蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

冬山とスキー場の老人達

2012-02-12 21:22:39 | 山とスキーでブラブラ

信州・栂池通いを始めた4年前、定宿となった民宿は、ほぼ貸し切り状態だった。
ワタクシが通う火曜~金曜に、スキー場で遊んでいる人は、まず、いない。
当然だ、バブルの頃の、若者はネコもシャクシもスキー、というおバカのブームは去り、昨今スキーは儲からない。

その翌年、定宿では毎週、老夫婦と一緒だった。駐車場には福岡ナンバーのSUVが止められていた。
「あの人達も福岡から通われてるンですね、ボクより遠くから、大変ですね」と、定宿の女将さんに言うと、「違うのよぉ、ズットなのよぉ、3月までズッ~と」
「へぇ、下宿みたいなモンですね」
「そうよ、大変なのよ」
毎晩、違う食事を出さないといけないのが大変、そう言う雰囲気だった。
「去年まで別のトコで泊ってたらしいよ、何かあったのかどうか、こっちへ移って来たみたい」、宿のご主人はそう言っていた。「でもまぁ、春までズッとお客さんがいて、エエですやン」

次の年もそのご夫婦は "下宿 " されていた。
「それやったら、もうこちらでお葬式まで出してあげたらどうです?案外直ぐやったりして、イヒヒ」
「もぉ~、口の悪いィ」

そのご夫婦のダンナさんとは、お風呂や食堂で会う度、色々お話しする様になった。

どうやら、ワタクシより10歳以上年長らしい。夏はゴルフを楽しんでおられる、好々爺だった。
奥さまは膝が悪いらしく、ピンク系のスキーウエアを纏いながらも、階段は後ろ向きで下っておられた。
こんなンでスキー、出来ンの?、スキーちゅうより車椅子、いるやン。余計なお世話です、口悪くてスイマセン。

しかし、この老ご夫婦を、定宿の外で見掛けることはなかった。
見掛ける、と言ってもゲレンデでは皆さん、ゴークルと、人によっては覆面までしている訳で、余程ハデな服装の人物しか判別できない。
判るのは、素ッピンをさらけ出している食堂で休憩している時。
しかし、ワタクシが一日一度、休憩する栂の森のカフェテリアでは見掛けなかった。下の方で滑っておられたのだろうか。

そして、3月下旬、来年またお会いしましょうネ、と別れたが、その翌年、つまり昨年、その老夫婦はいなかった。

定宿は、毎年1月下旬に幼稚園児が、3月上旬は小中学生が、恒例行事で貸し切ってしまう。その時期、老夫婦がいると色々不都合なコトもあるらしい。当然、ワタクシもその週はご遠慮している。
そう言う事で、3月までの連泊は断ったらしい。まぁ、妥当な判断かも知れない。

しかし、昨年は適度に同宿者がいて、2月終わりは大学生が占拠したりで、ワタクシの貸し切りは数えるほどだった。

今年はまだ3回しか通っていないが、2回は貸し切り、1回は同宿者がいたが、これが老夫婦一組と、お一人様のお爺さんが二人。( ワタクシはまだ、オジイサンに限りなく近いオッチャンだと思ってます )

老夫婦は滋賀から来られたそうで、信州までのドライブは中々大変、と感じられた様子。
「へぇ~、神戸からですか、大変だったでしょう、何時間ぐらい掛ります?」
「6時間チョットです、毎年、ほぼ毎週、通ってます」
「エエッ!ほぼ毎週!?」
そんなに驚かれることではないンですけど。

お一人様のお爺さん達とは、夜、食堂で色々とおしゃべり。呑み屋状態になった。
お一人は63歳、名古屋でやっていた住宅関連の商売をたたんだので、またスキーをやり出したとのこと。
「商売やっとった頃は忙しゅうて、スキーなんかロクに出来んかったもんでねぇ」、多少ムリなことでも引き受ける、懐の深い現場のオヤッサン、そんな雰囲気がまだ残る好々爺だった。( この人はワタクシの4歳年長、お爺さんと呼ぶには失礼かも)
もうお一人は浜松の70歳、数年前までスキーは未経験。
「まだ、スクールに入って教えてもろとるもんでねぇ、下の方でしか滑れン」、大きな笑い声が楽しい好々爺だった。

