”夏と秋とゆきかふ空の通い路はかたへ涼しき風やふくらむ 凡河内躬恒”
平安時代と違って、猛暑の文月も今日で終わり、明日から8月、今年も半分過ぎました。時間は過酷に過ぎ去っていきます。
この生命が尽きれば、私は如何なる状況になるのだろう? 無⤴?? ・・・そんな思いにも捉われながら、一方、そんなことはない。阿弥陀様のもとで、ご先祖共々永遠の生命を享受している・・・。
清澤満之の"生のみが我らにあらず、死もまた我らなり”の言葉が思い浮かぶ。どちらも真実に思えます。
美容院へ行く途中、暑い道のりを歩きながら 相反する二つを、思案していました。
神谷町では、今まで生きてきた証の品々をバサバサ処分しています。わが人生を処分しているような気分になります。
そんな中、10歳になる孫は、机に向かっています。
何と、ネットを頼りにハングル語を夢中に勉強しています。 吃驚り!
生い先短い82歳と、たっぷり将来のある10歳のこの違い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます