長谷川きよしサンの「別れのサンバ」を初めてラジオで聴いた時、一人でやっているとは思わなかった。
40年程前、時代はフォークブーム、学校でも、街頭でも、公園でも、テレビでも、ギターを抱えた若者が歌っていた。簡単な4つ程のコードでギターをジャカジャカやれば、アホでも歌えるフォークソング。ワタクシもその一人だった。
しかし、「別れのサンバ」はチト違う。サンバだし、コードは簡単ではないし、歌声に混じってメロディも聞こえる。誰か別の上手いギターリストが一人か二人、側で伴奏しているのかと思った。
ある深夜番組でそのお姿を見た。画面に映る一人の歌とギターはスゴイ!と思った。
しかもサングラス姿がカッコイイ。
当時、黒メガネをかけて、夜の番組に出ている作家サンなどもいて、その類いかと思っていたが、全盲だと知ったのはその後だった。
その後、特にファンではなかったが、15年程前、灘の酒蔵でコンサートがあることを知って、聴きに行った。
初めて直に見る長谷川きよし氏は意外と小柄。しかし歌とギターは、大柄の共演者が刻むリズムのパーカッションと一体となってスゴイ迫力。 こっちはお酒も入って、一緒に行ったMONKy-MZT氏もノリノリだった。
そして、きよしサンのCDをチョコチョコ買うようになり、このサイトも時々覗くようになった。
3年程前、久しぶりに覗いたそのサイトに、「別れのサンバ」をポルトガル語に訳して歌っている女性の事が紹介されていて、目が止まった。これはサンバの逆輸出(?)、オモロイやん。
リンクを追っていくとHMVのサイトに辿りつき、試聴ボタンをクリックし、気が付けば通販処理をしていた。
その人が吉田慶子サマだった。
届いたCDを何回も聞いた。
「雪見だいふく」のアイスを包んでいるモチ、そんな柔かい声、ポルトガル語なので歌の意味は判らないが、儚い雰囲気は判る。
朝、一日が静かに始まる時、午後のホッとした一時、夕方のホォ~とした時、このオネエサンのウィスパーヴォイスはどんな場面でも、ワタクシの癒やし、慰めには、バッチグーだった。
既にその頃は、会社、辞めてて、別に癒やし、慰めてもらう必要もなかったけど。
この人、ヒステリーとか起こしたこと、あんのやろか?、そんな慶子サマに ワタクシ、ひと“耳”惚れだった。
そして、慶子サマのサイトを見ていたら、喜多方と会津若松の酒蔵で2日連続のコンサートがある、との案内があった。少し前に読んだ自転車雑誌には裏磐梯高原のサイクリングコースが紹介されていた。
福島の酒蔵、慶子サマのコンサート、裏磐梯高原でのサイクリング。3つ揃えば行くしかない。
喜多方が金曜の夜、会津若松が土曜だが、失業者はいつでもOK。
コンサートの予約、ビジネスホテルの予約はネットで簡単。
長野以北へ車で行った事はないが、北陸道のSAで手に入れた地図だけで無事、喜多方着。片道約900km、所要時間10時間、ナビがなくてもキチンと行ける。
金曜日、喜多方の酒蔵で試飲していたら、ギターケースを肩にした小柄な女性が通りかかった。
アレッ?吉田さんやン、「吉田さ~ん」。
炊事、洗濯、掃除しながらしょっちゅう聴いているし、今日も車で聴きながら、ここ、東北まで走って来た。身近な隣のオネエサン、そんな感覚でウッカリ、気安く、声を掛けてしまった。
「神戸から来ました、明日も会津へ行きます、追っかけですワ、ハハハ」
突然見覚えのないオッサンから声を掛けられ、彼女は困惑して、「あぁビックリしたぁ」と言いながら、酒蔵の奥へ消えて行った。
翌、土曜日は10時、五色沼をスタート、磐梯吾妻レークラインを抜け、裏磐梯スカイライン入口で折り返し、
