昨日、所沢まつりから帰り、新所沢駅の西口に私はいた。
前の会社で一緒に働いていた友人と会うために、
午後5時に待ち合わせをしていたのです。
もう半年ほど会っていなかった。
午前中にメールを送り、飲む約束をしていた。
階段を降りて右側は西友の入り口になっている。
コンコースには企画ものの商品が所狭しとある。
そこで何人かの人がビラを配っていた。
「九条の会です。よろしくお願いします」
と、駅に出入りする人々に何枚かの印刷物を手渡していた。
私は生理的にそういうビラはもらわない。
その人たちとは関係ないというふうに、
たばこを吸ってぼさーと立っていた。
(当然、手には携帯灰皿を持っています)
歩いている人には渡しているが、
私のように立ち止まっている者には遠慮するのか、
印刷物を誰も渡そうとしなかった。
そのうち、ある年配の男性(70歳ぐらいか)が、
マイクに向かって話し始めた。
雨が降っているので傘を差している。
「私たちは『マスコミ・文化 九条の会』といいます。
今、憲法九条が改正されようとしています」
というようなことを静かに話し始めた。
話を聞いていると、さっきまで近くで、
講演と映画の上映会をやってきて、
そのあとこうしてビラ配りをしているという。
その人たちをあらためて見ると、
みな品のいい年配の人たちだった。
その中のひとりが遠慮がちに私に印刷物をくれた。
それは「九条守って世界に平和」と書いてある
タブロイド版の会報だった。
友人はまだ来ない。
私はその会報を読んだ。
私は、憲法九条を今のままにしておいて欲しいと思っている。
軍隊のような自衛隊があり、海外に“派兵”している現在、
それに似合うような憲法にしなくては不自然だ、
という気持ちは以前にはあった。
しかし、これ以上の活動の拡大を抑えるためには、
九条は必要だと考えるようになった。
九条は守るべきだと。
私はその人たちと一緒にビラを配ってもいいと思った。
でも、昨日の私には飲む約束があった。
友人に「今、どこ?」とメールを打った。
すぐ電話がかかってきた。
小手指にいるという。思えば、約束したとき、
待ち合わせの駅をいってなかった。
彼は小手指駅と思い、私は勝手に新所沢駅と思いこんだ。
それから急いで家に帰り、小手指駅に自転車を飛ばした。
今日は、今月で唯一の“休み”の日曜日だ。
やはり世間が休みのときに、
自分も休めるというのは嬉しい。
午前中、義母が来た。
起きてきた息子が、照れくさそうに挨拶していた。
息子は小学、中学、高校と、
家に帰ってから義母に世話になった。
毎日、家に来て息子たちの面倒を見てくれたのです。
そのお陰で、女房は仕事に行けた。
入間のヤマダ電機の2階にあるダイソーに連れて行った。
義母の住む練馬には、
大きな100円ショップがないというので行った。
帰りに、パスタアルデンティーノに寄り昼食を食べた。
ピザ、パスタが美味しかった。
義父が亡くなり、女房は母親とまめに会っている。
今日は、お義母さんが所沢まで来てくれた。
楽しいひとときを過ごした。
義母を送りがてら、所沢駅まで一緒の電車に乗った。
今日は、所沢まつりの日だ。
街にいくつもの山車や御輿が出ていた。
駅前のロータリーには大型トラックのステージがあり、
そこではバンドが演奏していた。
ステージ横のテントの中には知っている顔が何人かいた。
以前やったライブでお世話になった人です。
楽家の常連も来ていた。
私はずうずうしくもウーロンハイをいただいた。
それを持って、ステージの前に坐った。
キムさんのアルトサックスは今日もノッていた。
今週の木曜日だったか、その日の作業が終わり
あの子たちを送迎車に乗っけてラジオをつけたら、
室井佑月の声がした。
「いきいきホットライン」(NHK 17:05~)
のゲストとして出ていた。私はこの番組が好きで、
この時間、車に乗っているときはよく聴いている。
ブログの話をしていた。
今週のテーマはなんだったのだろう?
