度会ったことがある。
確か、芝居をやっているといっていた。
しばらくNパパとしゃべっていたが、
会話が途切れたところでその男に話しかけた。

「芝居をやっているんですよね」
「ええ」
「なんという劇団でしたっけ?」
「こんにゃく座といいます。オペラをやってます」
その名前は聞いたことがある。
「素敵ですね。芝居でメシをくっているなんて、
 おれも20代の頃、芝居をやっていました。
 アマチュアの劇団ですが。茨城訛りで挫折しました」

それから私の芝居をやっていたときのことを話した。
そして、その頃観た芝居の話などを…。
寺山修司の天井桟敷、唐十郎の状況劇場、
東京キッドブラザーズ、つかこうへい事務所、
井上ひさしの芝居など、私が若い頃観た芝居の話をした。

彼は、30歳までバーテンダーをしていて、
このままいってもいいけど、つまんないなと思い、
俳優養成所に入り、そこにいた先生の縁で
こんにゃく座に入ったらしい。

今、ネットで検索したらありました。
「座員のページ」を見たら、その人の写真があった。
いつか、彼の舞台を観てみたいと思った。


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ハルとナツ

2005年10月06日 | 健康・病気

ここんところドラマなんて観ない私が、5日間も
「放送80周年記念 橋田壽賀子ドラマ」を観てしまった。

悪くはなかった。でもな…。

シナリオはよかった。
胸が熱くなったところはいくつかあった。
役者もよかった。
しかし、NHKドラマなんだな。
演技がクサイ。
これは演出家のせいでしょう。

長い年月のドラマは難しいと思うが、
登場人物の年のとりかたが不自然だ。
一貫性がない。
植物にプラスティックを接ぎ木したようだった。

ドラマのできの批判はこのくらいにして…。
ブラジルに移民した人たちの
苦労の100分の1ぐらいは理解できた。
ほんとうに大変だったと思う。

前の会社にいたとき、
私は日系のペルー、ブラジル、チリ、アルゼンチン
の女性たちと仕事をしていた。
九想話
1999/4/28「Adios,hasta la vista」
1999/11/22「ふるさとの音楽」
2000/4/19「さよならゴメス」
2000/7/24「ディナダ」
2001/9/19「さよならロウルデス」
などに彼女たちとのことを書いてきました。

あのとき彼女たちがなぜ
日本に来て働いているのかくわしく知らなかった。
そのことをこのドラマで初めて知った。
そういう意味では、勉強になったドラマでした。

 


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靴屋

2005年10月05日 | 健康・病気

夜7時過ぎ、仕事から帰ると、
女房が玄関に飛んできた。
(へェ~、めずらしいな、おれを出迎えてくれるなんて、
 こんなことは何年ぶりだろう。
 結婚した頃は毎日こうだった。
 息子たちが小さかったときも迎えてくれたな。
 今も貧しいが、あの頃はもっとひどかった。
 年はとった女房だが、出迎えてくれるのもわるくないな)
なんて遠くを見る目で思っていると。

「わたし、今日、感激しちゃった。駅前の商店街の靴屋に
 フラメンコシューズの修理頼んだんだけど、
 いくらだと思う?」
「そんなこといわれたって、おれ分かんないよ」
「これよ、これ。靴の底に皮を張ってくれて、
 このゴムをつけて800円なのよ」
赤いフラメンコシューズを、
私の前に振りかざして女房が叫ぶ。
「ふ~ン」
「こんなフラメンコの靴なんて修理してくれるとこないのよ。
 片方で800円でもいいくらいなのに安いワー」

駅から団地までの通りに商店街がある。
団地ができた頃からの商店街だ。
駅には西友があり、となりにはパルコがある。
商店街の店で買い物をする客など少ないだろう。
今は、いくつかの店が閉店して“歯抜け”になっている。
駅のすぐ前の団地の建物も現在建て替えの工事をしている。
商店街の建物もそのうち建て替えになるので移転するだろう。

「フラメンコ教室のTさんに、
 靴の修理はあそこがいいとすすめて、
 今ではTさんもあそこで修理してもらっているの。
 絶対あそこはいいよ。こんどUの靴の修理も頼もう」

その靴屋の主人は小太りで見栄えのしない30代の男で、
店は狭く、あまりいい靴は置いてないという。
店のかなりのスペースに修理の靴が置いてある。
修理を主にして商売をしているのか。

