今日、JINさんと初めてご本人の「死」についてお話をしました。
病室で。
彼が私のところに歌のレッスンに来るようになったのは、今年の初めでした。
それから、いろんなことがあった。
お母様が肺炎で入院されたり、大船渡市に住むプラトニックなお付き合いの彼女が被災し、ご自宅が津波で全壊したり。
ご本人も治療のため入退院を何度か繰り返し、私は病院まで出張レッスンに行ったことも。
そして、こともあろうに、歩道を歩いているところを車に撥ねられ、足首を複雑骨折して入院。
なんと忙しい人…
彼が骨折で入院中、私も転職やその他、いろいろ慌しく連絡を取っていませんでしたが、
このたび、久々に彼から連絡があり、骨折の件では退院したけれど、今度は癌が進行して入院。
再び家に戻れるかどうか、わからないとのこと。
「顔みにいくわ。何か欲しいものある?」
「生クリームのシュークリーム。それとローズたばこ」
まだ喫うかJINさん…(-_-;)
私は、市内に3箇所しか売っていないというその煙草を1箱買って、ローソンでシュークリームを買って、
それに、バッグに、20数年間愛読した「メメント・モリ」を放り込んで会いに出かけました。
こんな本、彼にあげるタイミングがあるだろうか…と思いつつも、、、、
彼の話では、骨折から復帰したのも束の間、熱がずっと続いて、意識を失い、救急車で病院に運ばれたとか。
このまま命を落とすか、五分五分のところだったそうです。
他愛ない話や、おもしろい話をしながらも、だんだん話題は、これから死ぬまでにやっておくことの話へ。
あとどれだけ生きられるか、体力がどこまで持つか、どれだけのことができるか、予測がつかないのが難儀だと…
10日後か、2,3ヶ月後か…
彼はこの1年、楽しかった、本当にこんなふうに充実した人生の終わりの時間を過ごせてよかったと心から言っていました。
その中には、私にヴォイストレーニングを受けたことも含まれると。
今まで自分が全く出したことのない声の出し方で、身体を響かせて音を出す感覚を知ったことはとてもよかったと彼は言ってくれました。
そして、ターミナルケア(終末期医療)…特に緩和ケアを安心して任せられるところに転院したいとも。
現在の病院は、退院できる見込みのない、しかもいつまでと期限の定められない患者を別の病院へ紹介する方針?らしいとのこと。
痛みの緩和について、彼はとても案じているようでした。
これまでも彼は、相当の痛みに耐えて、乗り越えてきた、その精神力は凄いと思います。
一般人の精神力なら、きっととっくに耐えられず、こと切れて、次の世界へ渡っていっている…に違いない、、、
身体の痛みは、私には一緒に共有することができません。
私は彼に気安めに励ますようなことは言いたくない。
彼の話を終始冷静に受け止めました。
「掃除や部屋(遺品)の整理整頓なんか、誰でも代わりにやってくれる人はいるよ。
それよりも、いちばんは心の整理整頓やね。
死ぬのがいつかは、お医者さんにわかるわけがない。
どんなに病気が進行しても、さいごは、自分の意思で、ひとりで次の世界へと渡っていくのだと私は思う。
もうこれでいい…と思う瞬間があるんだと思う。」
えらそうなことは言えないけれどと言い添えて。
そして、口には出さなかったけれど、その瞬間、神さまにあたたかく掬いとられるんだ…と思いました。
そして、帰り際に、とてもすんなりと「メメント・モリ」を差し上げました。
「これは私がずっと前から好きでずっと手元に置いておいた本。
絵本のようなつもりで読んでね。」
私だから、相手がJINさんだからプレゼントできるものだと私は思いました。
「メメント・モリ」…「死を想え」という意味です。
のっけから「死の瞬間が命の標準時」などという文が添えられた水平線の写真。
藤原新也氏の美しい写真と、それに添えられた詩のような文章は、私の伝えたいことのすべてを代弁してくれると思います。
死を想う=命を想うこと
そんなつもりで、私は発刊以来ずっとこの本を手元に置いてきました。
本についてはどうぞご参照ください
私の生活の話にもなり、相変わらずビンボーで、経済状態はとっても厳しいことを言うと、
JINさんは、来月はレッスンが受けられると思うから、今のうちに月謝を払っておくと言い出しました(^_^;)
もちろん笑って、そんなに前払いしなくて、1レッスン制でいいからとお断りしましたが。
本当にもう一度だけでも、思い切り歌えますように。
それが叶っても叶わなくても、私はJINさんとの出会いはお互いの魂にとって必要なことだと確信しています。
神さまが私のところに連れてきてくれたのだと思います。
私の人生のこのときに、彼が必要なのです。
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JINさんとの出会いについては、mixiに2度ほど日記を書きました。
デリケートな内容なので、特定のお友達だけに向けて書きましたが、
JINさんは、自分のことについては、すべてどこに何を書いてもOKと仰ってくれているので、ここに、mixi日記から転載しておきます。
長くなりますが、ぜひお付き合いください。
2011.1
先日、見知らぬ男の人からtelがありました。
その方は、癌と糖尿病で、余命1年といわれていると、お会いして知りました。
(詳細は後述)
TELを下さったのは、私の本名で検索してウェブサイトから連絡してきたという、高校のOBで、私より1学年上の先輩だった。
県内でジャズピアノを弾いていらっしゃるとある方についての問い合わせだったのだけど、私は直接の知り合いではなく、「知人には直接の知り合いもいるので、聞いておきます」ってことで。
そして、なんだかまるで、ついでのように、ボイストレーニングを受けたいと…
ついででもなんでも、もちろん歓迎。
でも、私は、男声のボイストレーニングはしたことがないので、初回からレッスン料はいただけません。
最低でも2度はいらしていただいて、自分の中で見通しがたつまでは「レッスン」というかたちにはできません。
…ということで、納得していただいて、昨日、早速いらしていただきました。
会社の代表で、時間の融通はききます、レッスンにはチャリで行きます…ということだった。
初対面
キッチンにお皿などなど山盛りで、
私、ロングパーカーにジーンズ。
彼、三つ揃えのスーツ…
まず、少しお話をした。
バツイチで、お母さまと二人暮しで、お母さまは昨年夏に骨折して、車椅子の生活になった。
彼は、お母さまのおむつを取り替えたり、介護の日々を送っていて、食事の支度もしていて、料理にハマりつつあり、凝っているうちに、食事ができあがるのが深夜になることも…
子育ての経験はないけれど、こうして、母の介護をしながら、子育てもこんなものかと楽しんでいる。
奥様が家を出ていかれた最初の数ヶ月だけはちょっと寂しかったけれど、今は自由を謳歌していて、人生最高に楽しい…などなど
じゃあ、とりあえず、なんか歌ってみてください…ってことになって、彼はまず、高校の校歌を歌ってくれた。
「屋島を出ずる朝日影 射すや若木の桜町…♪♪」
私は、高校時代、音楽部(合唱部)だったので、校歌は忘れようもありません。
…が、芸専でもない普通科出身の方が私のところにいらして、まず「校歌」を歌って下さったのには心の奥深くでとても感動したのであった。
それから、ヴォイス・トレーニングに入っていくのだけれど、なかなか手強かった。
このあたりは、シビアよ。
歌が好きで、我流の発声で、長年歌いまくってきた人だ。
声の出し方って、そんなにすんなり、指摘されてすぐに変えられるもんじゃないもんね。
立ち方も、顔の表情も、なんか全部歪んでる。
真っ直ぐに立って、にこにこ笑って歌おうよ…
しかし、、どうしてこの人は、今ここで「ヴォイストレーニング」をやりたいと思ったのだろう?…と、最初にお電話をいただいたときにも不思議だったのだけれど…
理由は、余命を宣告され、自分の人生の取捨選択の結果…ということなのだと思う。
彼は、レッスン(お試しね)が終わってから、次はどうしましょう…という段階になって、病気のことを、淡々とさりげなく仰いました。
これからもチャリでくる。雨の日も? 雨の日は傘をさして歩いて来る。歩いても30分程度、いい運動になります。
私は糖尿病なので、運動が必要。しかも癌なんです。えっ、何の癌? 前立腺。治るんですか? いえ、もう手遅れで、余命1年といわれました。
でも、そう言われて、毎日、歩いて、運動して、過ごしているうちに1年が経ちました…
元気な細胞を活性化させて、がん細胞が増殖しなければ、余命1年は2年、5年…と、延びていく。
それは私も理屈では知っている。でも、現実は厳しく、痛みは薬で抑えているという、そんな段階…
そんなことを実際に体現している人に初めて出会った。
神さまが私のところにこの人を連れてきたのだと思った。
昨年末、健康診断の結果が郵送されてきたけど、まーとにかく異常値がいろいろあって、ほぼ間違いなく「酒の飲みすぎ」。(私自身のことね)
もっと自分の身体を大事にしろよ…ってことなんだろうけど、わかっちゃーいるけどまーまーついつい…って、、
自分の甘さ、このままの生活でいいわけないだろっ!ってことを数値で示されたのであった。
彼は、「歌う」ことがほんとうに身体にも心にもいいとご存じで、気持ちよく声を出して歌いたいと思っていらっしゃる。
私は、本当に真剣にこの人と向き合って、その時間を完全燃焼せなイカン。
きっとそれは私の人生にとって、ものすごく大きな糧になる。
私は、彼に対して、口先だけでなく、ほんとに自分がこれまでに経験してきた「歌う」ことのすべてを伝えなさいと言われた気がした。
それに加え、自分の生活や健康のことにも、真剣に向き合えと…
あまり深刻に書きたくないのですが、
お互いに人生の素晴しい出会いなのではと思いました。
〔kaede〕
うう………
前立腺ガンは進行が遅いといわれていますが…
人生の終末期を迎えるにあたり、何よりも大切なのは
その方の生き方ややりたいことひっくるめて
その方自身を尊重をすることかと。
介護の勉強をしていて何度も言われる「尊厳の維持」。
人生の先を行く方は、自分の行く道を示してくれているのだと
介護の世界を知るにつれ、強く思います。
ステキな出会いとなりましたね。
思うにTAKAMIは、本当に人を引き寄せる力があるなぁ、と。
〔TAKAMI〕
kaedeちゃん、重い日記に速攻コメントありがとう。
介護の勉強をしてるkaedeちゃんだからこそ言えることですね。
私は、ずーーっと以前、20代の頃、母の従妹が癌にかかって、
東京で、親戚もなく、ひとりで末期を迎えているとき、
お世話や、話し相手をしにいってあげてくれないかと母親に頼まれましたが、ものすごく考えて断りました。
私には、最後の時を迎えている人と向き合う勇気がなかった。
母の従妹は、自分の病気のことをすべて知っていました。
その人に対して、どう向き合っていいのか、わからなくて、自分には荷が重過ぎると思いました。
今は違う。
私のほうがたくさんのことを教えられたり、受け取ったり、
それから、自分が伝えたいことや私にできることは、全力で向き合っていきたいと思います。
私も、50年生きて、それなりに成長してきたのだなあと…
それに私も、たぶん彼と同じように、希望を持っています。
彼の人生、「残りの」ではなく、「これから」の人生と思えるのよ。
2011.3
以前書いた、同窓生の新しい生徒さんのこと。
明日から、2週間入院して、糖尿病と、癌の治療をするとのこと。
詳しいことはわかりません。
でも、彼は、とても明るく、何でも話してくださるので、きっと私が聞けば、病気の状況なども詳しく説明してくださると思います。
明日から入院。明日のレッスンのかわりに、私は、彼の入院する病院に、PCやキーボートを車で運ぶお手伝いをすることになった。
「どこの病院?」
とかTELで気軽に聞きながら、
「いや、でも私、いろいろ考えてお見舞いにはいかないかも。治療に専念してください」
…などと真面目に言ってたんだけど、
ど~~も、彼は病院では退屈なので、遊びにきてほしそうなのよ。
自分の治療中のパジャマ姿なんか、私だったら、あまりよほど親しい人じゃないと見せたくないなあと思うんだけど、彼は病院の屋上で、「オーソレミオ」を練習しようとしている。
「ほな、私、出張レッスンにいくわ♪♪」
O Sole Mio(私の太陽)
彼に私は、この曲を、パヴァロッティのような発声を目標に、身体全体を楽器にして鳴らして歌う気持ちよさを体験してほしい。
しかも、屋上で歌うなんて、ほんとに実現したらめっちゃ気持ちいいに決まってるじゃないの。
病院の許可がおりますように。
彼は結構ブッ飛んでる人で、見かけはめっちゃ胡散臭いけど、おおらかで楽しくて、レッスンの前後にもい~かげんそ~~なことばっかり言ってる。
高校の頃は、全校ナンバーワンの女の子と付き合ってたとか、それ以後もモテまくって、今も常にモテてるとか、、、
プラトニックな彼女がいて、毎日何十通もメールしてるとか…
「なんか私にできることある? お母さまはどーなるの?」
「母親は入院しとるからだいじょうぶや。安心や。インフルエンザをこじらせて、肺炎になっとる。」
「え~っっ!!それは大変やったね…」
「いやいや、結構楽しんどる、丁度ええタイミングや。」
この人、本とに、軽そ~~なんだけど、奥深いところで要をきっちり押さえていて、すごい人だと思う。
彼は4回目ぐらいのレッスンのとき、
「これまで発声練習なんかやったことなかったけど、レッスンに通い始めて、これまでうまく出なかった音域が出るようになったり、身体を鳴らすということが少しわかってきた」と仰って、
効果を実感されていることを伝えてくださいました。
いやいや、そんなにすぐには無理、まだまだこれから先は長いと思ったんですけどね。
でも、男性のレッスンは初体験なので、ほんとに手探りだったけど、私も3回目あたりから、点が線になり、次の方向が見えてきて、手応えを感じられるようになった。
私も、上っ面のお付き合いでなく、どこまでも彼の人生の中で私の必要な役割を果たせるよう、努力したいと思います。
彼に限ったことではなく、人との出会いや縁とは、本当に尊いものと、書きながら涙ぐんでしまうほどに思います。
実は私の元気が取り柄だった実父も、今は病床です。
入院している病院も本人の希望で知らせてもらえず、ガンバレと祈るばかり。
何を頑張るのだ。
大事な人のために生きてほしい。
父がほんとに大事なのは、息子や娘たちでなく、40年もずっと連れ添ってきたパートナーさんなのだ。
生きている命は、それだけで尊い。
一秒でも、大切な人のために生きてほしい。