WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

「NIE」悪戦苦闘

2011-08-22 | 教育ママ日記



「NIE」 Newspaper in Education

コレがTakの今年の夏休みの日課であります。
1日2ページ自主勉の1ページは、漢字。もう1ページは、地方紙「四国新聞」のコラム
「一日一言」(天声人語みたいなヤツね)を読んで、それについての自分の意見を書く。

夏休み前の三者面談で、先生と一緒に「ヤル」と決めた。

実はこれは、小4のときに既にやっているお子さんも少なからずいるのだ。

…しかし、、読書量がさっぱり少なく、漢字も語彙も貧弱なTakにとって、これはものすごく過酷であった。
何をいっているのか、さっぱり意味がわからない。
いや、その前に漢字が読めない!!

ちょっと油断すると5日分ぐらい溜まる。

しょーがないから、私が音読して、さらに意味を細かく噛み砕いて説明しなくてはいけない。
さらに、Takが、それについて感想をあれこれと言うことをまとめるのも私。

「おかーさんって、なんで俺の言いたいことがそんなにスッスッとわかって言えるの!?」

ちょっと手をさしのべると、もぉ~頼り切ってくるのもハラ立つ!
でも、ついつい「私も一言、物申す!」とばかり、意見を述べたくなっちゃうし(^_^;)

しかし…
この一連の作業も、なんだか定例化してきて、コラムについてのTakの意見を聞いていると、「やっぱりコイツ、ちゃんと要は押さえて、全うに成長してるんだな」とは思う。
それが言葉でうまく表現できないのだ。



では、日々の攻防の中から例をひとつ。


四国新聞 一日一言より

8月17日

昨日の自分と今日の自分は同じか違うか。大して変わらないという感想が多いだろうが、分子生物学的には明らかに違う。

 生物は古い細胞を捨てて、新しい細胞に置き換えている。誰もが皮膚、爪、毛髪で日々実感していることだ。それだけではない。脳細胞のタンパク質は20日ほどで、肝臓は3日で半分が入れ替わっている(佐倉統著「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?」)。

 身体のあらゆる部分は絶えずつくり替えられており、その源は食べ物だ。生物は食べるという行為を通じ、地球の物質循環の流れの中で生きている。いまさら公害病を引くまでもなく、物質循環の汚染は生死を分ける事態を招くこともある。

 放射性セシウムによる汚染が止まらない。茶葉に始まった汚染は、野菜、魚、牛に広がった。県内の小学校で使用した腐葉土も汚染されていたことが分かった。

 かつてない事態に国民の不安は募る一方だが、国の対応は後手に回っている。基準値は公表したが、根拠があいまいというから、不安が不信を呼んでいる。牛の全頭調査にしても、危機感を持った自治体の動きを追随したようにしかみえない。

 福島第1原発から放たれた放射性物質は大気、水、土を漂いながら広がった。地球の物質循環は人智をはるかに超えている。この間の政府のあたふたぶりを目の当たりにすると、そもそも物質循環の流れの中でしか生きられない人間に、物質循環をコントロールすることはできるのか。こんな素朴な疑問が脳裏をよぎる。(D)



まずは、脳細胞や、肝臓のタンパク質が入れ替わることについて、補足説明。
「物質循環」という言葉を噛み砕いて説明。
「公害病」についても解説。まずは「公害」の意味から…
「放射性セシウム汚染」も、殆どわからないので、福島原発の爆発のところから説明。
「後手」「基準値」「全頭調査」「自治体」「追随」「人智」などなど、知らない単語多数。
説明するとTakからのさらなる質問が帰ってくるので、1単語の説明だけでもエライことに発展する。

でっ、この案件で1時間越の親子の議論?が続き、Takの意見がだんだんクリアになっていく。
それがコレ。


Tak

人間に物質循環はできないと思う。むしろ、完璧な物質循環を、人が壊していると思う。
人間は、頭が良いけど、それ以上に、自己中心的なところがある。自分自身をコントロールすることさえ難しい人間が、地球をコントロールすることは無理だと思う。
この文章を読んで、国はほんとうにひどいと思うが、政治家を選んでいるのは、国民である。国民の一人ひとりが、少しでも自己中心的な考えをやめて、物質循環の流れのために努力するべきだと思う。



たったこれだけの文章を書くだけのために1時間余。(TAKAMIの添削アリ)

しかし、ここで感じたのだけど、Takは、やっぱり教会学校の影響を大きく受けていて、
「宇宙は神さまが創った。それを人間がコントロールすることなんかできない」と。
「コントロールはできないけれど、努力をするべきだ」

Takは、「自己中心的な考え方を」「抑えて」か「捨てて」にするか、考え込んだ。
「抑える」のは、結局は手放さないことだから、根本的な解決にはならないね。
「捨てる」は、人間として、無理やろう。人間は弱い「罪びと」だから、自己中心を捨てることはできない、それはイエスさましかできない。
ほな、「やめる」っていう表現はどうだろう?…などなど

