国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

ローマ帝国の継承国家ロシアは日中印独仏伯と組んでカルタゴの継承国家米英蘭とのポエニ戦争を戦い続ける

2014年09月09日 | イスラエル・ユダヤ・国際金融資本
●暴君ネロは市民に愛される政治家だった[ナショジオ]  :日本経済新聞 (1/2ページ) 2014/8/31 6:30

  「ネロは人気のテーマです」

 そう語るのは、1978年にネロの伝記小説を出版したロベルト・ジェルヴァーゾだ。「ネロは映画にも数多く登場しますが、常に悪役として大げさに描かれています。でも、そんな誇張は不要。ネロ自身がもともと常軌を逸した、いささか戯画的な人物だったのですから」

 二人の妻を殺し、実の母親も殺害したとされるローマ帝国第5代皇帝ネロ。紀元64年に起きたローマの大火を首謀しておきながらキリスト教徒にその罪をなすりつけ、彼らを斬首やはりつけの刑に処したと伝えられている。

 そんな暴君ネロの真の姿を今、一部の学者たちが明かそうとしている。

■残虐非道な「暴君」説はどこまで本当か

 死者は自らの生涯を書き残すことはできない。最初にネロの伝記を書いたスエトニウスとタキトゥスは、ともに元老院とのつながりが強く、ネロの治世を批判的に記したとみられる。ローマの元老院が政治的理由から、ネロの死後にその名声をおとしめようとしたのは、まず間違いない。

 近代になると、ネロは悪役として映画などに登場するようになる。やがてローマ大火の際、炎上する都を眺めながらバイオリンを奏でるネロのイメージも定着していく(この逸話はどうやら真実ではなさそうだが)。悪魔のようなネロ像は、時代を経ても薄れるどころか強まるばかりだった。驚くほど複雑な人間性の持ち主だった支配者は、ただの野蛮な暴君に仕立て上げられてしまったのだ。

 考古学ジャーナリストのマリサ・ラニエリ・パネッタは言う。「現代人はネロを非道な人間だと非難しますが、キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝のやったことはどうでしょう。彼は自分の長男と2番目の妻、義父を殺害しています。コンスタンティヌスは聖人で、ネロは悪人だったなどとは言えません」
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO76007390S4A820C1000000/








●プーチン大統領は、「米国・EU諸国」に対抗するため、「ロマノフ王朝復活」の戦略的意図を実行しつつある - 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」 2014年08月27日

◆ロシアのプーチン大統領が、東ヨーロッパの国であるウクライナを主軸に「地政学的な軍事・外交戦略」を精力的に展開している。ウクライナは、東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置しているということだ。
 その東の果て「極東」に日本がある。西側は、EU諸国があり、北方は、「最後のフロンティア」と言われている「北極」である。南方には、中東諸国があり、イラク、シリアなどに強い影響力を及ぼしている。プーチン大統領が、地政学的中心的であるウクライナ・クリミアを手離すはずはない。ソ連東欧諸国が崩壊するまでソ連領であったウクライナをやすやすとEU諸国陣営に組み込ませるわけがない。
 プーチン大統領は、英国の地理学者のハルフォード・マッキンダーが「ユーラシア大陸の中央部(ハートランド)を制するものが世界を制する」と主張した「ランドパワー理論」(英国の立場からロシアへの対抗を説く理論を構築)を逆手に取って現代に応用し、「米国・EU諸国」に対抗しようとしている。これは、明らかに「ロマノフ王朝復活」の戦略的意図を実行しつつある。
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/9329795c2b974919c780011fa0b33785








●インド首相、新幹線システムの導入に意欲  :日本経済新聞  インド首相、新幹線システムの導入に意欲  原子力協定前向き 2014/8/29 21:47 記事保存

 【ニューデリー=岩城聡】30日から訪日するインドのナレンドラ・モディ首相(63)は29日、日本経済新聞などの取材に応じ、日本の原発設備や新幹線システムの導入に意欲を示した。日本との「安全保障分野での関係を格上げする時が来た」とも述べ、防衛装備品を日本から調達する意向も表明した。

 モディ氏は首都ニューデリーの首相公邸で取材に応じた。5月に就任したモディ氏が主要国を訪問するのは日本が初めてになる。

 モディ氏は日本からの原発設備導入に道を開く2国間の「民生用原子力協定」の締結や新幹線システムのインドへの導入について、「具体的な協力のための道を開くことが今回の訪問の目的だ」と語った。

 インドの高速鉄道の整備で日本は新幹線方式の採用を働きかけている。現在、日印両政府は共同で、アーメダバード―ムンバイ間の事業化調査を共同出資で進めており、調査は来年7月ごろまでに終える予定だ。一方、民生用原子力協定は両国政府が早期妥結を目指して協議を続けているものの、核不拡散の規定を巡る隔たりが埋まっていなかった。

