国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

ロシアのウラジオストクへの巨額投資計画は極東のペテルブルグ建設とソ連時代の終焉を意味する?

2007年02月05日 | ロシア・北方領土
●極東に4600億円投資 露が大型整備計画 APEC招致目指す 産経新聞 2007年2月4日(日)03:01

 【モスクワ=内藤泰朗】ロシアのプーチン大統領は、同国極東の発展に向け、ソ連崩壊以来これまでにない超大型投資を2012年まで実施することを決めた。人口流出が止まらず、中国の影響力が高まる極東の求心力を再び高め、アジア太平洋への進出拠点を整備するのが狙いだ。ロシアの東方政策は、北方領土問題を抱える日本の外交にも影響を及ぼすものとみられる。

 プーチン大統領は、1日の内外記者会見で、日本と中国がそのルートをめぐり対立してきた東シベリアの油田地帯から太平洋岸までの石油パイプライン建設を加速させる方針を表明し、アジア太平洋地域の市場を有望視する姿勢を示した。大統領の極東重視の姿勢は、先月末のインド訪問の帰途、「政府閣僚らを引き連れ、あえて遠回りして沿海地方のウラジオストクに数時間だけ立ち寄り、極東の経済発展を命じたことからも、その真剣度が現れていた」(ロシア紙)。大統領は先月28日、極東の経済発展と社会問題を担当する国家委員会の創設を命じる大統領令に署名したことを明らかにし、「極東発展省」といえる委員会の委員長にフラトコフ首相を任命した。その課題は、5年後の12年にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のウラジオストク招致を目指し、全天候型の最新国際空港や高速道路、サミット会場となる国際会議場、ホテル、隣接する島々を結ぶ橋などインフラ整備をするというものだ。

 ロシア太平洋艦隊司令部を同市に置く軍も、施設建設のために軍施設を移転させる用意があると表明した。さらに、経済発展の起爆剤として、原子力発電所を建設し、アルミ工場や石油化学コンビナートの誘致も行う。ロシア人の人口流出をくい止めるため、極東最大級の大学や水族館など学術・文化施設の建設計画も打ち出している。


 投入される連邦予算は、12年までに約1000億ルーブル(約4600億円)。極東・沿海地方のダリキン知事は、20年までの総投資額が約2兆ルーブル(約9兆2000億円)にのぼると試算。この巨額投資が実施されれば、北方領土にも大型投資が行われる可能性があり、日本側も注視することになりそうだ。石油マネーを公共投資に回す同計画は、今年末の下院選、来年春の大統領選をにらんだ選挙キャンペーンの一環で、官僚汚職の新たな温床づくりに過ぎないとの指摘もあるが、「ロシアの安全保障上の脅威」(大統領)である極東への投資は避けられないとの見方が政府内でも強くなっている。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/m20070204009.html





●忌まわしいボルシェビキズムの首都から、偉大なピョートル大帝の首都への遷都?
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/eaac8dd6f8f0314825c87f971c50dd65




●図の赤色の部分がロシア極東連邦管区







【私のコメント】
ロシア極東の二大都市はウラジオストクとハバロフスクである。人口は共に約60万人程度。ウラジオストクは1905年に東清鉄道開通によりシベリア鉄道と連絡し、一躍極東の玄関口となった。ハバロフスク経由のシベリア鉄道本線が完成したのは1916年で、一年後の1917年にロシア革命が起きている。

ウラジオストクはソビエト連邦時代には沿海州を改組した沿海地方の州都となるとともに軍港として重視され、1958年からソ連の崩壊する1991年までごく一部を除いて外国人の居住と、ソビエト国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止される閉鎖都市だった。その間、東のナホトカが外国貿易港の機能を代行していた。

ハバロフスクはソビエト連邦時代には極東開発の拠点として重視され、機械工業や金属工業などの重工業や、シベリアの豊かな森林資源を利用した木材業などの工業建設が進められた。また、極東では数少ない外国人開放都市に指定され、シベリア鉄道を利用する旅客や貨物の重要な拠点となった。その後、ペレストロイカによりウラジオストクなどが開放されても、経済や行政の中心地としての地位は維持した。2000年にプーチン大統領がロシア全土を7地区に分けた連邦管区制を導入すると、ハバロフスクは極東連邦管区の本部が設置され、名実ともに「極東の首都」となった。

ウラジオストクは日本海に面する良港、ハバロフスクはアムール川とウスリー川の合流点に位置する河川交通の要衝である。この両都市の関係は、バルト海に面する良港であるサンクトペテルブルグとモスクワ川に面するモスクワの関係に類似している。サンクトペテルブルグはピョートル大帝が1703年に建設、モスクワから遷都した都市であり、ロシア革命後にボルシェビキ政権がモスクワに遷都して首都の地位を失っている。ウラジオストクもロシア革命以前は間違いなく極東の政治・経済・交通の中心都市であり、ソ連時代になってその地位をハバロフスクに奪われたという類似した歴史を持っている。恐らく、資本主義国に囲まれ孤立したソ連としては、首都や「極東の首都」が海に面した良港であることが安全保障上望ましくないだけでなく、首都の住民が外国のヒト・モノ・情報にアクセスしやすいことは政治的に望ましくなかったのであろう。

サンクトペテルブルグ出身のプーチン大統領はロシア第2の金融機関ブネシュトルゴ銀行や長距離通信の独占企業ロステレコムなどの国営企業を次々とサンクトペテルブルグに移転させている上、国営天然ガス独占企業体であるガスプロムの本社移転も計画されており、遷都の噂も絶えないという。仮に公式に遷都が行われないとしても、ロシア経済の中枢とも言えるガスプロムの本社移転は首都機能の部分的な移転と言えるだろう。

今回のロシア政府の極東投資計画ではウラジオストクから海軍を移転させ、全天候型の最新国際空港や高速道路、サミット会場となる国際会議場、ホテル、隣接する島々を結ぶ橋などインフラ整備を行うと共に、アルミ工場や石油化学コンビナートの誘致、極東最大級の大学や水族館など学術・文化施設の建設計画も計画されているという。これは、ロシア極東の政治・経済・文化・学術・交通などの中枢機能の少なくとも一部がハバロフスクからウラジオストクに移転することを意味すると考えられ、モスクワからサンクトペテルブルグへの首都機能移転と東西対象の相似形を形成している。

これは私の想像だが、近い将来に極東連邦管区の本部もハバロフスクからウラジオストクに移転され、ウラジオストクはロシアの東の玄関口、極東のサンクトペテルブルグとして繁栄を極めるのではないだろうか?そして、首都と極東の首都が内陸から海に面した都市に戻ることは、資本主義国の包囲網の中で首都を内陸に置くことを必要としたソ連時代との完全な決別と、西欧や日本との幅広い交流を持っていたロシア帝国時代への復帰を象徴するのではないだろうか?日露戦争からロシア革命までの短い間だが日本とロシアの間の関係は良好であり、ウラジオストクは欧州へ渡航する日本人の玄関口として非常に縁の深い都市であった。多数の日本人も居住していたという。ウラジオストクがロシア極東管区の首都になれば、かつてのように多数の日本人が移住し、現在の香港や上海のようになじみの深い都市になることだろう。
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1 コメント

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Unknown (ピーテルボーイ)
2015-06-28 16:35:23
昔の記事のですが大変面白く読ませていただきました
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