秋の別れ

2005年10月21日 | 健康・病気

2週間ぶりに楽家に行った。
会いたかったSさんがいた。
最初、Sさんとはカウンターの端と端だった。
30分もしたら私の側に来てくれた。

相変わらず本の話になった。
彼は今、小島譲の「ヒトラーの戦い」
10巻を読んでいるという。
話を聞いているだけで私も読みたくなった。

12時前か、めずらしい人が楽家に来た。
マスターだった。
私は1ヶ月以上会っていない。
あさっての日曜日に引っ越すという。
もう私は会えないのかと思っていた。
東京に行ってからの新しい仕事のことなど聞いた。
「私は楽家のお客さんのことだけは忘れない」
とマスターはしんみりいう。
私はマスターと握手をして、
「身体だけは気をつけて」と店を出た。

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行ってみたいなよその国

2005年10月20日 | 健康・病気

かれこれ12年は付き合っている
所沢の友人たちとの掲示板がある。
何年か前、浜松に転勤になったKさんが、
「今、アメリカです」との書き込み。
出張で行っているらしい。

私は「今、トコロザワです」という題名で、
「どこですか?」と質問すると、
「アトランタです。」との返事があった。

さっき覗いたら、
九想庵のいろり端でも“有名な”林@半中国人さんが、
「今中国です(^^)」と書き込んでいた。
お二人とも仕事だから大変だ。
が、日本から出たことがない私にとっては羨ましい。
おそらく私はこれからも海外に行くことはないと思う。
お金も時間もない。

でも行きたいな。
どんなところでも日本以外の国に行ってみたい。
なにしろ、この歳でも好奇心は誰にも負けない私です。
宝くじにでも当たったら、行けるかな。
そうだ、今日はロト6の発表の日だ。
今から見てみよう。

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ケータイ電話代

2005年10月19日 | 健康・病気

私たち夫婦の携帯電話は、
6月からドコモのFOMAにした。
よく分からないことがある。
それは、2人の毎月の電話代がまったく同じことだ。
定額料金は同じです。
利用料金は当然違う。
割引料金も違う。
無料通話・通信も違う。
ところが、合計になると同じ金額になる。
1円の位までまったく一緒だ。
なんでだろう。

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ブラスバンド

2005年10月18日 | 健康・病気

先週の水曜日だったか、
「笑ってこらえて 吹奏楽の旅SP2005」
というテレビ番組がありビデオに録っておいた。
それを今夜観た。

高校のブラスバンドがコンクールの全日本大会に
出るための練習や活動内容を取材したものだ。
中学、高校とブラスにいた私は、
胸を熱くし、涙垂れ流し状態で観ていた。
生徒も、指導する先生も素晴らしかった。

私だって中学のときコンクールの県大会に出場した。
しかし、そのときのことはまったく覚えていない。
中学のときの顧問の先生は、おそらく、
音楽を指導するのに自信がないのか、
夏の合宿のときなどに県警の音楽隊の隊長を呼んで、
私たちの指導をお願いした。
そんなふうだから毎年なんの賞ももらえなかった。
そのときの顧問は、歌謡曲と軍歌が好きな先生だった。
コンクールが終わると、そんな曲ばかり練習していた。

高校3年のとき、茨城大学を卒業したばかりの
音楽の先生が顧問になってくれた。
大学の吹奏楽部でフルートを吹いていた先生だった。
茨城交響楽団にも所属していた。
それまでコンクールなんて考えたこともなかったのに、
その先生がコンクールに出ようといった。
5月だったか、
日曜日に先生と私を含めた何人かの生徒が、
東京の銀座のヤマハまで
コンクールのための楽譜を買いに行った。

次の日から私たちの練習はコンクール一色になった。
夏の合宿には、先生の後輩にあたる茨大の学生たちが
参加して、私たちを指導してくれた。
吹奏楽とは、音楽とはこういうものかと、
新鮮な気持ちと驚きを胸に私たちは練習に励んだ。
そのかいあってか、コンクールでは銅賞をとった。
前年までは、野球部の応援が主な活動のブラスだった。

部長であった私はステージに上がって賞状をもらった。
そのとき賞状を渡してくれたのが、
中学のとき指導してくれた県警の音楽隊の隊長だった。
隊長は私のことを覚えていてくれた。
あのときぐらいかな、私の人生で晴れがましいことなんて。

それにしても、全国大会に出るブラスバンドの
水準の高さに脱帽です。
あの音楽的レベルの高さに比べたら、
私がやっていたブラスバンドというものは、
なんだったのだろう。
でも、それなりに音楽というものを楽しみました。
ブラスバンドに乾杯!

