Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

破壊的カルトから身を守るには

2005年07月10日 | 一般
ちょっといい小文を見つけました。

----------------------------
カルトから身を守るには


宗教との出会いをきっかけに、考えや行動が変わっても、その人本来のよさや、主体性は失われず、むしろ輝くようであれば、それはすばらしいことです。しかし、それがもし、マインド・コントロールなどの悪質な手法で信者を獲得したり、不正な脅しをかけて大金を巻き上げるなど、本人のみならず、周囲の人間や社会にまで被害を与える団体だったなら、それは避けるべきだし、周囲の人々としては助け出したいと思うのが当然です。

そのような団体を「破壊的カルト」と呼びますが、破壊的カルトの特徴はマインド・コントロール以外にも次のことがあげられます。
1.一般社会や信者以外の人間への敵視や蔑視。
2.教祖、教団組織への絶対服従。
3.目的のための手段の正当化。
4.脱会者への身体的に痛めつける制裁。
5.これまでの人間関係のシャットアウトや、人生の目標を奪うこと…など。

破壊的カルトは教団を唯一とする絶対主義で、個人の意見は封殺されます。そしてそれ(教団絶対主義)をより完全なものに近づけるために、外界との接触を断とうとするのです。


破壊的カルトにはまりやすいタイプの人とは、

1.暗示にかかりやすい人。
2.いつも誰かと一緒にいたいという「親和欲求」の高い人。
3.孤独感の強い状態の人。
4.家庭内に不幸があるなどの、弱みを持つ人。
5.お金や社会的地位を得ることでは満足できないような、自己実現欲求の高い人。
6.お金や社会的地位など、社会的欲求に価値を見出さない人。

…などです。

破壊的カルトから身を守る最大のカギは、
常に自分を見失わず、
人生の目標を持ち続けるなど、前向きに生きていくことです。
そして、家族や友人との関係を大切にし、彼らの声に耳を傾け、
自己を冷静に客観視することも必要です。

不安や不幸を抱えているときこそ、自分自身としっかり向き合い、問題の根源から逃げない強さを持つことも大切です。

(すぐに使える! 心理学/渋谷昌三・著/PHP文庫)

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…ということです。

「破壊的カルトにはまりやすい人」のところで、
「いつも誰かと一緒にいたいという親和欲求の高い人」という指摘は、なるほどなあ、と思いました。現役さんのHPに設置されている掲示板などを見ていると、うなずけます。「いつも誰かと一緒にいたいという親和欲求の高い人」に対して、できるだけ支えになってあげよう、という意欲にもし目覚めることができたなら、つまり誰かに頼るだけの生き方から、頼りつ支えつの利他的な生き方が出来るようになれば、破壊的カルトを卒業できるのかもしれません。「おもいやりの人間関係スキル」の知識はそういう気持ちに目覚めた人にきっと役立つものです。

ところが、「破壊的カルトから身を守る最大のカギ」で提案されている、
「家族や友人との関係を大切にし、彼らの声に耳を傾け」という点で病んでいるということが、現代社会の問題なのです。相手の感情、気持ち、意欲、目的などを受け入れず、世間体とか親の見方の押し付けとかで、本当の心情に耳を傾けることが非常に少なくなっています。

先回の記事で、

***
1. 指図したり、先導したりする
 相手が何について話すか、その内容をコントロールすること。
「ものごとがうまくいっている話には興味があるけれど、うまくいっていないからって、愚痴っぽい話は聞きたくないな」
「わたしは、あなたとあなたのお母さんの関係についての話を聴きたいのです」
「あなたがどうやって仕事をしているかっていう話に絞りましょう」

2. 判断したり、評価したりする
 黒白、良し悪し、○×…といったような判断を下すようなことを言うこと。
 とくに、自分の立場から見て、話し手に欠点があることを示そうとすること。
「君は彼女にさよならを言うべきじゃないと思う」
「あなたは自分の人生を台なしにしてしまった」
「あなたは自分のことを表現するのが下手だね」

6. 助言したり、教示したりする
 あなたにとって何をするのが一番いいかは自分の方がよく分かっている、というやり方で反応すること。
 相手が自分を見つめ、自分で考え、自分で判断する余地を与えない。
「その仕事から彼をはずせ、というのが私の考えだ」
「なるほど、それで君は寂しいわけだ。外へ出て人と会うようにする必要があるな」
「もっと戸外で時間を過ごすようにしなさい」