 防衛協力についてモディ氏は「防衛分野での(日本との)二国関係は、我々の戦略的グローバルパートナーシップの強固な基盤を構成している」と語った。

 日本で今年4月、条件付きで防衛装備品の輸出を認める「防衛装備移転三原則」が決まったことにも触れ、「高度な軍事技術と国防装備品分野における2国間協力の新たな時代の幕開けとなるだろう」と言明。日本の海上自衛隊に配備している救難飛行艇「US2」のインドへの輸入やインドでの共同生産に強い期待を示した。

 モディ氏は9月3日まで日本に滞在する予定で、1日に安倍晋三首相と会談する。


 ナレンドラ・モディ氏 1950年、インド西部グジャラート州生まれ。大学では政治学を専攻。2001年から14年までグジャラート州首相を務め、インフラ整備や産業振興に注力した。インド人民党の首相候補として臨んだ14年春の総選挙で大勝し、同5月に首相に就任した。63歳。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM29H0Y_Z20C14A8MM8000/






●【狙われた情報通信(下)後半】「党・軍・政」総ぐるみ攻勢かける中国に手を貸す日本の研究機関 理研の名も  2014.8.29 14:00

 独立行政法人「情報通信研究機構(NICT)」は、昨年1月17日に中国科学院上海微系統研究所(SIMIT)との間で研究協力覚書に調印した。相手の了解なしに提案内容を外部に漏らさない機密保持条項が付いている。重点協力項目は超電導、バイオ・エレクトロニクス、テラヘルツ波(光波と電波の中間域にある電磁波)の3つだが、必要に応じて他の情報通信技術分野にも協力を広げる内容だ。

 テラヘルツ波はレーザー兵器に利用でき、米軍が大量破壊兵器対応などを目的に技術開発に全力を挙げている。NICTは「SIMITが軍系かどうかは把握していないが、SIMITとの協力は軍事技術には一切関与していない」(広報室)としている。

 ◆レーザー技術開発

 理研は、昨年9月10日に中国科学院上海光学精密機械研究所(SIOM)との間で研究協力覚書を締結した。レーザーおよびその関連技術の開発のために「理研-SIOM連携研究室」を上海に設置する念の入れようである。

 だが、人民解放軍系のニュース・サイト「多維新聞」は昨年9月17日付で「解放軍、反衛星兵器を開発中。高密度レーザービーム大量破壊兵器で対米攻撃」と題する記事を掲載。その中で毛沢東の指示によって、レーザー兵器開発のためにSIOMが創設されたと正体を明かしている。理研は「SIOMとの協力は外為法の安全保障貿易管理規則に従っている」(広報室)と弁明している。

 ◆米政府は締め出し

 中国の諜報(インテリジェンス)部門は政府の国家安全部(省に相当)に属するが、工作員としての人材は共産主義青年団から供給される。党指令系統で政府、軍と同列である。

 さらに米情報筋によれば、華為技術(ファーウェイ)、中興通訊(ZTE)という中国通信機器大手の2社は、1980年代初めに最高実力者・トウ小平の指示によって生まれた情報通信関連4社の後身だ。

 華為技術の発表では、同社の設立は1987年で、人民解放軍工兵部隊に勤務した経歴を持つ現最高経営責任者(CEO)の任正非氏が42歳のときに、中国・深センで創業した「民間会社」だという。だが、交換機中古品の行商から始まり、瞬く間に並み居る世界の通信機器の巨人たちを押しのけた同社には、資金、技術、人材を中心に党、軍、政府からの大掛かりな支援があると米側はみる。米政府は政府関連の通信機器市場から締め出し、民間にも新規導入しないよう指導している。

 党指令のもとに軍、政府の諜報部門、さらに企業が一体となり、強大で高度な中国のサイバー戦能力。「2013年には米政府所有を含めた世界中の無数のコンピューター・システムが攻撃にさらされたが、その多くが中国政府および軍による」(米国防総省による議会への2014年版「中国に関する軍事・安全保障の進展」報告書)というありさまだ。

 米政府は業を煮やし、米連邦大陪審が5月19日、サイバースパイの容疑で、中国軍の「61398部隊」所属の5人を起訴、顔写真付きで指名手配した。米原子力大手ウェスチングハウス(WH)、鉄鋼大手USスチールなど企業5社と労働組合が同部隊によるサイバー攻撃にさらされ、米産業の虎の子である原発や、太陽光パネルの重要技術が盗まれた。

 華為技術は今年、日本の通信インフラ市場でのシェア拡張を狙って、売り込み攻勢をかけている。同社日本法人幹部は「当社のサイバー・セキュリティー技術の信頼性には定評があります」と胸を張った。ソフトバンク、イー・モバイルの通信網を中心に華為技術は着々と納入実績を伸ばし、日本の大学などの有力研究者たちを深センの本社に招く一方、日本財界にも人脈を広げている。