この番組は、1週間ひとつのテーマを
ゲストを呼んで話している。
室井佑月も今年ブログを始めたという。
検索して読んでみたらなかなか面白い。
女房が室井佑月は好きだという。
フジテレビの「とくダネ!」を観ていて、
そこでコメンティーターとして
彼女が話すことがいいといっていた。
私も彼女は好きだ。
私の場合、室井佑月の小説が好きなのです。
彼女の小説のジャンルをなんといえばいいのか。
官能小説とは違うな(と私は思う)。
セックスに関した世界を書いてはいるが、ちょっと別だ。
男と女の関係をあっけらかんと書いている。
月曜日に読んだ「money」(小説新潮 5月号)という小説は、
バツイチの子持ちの26歳の女性のことを書いていた。
昼間スーパーでパートをし、夜は風俗店で働いている。
そこに客としてスーパーの店長が来た。
息子のために客の相手をする母親。
小説は、息子と心中しようともとれる終わり方だった。
室井佑月を私は、「むろいうづき」と読んでいた。
正しくは「むろいゆづき」なんですね。
楽家に行った。先週の木曜日以来だ。
Nパパ、ママがいた。いつもこの夫婦はごいっしょだ。
もうひとり40代の男がカウンターの端にいた。
私がNパパとしょうがいしゃとのことを話していると、
「それはよく分かります。
ボクも以前そういう子たちと働いていました。
あの子たちは、真っ直ぐですよね。ウソをつきません」
「そうですよね。かわいいです」
そういっている私の心の中では、
(いや、あいつらは立派にウソをつく)と呟く。
その人が帰り、数分後あやちゃんが来た。
マツキヨで働いている素敵な子だ。
Nママの隣りに坐った。
サラリーマンの苦労などを思い出しながら、
Nパパと私は話していた。
そのうちひとりの男が入って来て、
私の席からひとつ隣りに坐った。
前に一度会ったことがある。
確か、芝居をやっているといっていた。
しばらくNパパとしゃべっていたが、
会話が途切れたところでその男に話しかけた。
「芝居をやっているんですよね」
「ええ」
「なんという劇団でしたっけ?」
「こんにゃく座といいます。オペラをやってます」
その名前は聞いたことがある。
「素敵ですね。芝居でメシをくっているなんて、
おれも20代の頃、芝居をやっていました。
アマチュアの劇団ですが。茨城訛りで挫折しました」
それから私の芝居をやっていたときのことを話した。
そして、その頃観た芝居の話などを…。
寺山修司の天井桟敷、唐十郎の状況劇場、
東京キッドブラザーズ、つかこうへい事務所、
井上ひさしの芝居など、私が若い頃観た芝居の話をした。
彼は、30歳までバーテンダーをしていて、
このままいってもいいけど、つまんないなと思い、
俳優養成所に入り、そこにいた先生の縁で
こんにゃく座に入ったらしい。
今、ネットで検索したらありました。
「座員のページ」を見たら、その人の写真があった。
いつか、彼の舞台を観てみたいと思った。
ここんところドラマなんて観ない私が、5日間も
「放送80周年記念 橋田壽賀子ドラマ」を観てしまった。
悪くはなかった。でもな…。
シナリオはよかった。
胸が熱くなったところはいくつかあった。
役者もよかった。
しかし、NHKドラマなんだな。
演技がクサイ。
これは演出家のせいでしょう。
長い年月のドラマは難しいと思うが、
登場人物の年のとりかたが不自然だ。
一貫性がない。
植物にプラスティックを接ぎ木したようだった。
ドラマのできの批判はこのくらいにして…。
ブラジルに移民した人たちの
苦労の100分の1ぐらいは理解できた。
ほんとうに大変だったと思う。
前の会社にいたとき、
私は日系のペルー、ブラジル、チリ、アルゼンチン
の女性たちと仕事をしていた。
九想話
1999/4/28「Adios,hasta la vista」
1999/11/22「ふるさとの音楽」
2000/4/19「さよならゴメス」
2000/7/24「ディナダ」
2001/9/19「さよならロウルデス」
などに彼女たちとのことを書いてきました。
あのとき彼女たちがなぜ
日本に来て働いているのかくわしく知らなかった。
そのことをこのドラマで初めて知った。
そういう意味では、勉強になったドラマでした。
夜7時過ぎ、仕事から帰ると、
女房が玄関に飛んできた。
(へェ~、めずらしいな、おれを出迎えてくれるなんて、
こんなことは何年ぶりだろう。
結婚した頃は毎日こうだった。
息子たちが小さかったときも迎えてくれたな。
今も貧しいが、あの頃はもっとひどかった。
年はとった女房だが、出迎えてくれるのもわるくないな)
なんて遠くを見る目で思っていると。
「わたし、今日、感激しちゃった。駅前の商店街の靴屋に
フラメンコシューズの修理頼んだんだけど、
いくらだと思う?」
「そんなこといわれたって、おれ分かんないよ」
「これよ、これ。靴の底に皮を張ってくれて、
