筑波山

2011年08月08日 | 健康・病気

今日の信濃毎日新聞の「親鸞 激動篇215 山と水と空と(1)」には、
「わたしはこの土地がとても気に入りました。なによりも、筑波山がこんなに美しくみえるだけで十分です」
という親鸞の言葉がある。
女房が、「筑波山は山じゃない」といった山を親鸞は褒めている。

ほらみろ、筑波山はすばらしい山なんだよ。
私は子どものときからこの山を見て育ったのです。

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四国の旅

2011年08月08日 | 健康・病気

 
私が徳島に行ったのは21歳の夏だったと思う。
20歳のときに何年かかけて日本を見てやろうと考えた。
そしてはじめに行ったのが東北地方だった。
秋田まで上野から夜行で行って、青森、岩手、宮城、福島を回った。
今、気づいたのですが、これまで日本の中で沖縄県だけ行ってないと思っていたが、
どうも山形県に行ってないようです。
お恥ずかしいです。
死ぬまでに山形県にも行かなくっちゃ。

次の年に四国一周をした。
四国に行くのに神戸の港から小豆島に渡った。
小豆島では最初に高校生の男の子と知り合い行動を共にした。
しばらくして女の子2人に声をかけ、4人で小豆島を旅した。
女の子は大阪の人だった。1・2歳年下の可愛い女性たちでした。
何気なく「今日はどこに泊まるの?」と訊くと、
「ユースホステルです」と女の子たちがいう。
夕方、私は彼女たちと別れてから急いでユースホステルに電話を入れた。
「今日、そちらに泊まりたいんですが、2人いいですか?」
「はい、大丈夫です」といわれ私と高校生はユースホステルに行く。
そして夕食のときにユースホステルの食堂に何食わぬ顔して坐っている。
私たちを見つけた彼女たちは驚き大喜びしてくれた。
私の旅の仕方は、行き当たりばったりです。
ですから、泊まるところがなかったら野宿をした。
東北の旅のときの1日目が、秋田の城山公園での野宿だった。

翌日、高松港に渡り屋島に行った。
その夜は高松のユースホステルに4人で泊まった。
当然彼女たちは予約してあり、私と高校生はその日に予約を入れた。
高松でお祭りがあり、沢山の山車が出た。
4人でお祭りを見学した記憶がある。
その次の日に徳島に行ったと思う。
このへんの記憶が曖昧です。
栗林公園を4人で歩いたし、鳴門の渦潮も見ている。
旅した順序がまったく思い出せない。

徳島には午後3時前後に着いたと思う。
街中に太鼓が響いていた。
公園などでは踊っている人もいた。
徳島でもユースホステルに泊まった。
阿波踊りは、どこかの連に入っていないと踊れないといわれた。
がっかりしていたら、ユースホステルで毎年連を作り、踊るという。
私たちは食事を終えユースホステルの連として街に繰り出した。
たしか私は食事のときにビールを呑んでいたと思う。
いや、確実に呑んでいた。
ユースホステルの連は粗末なものだった。
なにしろみんな浴衣なんか着ていなかった。
ほとんどがTシャツ・ジーンズにゴム草履だった。
お囃子はない。
誰かが缶ビールの缶を手に持って阿波踊りのリズムを叩いていた。
タッタタッタ、タッタタッタ、タッタタッタ…
私は、少し踊っているうちに、よその連でうたっている阿波踊りの唄を覚えた。
それを缶ビールのリズムに合わせてうたった。

♪ 石山通れば石ばかり 笹山通れば笹ばかり
♪ 猪豆くってホォーイホイホイ
♪ エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ

私が、
♪ 石山通れば
というと、みなが、
♪ 石ばかり
とこたえる。
♪ 笹山通れば
と私、
♪ 笹ばかり
とみんな、
♪ 猪豆くってホォーイホイホイ
♪ エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ
と全員でうたい踊る。
私はこれを繰り返してうたって踊ってました。
楽しかった。

そのあと、高校生と女の子たちとどこまで行ったか思い出せない。
私は、高知に行った。
桂浜に行って龍馬の銅像も見ている。
あの頃流行っていた「岬めぐり」をうたいながら足摺岬にも行った。
松山にも行って子規堂など見学している。
四国からの帰りに大阪により、女の子2人と会ってお酒を呑んだりしました。
楽しい四国の旅でした。

コメント (4)
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