「ものさし」って言っても、いろいろある…。地震の話である。
地震の予知ってのが出来たら超便利なんだけれど、ハイテク満載でもままならないってのが「現状」。「いつどこでどれくらい…」ってのが判らないと「予知」とは言えないって事で、何か関係のありそうな事柄を少しづつ掻き集めながら「どーなんだろうねぇ、これは…」って考えているのが現実なワケ。
「明後日、大きな地震が起きる!」
なんて言う人もたまにいたりするんだけれど、これは予知じゃない。
「明後日の午後、関東地方南部を中心として、震度5強の地震が起きる!」
これはどうだろうか? 一見、予知にも思えそうなんだけれど、まだ予知じゃない。その根拠となる「データ」とか「事象」ってのがなきゃいけない。これが無ければ誰にだって言えるし、言ったところで確証が無い。
さて、じゃあ「確証」となりえる「データ」なり「事象」って何さ? と、考えると、ハッキリと決まっているのかいないんだか、定かじゃ無さそうなんである。一般的には大きな地震の前に「余震」と呼ばれる地震があるとされており、判り易いんだろうけれど、直下型と呼ばれるタイプはこれが無いか、あっても体感しづらい場合が多いのである。
特に、日本なんか地震が起きそうも無いって所は皆無に近いほど、地震の巣だらけなワケで、前もって余震が来てからドカンと1発…って事は少ないと言われてる。また、余震ではあったとしても、それが本震と変わらない位に大きな物だとすると、どっちでも良くなってしまうワケ。
となると、「確証」ってもんがいったい何なのか? 非常にわかんない物でしかないんであるのよ。
で、昔から「ナマズが暴れる」だとか「井戸が枯れる」とか、「虫や動物が見当たらなくなった」なんて言う伝承があってだね、これを「前兆」なんじゃなかろうか? って事で調べられて来てはいる。特に「雲」なんかは阪神淡路大震災の時に、非常に変わった物が前もって観察された事で、ここ最近では注目株なワケなんだけれど、こうした「事象」はそれを捉える人によっては「見方」が分かれる物であって、明らかにおかしい事象ではあっても、地震と確実に結びつくかどうかは「?」が付いてしまう。確実では無いのだけれど、関連性を疑っても悪くなさそうな位に、広く、多くの人がこの事象を見たり、感じたりしている事から、切って捨てるのも「?」ではないだろうか、と言うのがここ最近の捉え方でもある。
じゃあ、もっと分かり易い形で何か「指標」となる様な物は無いだろうか? って事で、いろんな方法を試している人や機関が増えて来ている。継続的な形で、指標となる物を計測して、その数値の動きに地震との関連性を見てみようって動きと言えば良いかな。
これだと、人による感覚の温度差って物を排除し易い事では「?」が取れ易い事は確かだと思うが、そもそもの指標の動きと地震の関連性において「?」が取れているワケじゃない。
取れているワケじゃあ無いのだけれど、今の所人間が得た科学とか化学とか物理とか…いろんな知識なんかで関連性を説明出来る方向にある物の方が「指標」として用いやすいワケだし「事象」としても「データ」としても「まぁ、何となく判るよ…」って事だと思う。
で、岩盤が崩壊する時に発生する電磁波を捉えるとか、その電磁波が他の電波に与える影響を調べるとか、地面に絶えず流れている電流の値を調べるとか、地面のゆがみとかねじれとかひずみを捉えるとか、植物の中を流れている電流の変化を調べる…なんていろんな方法が行われているワケなんだけれど、どれか1つやっておけば「間違いない」って物は今の所存在しないと言って良いんだと思う。これだけ見ておけば、間違いなく地震の予知が出来るって言う「指標」になる物が見付かってはいないワケ。
じゃあ、考えられそうな物全部…。ってワケにも行かないので、それぞれがそれぞれの理論なり根拠の元で、壮大なる実験を始めたばかりなんだと思えば良いと思う。それが「現状」。
で、それぞれが得続けている指標の動きをインターネットを通じて第3者に見て貰うって事を始めたのもここ数年の事。それぞれが指標の動きを基に、地震との関連性や、その仕組みやらを謎解いて行く努力を続けているのである。
だが、そのどれ1つを取ってみても「いつどこでどれくらい…」がハッキリ示される物は無い。
「どうも地震の前に、この様な指標の動きがあるようだ…」
と言う段階には来ている様に思える。中には、指標の動きから地震が起こるまでの大体の間隔や大きさまでが読み取れるに近い物もあったりして、不測の事態に備える様に呼びかけている所もある。