***

というのがありました。
進路について、親がレールを敷いてしまう。子どもが本当の意欲を言おうものなら、不機嫌な表情を見せたり、「あなたにはそんなこと無理よ」などと一蹴する、「自信がないとかいうような話は、お母さん嫌いだな」と言う言い方で、子どもをコントロールしようとする、「お父さん、お母さんはね、あなたのためを思ってしてあげてるのよ」と恩を着せる、「どれほどたいへんか、あなた分かってる?」と、子どもが自分で決めたことよりも、親が決めたことの方が優れていて間違いがない (つまり「あなたが自分でものごとを決めたことは駄目なのよ」という隠されたメッセージとして子どもに伝わり、子どもの判断力、ひいては自活力を育たないように誘導する) などなど、こういう態度がつまり、子どもの声を聞いていないということであり、子どもの心の意識しない部分に疎外感や孤独感を感じさせてしまうのです。日ごろ、どれほどおしゃべりしていても。

こういうことについて、今「傷つくのが怖い/根本橘夫・著」を読んでいて、とてもわかりやすく書かれていましたので、また近いうちに簡略に引用してみます。とにかくこんな理由で、今という時代は人々にカルトにはまりやすいよう教育しているような状況なのです。「聞く」ということは相手の目標や心情を理解し、まず受け入れてあげてこそ「聞いている」のです。たとえ、子どもが言い出した将来観が現実離れしていても、まず、「さっちゃん、そんな夢を持つようになったのね。知らない間に大人になっていたのね。ちょっと見直したわ」って、まず子どもの成長を認めてあげてこそ「聞いている」のです。なんだか大会の実演のようなしゃべりですが、これが「共感」なのです。大会の実演と違うのは、そうは言っても結局組織が決めた進路に誘導しようとする態度と、できるだけ子どもの意向を叶えてあげようとする態度です。「聞く」スキルはまず、親の希望を押しつけない、親が知らない世界だからといって頭から拒絶しないというような精神態度が土台です。

押しつけ、親の知らない世界への恐怖を子どもに植えつけると、子どもは自分を分かってくれる人を、親以外のところに見つけようとします。そんなところにカルトが現れます。「自己実現欲求」の強い人は破壊的カルトにはまりやすい、ということでした。現代は危険に満ちています。仕事で失敗するというのはつらいことではありますが、人格を破壊されること、本来もっている能力を萎縮させられてしまうことに比べれば、ずっと程度の軽いものです。人格がしっかりしていれば、失敗のためにすねたりしませんし、やがて思い返して立ち直れます。能力をいかんなく発揮できれば、また意欲を取り戻せますし、現実世界で生きて行けるでしょう。

「聞く」ことは孤独感を癒し、人間に自信を与え、前向きな考え方を育みます。破壊的カルトに対抗するには、そういう「人間力」というか、健全な精神力をひとりひとりが培うことだと、わたしは考えています。
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10 コメント

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Unknown (joy)
2005-07-10 20:20:16
破壊的カルトに陥ってしまう人も最初は凄く幸せな気分になるのでしょうか。やはり主体性のなさが弱さとなってそうしたかたちであらわれるのでしょうね。



誰でも訓練すれば、強固な意志でセルフコントロールが出来るようになるのですが、そうした人がそこまでたどり着くにはかなりの時間とエネルギーが消耗しますね。
返信する
Unknown (匿名)
2005-07-11 15:42:36
証人は排斥者も断絶者も“身体に痛めつける制裁”を与えませんが???ある事ない事言い立てるなよなぁ!!!何でもカルトカルトと言うなよ!!!
返信する
匿名さんへ (あゆ)
2005-07-11 16:29:49
1.一般社会や信者以外の人間への敵視や蔑視。

2.教祖、教団組織への絶対服従。

3.目的のための手段の正当化。

4.脱会者への身体的に痛めつける制裁。

5.これまでの人間関係のシャットアウトや、人生の目標を奪うこと…など。



と5つある中で、一部分だけに目を留めて腹を立てるのはどうかと思いますが・・・?