14時半五色沼に戻った。
二日とも1時間強、慶子サマの生声で、ポピュラーなボサノバを中心に聴いた、と記憶している。
福島の相馬に住んでいて、会場まで自分で運転して来た、とか、銀行員からボサノバを歌うようになって、フェリーのラウンジでも歌っていた、とか、自分が歌っているボサノバはブラジルの古い、ムード歌謡の様なモノ、とか言っておられた。
確かに観光向け以外では、その本国でボサノバもシャンソンもタンゴもやっていない、とはよく言われる事だ。
慶子サマは、大体東北中心でご活躍のご様子、南下しても関東周辺まで、関西まで歌いに来られることは、まずなく、その後はお目にかかれなかった。
そして例の地震。
もしや相馬で、津波にのまれたのでは、と気にはなっていたが、無事避難して、その後、東京に移り住んだことが、サイトに載っていた。
先月、慶子サマのサイトを見ていたら、姫路・的形の「かふぇ」でギタリストとの「らいぶ」がある、と載っていた。
喫茶店でのコンサートではなく、「カフェ」の「ライブ」。まぁナントお洒落なコト。
姫路の「らいぶ」、となると、何をおいても「一番弟子」サンをお誘いしないと失礼だ。
で、先日の日曜日、生の吉田慶子サンを聴きに、お付き合いして頂いた。
会場がある的形までは山陽電鉄、明石~播磨町~加古川~高砂の臨海エリアを走って行く。
昔は毎日のように営業で走っていたエリア。
しかし、いつも車、多分山電に乗るのは今回で3から4回目。そのせいか、ヘンに新鮮で、懐かしく、そして楽しい。
よくお邪魔した工場を眺めながら的形まで30分強、案外近い。
的形は無人駅。駅前はシャッター通り。最近どこでも見る寂しい風景。ホントに寂しい、若い賑わいはどこへ行ったのか。
その「かふぇ」のサイトに載っている地図に従って、R250を渡り海方向へ行く。
この水門を渡って、更に進むらしい。
渡った先にコンテナが積んであって看板がかかっている。
周りは古い漁村のヨットハーバー。
隣は中古車屋サン、これは一緒の経営(?)
コンテナの下には売りモノらしき、FIAT124スパイダーとペレットGTが置いてあった。
屋根はあるが潮風吹きっサラしの状態。こんな環境に売りモノのクラシックな自動車置いといてエエの?と言う気もする、余計なお世話ですけどね。
ホンマにこんなコンテナの中に「かふぇ」があるのだろうか。そこで慶子サマは今日、ここを会場として歌いはルのだろうか。的形の浜辺のおシャレなビーチハウスを想像していたので、チョット不安になった。
コンテナ下の入口らしき階段の下には「準備中」の看板。
しばらくコンテナの下で「一番弟子」サンとロードバイクの事など、お話ししていたら、コンテナから出で来た数人、その一人はアレッ?吉田さんやン、「吉田さ~ん」。
今年も信州通いの往き帰り、車の中ではズッと聴いている。いつも側でボサノバを歌っているオネエサン。またまた、隣のオネエサン感覚で気安く声を掛けてしまった。
当然、彼女は「何ィ?この人?今日聞きに来た人らしいら、一応アイソ良くしないと」、と言った感じ。
「今日は(福島から)遠い所まで来て頂いて、・ ・ ・ 」、彼女はペコっと頭を下げ、停泊しているヨットの方へ行った。そこが控室だったそうだ。
やがて人が集まって来た。若いカップル、年配のご夫婦、女の子連れの家族、育ちの良さそうな人ばかり。オッサンの二人連れは我々以外にいない。
そして開場となり、お金を払って入った先はやはりコンテナだった。
狭い、とにかく狭い。こう言う所でも「かふぇ」は成り立つのだろうか。窓はあるが内壁は金属板がむき出しのまま、狭い方向に通路へ含め椅子が4列並んでいる。