こうしてやっと1ページが埋まった。ホッ…


そしたら、さらに次の日のコラムは、アメリカ経済についてだった。(@_@;)
もぉ~~お手上げ。アメリカ経済なんて、奥が深すぎて、スゴすぎて、解説不能。

私がベッドに寝転がって挫折してると、Takは、別の記事を探して「コレがいい!」と言った。

「くらしのアドバイス 足の臭いを防ぐ」

Tak:

これを読んで、とても参考になりました。
ぼくは、足が臭いので、毎日続けたいと思います。
特に参考になったのは、お湯に足をつけること、ガーゼに石けんを付けて指を洗う、くつを二足、交代ではくことです。
今日の一日一言は、「アメリカ経済」のことだったので、ぼくには、難しすぎて、全然わかりませんでした。でも、新聞には、こういう分かりやすく、生活にすぐ役立つ記事ものっていて良かったです。






…この攻防が、月末まで続く。

さらに、課題研究も佳境なのである、、、、、


冒頭の画像は、Takが作ってくれた「しょうゆうどん」
ねぎは私が刻みましたが、それ以外は、うどんを茹でて水にさらし、大根と生姜をおろし、レモンを絞り、盛り付けまで全部。
宿題に付き合ってくれる母への労いのつもりらしい…


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の力

2011-08-22 | 実父


8/20 

この日も、父は昼食を完食した。
食べている途中で、「背中が痒い」と言い出した。
いったん痒くなってきたらもうどうしようもないらしく、パジャマを脱いで、「思い切り掻いてくれー!!」と。
自分の体が思うようにならないのは本当に歯がゆいことだろう…
こんなとき、付き添いがいなければ、父はスタッフには気を使ってそんなことは頼まないし、
おむつ交換も、スタッフが定期的に来てくれるまで我慢しているそうなのだ。
おむつ交換はヒロコさんしかしないけれど、私は、父が便や尿が出たといえばナースコールする。
背中全体を思い切り掻いて、爪の痕が赤く、まるで虐待のように残ってしまったけど(^_^;)
それから、熱い蒸しタオルで背中を拭いてあげた。
これがとっても気持ちいいとのこと。
父は、自分で寝返りをうつこともできないので、背中を掻いたり拭いたりするときは、父の腰を支えて、思い切り力を入れなきゃいけないので、私も腰にかなりの負担で大変だ(^_^;)
見よう見まねや、経験を重ねながら、少しずつ要領を覚えていく。

本も読んであげた。
今日は、Takの絵本「友情のメダル」
1936年ベルリンオリンピックの実話。日本人の活躍についてのおはなし。
1926年生まれの父が子供の頃のことで、当時の日本中を湧き立たせたらしい。
もしかしたら知ってるかな?と思ったけど、知らないのか、忘れてるのか…

絵本なので、絵も一緒に見ながら読み終わったら、
「熱中できることがあるんはええことや」と、感想を語った。
それをきっかけに、東京オリンピックの話や、マラソンの話、私がホノルルマラソンに出たことがある話、走ってる途中、トイレを並ぶのに時間がかかって、目標タイム内で完走できなかった話…などなど、いっぱい話もした。

これまでは、子供の頃の近所のことや、食べたいものや、身近な話題ばっかりだった、それも同じことを繰り返すことも…

でも、そうだ、新聞のコラムを読んであげたり、夏休みの宿題で書いている、Takの感想も読んで聞かせてあげてもいいかもね。


さて、もうお別れの時間。
お互いなんとなく寂しい。
きっと父は私よりもっと寂しいだろうなと思う。
だって本当に楽しいんだもの。
私は、病院を出ても楽しい世界があるけれど…

いつも握手をして「また来るね」という。

この日は、父の手をぎゅっと握り締めたら、強く握り返してきた。
このとき、いつも父に愛されているんだなーーって、伝わってくる。
私ももっと強く握り返したら、さらにもっと握り返してきた。
「お父さん、そんな力があるん、スゴイやん。いっぱい食べられるようになったからやね。」
「引っ張り合いこ、するか?」
よっしゃ。
私は、一応手加減しながらも、ぐいぐい父の手を引っ張ったけれど、ぐいっ!と、父の手に体ごと引き寄せられてしまった。
負けた…
びっくりする私に、父は嬉しそうに笑い、目が輝いていた。
「命の光」だった。
あんな父の生き生きした顔を見たのは、入院して以来初めてだった。

神さま、ありがとう…

そして、父が、自分の底力を自覚して、これからリハビリを再開できますように。
きっと父は、あの時、自分でもこんな力が残っていたことに驚いたと思う。

骨と皮だけになってしまったシワシワの腕で、私をあんなに強い力で引っ張れるなんて、
私も本当に驚いたもん。

リハビリはもう、転院した時点で、いやその前から、「意味なし」みたいな感じで、病院側も、身内も、断念していた。
でも、あんなにひからびていた父が、こんなに食べてこんな力を出すんだもの。
「余命宣告」なんて、クソ喰らえ。

今日の1日を大切に、明日はどうなっても、今日を「生きる」ことに頑張ろう。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする