夜7時過ぎ、仕事から帰ると、
女房が玄関に飛んできた。
(へェ~、めずらしいな、おれを出迎えてくれるなんて、
こんなことは何年ぶりだろう。
結婚した頃は毎日こうだった。
息子たちが小さかったときも迎えてくれたな。
今も貧しいが、あの頃はもっとひどかった。
年はとった女房だが、出迎えてくれるのもわるくないな)
なんて遠くを見る目で思っていると。
「わたし、今日、感激しちゃった。駅前の商店街の靴屋に
フラメンコシューズの修理頼んだんだけど、
いくらだと思う?」
「そんなこといわれたって、おれ分かんないよ」
「これよ、これ。靴の底に皮を張ってくれて、
このゴムをつけて800円なのよ」
赤いフラメンコシューズを、
私の前に振りかざして女房が叫ぶ。
「ふ~ン」
「こんなフラメンコの靴なんて修理してくれるとこないのよ。
片方で800円でもいいくらいなのに安いワー」
駅から団地までの通りに商店街がある。
団地ができた頃からの商店街だ。
駅には西友があり、となりにはパルコがある。
商店街の店で買い物をする客など少ないだろう。
今は、いくつかの店が閉店して“歯抜け”になっている。
駅のすぐ前の団地の建物も現在建て替えの工事をしている。
商店街の建物もそのうち建て替えになるので移転するだろう。
「フラメンコ教室のTさんに、
靴の修理はあそこがいいとすすめて、
今ではTさんもあそこで修理してもらっているの。
絶対あそこはいいよ。こんどUの靴の修理も頼もう」
その靴屋の主人は小太りで見栄えのしない30代の男で、
店は狭く、あまりいい靴は置いてないという。
店のかなりのスペースに修理の靴が置いてある。
修理を主にして商売をしているのか。
「わたしこれから自治会のチラシを配ってくるから
お風呂入ってて、お湯沸いてるよ」
ひとりでさんざん喋り散らして玄関から女房は出て行った。
夏の間、わが家は全員シャワーで風呂は使わない。
昨日、涼しくなったので久しぶりに風呂を沸かした。
湯加減もみずに私が湯舟に入ると、
冷め切った水に近い“お湯”が私を包んでくれた。