「わたしこれから自治会のチラシを配ってくるから
 お風呂入ってて、お湯沸いてるよ」
ひとりでさんざん喋り散らして玄関から女房は出て行った。
夏の間、わが家は全員シャワーで風呂は使わない。
昨日、涼しくなったので久しぶりに風呂を沸かした。
湯加減もみずに私が湯舟に入ると、
冷め切った水に近い“お湯”が私を包んでくれた。


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20年前の日記

2005年10月04日 | 健康・病気

今日帰ってきたら(8時)、
UとKが押入にかくれようとしていた。
Kはかくれたが、Uが入れなくて泣いていた。
そしてケンカになった。KがUをなぐる。
Uに「がんばれ、なぐっちゃえ」というけど、
Uは泣くばかり。
そのUにKがおそいかかる。
すごい音がする。でもおれは止めなかった。
そのうちKもやられて泣く。
Kに「いたいだろう」ときくと「うん」とうなづく。
泣きさけぶ二人を向かいあわせて、
「UはKが好きだろ。KはUがすきだろ。
 二人は兄弟なんだから仲良くしろ」
といって握手をさせた。
Kは笑った。Uは複雑。
三人で、風呂に入った。すぐ仲良くなった。
これからだんだんむずかしくなるな。

これは1985年の9月26日の日記の抜粋です。
息子たちは5歳で、私は33歳。
この年の11月10日に鶴瀬から所沢に引っ越してきた。
(日記を読んで分かった)
日々の日記の最後には必ず、
「小説を書け」「書くしかない」とか書いてある。
あの頃は書いていたが、
いつしか書かなくなってしまったな。


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ある離婚

2005年10月03日 | 健康・病気

先日、ある女性から離婚の話を聞いた。
9月中旬、ご主人と話して、
離婚しようということになったらしい。

くわしいことはさしさわりがあるので書かない。
その話を聞いてから私は落ち込んでいる。
深くふかく心が沈みこんでしまった。

ご夫婦には孫もいる。
そろそろ銀婚式を迎える年月を過ごしてきた。
なのに離婚。

大恋愛をして結婚したらしい。
一緒に子どもを育て苦労してきた。
そういうことはどうなってしまうのだろう。

「子どもとは血のつながりがあるが、
 夫婦は他人なんですね」
そういう、女性の言葉が重かった。


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「馬鹿」のいる風景

2005年10月02日 | 健康・病気

鰯雲「馬鹿」も畑の餉に居たり   飯田龍太

私が愛読しているサイト「増殖する俳句歳時記」の、
10/3で紹介されていた句です。
私の感性だけでは、この句をいいとは思わなかった。
しかし、清水哲男さんの解説を読んで感動した。

>「馬鹿」と括弧がつけられているのは、
> 作者が一方的主観的に馬鹿と思っているのではなく、
>「馬鹿」と言えば
> 近在で知らぬ者はない通称のようなものだからだろう。
> 知恵おくれの人なのかもしれないが、
> 大人なのか子供なのかも句からは判然としない。
> いずれにしても畑仕事などできない人で、
> 家に残しておくのも心配だから連れてきているのだ。
> その人が「餉」のときだけはみんなと同じように
> 一丁前に振る舞っているところに、
> 作者は一種の哀しみを感じている。
> 空にはきれいな「鰯雲」が筋を引き、
> 地には収穫物が広がっていて、
> 同じ天地の間に同じ人間として生まれながら、
> しかし人間の条件の違いとは何と非情なものなのか。
> 掲句の哀感を押し進めていけば、
> こういう心持ちに行き着くはずだ。


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消えたふるさと

2005年10月01日 | 健康・病気

私が生まれ育った岩瀬町が消えた。
本日から大和村、真壁町と合併して、桜川市となった。
この地域を桜川という川が流れている。
中学の校歌にも歌われていた。
悪い名前ではないと思う。

しかし、なんか“桜川市”と聞くと、
私のふるさととは思えない。
やっぱりふるさとは岩瀬町だ。

ところで今日、中日の岩瀬が、
横浜佐々木が持つシーズン最多セーブ記録に並んだ。
広島戦で1点リードの9回に今季59試合目の登板。
打者3人で仕留め、45セーブ目をマークした。
私はこれまで岩瀬を応援してきた。
「いわせ」という音の響きが好きなんです。
これからも応援していきます。
阪神戦以外のときは。


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