国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

大東亜戦争と関ヶ原の戦い

2012年09月08日 | 日本国内
1941年12月8日の日本による真珠湾攻撃は日本にとって自殺行為であった。日本が英国とオランダのみを対象に宣戦布告するならば、アメリカが第二次大戦に参加することは出来ず、従って枢軸国が勝利していた可能性が高いからだ。その理由は何だろうか? 今回の記事の題名は「大東亜戦争と関ヶ原の戦い」である。この二つの大戦争には大きな共通点がある。 1.関ヶ原の戦いで島津軍は敵中で孤立し敗北確実な情勢であった。これは大東亜戦争直前のABCD包囲網に囲まれて孤立した日本と類似している。 2.島津軍は東軍に寝返ることはせず、降伏もせず、東軍の総大将に向けて総攻撃をかけ、そのまま敵の大軍の中央を突破した。これは、日本がハルノートを受諾せず、連合国の太平洋艦隊の中枢のある真珠湾を攻撃したことと類似している。 3.島津軍は撤退の途中で「捨てがまり」という決死の戦術をとり大きな戦果を挙げた。これは、神風特攻隊として大東亜戦争で再現された。この戦術により、総大将の島津義弘は生きて鹿児島の地に生還した。大戦末期に鹿児島県の知覧に特攻隊の基地が設けられたことは偶然ではあるまい。 4.関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返った武将は多くが取り潰された。いつまた徳川家から寝返るか分からないからだろう。また、関ヶ原の戦いで敗れた武将の多くは地域住民との繋がりを断って弱体化させる目的で別の領土に移動させられた。島津家は西軍の武将の中で取り潰されず、別の領土に移動させられることもなかった唯一の武将である。鎌倉時代始めからの守護大名である島津家は関ヶ原の時点で約4世紀の間鹿児島を領有し続けており、たとえ取り潰されることが無くとも地元との繋がりを断たれることは致命的であっただろう。これは、国際金融資本の支配下に入った多くの地域大国が君主制を失った(それは特に第一次大戦前後に集中している)中で、日本のみが皇室を維持することに成功したことと類似している。 長州藩と並んで明治維新の立役者であった薩摩藩は多くの人材を新政府に供給した。彼らは関ヶ原での島津藩の戦いの事を学んでいた筈である。真珠湾攻撃の決定には島津義弘の関ヶ原の戦いが取り上げられていたと私は想像する。 . . . 本文を読む
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