こう言う趣向も面白い、楽しい、と言うモノ好きもいるとは思うし、それを非難はしない。
慶子サマも、大変お気に入りの様子、福島の友達からもその高評判を聞いていたそうだ。
しかし、コンテナとは言わば貨車、本来は荷物を運ぶもの。
例外で、生き物として、家畜とか捕虜、奴隷を乗せたりする。従軍慰安婦も朝鮮半島で騙されて、明かりが射さない真っ暗な貨車に押し込まれ、南京まで運ばれた、と言う話がある。この「かふぇ」コンテナには一応窓はあったが、これらの印象、ワタクシはぬぐえない。
慶子サマが敬愛されているナラ・レオンがブラジルの軍政時代、パリに亡命していた時、その軍事政権は多数の政治犯を、こんなコンテナに積め込んで、刑務所へ運んだはずだ。
確かに、山の避難小屋やスキー場の監視小屋として使われているケースもある。しかし、あれはあくまでも一時使用の特別なケース。
「かふぇ」や「らいぶ」の会場として使うのは、どうも気にいらない。
さて、「らいぶ」は3時過ぎに始まり、聴かせて頂いたのは、これまでCDで聴いていた曲ばかり。古いブラジルのムード歌謡なので、新作がないのが当たり前。2曲ほどCDになかったものがあったが、これは最近発掘されたモノ(?)
お気に入りの共演ギターリスト(このオニイサンも有名な人らしい)がいたせいか、曲の間のお話しが、喜多方や会津の時より多い。それは、今回の育ちの良さそうなお客さんに、そこそこ受けている様だ。だから益々長くなる。
ワタクシ、お喋りではなく、歌、聴きに来たンですけど。
まぁいいか、窓からヨットハーバーの風景見てたらいいし。
「らいぶ」は一度休憩があって、2度のアンコールがあって、5時過ぎに終了。我々、オッサン二人は真っ先に退場。
出口の部屋で慶子サマが挨拶で立っておられたので、また気安く話しかけてしまった。
「今はもう福島から、東京に住んでるンですか?」
「ハイ」
「あの、福島FMの一枚の絵がどうの、とか言う番組はもう無くなったンですか?」
「ハイ」
「最近はCD、出しませんのン?」
彼女は少し困惑した表情になり、「ハイ」
ワタクシ、テレビでいつも見ている芸能人に、隣のオニイチャンと接する様な感じで話しかける、ガサツは大阪のオバチャンと変わりません。ああ、ハズカシ。
その後、一番弟子サンと明石へ出て、軽~く呑んで、無事帰宅。
ところで、あの姫路・的形の「かふぇ」、その高い評価を福島の人も知っている、と慶子サマが言っていたが、それがチョット気になって、店名の「ハンモックカフェ」で検索してみた。
驚いた、札幌、東京、山中湖、姫路、福岡、検索候補が沢山出て来る。これまさかチェーン店(?)、そんなことはあるまい。
取りあえず、ハンモックカフェ・姫路の「食べログ」での口コミを見ると、これがまさに毀誉褒貶。
フツーのお褒めの評価に、「2度と行きません」というボロクソの評価が混ざっている。
ある意味で面白い店なのかもしれない。
ワタクシは強いて呑みに行こうとは思いませんが。
しかし、最近よく聞くが「カフェ」とは一体何?
喫茶店なのか、レストランなのか。軽食を出す喫茶店なら、昔は「スナック」と呼ばれていた。夜、呑みに行って、カラオケを歌いまくるのも、スナックだったけど。
姫路の海辺のコンテナの「カフェ」。
そこに押し込まれた、育ちの良さそうなカップルが楽しむのは、慶子サマが歌うブラジルの古いムード歌謡と、彼女のおしゃべり。
この人たちのサウダーデとワタクシのサウダーデとは、違うのだろう。
いや、吉田慶子サマのサウダーデとワタクシのサウダーデも違うのかも知れない。
こっちが勝手に、ひと“耳”惚れした、だけだし。