だけれども「?」は取り切れているワケじゃない。相手は自然なワケだから、指標の動きとピッタリなんて事も無いんだろう。また、指標となる物に影響を与える物が皆無なワケでもない。恐らくだけれど、ハッキリと判る指標は無いのかもしれない。
それでいても「何かおかしいぞ…注意しておいて損はなさそう…」って物が判っているのと、全く判らないのじゃあ、結果によってはエライ違いが出てしまう。そもそも地震なんか起きなきゃ起きないで良いわけだしね。
んでまぁ、いろんな指標の動きが自宅にいながらネットサーフィンするだけで見ていられる様になってるワケで、見ておかないのも何だし…、ここ2年位は見ているんだけれど、ここの所の1ヶ月、いろんな指標で動きがあるのは間違い無いと解釈している。これだって、地域による温度差は当然あって、例えば、関東では指標を見ているが、関西ではやってないとか、その逆だってある。私は関東に住んでいるので、関東で行われている指標、中部で行われている指標を見ているんだけれど、それぞれが微妙に動いている。全くどれもがリンクして動いているワケでは無いし、見方に因れば「いつもと同じ…」かも知れない。でも、どれもが「動き」を示している事なんじゃなかろうか…って事は判る。
これが「いつどこでどれくらい…」とまで判れば「予知」なんだろうけれど、残念ながらそうじゃない。でも「なんだか変らしいな…」って事は判るので、ちょっといつもより慎重に「備えておく…」事にしてみたんである。
いろんな「ものさし」が転がっていて、それぞれを読んだって事なんだけれど「?」はどの「ものさし」にも付いている。「ものさし」の読み方は、人に因って温度差が当然ある。どれもが「ノギス」や「マイクロメーター」なワケでも無いし、読み方が統一されたワケでも無い。
非常に漠然としてあやふやな「指標」なんだけれど、大まかな動きを見るには「使えない事も無い…」んじゃなかろうか? そう考えている。
指標としての温度差が有りすぎるからと言って、雲を見ないワケでも無い。散歩の途中で虫を見付けてみたり、飼っているちゅーちゃんの様子をあーでもない、こーでもないとしげしげと観察したりもしている。そうこうしているウチに、私が何か新しい「ものさし」を発見するかもしれないんだし。
得てして、地震絡みとなると、こうした記事は大騒ぎの基になったりもしかねない。例え、そうであったとしても、その「質」がそろそろ変わっても良い頃なんじゃないかと思うんだ。
「大地震が来る! 逃げろ!あーどーしよー!」
だけで、騒いでいても何もならない事は今までで判っているハズだと思う。そもそも、地震が起きるのを我々は止められはしない。また、地震が起きればしっかりと揺れる「日本」って所に住んでいる。地震や津波って言葉さえ知らないほどに地震の起きなかった所だって、大災害が起きてしまったワケだし、地球の表面を探してみても、逃げ場はそうそう無い。
だとしたら、起きる物として捉えて、それに備える事に重点を置いた「大騒ぎ」に変わらなければ、いつまで経っても似た様な「被害」しか受けられないワケ。
少しでも「被害」を少なくする為に前向きな「大騒ぎ」へと「質」を変えて行かなきゃならんだろうに。
「地震が起きたら、この辺りはこれぐらいに燃えちゃって、ぐちょぐちょでダメダメで…」
なんて事は判っていないよりは判っていた方が良いかも知れないけれど…
「じゃあどーすんだよ、それ…」
って事に進んだ方が良いのでは無いかと思うのよ、そろそろ。燃えさかる瓦礫の中から断末魔の悲鳴を聞きながらボー然とすんだろうけれど「さて、どーしましょうか?」って事への切り替えが早ければ早いほど事後は良いんだし。地震じゃないけれど、それが出来ていたのが尼崎の列車事故だった様な気がする。
「うわぁぁ…大変だぁ…」
で、終わってしまったら、命が助かった人はもっと少なかったかもしれない。もちろん、規模は違うので一概には比較なんか出来ないけれど、そういう「質」の違いがあのマンションの近所の人にはしっかりとあったと思うのさ。それもこれも大きな震災を体験しているからだと、そして、そこから「次」って物を見極めたからに違いない。
前向きに、質を変える大騒ぎ…ならば、ちっとも悪く無いと思う。今までの大騒ぎは、大事な「ものさし」をへし折って来たばかりか、新しい「ものさし」の発見さえも潰してばかりだったんじゃなかろーか?