ルナさんはあくまでも“ある小文の引用”をなさっているだけなので、

ご自分が所属されている宗教がこれにあてはまらないと思えば、

別に気になさらなければ良いのではないでしょうか?

これはルナさんのブログなので、ルナさんが感じたことを書いているにすぎないので・・・。

ルナさん、勝手なことを言ってすみません。

ルナさんのご都合で削除していただいてもかまいませんので・・・。
返信する
こんにちは~ (どせいさん)
2005-07-11 16:33:21
最近たまにこちらの日記チラチラながめてました、どせいさんと言います。

(^∀^)



今回の内容特に興味深かったです~



そこでちょっと疑問に思ったんですが、「エホバの証人」てやっぱり「カルト」なんですかね?

(?_?)
返信する
おじゃまします (あらら果実)
2005-07-11 21:38:28
こんにちは^^あの~

脱会者への身体的に痛めつける制裁なんですが



排斥されたり・自ら止めたとしても・・脱会した方は・・心は・・間違いなく傷ついています、中には疑問をぶつけただけで「罪人」と宣告され制裁をうけます、1から5・・ドキッ!としました。
返信する
コメントをどうもありがとうございました。 (ルナ)
2005-07-11 21:42:37
* joyさん



こんばんは。今の世の中って、ほんとうに「主体性のある人材」を求めているんでしょうか。どこの会社も余裕がなく、未経験の人でも訓練しようっていう態度が見られません。即戦力を求めているっていいますが、採用された人を見ると、お給料を安くたたけそうな人だったり、採用者好みの人だったり。



経験があるのにあっちこっちの会社を渡り歩いている人って、何か問題があるんですよ。わたしは、「むしろ未経験の人を育てたら?」っていうんですけれどねぇ。人手も少なくなって、なかなかそこまで手をかけられないみたい...。



自分で人生を切り拓いていこうっていう人の方が、長い目で見れば会社の財産になるって思うんですが。10年ほど前と比べて、人事採用の人たちの目は短絡的でせつな的になってきています。結局、そういう基準で採用された人って、悶着起こして雰囲気悪くなるんです。自分のやりかたばっかりにこだわって、自分ひとりで仕事しています。



愚痴になっちゃいましたね。ところで、小説の方、進んでますか(^^)。たのしみにしてるんですよ。



*匿名さん



もしわたしに意見があるのなら、どうかこちらのほうへメールください。わたしにできる限りお答えします。

psycho-sedric@mail.goo.ne.jp

今、わたしが答えるとすれば、あゆさんのお答えと同じになります。

…ということで、よろしく。



*あゆさん



私に代わって、的を得た返答をしてくださってどうもありがとうございます。削除だなんてとんでもありません。ホントにエホバの証人に当てはまらないなら、無視できるはずですよね。

また困ったときには、助けてくださいね。



*どせいさん



はじめまして。マイナーなブログを見つけてくださってありがとうございます。またコメントまでいただいて、とてもうれしいです。



エホバの証人がカルトかどうかについてですが、わたしはカルトと思っています。情報を制限していますし、組織への批判を一切封殺しようとしています。一般社会に関わるのを必要最小限にとどめるよう指導もしてきました。脱会者への身体的苦痛を与えたりはしませんが、精神的な苦痛は与えます。人間関係もシャットアウトさせますし、何より教団の教えにかなわない人生の目的を断念させます。教団の教えにかなう目的はきわめて狭められています。



でもどせいさんは、ご自分でお調べになってから、エホバの証人がカルト性を有しているかどうかを判断なさってください。「エホバの証人情報センター」はその材料になると思います。
返信する
あらら果実さんもありがとう! (ルナ)
2005-07-11 21:48:37
あららさん、応援してくださってありがとう。

心の痛みも、体の痛みも、脳の中では同じ場所で反応しているのだそうです。この事実は、目に見える傷じゃないからって、見過ごしてはいけないということにつながると思います。心の傷はこれまで、いえ、今でも「自分の受け止め方の問題」っていう扱いを受けます。エホバの証人に至っては、組織や長老たちの面目を守るために、黙認を強います。これはほんとうに、著しく愛の欠けた行為だと思います。
返信する
Unknown (joy)
2005-07-12 00:48:58
人に「これは自分で選択した」と思わせながら、実は第3者が巧みに選択の方向を操っている状態をマインド・コントロールといいます。



例えば、こんなケースを考えてみましょう。



あなたは旅から帰る電車で、たまたま隣り合わせた人に声をかけられ、おしゃべりするうちに仲良くなりました。駅に着いて別れを告げようとしたところ、良かったら自分が入っているサークルに来ないかと誘われます。その人とはとても気が合うように思えましたし、親切にしてくれたので、その好意に答えたいと思い、約束をしてあなたはそこへ出かけます。



サークルに行くと周りの人はその人と同じように親切で、初めて来たあなたを歓迎してくれます。みな初対面の人とは思えないほど気さくで親しみやすいので、あなたは次第に心を開いていきます。その場にずいぶん馴染んだように思えたその時、今度はサークルの人が、「人生の勉強をする素晴らしい研修会があるけれど、あなたも参加しない?」と誘います。そのサークルの人たちはみな研修会に参加しているそうで、こんなに魅力的な人たちが受けているなら、自分も受けてみてもいいかなと思い、研修会について相手に尋ねます。



しかし、サークルの人はにっこり微笑んで、「研修会の内容は、先に知ってしまうと"なんだ、そんなことか"ってしらけてしまうかもしれないでしょ?でも、行ってその場であなた自身が体験してみることで、本当の価値がわかるようになるのよ」とあなたを諭します。他の人に尋ねても、同じような答えが返ってきます。少し不安になりましたが、「でも、ほんと、すごくいい研修会なんだから」「あなたみたいな人が行ったら、きっと素晴らしい発見があるはずよ」と言われ、好奇心をそそられます。



一度くらい行ってみてもいいかなと思い、研修会の費用を尋ねると、予想外に高い値段です。あなたはまた躊躇しますが、「でも、私は受けてみて、お金には変えられないと思ったわ。」「人生観が変わるんだもの、少しくらいお金をかけても、それだけの価値はあるわよ」と周りから言われ、軽い混乱を感じながらも、"でも、こんな素敵な人たちみたいになれるんなら、試しに一度くらい…"と思い、参加を決断します。そして次の週末、あなたは…。



これは、自己啓発セミナー系カルトや宗教系カルトにありそうな、ほんの入り口をシミュレートしてみたものです。あなたはこれを読んでどう感じたでしょうか?"最初から胡散くさいじゃない"と思ったでしょうか?それとも"私もこういう人に出会ったら、案外危ないかも…"と思ったかもしれません。少々わざとらしい状況に感じるかもしれませんが、実際には、親切にされ、話して気の合う人に対して、あまり邪険な態度を取れるものではないのではないでしょうか?



以上のケースでは、周りの雰囲気に同調する、親切にされたらお返しをしたくなる、一度体験すると、自分が選択した結果を肯定したくなる、希少価値の高いものに魅力を感じるなど、人間に自然に備わった習性を利用して、相手を自分のペースに引き込んでいます。社会心理学の分野ではこれらの、人が他者にどう影響力を与えるかという観点から研究がなされてきました。マインド・コントロールはこの社会心理学を巧みに利用し、相手に違和感を与えないようにしながら、確実に相手を操作=コントロールする方法を編み出しています。



しかし、上記のケースだけなら、一度この状況からぬけてしまえば、まだそれほどの影響力を及ぼすことはなさそうです。けれど、マインド・コントロールを使うカルトでは、さらに段階を深め、次第にきつく人間を縛り上げていくようになります。多くのカルトがその切り札に使うのは恐怖感です。



「あなたは、他の人が滅多に聞けないような真理を知ってしまった、だから、あなたはそれを人々に伝える責任がある。そうしないと大変なことが…」「あなたは今まで、つまらない人生を歩んできた。でも、この教えを知ってあなたは生まれ変わった。それなのにあなたは、またつまらない、価値のない以前のあなたに戻ろうとするのか…」「この教えを実践しなければ、終末の闘いに生き残ることができず、未来永劫、地獄の苦しみを味わうだろう…」



このように、その集団と出会う前、出会った後のあなたの姿や状況を故意に色分けして、あなたが以前の状況に戻れない、戻りたくない気持ちにさせることで、カルトは半永久的にあなたを拘束することになります。









