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理想

2019年10月24日 | 社会派らぼ
様々なニュースが日々駆け巡ります。中に自分たちの生活にトテモ近しいところで起こる事もありはしますが、大半は日常から遠く離れたところで起きています。ただ、それらが相まって醸し出す社会の雰囲気というものからは逃れようがなく、最近は重苦しいものさえ感じる事も多くて、どこかに逃げ出したい衝動に駆られることさえあります。大人ですらそうなのですから、今の子ども達が育つ環境が良いとはお世辞に言えないかと懸念します。一つ一つのニュースを理解するには幼い年齢であっても、社会の雰囲気というものは彼らに何らかの影響を与えるのではないかと思います。

最近ですと、神戸の小学校教諭が、同僚にいじめや暴行を繰り返していた…というとんでもないニュースが繰り返し報じられていますし、金銭を巡るタレントの不祥事も後を絶ちません。特に教師によるいじめ事件の際には、教師のいじめなど…今更ではなく日常の事だと、知った風な発言をする人も居て、あらためて人間の本性の根深いところにある「何か」に苛立ってしまいます。

恐らく、古代社会から、いじめに相当するものは、常にあったであろうと想像できますし、この先も場所が学校であれ、会社であれ、人が複数集まるところには、その種の人間関係の破綻が無くなる事はないのではないだろうかと想像してしまいます。根絶が望ましいのは百も承知で、またそうあらねばならない事もわきまえて、尚、人間の業の深さに慄然とするばかりです。

それを克服できないのが、人間の性だとしても、少なくとも幼い子ども達は、そうした現実から守らねばならない…と思うのですが、そうした事を覆う社会の大きなベールが、近年は何も働いていない事に、危機感を覚えます。何かしら事件が起きる度、「徹底的に膿を出して」とか「事実関係を明らかにして」と、それらを解明することになります。「臭いものには蓋」式の隠す行為が、悪事を助長する温床になっている事は確かですが、それらの事実を子ども達が見聞きしていることも一方で現実です。

だから「どんな状況下でもあなたは間違った事をしてはいけないよ」という教育に繋がるのですが、大人への信頼感や成熟した大人の良識を子ども達に伝えることができません。「子ども六法」の書籍が人気だと言います。不幸な環境下で苦しんでいる子どもがいるとしたら、黙っていないで自ら救われる道を模索して欲しい…と言う願いは良く分かります。が、そうやって自らを護らねばならないと教えなければならない現実にはがっかりさせられます。

子ども達の情報網が大人顔負けである事。大人が自らの醜さを隠さなくなった事。「本音と建て前」と言う風に使い分けることは間違いで、人は常に「本音」でなければならないといった風潮が強い事。…何かがズレていると感じるのですが、そのズレが何なのか、自分でもつかみ切れません。人々の心の中にある善悪の絶対音感自体が狂っている…としか言いようがありません。それでも、未来を生きる子どもの心の中には、絶対にぶれない理想を育てておきたいと強く感じています。

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