静聴雨読

歴史文化を読み解く

変貌する上海

2010-05-04 07:38:31 | 異文化紀行
上海万博が始まりました。以前掲載した「変貌する上海」を再掲します。

(1)10年前と現在

「旅チャンネル」に 「ASIA NAVI」という番組がある。ソウル・プサン・上海・香港・台北・バンコクの6都市の現在を紹介するもので、このうちのいくつかにはなじみがあるので、よく見る。対象はどうやら余裕のある女性のようで、ブティック・みやげ物店・食堂・スパなどがよく取り上げられている。これは6都市共通だ。番組に共通するスタイルがあり、はやりの街・おすすめの店・値切り交渉の方法などを、各都市で演じてみせるようになっている。

さて、この番組の2006年12月は「上海NAVI」だった。

上海には10年ほど前一度行ったことがある。その時には、浦東(プドン)地区は開発が始まったばかりで、国際空港もプドンではなく、虹橋(ホンチャオ)地区にあった。当然、黄浦江の下を通る高速地下鉄もなかった。

街中の至るところで、高層ビルが建築中で、それが奇妙なことに同じ形の建物が2棟建てられていた。住居にしろ、ショッピング・ビルにしろ、1棟では到底足りないだけの需要があることがわかる。であれば、一遍に2棟建ててしまえ、というわけだ。

当時言われていたことは、再開発のために、古くからの老朽建築物を大々的に壊しているということだった。「古くからの」といっても、上海は19世紀後半に人工的に造成した街であるから、土やコンクリートなどを固めたものが耐久の限界に来てスラム化したのを壊しているのである。
超近代的な高層ビルと前近代的なスラム街が隣り合うのは、アジアの大都市に共通する景観だ。
しかし、それは「上海NAVI」には映らない。

以下に、私の上海経験と「上海NAVI」とをフラッシュ・バックして描いてみる。  

(2)老人には住みにくい街

私の泊まったホテルは、上海を東西に貫通する南京路のうちの東路(南京東路。これを、ナンジンドンルーと呼ぶのにはびっくりした)に面しており、そのまま東へ行けば、外灘(ワイタン)にぶつかる。
南京東路は広く、車道は両方向各3車線ほどあり、ほかに広い歩道があるのだが、その歩道に人があふれている。これはいつものことのようで、あまりの人の多さに、車道の一部をつぶして歩道にしているほどだ。

南京路のうちの西路(南京西路。ナンジンシャールーと呼ぶのだろうか?)にある景徳鎮の陶磁器専門店に行ったときのこと。ホテルから歩いて30分ほどかかる。買った重い花瓶をかかえ、帰りは難儀した。途中休みたいと思い、カフェを探した。ある料理店に「三楼 喫茶」という看板があるのを見つけ、上がった。

薄暗い店内には、こじんまりしたソファが多くおいてあり、ウェイトレスがあくびをかみ殺している。なんとなく居心地が悪く、コーヒー一杯飲んで、そそくさと店を後にした。
この時の印象は、「上海では、ふらっと立ち寄って休める店が少ない」ということ。
一方、現在の「上海NAVI」では、おしゃれなカフェが取り上げられている。このような店を必要とする中産階級が増えているのだろうか?

休めるところといえば、上海には公園が少なかった。もちろん、人民公園とか魯迅公園とかはあるが、圧倒的な人口に比べ、公園の少なさが目立つ。市民はいったいどこで休むのだろうか?
休めるところが少ないのとともに、緑が少ないのが異常に思えた。市の南西部に植物園があるので、行ってみた。ところが、植物の緑が、ほこりで灰色に染まっているのだ。休むどころではない。
この状況を現在の「上海NAVI」で確かめたかったが、わからない。

