おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

絵に描いたようなモンスター

2005-05-16 22:06:50 | 我思う、故に書くなりよ。
犬の首輪付き監禁事件だが、手錠監禁も現れて、そんなこんなで騒いでいる中、あまり驚く事もなくニュースを見ている。

そうした事件が実際に起きている事に、もっと驚いてもおかしくないのだが、ネットの世界じゃこんな鬼畜はゴロゴロいるみたいだし、大騒ぎするなら10年ほど前でもおかしくは無かったと思う。いや、もっと以前から騒いでいても何らおかしく無かったハズだ。

空想の産物であったモノが、具現化するのには何かどこかである「線」を越えなければならないわけでそれをそうさせないための「ハードル」や「防壁」と言うモノもあるのだろうが、それが失われた時点でこうしたモンスターの出現は時間の問題でもあったと思うのだが、それを危惧して憚らない事件や事象は幾らでもあったのに、誰も何も考えていなかったワケでは無い。

にも関わらず、緩やかな形式だけのハードルしか存在しなかった事が、モンスターを産み、育ててしまったとなると、どこかでハードルを高くするか、強固なモノに変えなければならないんだけれど、そうした動きもまた非常に緩やかであるので、今後もこうしたモンスターの出現は何も珍しい事ではなく、多くの人の目に止まる事が増えるんだと思う。

空想と現実の垣根の手入れをしなくなったのが、いつの事だかさっぱり判らないが、もう垣根なんか無いに等しいと思えば恐ろしがるのもおかしな話で、連続幼女誘拐殺人事件だって、もう昔の話である。あの頃に危惧された事が、然るべき垣根や防壁を築かれずに野放しに近かったと言う結果が現れてきたとすれば、モンスターの成長も緩やかなものだと、意外な感じすらしないでもない。

何かきっかけを与える様な大きな事件が起きても、騒ぐのはその時だけで、後々の事をいかに真剣に考えて動かなかったか? そして誰がどう動かなければいけなかったのか? いくらなんでも、そろそろ判りそうなものである。

こんな小さなモンスターで驚いている様では、想像を絶するモンスター達がわらわらと世間に現れては世の中を掻きむしる日がやって来るのだから、本当に為す術も無くなるんだと思う。今まで為す術が無かったワケじゃない。それをゆるゆるとした術にしてしまった事が、後戻りできない今日なのだから、明日も大して代わり映えはしないのである…。

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