 中国は党、軍、政府が総ぐるみで日本の情報通信産業と、技術開発の頂点から裾野まで深く入り込み、ごっそり乗っ取ろうとしているように見える。(サイバー問題取材班)
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140829/its14082914000002-n1.htm






●ロシア:天然ガス 中国への供給パイプライン起工式 - 毎日新聞

 【モスクワ田中洋之】ロシア東シベリアの天然ガスを極東経由で中国に供給するパイプライン「シベリアの力」の起工式が1日、サハ共和国の首都ヤクーツクであった。式典にはプーチン大統領が出席。ウクライナ危機で欧州がエネルギー資源のロシア依存脱却を進める中、ロシアとしてガス輸出先の「東方シフト」を推進する姿勢を鮮明にした。

 プーチン氏は式典で「世界最大の建設プロジェクトは、ハイレベルな中露関係のおかげで可能になった」とあいさつ。中国からは張高麗副首相が参加した。

 「シベリアの力」はチャヤンダ(サハ共和国)、コビクタ(イルクーツク州)で産出するガスを極東に運ぶもので、総延長は3968キロに及ぶ。総工費は7700億ルーブル(約2兆1400億円)。ロシア国営ガス企業ガスプロムによると、ヤクーツクから国境のブラゴベシチェンスクまでの区間を2018年末までに完成させ、翌19年から中国へガス輸出を開始する。

 ロシア産ガスの対中輸出は価格交渉が長年難航していたが、今年5月にプーチン氏が訪中した際、年380億立方メートルのガスを30年間にわたって供給する総額4000億ドルの大型契約で合意した。ウクライナ危機で欧米などの制裁を受けるロシアが、対中輸出に活路を見いだすため決着を急いだとされる。

 「シベリアの力」は将来ハバロフスクまで延伸し、サハリン産ガスを極東に運ぶ既存パイプラインと接続する。プーチン政権が掲げる極東・シベリアの発展につなげるほか、ウラジオストクでLNG(液化天然ガス)化してアジア太平洋諸国に輸出する計画だ。
http://mainichi.jp/select/news/20140902k0000m030064000c.html





●オランダ、嘘ついたことをプーチンに謝る - News - 社会・歴史 - The Voice of Russia 2014_08_31

オランダのプロフェッサー、シス・ハメリンク氏がロシア大統領ウラジーミル・プーチン氏に宛てた書簡が欧州メディアの注目を集めている。オランダの知識人・大学人数十人の署名入りの手紙だ。彼らはロシア大統領に対し、ボーイング、シリア、ウクライナに関する嘘を詫びている。

「我々、力なきウォッチャーは、米国を筆頭とする西側諸国が、自分たち自身の犯罪についてロシアを非難したことの、目撃者だ」。

「我々は全ての希望をあなた様の賢明さにかける。我々は平和を望む。我々は、西側諸国の政府が民衆に奉仕するのでなく、新世界秩序のために働いているさまを目の当たりにしている。主権国家の解体と無辜の幾百万の死、これこそが、彼らがその目的を達するために支払わねばならぬ対価であるらしい」。
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_08_31/276649929/





●時事ドットコム:日産、パーマー副社長退社=相次ぐ幹部の離脱 2014/09/02-19:51
 
アンディ・パーマー氏 日産自動車は2日、アンディ・パーマー副社長(51)が退任し、資本提携先の仏ルノーのフィリップ・クラン副社長(57)が15日付で後任に就く人事を発表した。パーマー氏は、英高級車アストン・マーチンの最高経営責任者(CEO)に就任する。ルノー・日産連合は、カルロス・ゴーン社長を支える幹部の退社が相次いでおり、経営体制の再構築を迫られそうだ。
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2014090200809





●ティルス - Wikipedia



概要[編集]ティルスは、現在小さな漁村であるスールの位置にかつてあった都市である。都市の起こりは紀元前2500年ごろといわれている。ティルスは紀元前1000年頃、ティルス王ヒラムが陸地から1キロメートルほど離れた小島に移した。紀元前332年に半島となった。

以後、フェニキア人の造った都市国家でも最大級にまで発展する。また、アレクサンダー大王に対して唯一抵抗したフェニキア国家でもあった。

歴史[編集]紀元前2500年、ビブロスやベイルートと共に、フェニキア人の都市として成立。 紀元前11世紀から紀元前9世紀に最盛期。ティルスの植民都市としてカルタゴを建設。 紀元前9世紀から紀元前8世紀にアッシリアの強大化によって勢力を失い、他のフェニキア諸都市と同様にアッシリアに従属する。 紀元前701年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王センナケリブの遠征軍に包囲され5年間抵抗するが、服属。 紀元前669年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王エサルハドンの遠征軍の攻撃を受ける。 紀元前585年、新バビロニア王ネブカドネザル2世の遠征軍に包囲され13年間にわたり抵抗した後、服属。 紀元前332年、マケドニアのアレクサンドロス3世(大王)の東征軍に対し、フェニキア人の中で唯一激しく抵抗したが、包囲され、要塞化されたティルスの島に立てこもった。しかし、アレクサンドロス3世は艦隊で海上を封鎖し、7ヶ月かけて島との間の約1キロメートルを埋め立て陸続きにしてしまう。その後の総攻撃によりティルスは陥落。この戦いによるティルス側の戦死者は8,000人、陥落後さらに2,000人が殺害され、3万人のティルス市民が奴隷として囚われたといわれる。後にアレクサンドロス3世の許しを得てティルスは再建されるが、政治的にも経済的にも弱体化し、かつての繁栄は失われた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B9







●ポエニ戦争 - Wikipedia


カルタゴの地図


ベネチアの地図

ポエニ戦争(ポエニせんそう、羅: Bella Punica)とは、共和政ローマとカルタゴとの間で地中海の覇権を賭けて争われた一連の戦争である。ポエニとは、ラテン語でフェニキア人(カルタゴはフェニキア系国家)を意味する[1]。紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年のカルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争が繰り広げられた。


目次 [非表示]
1 第一次ポエニ戦争
2 第二次ポエニ戦争
3 第三次ポエニ戦争
4 ポエニ戦争がもたらしたもの
5 脚注
6 参考文献

第一次ポエニ戦争[編集]詳細は「第一次ポエニ戦争」を参照

紀元前264年から紀元前241年。シチリア島をめぐる一連の戦闘と海戦が焦点となる。

紀元前264年当時、シチリア島は西半分をカルタゴが押さえ、東半分がギリシア人勢力のシラクサ・メッシーナ領に属していた。シチリア島のメッシーナを抑えていた傭兵隊マメルティニに対して、シラクサのヒエロンがカルタゴと結んで討伐にかかり、メッシーナがローマに救援を求めた。このことがポエニ戦争の直接の原因である。

同盟関係にあったローマは援軍を派遣。シラクサはローマに撃破され、同盟国となるが、危機感を覚えたカルタゴは4万の軍勢をシチリアへ送る。カルタゴはアグリジェント、ハミルカル・バルカ将軍を前線にローマと戦うが、ローマは3万の軍を派遣し、アグリジェントは陥落。アグリジェントを制圧したローマ軍は、25000人もの住民を全て奴隷として売り払う。アグリジェント陥落が、ローマとカルタゴの全面戦争へと繋がる。

陸戦では諸都市を攻略していたローマだが、海軍を持たないローマはカルタゴの補給線を絶つことができなかった。ローマはギリシア移民の多い同盟諸国から軍船を供出してもらい、更に「カラス」と呼ばれる桟橋を用いて敵の船に乗り込む戦術によって海戦を歩兵同士の戦いに変え、カルタゴ海軍を撃破する。

カルタゴ軍を撃破したローマ軍はアフリカへ上陸し、都市カルタゴの近くにあるチュニスで冬営する。カルタゴ側は和平を提示するが交渉は決裂し、カルタゴはスパルタ人の傭兵隊長クサンティッポを雇い、ローマに会戦を挑む。ローマ軍は友軍の到着も待たずに会戦に臨み大敗北を喫する。執政官アティリウス・レグルスは、アフリカ侵攻を諦めるが、撤退の最中に海難事故に逢い、6万の兵を失う。

第二次ポエニ戦争[編集]
イタリア半島での戦い(第二次ポエニ戦争)詳細は「第二次ポエニ戦争」を参照

紀元前219年から紀元前201年。ハンニバルによるローマ侵攻を指し、別名をハンニバル戦争という。

ハンニバルはイベリア半島を制圧し、諸部族をまとめて軍隊を養成。5万の兵と37頭の戦象を連れ、アルプス山脈を越えてイタリアへ進軍し、第二次ポエニ戦争が開戦する。イタリア半島各地でローマ軍を撃破し、紀元前216年のカンナエの戦い(カンネーの戦い)では馬蹄型の陣形でローマ軍を陥れ、完敗させたものの、すぐにローマ攻略へは向かわなかった。敗北を受けてローマはファビウス・マクシムス・クンクタトルの「持久戦法」を採用し、マルクス・クラウディウス・マルケッルスはハンニバル軍に対して会戦は避けながら果敢に戦闘を仕掛けハンニバルを悩ませ、以後ローマへ進軍は許さず、イタリア半島では一進一退の膠着状態が続く。

カルタゴ本国はこの戦争に対して、はじめは日和見の立場を取り、ハンニバルは本国との連携や補給をうまく取ることができなかった。その間に、大スキピオにハンニバルの本拠地であるスペインを攻略されてしまう。勢いに乗ったローマ軍は、北アフリカへ逆侵攻し、カルタゴ本国での敗戦に狼狽した政府によってハンニバルは本国に召還されてしまう。その後ハンニバルは大スキピオにザマの戦い(紀元前202年)で敗れ、第二次ポエニ戦争はカルタゴの敗北に終わる。

戦争中ローマを裏切りハンニバル側についたシチリア島のシラクサでは防衛にアルキメデスも参加しており、彼の発明した兵器はマルケッルスらローマ軍に損害を与えた。シラクサ陥落に際してはマルケッルスはアルキメデスは殺すなとの命令を出していたが、彼とは知らなかった配下の兵によって殺されている。アルキメデスは殺される直前まで地面の上に図形を描いて計算をしていたが、1人のローマ兵がこれを踏むと、「わしの図形を踏むな」と叫び、その兵士に殺されてしまった。このとき彼は円周率の計算をしている最中だったといわれる。

第三次ポエニ戦争[編集]詳細は「第三次ポエニ戦争」を参照

紀元前149年から紀元前146年。大カトの主張が通り小スキピオをしてカルタゴを滅亡させた。ローマ軍は住民のほとんどを殺すか奴隷にした。さらにローマ人のカルタゴへの敵意は凄まじく土地を塩で埋め尽くし、不毛の土地にしようと試みたとされる[2]。

ポエニ戦争がもたらしたもの[編集]詳細は「内乱の一世紀」を参照

第一次ポエニ戦争の結果、ローマは初めてイタリア半島外の領土であるシチリアを手に入れ、これを属州として統治するようになった。また第一次ポエニ戦争から第二次ポエニ戦争までの間にカルタゴ領であったサルデーニャとコルシカも属州に組み入れた。こうした海外領土(とくにシチリア)は安価な穀物をローマに流通させ、食料供給を向上させる一方、自作農の窮乏を招く一因となっていった。

また、イタリア半島に攻め込まれ、ローマ滅亡の危機にまで陥った第二次ポエニ戦争は、危機の中で元老院の指揮権を拡大させ、共和制末期の共和主義者達が理想視したような元老院主導体制が作られていった。さらに、新たな属州としてヒスパニアを加え、ローマは西地中海の覇者として確固たる地位を得ることとなった。

第三次ポエニ戦争はこうした強大になったローマの力を地中海世界に改めて示し、地中海を徐々に「我らが海」としていった。こうした一連の戦争はシチリア、コルシカ、サルディーニャ、ヒスパニア、アフリカ(カルタゴ)をローマの属州とする一方でローマ軍の主力であった中小の自作農を没落させ、軍団の弱体化を招いた。また裕福な平民層(プレープス)は新たに獲得した利権を利用しさらに富を蓄え、従来の貴族(パトリキ)に合流して新貴族(ノビレス)と呼ばれる層を形成していった。このような貧富の格差の拡大はローマに重大な社会不安の種として、以降の歴史に大きな影響を与えることになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%8B%E6%88%A6%E4%BA%89






●[ 田中宇:ウクライナ軍の敗北 ] 田中宇の国際ニュース解説 無料版 2014年9月5日
http://tanakanews.com/140905ukraine.htm






●プーチンの思想的メンター ―― A・ドゥーギンとロシアの新ユーラシア主義 Putin's Brain フォーリン・アフェアーズ リポート 2014年5月号

アントン・バーバシン 在モスクワ国際関係研究者
ハンナ・ソバーン 米フォーリン・ポリシー・イニシアティブ
(ユーラシア分析担当)

2000年代初頭以降、ロシアではアレクサンドル・ドゥーギンのユーラシア主義思想が注目されるようになり、2011年にプーチン大統領が「ユーラシア連合構想」を表明したことで、ドゥーギンの思想と発言はますます多くの関心を集めるようになった。プーチンの思想的保守化は、ドゥーギンが「政府の政策を歴史的、地政学的、そして文化的に説明する理論」を提供する完璧なチャンスを作りだした。ドゥーギンはリベラルな秩序や商業文化の破壊を唱え、むしろ、国家統制型経済や宗教を基盤とする世界観を前提とする伝統的な価値を標榜している。ユーラシア国家(ロシア)は、すべての旧ソビエト諸国、社会主義圏を統合するだけでなく、EU加盟国のすべてを保護国にする必要があると彼は考えている。プーチンの保守路線を社会的に擁護し、政策を理論的に支えるドゥーギンの新ユーラシア主義思想は、いまやロシアの主要なイデオロギーとして位置づけられつつある。・・・・
http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201405/Barbashin_Thoburn.htm





【私のコメント】

フランスのルノーに買収された日産自動車で、カルロス・ゴーン社長を支える外国人幹部の離脱が相次いでいる。ゴーン氏はレバノン人。フェニキア商人の末裔だろうか?彼が実は日本における国際金融資本の最高幹部ではないかと私は妄想する。

ネロ(西暦37-68年)が暴君との枕詞付きで語られるのは、彼がキリスト教徒を弾圧したからだろう。恐らくキリスト教は宿敵ローマ帝国にポエニ戦争(紀元前264-146)で滅ぼされたカルタゴがローマを弱体化するために広めた邪教。キリスト教の国教化でローマは伝統ある多神教を失い弱体化する。国際金融資本が滅亡しようとしている今、キリスト教という宗教もまた大きな打撃を受けることは避けられない。暴君ネロが今注目される理由はここにある。

シベリアと中国を結び将来ロシア太平洋岸まで延長予定の天然ガスパイプラインが9月1日に起工された。インドの新首相は初外遊で日本を選び、新幹線のインドへの建設が検討されている。一見、親米英の日印と反米英の中露が対立している様にも見える。しかし、産経新聞が8月29日付けで報道する様に日本の公的科学技術研究機関が軍事に関連の深い情報関連を含めて中国に深く協力している。これを読んで日本政府の売国官僚めと罵るのはB層である。恐らく日本は1964年の中国の原爆開発を含めて中国の科学技術開発を密かに、しかし大々的に支援してきた。中国の原爆開発には大勢の日本人技術者が参加したという噂がある。日本が中国と協力することは国際金融資本を含めて欧米の恐怖を呼び起こす。そのために20世紀の日本は表向きは中国との対立を装いつつ、裏では親密に協力し続けてきたのだろう。近未来に国際金融資本を後ろ盾にした西洋の世界覇権が消滅すればもはやこのような日中対立の演出は不要になる。共通の敵である国際金融資本とそれに乗っ取られた米英が消滅した後、中国は日本の第一の仮想敵国に浮上する。そしてその真実を覆い隠すために今度は日中友好が叫ばれることになる。日中友好演出の題材は、20世紀の表向きの対立の裏で、米軍という共通の敵と戦うために日本と中国が団結して行動した第一次・第二次・第三次の大東亜戦争の記録である。そして、上海同盟機構に日本とドイツが加入する事で、国際連合は事実上消滅し、上海同盟機構がそれに取って代わることになる。国際政治の中心はニューヨークから上海に移転するのだ。

前置きが長くなったので本題に入ろう。現在ウクライナで親ロシア派と親欧米派が激戦を繰り広げている。この戦いは断続的に紀元前264年から行われており、その前哨戦は紀元前332年に戦われている。これを起点とすると戦いは今年で実に2346年目になるのだ。その戦いの名前は「ポエニ戦争」である。ポエニ戦争では陸軍国ローマが海軍国カルタゴと長い戦いを続けた上で勝利した。この戦いは西洋史では深く研究されており、陸と海の戦いの重要な史料である。

ローマ帝国が分裂した片割れである東ローマ帝国が1453年に滅亡した時に最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ゾイ・パレオロギナがローマに脱出した後、1467年にモスクワ大公国のイヴァン3世=イヴァン大帝の妻となり、ローマ帝国の継承者(「第3のローマ」)であることを宣言したことから、モスクワ大公国のイヴァン4世など歴代のロシア(ロシア・ツァーリ国、ロシア帝国)指導者はローマ帝国の継承性を主張している。

この事実は、ロシア正教が東方正教会系列であることと合わせ、ロシアがローマ帝国の後継国家であることを示している。一方で、国際金融資本はフェニキアのティルスからカルタゴ、ベネチア、オランダ、イギリス、米国マンハッタン島(旧オランダ領ニューアムステルダム)と本拠地を移してきた。これらの本拠地はいずれも大陸から少し離れた島・川中島ないし半島の先端にあり、陸軍の攻撃を回避しやすいという共通点を持つ。米英蘭は間違いなくカルタゴの後継国家である。だから、この戦いはポエニ戦争の続きなのだ。

現在世界を支配している国際金融資本の祖先はフェニキア商人であった。彼らの最大の拠点はレバノンのティルスであった。この町は紀元前1000年頃に大陸から1km離れた小島に本拠地を移しており、その目的は大陸国家の強大な陸軍力から身を守ることであったと思われる。フェニキア都市は海軍力は強いが陸軍は非常に弱かったからだ。そしてこのティルスの植民都市の一つがポエニ戦争の当事者であるカルタゴである。カルタゴも大陸から突出した半島の先端に本拠地があったとされる。

ティルスの繁栄が全盛期を過ぎていた紀元前332年、アレクサンダー大王に服従しないティルスに対して大王は1kmの海を埋め立てて半島にしたうえで攻撃・占領した。住民の多くが殺され残りも奴隷となった。この残忍な攻撃と占領・虐殺の背景には、フェニキア商人が強盗や奴隷狩りなど悪の限りを尽くしており、大陸の住民に激しく憎まれていたことがあると思われる。このアレクサンダー大王によるティルス攻撃は第ゼロ次ポエニ戦争という性格を持っている。