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女子大生

2005年10月17日 | 健康・病気

10時頃、通所者にきゅうりの作業を指示して、
その前の作業でできあがったえのきだけを
冷蔵庫に運んで戻ると、作業所の景色が変わっていた。
なんと若く眩しい女の子が5人いた。
ある大学の福祉科の学生たちだった。

先月の職員会議で、
大学生のインターンシップがあり、
学生が来るとは聞いていたが、
まさか女子大生とは思わなかった。

私の心は浮き足だった。
なんといっても女子大生なのだ。
53歳のおじさんにとっては、
縁もゆかりもない存在です。
どういうふうに応対したらいいのか…。

女子大生は午前中だけ作業を手伝って帰っていった。
通所者たちもいつもと違っていた。
ふだんより張り切って仕事をしていたように思う。
全員、女子大生よりいくつか年上なのだ。
知的障害者だって充分異性を意識する年代だ。

31年前、私は女子大の生協で働いていた。
魅力的な女子大生に囲まれて仕事をしていた。
ただそれだけで幸せだった。
そりゃ仕事だから辛いこともありました。
でも、毎日若い女の子を見ているだけで楽しかった。
そんなことを思い出した今日だった。

家に帰って夕食の準備をしている女房に、
「今日は、**大学の福祉科の学生が来たんだよ。
 いいね、女子大生ってのは」
「女で学生だったら女子大生なの。
 それだけのことじゃない。なにがいいの!」
と、木で鼻をくくった態度をする。
まったくいやですね、女房というものは。
女子大生と張り合ったって勝ち目はないのだ。

人生負け組の私なんか、女子大生どころか、
すべての女性から
鼻も引っかけられないのは承知している。
女房だけがたよりです。

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トラック野郎

2005年10月16日 | 健康・病気

日曜日、市場の駐車場には車は少ない。なので、
作業所と冷蔵庫(冷蔵倉庫といったほうが正確かな)を
何度もフォークリフトで往復する私にとって天国です。

ところが今日は、大型トラックが7、8台停まっていた。
いろんな飾りをつけ、大きな文字を書いたトラックだ。
いつも広いと思っていた駐車場が狭かった。
運転手と思われる男たちが集まっていた。
その配偶者か恋人か“ヤンキー風”な女性と、
子どもたちもいた。

何をするでもなく、
自販機のまわりでコーヒーなどを飲んでいた。
ただ一人の男がトラックの写真を撮っていた。
ネットを検索してみたら、
こういうトラックを「デコトラ」とか
「アートトラック」なんていうみたいだ。
トラックを動かし、2台並べて写真を撮ったりしていた。
金看板のようなプレートをつけかえたりもしていた。

私はそのトラックの間を、きゅうり、ピーマン、梨、
えのきだけ、トマトなどをフォークで運んだ。
前が見えないほどの荷物を運ぶときは、バックで走る。
トラック野郎と女、子どもたちが
うろうろしているので気が気ではなかった。

(そっちは休みだろうが、おれは仕事中なんだ。
 少しは考えろ!)
腹立たしい気持ちで私はフォークに乗っていた。
なぜか私がいつも通り道にしているコースに、
彼らはたむろしてダベっていた。

「ちょっと、どいて」と文句というより、
お願いしてみようかな、と思ったりした。
たまの休み、同じ仕事をしている仲間で集まって、
自分のトラックの“装飾”自慢をしているんだろうな。
その気持ちは分かる。
毎日、荷主のわがまま聞いて走っているのだろう。
軽油の価格も上がったし苦しいよな。
(しょうがない、今日は、おれががまんしてやるよ)
そんなことを思いながら、
フォークのハンドルを操作していた。

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プレーオフ第3戦

2005年10月15日 | 健康・病気

今夜のロッテ対ソフトバンクの試合は面白かった。
私は仕事からの帰りのカーラジオで聴いていた。
3回にロッテが2点を入れた。
このプレーオフではソフトバンクを応援している
私としては辛いところだ。

家に帰ってきてからテレビをつけると、
どの局でもやってない。なんでやらないんだ。
人気のないパ・リーグかもしれないが、
優勝を決める特別なゲームなのだ。
私はしかたなしにポケットラジオで“観戦”した。

8回にもロッテは2点を追加して、
選手もファンも31年ぶりの優勝に酔っていた。
ところが、4-0で迎えた9回裏に、
ソフトバンクが同点にした。
野球、いや人生は何があるか分からない。
負けると思って、
帰ってしまったホークスファンもいたらしい。
ロッテの優勝祝賀会をする予定のホテルでは焦っただろう。

延長10回裏、ソフトバンクは、
川崎のヒットでさよなら勝ちをした。
いや~、ほんとに面白い試合だった。
これでもう少しプレーオフが楽しめる。

それにしてもどうしてパ・リーグの
優勝を決定する試合をテレビの各局はやらないんだ。
視聴率を気にする民放がやらないのは分かるが、
せめてNHKぐらいやってもいいのではないか。
BS1 は、大リーグに力入れているのはいいが、
日本のプロ野球のリーグ優勝を決めるプレーオフを
中継しないのは気に入らない。
これでまた受信料不払いの人が増えるのではないか。

NHK といえば、面白くないことがある。
一連の不祥事を受けてNHK理事を今春辞任した3人が、
関連団体の役員に“天下り”していることだ。
受信料不払いがかなり多くなったのに、何考えているのか。
私とすれば、まったく反省していない、としか思えない。

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2005年10月14日 | 健康・病気

荻の葉をよくよく見れば今ぞ知るただ大きなる薄なりけり 

『野守鏡』という鎌倉時代成立の歌論書が載せている、
京極派の総帥京極為兼作とされる一首だそうです。

私の本名は、「荻原」といいます。
よく「萩原」に間違われてしまう。
何年か前にもこのことは九想話に書きました。
それで「荻」という植物に興味があります。
「荻」というのは俳句の季語にもある。
それなのに私は見たことがない。
いや、見ているかも知れないですね。
薄(すすき)とよく似ています。
ここに荻の写真があります。

このサイトに沢山の荻の歌がありました。
ここは9月に閉鎖され、来年には消滅するそうです。
もったいないです。

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ギルバート・オサリバン

2005年10月13日 | 健康・病気

秋になるとなぜか聴きたくなるのが、
ギルバート・オサリバンです。といっても、
「アローン・アゲイン」と「クレア」しか知らない。
私が二十歳の頃に流行った曲です。
なぜ彼の曲は秋なのだろう。私だけの感性か。

昨日、久しぶりにブロックヘッズに行った。
そして、この2曲をリクエストした。
聴いているうちに、二十歳のときのなんともいえない
切なくやるせない気持ちがよみがえってきた。
その頃、私にはガールフレンドも恋人もいなかった。
男友だちと毎晩安酒を飲み、
けんか腰でいろんなことを議論していた。
懐かしいけど、もうあの頃には戻りたくない。

昨日は、久しぶりに友人と会い、痛飲した。
酒が旨かった。
ふだん話したくても話せないことを語った。
そのあとブロックヘッズに流れ、
そして家に帰って…、気がつくと、
パソコンのある部屋の板の間で寝ていた。
目が覚めたときは寒かった。

昨夜は、ギルバート・オサリバンのことを
九想話に書こうと考えていたのですが、
酔いと睡魔に勝てずに、
布団にもぐり込んでしまいました。 ○| ̄|_

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タンスの入れ替え

2005年10月11日 | 健康・病気

先週の中頃からめっきり涼しくなった。
今年は秋の長雨がずれ込んでいると、
お天気キャスターの森田さんがいっていた。
長雨が終わると本格的な秋になるそうです。

そういえばこの前、森田さんが、
「日本全国8時です」(TBSラジオ)でいっていた。
「10月10日が晴れの特異日といわれているが、
そんなことはない」と。
書くと長くなるのでやめます。

夏、私は毎日Tシャツで過ごしてきた。
でもそろそろ長袖が恋しくなる。
長袖となると私はポロシャツです。
昨日、女房にタンスの入れ替えをやってくれと頼んだ。
すると、「私がやっていいの?」と冷ややかにいう。
「やってくれよ」下手には出ているが、
「ヤレ」という意志はしっかり出している。
「私がやるとどうなるか知ってるよね。
 ヒサシくんの思いどうりにはならないよ」
それは困る。何しろ、女房は大雑把なのだ。

結局、自分で長袖ポロシャツの
入っている衣装ケースを持ってきて
タンスのTシャツと入れ替えた。
こうして私は、女房に“教育”されていく。
むかし、世帯を持った頃は、
女房がなんでもやってくれた。
旅行とか出張の準備は必ずしてくれたのに、
「自分で用意したほうが、確実でしょ」
とかなんとかいって、いつのまにか私の仕事になった。
お陰で自分のことはだいたい自分でする。

現在、女房がいなくてもたいがいのことは自分でできる。
これはこれでいいことなのだが、なんかなァ。
楽しくない。

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