「そやけど、スクールの若い女のセンセになろたら、直ぐウマなるンとちゃいますのン」
「へぇ~、スクールにはそんな若い女のセンセ、おるン?ンなら、今度はそうしょうかなぁ、歳いった言うても、コレに興味なくなったらオワリだでぇ」、と言って小指を立てた。
ワタクシ、調子に乗って、「そう言えば、今日、ゴンドラの中間駅におった係員、メッチャ可愛くて、アイドルみたいでしたよゥ」
「へぇ~そう、ワシ、明日帰る前にゴンドラ、乗ってみよオ」
「ワシも乗ってみよオ」
完璧な呑み屋状態だった。

そう言えば今年、栂の森のカフェテリアでも、老人をよく見かける。

昨年まで、特に1月から2月の初めに掛けて、栂の森のカフェテリアはハクジンばかりだった。ワタクシ以外、ハクジンが数グループいるだけ、ということが多かった。
しかも、店のスタッフも、名札を見るとガイジン。
そこは、もうニホンではなくなっていた。別にそれでもいいけど。
ゲレンデでは時々、学校のスキーイベントの小学生、女子高校生の集団を見掛ける事もあったが、その人達は上までやって来ない。
試験休みでやって来る大学生は2月後半から、春休みの家族連れが現れるのは3月後半だ。

そして今年、原発事故の影響がまだ続いているのか、ハクジンは減って、何故かニホンのロウジンが眼に付く。
夫婦もいれば、ジジイの二人連れやジジババ入り乱れたグループ、色々。
お一人様のジイサン、出て行く姿をフト見ると、使い馴らしたテレマークブーツを履いていた。

そこそこのスピードでゴンドラ中間駅まで滑って来て、ゴーグルを外した顔は、皺だらけのジジイだった。この人、馬の背のコブをワタクシ以上に上手くこなしながら滑っておられた。

ご老人はカフェテリアとゲレンデだけではない。

1月18日、白馬乗鞍から天狗原へ降りて、更にその下の斜面に行こうとした時、へたり込んで休んでいる二人連れがいて、挨拶してよく見たら老夫婦だった。よくここまで登って来られましたねぇ、と言う感じのお二人だった。
その後、林道から谷に降りて、ゴンドラの駅へ出る手前の森の中、スノーシューで歩いておられたのもロウジンだった。老修行僧のような感じだった。

これからも、こんな雪遊びをする老人は増えるのだろうか。

さんざんコース外はダメ、と言われているのに、パンツずり降ろしたデザインのウェア着て、立入禁止の深雪に飛び込んでいくおバカボーダーより、マナーはマシなハズ、なので、見ている限りは、ホッとする。

しかし、ご老人と言っても、定宿で偶々同宿した好々爺ばかりではない。

いつも怒っているかのように不機嫌で、周りを威喝するかの様なコワオモテのジジイは沢山いる。街では漫然運転のヒドイ運転で、ワタクシを不機嫌にしている、ジジイもいる。アクセルとブレーキを踏み間違えて、80半ばでヒトゴロシとなったジジイもいる。
ワタクシより4~5歳上の、学校では先輩、会社では上司だったダンカイの世代の彼らは、いつも眉間に皺、寄せて「ああせなアカン、こうせんとイカン」と、ヒステリックに叫んでいた。
彼らももう少し経ったら、怒れる老人になるのだろう。そう言えば、彼らは昔、怒れる若者だった。

スキー場では、そんな恐ろしいジジイにぶつけられない様、気をつけないといけない。
緑内障の"ケ"があって、視野が狭くなっているのに、放置していたため、交通事故を起こすジジイが多いらしい。

ゴンドラ中間駅まで降りて来て、また乗ろうとしていた時、脱いだワタクシの板と立てかけてあるポートの狭い隙間を、ガツガツガツと横切ろうとしたジジイがいた。
ワタクシは咄嗟に自分の板を引き込め、ジジイがお通り頂ける様にスペースを作った。ジジイはそういうワタクシの好意に挨拶する事もなく、前を通り過ぎいて行った。
このジジイ、多分周りが見えていなかった、と思う。
こう言うのが滑って来てぶつけられたら大変だ。歳いってても重い。その運動エネルギーは大きい。大ケガする。

来週も火曜日からまた栂池だ。老人は相変わらず雪山で遊んでいるのだろうか。
ぶつけられない様、老人には近付かない方がイイかも。