このゴムをつけて800円なのよ」
赤いフラメンコシューズを、
私の前に振りかざして女房が叫ぶ。
「ふ~ン」
「こんなフラメンコの靴なんて修理してくれるとこないのよ。
片方で800円でもいいくらいなのに安いワー」
駅から団地までの通りに商店街がある。
団地ができた頃からの商店街だ。
駅には西友があり、となりにはパルコがある。
商店街の店で買い物をする客など少ないだろう。
今は、いくつかの店が閉店して“歯抜け”になっている。
駅のすぐ前の団地の建物も現在建て替えの工事をしている。
商店街の建物もそのうち建て替えになるので移転するだろう。
「フラメンコ教室のTさんに、
靴の修理はあそこがいいとすすめて、
今ではTさんもあそこで修理してもらっているの。
絶対あそこはいいよ。こんどUの靴の修理も頼もう」
その靴屋の主人は小太りで見栄えのしない30代の男で、
店は狭く、あまりいい靴は置いてないという。
店のかなりのスペースに修理の靴が置いてある。
修理を主にして商売をしているのか。
「わたしこれから自治会のチラシを配ってくるから
お風呂入ってて、お湯沸いてるよ」
ひとりでさんざん喋り散らして玄関から女房は出て行った。
夏の間、わが家は全員シャワーで風呂は使わない。
昨日、涼しくなったので久しぶりに風呂を沸かした。
湯加減もみずに私が湯舟に入ると、
冷め切った水に近い“お湯”が私を包んでくれた。
今日帰ってきたら(8時)、
UとKが押入にかくれようとしていた。
Kはかくれたが、Uが入れなくて泣いていた。
そしてケンカになった。KがUをなぐる。
Uに「がんばれ、なぐっちゃえ」というけど、
Uは泣くばかり。
そのUにKがおそいかかる。
すごい音がする。でもおれは止めなかった。
そのうちKもやられて泣く。
Kに「いたいだろう」ときくと「うん」とうなづく。
泣きさけぶ二人を向かいあわせて、
「UはKが好きだろ。KはUがすきだろ。
二人は兄弟なんだから仲良くしろ」
といって握手をさせた。
Kは笑った。Uは複雑。
三人で、風呂に入った。すぐ仲良くなった。
これからだんだんむずかしくなるな。
これは1985年の9月26日の日記の抜粋です。
息子たちは5歳で、私は33歳。
この年の11月10日に鶴瀬から所沢に引っ越してきた。
(日記を読んで分かった)
日々の日記の最後には必ず、
「小説を書け」「書くしかない」とか書いてある。
あの頃は書いていたが、
いつしか書かなくなってしまったな。
先日、ある女性から離婚の話を聞いた。
9月中旬、ご主人と話して、
離婚しようということになったらしい。
くわしいことはさしさわりがあるので書かない。
その話を聞いてから私は落ち込んでいる。
深くふかく心が沈みこんでしまった。
ご夫婦には孫もいる。
そろそろ銀婚式を迎える年月を過ごしてきた。
なのに離婚。
大恋愛をして結婚したらしい。
一緒に子どもを育て苦労してきた。
そういうことはどうなってしまうのだろう。
「子どもとは血のつながりがあるが、
夫婦は他人なんですね」
そういう、女性の言葉が重かった。
鰯雲「馬鹿」も畑の餉に居たり 飯田龍太
私が愛読しているサイト「増殖する俳句歳時記」の、
10/3で紹介されていた句です。
私の感性だけでは、この句をいいとは思わなかった。
しかし、清水哲男さんの解説を読んで感動した。
>「馬鹿」と括弧がつけられているのは、
> 作者が一方的主観的に馬鹿と思っているのではなく、
>「馬鹿」と言えば
> 近在で知らぬ者はない通称のようなものだからだろう。
> 知恵おくれの人なのかもしれないが、
> 大人なのか子供なのかも句からは判然としない。
> いずれにしても畑仕事などできない人で、
> 家に残しておくのも心配だから連れてきているのだ。
> その人が「餉」のときだけはみんなと同じように
> 一丁前に振る舞っているところに、
> 作者は一種の哀しみを感じている。
> 空にはきれいな「鰯雲」が筋を引き、
> 地には収穫物が広がっていて、
> 同じ天地の間に同じ人間として生まれながら、
> しかし人間の条件の違いとは何と非情なものなのか。
> 掲句の哀感を押し進めていけば、
> こういう心持ちに行き着くはずだ。
私が生まれ育った岩瀬町が消えた。
本日から大和村、真壁町と合併して、桜川市となった。
この地域を桜川という川が流れている。
中学の校歌にも歌われていた。
悪い名前ではないと思う。
しかし、なんか“桜川市”と聞くと、
私のふるさととは思えない。
やっぱりふるさとは岩瀬町だ。
ところで今日、中日の岩瀬が、
横浜佐々木が持つシーズン最多セーブ記録に並んだ。
広島戦で1点リードの9回に今季59試合目の登板。
打者3人で仕留め、45セーブ目をマークした。
私はこれまで岩瀬を応援してきた。
「いわせ」という音の響きが好きなんです。
これからも応援していきます。
阪神戦以外のときは。