地震の予知ってのが出来たら超便利なんだけれど、ハイテク満載でもままならないってのが「現状」。「いつどこでどれくらい…」ってのが判らないと「予知」とは言えないって事で、何か関係のありそうな事柄を少しづつ掻き集めながら「どーなんだろうねぇ、これは…」って考えているのが現実なワケ。
「明後日、大きな地震が起きる!」
なんて言う人もたまにいたりするんだけれど、これは予知じゃない。
「明後日の午後、関東地方南部を中心として、震度5強の地震が起きる!」
これはどうだろうか? 一見、予知にも思えそうなんだけれど、まだ予知じゃない。その根拠となる「データ」とか「事象」ってのがなきゃいけない。これが無ければ誰にだって言えるし、言ったところで確証が無い。
さて、じゃあ「確証」となりえる「データ」なり「事象」って何さ? と、考えると、ハッキリと決まっているのかいないんだか、定かじゃ無さそうなんである。一般的には大きな地震の前に「余震」と呼ばれる地震があるとされており、判り易いんだろうけれど、直下型と呼ばれるタイプはこれが無いか、あっても体感しづらい場合が多いのである。
特に、日本なんか地震が起きそうも無いって所は皆無に近いほど、地震の巣だらけなワケで、前もって余震が来てからドカンと1発…って事は少ないと言われてる。また、余震ではあったとしても、それが本震と変わらない位に大きな物だとすると、どっちでも良くなってしまうワケ。
となると、「確証」ってもんがいったい何なのか? 非常にわかんない物でしかないんであるのよ。
で、昔から「ナマズが暴れる」だとか「井戸が枯れる」とか、「虫や動物が見当たらなくなった」なんて言う伝承があってだね、これを「前兆」なんじゃなかろうか? って事で調べられて来てはいる。特に「雲」なんかは阪神淡路大震災の時に、非常に変わった物が前もって観察された事で、ここ最近では注目株なワケなんだけれど、こうした「事象」はそれを捉える人によっては「見方」が分かれる物であって、明らかにおかしい事象ではあっても、地震と確実に結びつくかどうかは「?」が付いてしまう。確実では無いのだけれど、関連性を疑っても悪くなさそうな位に、広く、多くの人がこの事象を見たり、感じたりしている事から、切って捨てるのも「?」ではないだろうか、と言うのがここ最近の捉え方でもある。
じゃあ、もっと分かり易い形で何か「指標」となる様な物は無いだろうか? って事で、いろんな方法を試している人や機関が増えて来ている。継続的な形で、指標となる物を計測して、その数値の動きに地震との関連性を見てみようって動きと言えば良いかな。
これだと、人による感覚の温度差って物を排除し易い事では「?」が取れ易い事は確かだと思うが、そもそもの指標の動きと地震の関連性において「?」が取れているワケじゃない。
取れているワケじゃあ無いのだけれど、今の所人間が得た科学とか化学とか物理とか…いろんな知識なんかで関連性を説明出来る方向にある物の方が「指標」として用いやすいワケだし「事象」としても「データ」としても「まぁ、何となく判るよ…」って事だと思う。
で、岩盤が崩壊する時に発生する電磁波を捉えるとか、その電磁波が他の電波に与える影響を調べるとか、地面に絶えず流れている電流の値を調べるとか、地面のゆがみとかねじれとかひずみを捉えるとか、植物の中を流れている電流の変化を調べる…なんていろんな方法が行われているワケなんだけれど、どれか1つやっておけば「間違いない」って物は今の所存在しないと言って良いんだと思う。これだけ見ておけば、間違いなく地震の予知が出来るって言う「指標」になる物が見付かってはいないワケ。
じゃあ、考えられそうな物全部…。ってワケにも行かないので、それぞれがそれぞれの理論なり根拠の元で、壮大なる実験を始めたばかりなんだと思えば良いと思う。それが「現状」。
で、それぞれが得続けている指標の動きをインターネットを通じて第3者に見て貰うって事を始めたのもここ数年の事。それぞれが指標の動きを基に、地震との関連性や、その仕組みやらを謎解いて行く努力を続けているのである。
だが、そのどれ1つを取ってみても「いつどこでどれくらい…」がハッキリ示される物は無い。
「どうも地震の前に、この様な指標の動きがあるようだ…」
と言う段階には来ている様に思える。中には、指標の動きから地震が起こるまでの大体の間隔や大きさまでが読み取れるに近い物もあったりして、不測の事態に備える様に呼びかけている所もある。
だけれども「?」は取り切れているワケじゃない。相手は自然なワケだから、指標の動きとピッタリなんて事も無いんだろう。また、指標となる物に影響を与える物が皆無なワケでもない。恐らくだけれど、ハッキリと判る指標は無いのかもしれない。
それでいても「何かおかしいぞ…注意しておいて損はなさそう…」って物が判っているのと、全く判らないのじゃあ、結果によってはエライ違いが出てしまう。そもそも地震なんか起きなきゃ起きないで良いわけだしね。
んでまぁ、いろんな指標の動きが自宅にいながらネットサーフィンするだけで見ていられる様になってるワケで、見ておかないのも何だし…、ここ2年位は見ているんだけれど、ここの所の1ヶ月、いろんな指標で動きがあるのは間違い無いと解釈している。これだって、地域による温度差は当然あって、例えば、関東では指標を見ているが、関西ではやってないとか、その逆だってある。私は関東に住んでいるので、関東で行われている指標、中部で行われている指標を見ているんだけれど、それぞれが微妙に動いている。全くどれもがリンクして動いているワケでは無いし、見方に因れば「いつもと同じ…」かも知れない。でも、どれもが「動き」を示している事なんじゃなかろうか…って事は判る。
これが「いつどこでどれくらい…」とまで判れば「予知」なんだろうけれど、残念ながらそうじゃない。でも「なんだか変らしいな…」って事は判るので、ちょっといつもより慎重に「備えておく…」事にしてみたんである。
いろんな「ものさし」が転がっていて、それぞれを読んだって事なんだけれど「?」はどの「ものさし」にも付いている。「ものさし」の読み方は、人に因って温度差が当然ある。どれもが「ノギス」や「マイクロメーター」なワケでも無いし、読み方が統一されたワケでも無い。
非常に漠然としてあやふやな「指標」なんだけれど、大まかな動きを見るには「使えない事も無い…」んじゃなかろうか? そう考えている。
指標としての温度差が有りすぎるからと言って、雲を見ないワケでも無い。散歩の途中で虫を見付けてみたり、飼っているちゅーちゃんの様子をあーでもない、こーでもないとしげしげと観察したりもしている。そうこうしているウチに、私が何か新しい「ものさし」を発見するかもしれないんだし。
得てして、地震絡みとなると、こうした記事は大騒ぎの基になったりもしかねない。例え、そうであったとしても、その「質」がそろそろ変わっても良い頃なんじゃないかと思うんだ。
「大地震が来る! 逃げろ!あーどーしよー!」
だけで、騒いでいても何もならない事は今までで判っているハズだと思う。そもそも、地震が起きるのを我々は止められはしない。また、地震が起きればしっかりと揺れる「日本」って所に住んでいる。地震や津波って言葉さえ知らないほどに地震の起きなかった所だって、大災害が起きてしまったワケだし、地球の表面を探してみても、逃げ場はそうそう無い。
だとしたら、起きる物として捉えて、それに備える事に重点を置いた「大騒ぎ」に変わらなければ、いつまで経っても似た様な「被害」しか受けられないワケ。
少しでも「被害」を少なくする為に前向きな「大騒ぎ」へと「質」を変えて行かなきゃならんだろうに。
「地震が起きたら、この辺りはこれぐらいに燃えちゃって、ぐちょぐちょでダメダメで…」
なんて事は判っていないよりは判っていた方が良いかも知れないけれど…
「じゃあどーすんだよ、それ…」
って事に進んだ方が良いのでは無いかと思うのよ、そろそろ。燃えさかる瓦礫の中から断末魔の悲鳴を聞きながらボー然とすんだろうけれど「さて、どーしましょうか?」って事への切り替えが早ければ早いほど事後は良いんだし。地震じゃないけれど、それが出来ていたのが尼崎の列車事故だった様な気がする。
「うわぁぁ…大変だぁ…」
で、終わってしまったら、命が助かった人はもっと少なかったかもしれない。もちろん、規模は違うので一概には比較なんか出来ないけれど、そういう「質」の違いがあのマンションの近所の人にはしっかりとあったと思うのさ。それもこれも大きな震災を体験しているからだと、そして、そこから「次」って物を見極めたからに違いない。
前向きに、質を変える大騒ぎ…ならば、ちっとも悪く無いと思う。今までの大騒ぎは、大事な「ものさし」をへし折って来たばかりか、新しい「ものさし」の発見さえも潰してばかりだったんじゃなかろーか?
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