ポエニ戦争はローマとカルタゴの戦いであり、世界史を学んだ人なら必ず聞いたことがある筈だ。ローマ帝国はカルタゴとの苦しい戦いを通じて成長し、地中海全体を支配する巨大国家に変身した。重要なことは、アレクサンダー大王とティルスの場合と同様に、ローマは陸軍中心の国、カルタゴは海軍中心の国であったことだ。江田島孔明氏の言う「ランドパワーとシーパワーの対立」である。この戦いでローマが最も苦しい状態に置かれたのは第二次ポエニ戦争である。カルタゴの将軍ハンニバルはイベリア半島(スペイン)を占領してそこで陸軍力を育成、象部隊とともにアルプスを越えてイタリア半島に侵入し多くの戦いでローマを苦しめた。しかしローマは時給戦法を採りつつ、ハンニバルの本拠地のイベリア半島(スペイン)を後略することで難を逃れる。そして第三次ポエニ戦争でとうとうカルタゴを滅亡させ、全住民を殺すか奴隷にして廃墟に塩を撒きカルタゴを完全に消滅させた。このカルタゴに対する激しい憎悪の裏には、ティルスと同様にカルタゴ人が極悪商人として強く憎まれていたことが挙げられるだろう。

しかし、滅亡を予期したカルタゴ人は滅亡前にカルタゴを脱出してローマ帝国内部に潜み、一神教のキリスト教を広め伝えることで多神教のローマを弱体化させて後に西ローマ帝国を滅亡させる。これはカルタゴによる復讐と見て良いだろう。東ローマ帝国とカルタゴ人勢力の関係はどうなっていたのか気になる。西ローマ帝国滅亡後にもイスラム教が誕生した後急激に支配地域を拡大しているが、これもカルタゴ商人の支援によるものだろうか?

ローマ帝国滅亡後、カルタゴを脱出した元カルタゴ支配階層は地中海沿岸の大陸から少し離れた島に根拠地を置いた。ベネチアである。ここを拠点に元カルタゴ商人は欧州政治に強大な影響力を行使した。何人かのローマ法王がベネチア支配階層から送り込まれた。神聖ローマ帝国の皇帝選出にもベネチアは大きな影響力を持っていた。ユダヤ人シャイロックを登場人物とする小説「ベニスの商人」はユダヤ人をスケープゴートにしているが、最も悪徳なのはフェニキア・カルタゴの伝統を引き継ぐベネチア商人であると思われる。カルタゴはとうとうポエニ戦争に逆転勝ちして欧州大陸を支配下に置いたのだ。

残る東ローマ帝国はオスマントルコの隆盛により1453年に滅ぼされる。正史ではこの事件でコンスタンチノープル経由のアジア貿易が困難になったベネチアなどの地中海商人が喜望峰廻りや大西洋横断によるアジア貿易を目指して大航海時代に乗り出したとされる。しかし、このオスマントルコの急激な隆盛を実はベネチア商人が金銭的に支援していたという可能性も考慮されるべきだろう。また、古来フェニキア商人は海上貿易ルートに明るく喜望峰廻りルートを古来から知っていたという情報もある。正史はまず疑う事が必要だ。

その後大航海時代によって、国際金融資本は南北アメリカ大陸とオーストラリア大陸という三つの大陸(地政学的にはいずれも世界島の外に浮かぶ島嶼と認識される)を手に入れた。また名誉革命でブリテン島を乗っ取った。その後これらの地域の住民や新たに導入した移民・奴隷などを用いて彼らは世界を支配するに至ったのだ。これは、ポエニ戦争でハンニバルがイベリア半島を手に入れてその軍事力によりローマを攻撃したことに似ている。

シーパワーの特徴は巨大な海軍力を持ち補給が容易である事。一方で陸軍力は弱く内陸での戦争には弱い。更にシーパワーは人口が少ないため、巨大な陸軍を持つ内陸の大国に戦争で勝利することは困難である。大陸には海岸から侵入するため、大陸の全ての海岸を敵に押さえられるとその時点で敗北してしまう。20世紀の西洋の東アジア侵略でも、国際金融資本は巨大な人口の中国はおろかベトナム・北朝鮮すらを占領することはできなかったがこれは彼らの陸軍力の弱さの証拠である。現在のウクライナでの紛争も直接陸軍を派遣することはできず、脅迫(地震兵器によるチェルノブイリ原発事故?)等でウクライナを乗っ取って戦わせているだけである。恐らくウクライナ人の多くはロシア政府と通じており、ある時点でロシアに寝返って敵を皆殺しにするだろう。

一方のロシアはアレクサンドル・ドゥーギンのユーラシア主義思想に代表される様に、地政学的観点から自己をランドパワーと定義した上で日本・ドイツ・イランなどとの同盟を目指し、トルコや中国などの仮想敵国とも手を組みつつ、最大の敵である米英蘭などのシーパワーとの対決姿勢を鮮明にしている。

歴史が繰り返すならば、シーパワーはランドパワーに勝てず敗北する。近未来の米英蘭はかつてティルスやカルタゴが辿った様にユーラシア大陸の巨大陸軍国連合に占領されて滅亡し、その国民の多くは憎悪に煮えたぎる巨大陸軍国連合の兵士によって虐殺され悲惨な末路を辿ると私は予想する。