悪口を多く書いたが、悪口ついでに、もう一つ。
上海の道路は広いが、それを横断するのが一苦労だ。信号のないところも多く、信号のあるところでも一度で渡りきれないほど広い。
高速道路をまたぐ大掛かりな歩道橋もあるが、これは上って降りるだけで疲れてしまう。
上海は老人には住みづらい街だ。 

(3)豊かな「食」の街

上海について、誰もが認めるのが、その豊かな「食」だろう。
上海では、中国各地の料理があり、上海料理はもちろんのこと、北京料理・広東料理・四川料理・揚州料理など、一流のものが楽しめる。食の専門家は、近年各地の料理が均一化していると嘆いているが、そんなことはない。

外国人観光客にとって、これほど多彩な料理を気軽に楽しめるところはあまりない。一流の料理店でも、プライム・タイムをはずせば、観光客が一人でも入れるようになっており、また、料理の値段もリーズナブルである。高級料理店でも庶民向け料理店でも、何を食べてもおいしい。高いレベルで「均一化」していれば、客にとっては幸せなことだ。

ホテルの近くに北京路(ベイジンルー、か?)というのがあり、北京料理の店が軒を連ねている。その内の庶民的な一軒で食べたチャーハンがことのほかおいしく、毎日通った。

有名な観光地の豫園に、南翔饅頭店というこれまた有名な小籠包(シャオロンパオ)を食べさせる店がある。「上海NAVI」でもこの店を取り上げていた。
私が行った時は人があふれていて、近寄れなかった。市民がテイクアウトに長い列を作っているのである。
「上海NAVI」で見ると、2階のテーブル席であれば比較的座りやすいらしい。ああ、そうだったのか。次回は2階を試してみよう。

一番楽しめたのは、湖沼の魚介類で、とくに揚州料理が味付けに深みがあり、しかも、どんどん食が進むのが不思議だった。  

(4)変化と不変と

そろそろ、まとめの時だ。

「変貌する上海」とタイトルに書いたが、本当にそうだろうか?

19世紀後半の市街造成 → 20世紀前半の外国列強による「租界」化 → 文化大革命後の小平による近代化 → 急速な経済成長と資本主義経済化、という流れを一気に駆け抜けてきたのだから、上海は変貌に変貌を重ねてきたことはいうまでもない。

外見的には、スラム街の取り壊しと高層ビルの林立、外資によるショッピング・モール、ホテル、地下鉄などの建設、などが目に付く。
また、街を行く人々の服装の垢抜けてきたことは目を見張るほどだ。ケイタイの普及もめざましい(「上海NAVI」で確認済み)。

背景には、急速な経済成長と資本主義経済化があることは明らかだ。これが、中産階級を大量に生み出したといってよい。

しかし、人々の心・意識の変化はあるのだろうか?
それを解くヒントが、「上海NAVI」が紹介していた豫園の南翔饅頭店に集う人々にあるのではないか、というのが私の推理である。小籠包(シャオロンパオ)を求める人々の服装はと見ると、昔懐かしいボテボテの服で、今風の垢抜けたものとは程遠い。食べている小籠包は、正確な数字は覚えていないが、10個4元(60円)ほどだ。本当の庶民がここに集っているといえないだろうか。

このような人々は、私の行った時には、至る所で見られたと思う。南京東路でウィンドウ・ショッピングする人々、魯迅公園で体操やダンスをする人々、象棋(シャンチー。中国将棋)に興ずる人々、料理店の人懐っこいウェイトレスなどは、おそらく現在もほぼそのままの姿で見られることと思う。

私の経験した10年前と「上海NAVI」の取り上げた現在で、外見の変貌ほど人々(特に庶民)は変わっていないのではないか。 (2007/3-6)

私の手元に、『斎藤康一写真集 上海 ‘92-‘93』(1993年、日本カメラ社)がある。ちょうど私が訪れた時代の上海を写していて、懐かしいとともに、ここに撮し取られている庶民の姿に、ここで述べた「変化と不変と」とを改めて確認した。 (2007/7)