WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

実父の入院

2011-08-03 | 実父
いつも応援ありがとうございます。

実父が、2月から入院しています。
肝臓がんです。
現在治療の施しようもなく、最初に入院していた病院は期限切れで、別のところに転院を余儀なくされました。

当初、私は、父は高齢ということもあり、進行はゆるやかで、一時退院、復活の希望も持っていました。
父は、倒れて入院する直前まで、踊っていたのです。
父は社交ダンスの教師です。

でも、肝臓の癌を焼き取る処置があまりに長時間の激痛で、過酷だったので、消耗が激しく、
父はそれから寝たきりになってしまいました。

私は、父の復活を信じたかったので、このことを周囲に伝えると、
なんだか、「父はもう助からない」波動が広がっていきそうで、
誰にも言いたくありませんでした。

けれども、父は今、少しずつ脳にも障害が出て、退行していっているようです。

実父との交流を、記録としてブログにアップすることにしました。
父が生きているうちは、Takの成長記録と同じパスワードで、親しい方限定にしたいと思います。

ほぼ毎日のように更新するかと思うけど、ブログには更新のお知らせはしません。

自分自身の記録のためで、誰かに読んでもらおうというような目的ではないのですが、父が亡くなったら、この文章もパスワードをはずして公開しようと思っています。

今は、父を天国へ見送ってあげるか、いま少し、ここにとどまって、私たちのために生きてほしいと願うのか、どう考えていいのかわからないのが正直な心境です。


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2月~3月

弟の携帯に、LIVEの案内メールを出した。
すると、「親父の具合がどうも良くないらしい」と返信。
急いで実家にTELしてみると、ヒロコさん(パートナーさん)が出て、「今、熱が出て、休んでいて、このことは、心配をかけたらいけないので、息子、娘たちには言うなと緘口令が敷かれているから、電話を変わることはできないの。ごめんね」と。
そして、私のLIVEの日に父は入院した。

肝臓癌。

大きなポリープが3箇所もあり、その1つが、胆嚢を圧迫している。
放置しておくと、すぐにでも胆汁が逆流し始める。そうなると、黄疸が出て、数日の命…とかなんとか。
高齢なので手術は不可能。
患部にレーザーを差し込んで、胆嚢を圧迫している部分だけ焼き切るという処置をすることになった。
激痛が続く、とても辛い処置なのだとか。
父はそれを2時間堪えて、そこで限界。あまりにも消耗が激しく、それ以来寝たきりになってしまった。

私が父に会いにいく許可が降りたのは、入院から2週間後ぐらいだったかなあ。
最初は、弟にも言うなといっていた父だけれど、ヒロコさんは戸籍上妻ではないので、「家族の同意」が必要な入院後の様々な処置などに対応できないからということで、弟にだけは打ち明けることを父は許可した。

私にも伝えていいと言われて、すぐに会いにいったところ、父は、点滴だらけで腕一面紫色になり、口の中も血の塊だらけで黒くなっていた。
処置後、血小板が著しく減少して、内臓からの出血、吐血などが暫く続いた。

入院直前まで踊っていた父は、自分の身体の急激な消耗や変化を受け入れられず、点滴をはずして自分で起き上がってトイレに行こうとして、便にまみれるという大失敗したり、口の中の血の塊を取り除こうとしたり、周囲が肝を冷やすこと度々。
完全介護とはいえ、看護士さんに迷惑をかけてはいけないと、日中は家族が付き添う日々が続いた。



4月

1日は父の85歳の誕生日。
小さなブーケを買って行った。
病室には、ヒロコさんがお花だけで作った大きなバースデーケーキが飾ってあった。
白とクリーム色とピンクの、淡くてかわいい色合い、ほんとにお菓子のようで、ヒロコさんの父に対する愛情がぎゅぅぅぅっっと凝縮されてる。
ほんとによかったね、お父さん、こんな優しい人にずっと付き添ってもらって。
30年以上、仲良くパートナーとして歳月を重ねてきた2人。
年齢差20歳以上。
ダンスのパートナーが、いつしか人生のパートナーに。
ヒロコさんは、今でも父のことを「先生」と呼ぶ。
私がヒロコさんに初めて会ってからもう四半世紀が過ぎたけれど、彼女は今でも可愛い。
そして、ずーーーっとラブラブ♪
私が付き添っているとき、いつも「遅くなってごめんごめん」と言いながら、にこにこ笑顔で病室に入ってくる。
父はいつも機嫌がいいわけではなく、彼女に甘えきっているので、時には不機嫌この上ない態度をすることも。
愛情こめて父の顔を覗きこむヒロコさんに、「じろじろ見るな。覗き見お断りや!」とキツくいうことも…
「ハイ。」
ヒロコさんは、決して逆らわない。



血小板の輸血、点滴などは約2カ月続き、その間絶食。
その後、点滴がはずれて、楽しみにしていた食事ができるようになっても、病院食が口にあわないといって、お粥しか食べない日々。
ドクターから何を食べてもいいですよといわれて、好物の海苔の佃煮や、梅干など持っていっても、肝臓の障害によって、味覚が変わってしまったのか、苦い、不味い…といって、食べられなかった。

ある日、鯛焼きが食べたいというので買っていったら、「ウマイ」といって、1個全部ぺろりと食べることができた。
周囲は大喜びで、希望の光が見えたけれど、いつも食べられるわけではなく、手探り状態で、父が食べられそうなものを、家族やお見舞いの生徒さんが持ってくる…
果物も、次々といただくけれど、見ただけで嫌そうな顔をしたり、美味しそうで食べてみても、2口でギブアップということも。
とある生徒さんが、どこだかの大学の農学部の畑で育てたという新鮮なスイカを小さくサイコロのように切って、親指くらいの小さなフォークも一緒に持ってきて下さった。
彼女は、「先生、ちょっとだけ食べてみてください。」といって、フォークごと父に手渡す。
介護ってこういうものなんだ。
食べさせてあげるのでなく、自分でフォークやお箸を持って食べられるように…との彼女の気遣いは、素晴しいと思った。




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