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33 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-09-09 16:14:29
北朝鮮、外国人に長期ビザを発行、前例なし
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_09_08/kitachousen-biza/
返信する
Unknown (sam)
2014-09-09 21:32:44
双頭の鷲
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/双頭の鷲

20世紀前半に、ロシアはロシア革命によりソビエト連邦に、セルビアやドイツ東部(東ドイツ)は第二次世界大戦の結果として社会主義国となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された。しかし1990年代のソ連崩壊、東欧革命、ドイツ再統一により、それぞれ復活された。

ロシアがロマノフ王朝復活なら、セルビアも君主制へ回帰するのかな。というより、第二次大戦の結果として、双頭の鷲が削除されたということは、第二次大戦も古くからの因縁めいた争いの延長なのかもしれない。

MH370行方不明 3月8日
ロシア革命の二月革命開始 1917年3月8日

MH17 ウクライナ東部で撃墜? 7月17日
ロシア・エカテリンブルクのイパチェフ館に監禁されていた元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族5人、従者4人が銃殺。1918年7月17日

今回のウクライナ危機もこの流れだろう。

次は?

十月革命 1917年11月7日
2014年11月7日 何か起きるのか?

また1と7かい。

十月革命の二番煎じなら
ウクライナの議会選挙ご右派が台頭し、ポロシェンコ失脚か。
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Unknown (Unknown)
2014-09-10 01:42:24
クリミア半島。半島といいながら根元部分は、ほとんど湿地帯でまさに『大陸から少し離れた島』と解釈できる。ベネチアコスモポリタンが根拠地に選びそうな場所。
返信する
samさんへ (princeofwales1941)
2014-09-10 08:35:10
>双頭の鷲

双頭の鷲は東ローマ帝国の国章でした(ローマ帝国の国章は双頭でない普通の鷲)。

オーストリア・ハンガリー二重帝国やドイツ諸侯など東ローマ帝国圏外でも使用されていますが、旧ユーゴスラビアなどの東ローマ帝国圏内でも使用されています。

英国連邦諸国の国旗にユニオンジャックがある様に、東ローマ帝国の継承国家の国章には双頭の鷲が使用されているのでしょう。
返信する
現代のカルタゴは米英 (田中_jack)
2014-09-10 08:36:11
英国のスコットランド独立の動き、米国の人種別、地域別の分断の激化を見ると、
「歴史が繰り返すならば、シーパワーはランドパワーに勝てず敗北する。近未来の米英蘭はかつてティルスやカルタゴが辿った様にユーラシア大陸の巨大陸軍国連合に占領されて滅亡し、その国民の多くは憎悪に煮えたぎる巨大陸軍国連合の兵士によって虐殺され悲惨な末路を辿ると私は予想する。」ということになるだろう。

米国軍の戦力は想像以上に低下しています。
英国軍、蘭国軍も同様です。

返信する
Unknown (Unknown)
2014-09-10 12:28:07
その国民の多くは憎悪に煮えたぎる巨大陸軍国連合の兵士によって虐殺され悲惨な末路を辿ると私は予想する。

日本は原爆を米国に原爆を落とすべきです!
返信する
Unknown (Unknown)
2014-09-10 17:10:31

原爆は既にあんたの脳天に落ちてるよ(笑)
返信する
Unknown (Unknown)
2014-09-10 17:59:09
終戦のエンペラー という原爆が落とされている。
日本人は既に騙されている。
返信する
princeofwales1941 様 (sam)
2014-09-10 20:32:34
〉オーストリア・ハンガリー二重帝国やドイツ諸侯など東ローマ帝国圏外でも使用されていますが、旧ユーゴスラビアなどの東ローマ帝国圏内でも使用されています。

なぜロシア国旗が双頭の鷲なのか気になっていました。私を含め日本人には西側と東側の対立をいつもカトリックと正教会の対立とステレオタイプ化している人が多く、ロシアが東ローマ帝国の継承国家であることの重みを感じ取れていない人が多いのではないでしょうか。

ウクライナ危機の最中に、ロシアのパイプラインのサウスストリーム建設にいち早くオーストリアが前向きな姿勢を見せたのは意外でしたが、今回の記事で、なるほどと疑問が氷解しました。

A・ドゥーギンの記事を引用されていますが、このドゥーギンの思想は、現代日本人には逆に新鮮で共感できる部分も多いと思います。国際金融資本は、いつも人々を愚民化し退廃化して、国家を乗っ取ります。

ロシアは今はNATO諸国に包囲されているように感じますが、東ローマ帝国の継承国家という錦の御旗を見たとき、ヨーロッパの人々がどのように動くのか興味深いです。
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Unknown (Unknown)
2014-09-10 20:44:03
日本はNATO側につくみたいだが
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