2011年08月28日 | 健康・病気

ラジオ文芸館「声」(NHKラジオ第一8:05~8:45)を昨日聴きました。

> 【作】津村節子
> 【朗読】徳田章
> 番組の詳細
> ともに作家として過ごした夫の死から3年余り。
> 夫が死を迎えた家を壊し、建て替える頃から、夫の声を幻聴として感じるようになった。
> 看護より仕事を優先させた育子は、夫と最後の会話を交わすことが出来なかった。
> 夫に侘びを言いたい、三回忌が過ぎても鉛のような悔いが残る。
> それが幻聴となったり、家の近くに夫の姿を見ることになる。
> 「遍路みち」(講談社)所収。朗読は徳田章アナウンサー。
このようにNHKラジオ番組表に書いてある。

7月半ばから先週まで、ラジオ文芸館が休みだった。
子ども科学電話相談と高校野球の甲子園の中継をやっていた。
昨日の朝目覚めて8時前にふと「ラジオ文芸館やっているかな?」と思った。
晴れていたら車に乗ってビーナスラインを目指していただろう。
女房がいないときは、安物のステレオでラジオを聴いているが、
いるときは枕元に置いたポケットラジオで聴く。
ステレオではかなりクリアな音でNHKラジオが聴こえるが、
ポケットラジオでは雑音が少し入る。
(軽井沢で生活することでの一番の不満は、ラジオに雑音が入ることだ)
それでも“ラジオ文芸館”の世界に入り込めて良かった。

津村節子の夫吉村昭に対する想いがひしひしと伝わってくる。
こんな夫婦でありたいものだと思う。
吉村昭の小説に対する態度と私のちがいをしみじみ考えた。
私が今のような生活をしているのは私が全部わるい。
バカな私は、そのうち小説家になっていると勝手に思っていました。
身のほど知らずの、アホですね。
猛省をしなくてはいけない。
これまで吉村昭の小説を2・3読んでいるが、もっと読んでみよう。
今からでも小説を書こうと思う。
(じつは、先週から書いていますがダメですね)
 

コメント
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