カルトの特徴





カルトがどのような方法で人を縛り上げていくのか、以下の一覧で確認していきましょう。



1. あなたをカルト以外の他の人たちから引き離し、環境を操作します。

2. カルト以外の他の人たちと話したり、カルト以外からの情報が入らないようにします。

3. 不十分な食事やカルト内での過剰な活動によって、あなたを衰弱させます。

4. 精神的に萎縮させたり、自尊心を砕かせたりします。

5. 不安、恐怖、混乱をかきたて、あなたがカルトへ服従することによってのみ、喜びや確信が与えられるようにします。

6. 訓練の中で誉めたりけなしたりというように、飴と鞭を巧妙に使い分けます。

7. 儀式化された集会で仲間からの糾弾、問い詰めなどの圧力を与え、あなたに罪悪感を起こさせたり、人前で懺悔するように仕向けます。

8. リーダーはあなたやカルト全体を支配しているように見せかけ、あなたが心身ともにカルトに服従することで運命が決まると主張します。

9. 祈祷や印刷物の書き移しなど、単調な作業や同じことを繰り返す活動に従事させます。

10. 自分自身、家族、以前の価値観に決別するよう仕向け、それまでの生き方を否定します。



これらがすべて当てはまるカルトもあれば、部分的に当てはまるものもあります。しかし、大半に心当たりがあるのでしたら、カルトである可能性は十分でしょう。









カルトの種類





日本でカルトという場合、圧倒的に目に付きやすいのは宗教系カルトです。生きた絶対者・超越者が集団を支配し、救済や死後の世界への信仰が強調されます。戒律が厳しく体罰を使うこともあり、祈り、隔離、長時間の勉強会や伝道、自己批判や罪の告白などの手口を使います。



次によく見られるのは自己啓発セミナーを典型とするもので、中には心理療法まがいのものもあります。自己変革や向上をめざして努力することを動機とし、恥の意識、威嚇、言葉による虐待などの手口を使います。



上記の2つに似たものに、ニューエイジ系のカルトがあります。人は訓練によってパワーを得、未来について知り、即効の治療法を身に付けることができると考えます。魔術的なトリック、変性意識、仲間からの圧力などの手口を使います。



消費者問題の場面で表面化しやすいのは、マルチ商法に代表される商業カルトです。富、権力、ステータスの獲得や、効率よく儲けることを信条とし、詐欺商法、罪と恥の意識、仲間からの圧力、経済的な支配などの手口を使います。



また、現在の日本ではあまり目立つ存在にはなりませんが、政治、人種差別主義、テロリストの系列のカルトも存在します。社会変革や革命をめざし、敵を打ち倒す、あるいは邪悪な権力を駆逐するといった過激な信念を持ち、軍隊まがいの訓練、互いの密告、罪悪感、恐怖、鍛練会、妄想の植え付け、長時間の教化などの手口を使います。



そして、これもケースとしてはあまり聞きませんが、オカルト、悪魔崇拝、黒魔術的なカルトもあります。超自然の力の信奉から生まれたもので、風変わりな儀式、秘密主義、恐怖と威嚇、極端な暴力などの手口が使われます。



カルトとは、いわゆる宗教の形をしたものだけではありません。カルトはその人の考え、信念を操作するので、それを支配する力さえあれば、信奉する対象が宗教のような超越的存在でなければならない必要はないのです。つまり、その人にとっての"超越的存在"や絶対的価値が人格向上であれば自己啓発セミナーに、神秘主義であればニューエイジやオカルトに、お金であれば商業カルトに、というように、いくらでも応用のきくものなのです。



さて、あなたは何に絶対的価値を置きますか?



どせいさんさん、ご理解できたでしょうか。





返信する
ありがとうございます (ルナ)
2005-07-12 22:51:43
joyさん、とても詳細な説明をしてくださってほんとうにありがとうございます。とても深い研究が伺えます。とても参考になりました。



冒頭のシミュレーションは現実に即していて、最期には空恐ろしさを感じました。親切は親切、自分の信念は自分の信念、けじめをつけれる明敏さを失わないようにしよう、と決意させられました。ありがとうございます。



とてもよく書けているものと思いました。カルトに対処する上で、重要な示唆を与えるものだと思います。またよろしくお願いいたします。
返信する
おお (どせいさん)
2005-07-13 18:10:45
とても啓発的で興味深いコメントですね、ありがとうございます。

