静聴雨読

歴史文化を読み解く

木下順二が亡くなった

2006-12-02 06:18:33 | 芸術談義
木下順二が10月30日に亡くなったと11月30日に報道された。
木下順二は「私のバックボーン」で挙げた「十人衆」の一人であり、哀惜の念に耐えない。
「私のバックボーン」の中で、彼について、以下のように述べた:

「『夕鶴』など民話を題材にした戯曲から、現代史に題材をとった重厚な戯曲まで、圧倒的な存在感があります。『山脈』『蛙昇天』『沖縄』『オットーと呼ばれる日本人』『白い夜の宴』『審判』などは、劇場で見ました。
オーソドックスな作劇法で、その後の唐十郎・野田秀樹・寺山修司などとは、自ずと別の立場に立っています。」

ここでいった「オーソドックスな作劇法」とは、劇作の題材・対象などにつかず離れず(不即不離)の立場をとる作劇法のことを指す。この劇作のスタンスは、「蛙昇天」「沖縄」「オットーと呼ばれる日本人」「審判」などの現代史に題材をとった戯曲で効果を発揮する。対象となる人物に抱く共感や親近感をストレートに出すことを抑え、やや距離を置いて描くことによって、対象人物の大きさやリアリティを表現することができる。この作劇法を愚直なまでに貫いたのが木下順二の劇作家としての一生だった。

木下順二は劇作家として以外にも、平和運動家として、また、ことばの探求者としても多くの足跡を残す巨人だった。それらについては今述べないが、木下順二のさらに別の面を紹介しておく。

一つは、「ウマキチガイ」の面。といっても、競馬ではなく、馬術である。前駆の動きと後駆の動きが、ある一瞬だけ、調和して「無」の時間が生まれる、というような哲学的な文章があったように思う。この「ウマキチガイ」の様は、「ぜんぶ馬の話」、文藝春秋、にまとめられているが、今手元にないので正確に引くことができない。

もう一つは、東大での学友だった哲学者・森有正を悼んで編んだ「随筆集 寥廓」、筑摩書房、という書物だ。ともにYMCAのアパートに住み着いて、年がら年中交友する様がビビッドに描かれている。木下順二は大学卒業後もこのYMCAのアパートに居候して、最初の戯曲となる民話劇群を書き続けたという。  (2006年12月)