(≧∀≦)ホクホク



どせいさんはですね、客観的答えがほしいだけなので、エホバの証人が社会的に「カルト」だってことになれば、それはそれでぜ~んぜんいいと思います。



ただ、そもそも社会学とかで「カルト」の定義づけってされてるのかなあ、ってあたりから始まる、少しの疑問がぷかぷか頭にあるんですよね。



今のとこ「およそ人に何かを強く信じ込ませて、そのせいでいろんな弊害をその人に引き起こす団体」っていう広い意味で「カルト」という言葉は使われてきてるのかな、と思います。

そして、エホバの証人をカルト扱いすることは、エホバの証人に関連したいろんなやっかいなことに世間の関心をむける、っていう意味でこれまで一定の意義があったと思うんですよね。



ただ、最近ではエホバの証人をカルト扱いすることの弊害のほうが大きくなってるような気もするんですよね、なんとなくね。

そもそもエホバの証人をカルト扱いすることが、社会に通用する客観的に正確な行為なのかどうかという点も含めて。



Joyさんのコメント、とても教訓的でどせいさん的には感謝の念と、深い敬意を抱きました。



でも正直にもうちょい言うと、少しの不安と抵抗感も感じました。(^∀^;)



ちょっとだけ具体的にいうと、例えばそもそもの「カルト」の定義には一切触れず、「カルト」の特徴だけをいくつか挙げることにより、読んでる人を「エホバの証人はカルトだ」という結論に導いているような雰囲気が漂ってくる気がしないでもないんですよね。

( ̄∇ ̄;)



どせいさん的には「AはBなのか」ていう話のときには、そもそもBは何か、っていうのを確定しないと正しい結論はでないような気がするんですよね。

単に何かの特徴を幾つか並べて、それに多く当てはまるから対象物がそれにあたる、とするのはやや危険な論理かと。

 例えばね、「猫っていうのは4つ足で、毛が生えてて、尻尾があって、やや小さくって、人間によくなつく動物ですよ」と、特徴だけ伝えられた人は、目の前にいる「子犬」を、猫だと思い込むかもしれないですよね。与えられた特徴に全部当てはまるから間違いないと、確信さえするかもしれないです。

でも、それは、猫ではないわけで。



もし特徴を伝える人に悪意があれば、子犬と猫の特徴のうち、重なるものだけをその人に伝え、その人の結論をコントロールすることさえあるかもしれないと思います。しかも本人に、自らの考えでその結論に至ったと思わせながら。まあ、これってエホバの証人自身がよく使う手ですけど。





どせいさんも、エホバの証人のせいでひどい目に会う人というのは、多くの場合、向上心がある誠実な人たちで、特に純粋・素直であまり人を疑わない人たちだと思います。

そして裏を返すと、「これは正しいに違いない」と思ったことを、一歩立ち止まって広い視野から批判を加えてみる、ということができない弱点を持っているということでもあると思います。



そういう人たちが、つまり、一方的な情報のみ与えられてエホバの証人を信じ込むようになり、辛い思いをしてそれをやめた人たちが、今度は「とにかくエホバの証人は社会的にカルトに間違いないんだ」ということを、これまたやや偏りのある情報によって思い込み、それを疑わないような感じになったとしたら、世間はそれをどう考えるでしょうか。



もし、社会的にみてカルトとは必ずしも言い切れない組織に対して、「とにかくカルトだから」というような態度を示してることになり、しかもその組織の中にかつてはその人自身もいたということになると、社会は、「一歩立ち止まって考えることをせず、与えられた情報を鵜呑みにするという間違いをまた再び繰り返してるだけだな」とみなすようになるんじゃないでしょうか。



ひとたびそうみなされた人、或いは人たちが、一生懸命エホバの証人内で本当に問題になってることを訴えようとしても、社会に相手にされなくなるのではないでしょうか。



 これは単なる可能性のハナシですが、「元エホバの証人社会」がかなり大きくなって来た今、そういう危険性も考慮する必要があるのではないかと、どせいさんはぼんやり思っているんですよね~



 どせいさんもエホバの証人はカルトかもしれないし、まあぎりぎりのとこかな、とか思ってます。

 

 ただ大事なのは、結論に至る前に批判を加えることだと思います。

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