おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

旧暦のついでに。

2005-02-11 17:26:33 | 我思う、故に書くなりよ。
ちょっと興味深い新聞記事が出ていた。

「職員の手帳に六曜記載。人権に配慮欠く…」

あれ、六曜って差別用語なの? ちょっと信じがたい話なんだけれど、どうやら人権団体が抗議して六曜の載っていない手帳が配り直されるのは間違い無いらしい。

六曜って言うと判らない人も多いと思うが、「大安」やら「仏滅」やらカレンダーなんかに載っている割と頻繁に出て来るアレである。なんせ6つしかないから毎日当てはめてあれば何かしらの日に当たるワケだが、元々は中国で用いられていた「占い」であった。

これが、江戸時代の終わり頃に日本で流行って以来、暦におまけで付き始めた物だと言う。特に、明治になって、太陰暦から太陽暦に変わった後に民衆は何故かこの「6つしかないよ占い」を大事にする傾向が強く見られる様になっていったとの事らしい。

日本ではそんなに古い物でも無かったワケで、意味が判ったところで「なんじゃそりゃぁ~」って物だが、生活にはなかなか根付いている面も多い。結婚式は「大安」だろうし、葬儀なんかは「友引」にはやらなかったりする。漠然とした6つしかない占いなんだから、拡大解釈すればなんとでもなってしまう所は「占い」らしい所だと思う。

はて、なんでこれが「人権に配慮を欠く」なんだろうか? 広いネットの世界でそれとおぼしきページを見つけて読んでみたが、ハッキリと「だからこれが差別なんだ」とか「こーだから六曜はイケナイ」という点は読み取る事が出来なかった。「こういう迷信に左右されて生活するのはどーなのよ?」って節は読める。

確かに、これは無くても別に困らない。そういう時代でも無いだろう。手帳やらカレンダーでも、六曜が消えている物だって多い。太陰暦を基に生まれた物ならば、月齢から計算出来るので、月齢が載っていれば良いと言う事もある。でも、載っていて何か不都合があるのだろうか?

ふと気になって、自分の家に垂れ下がっているカレンダーを見てみる。小さくだが、載っている。オマケで年末に貰った物だから、自分で選んだ物ではない。手帳は使っていないが、洋物の電子手帳では出ていない。出そうと思えば、小さなプログラムの追加で出来ない事も無い。

んでまぁ、私が新聞記事に出ている市の職員だったとしよう。配られた手帳の中を見て、「六曜載ってるやん! これマズイやん!」って思うかと言えば、思わないと思う。思っても構わないが、その根拠が全く判らないから、そう思う事が奇異に感じる。

何か、新聞に大きく書けない様な「裏事情」が存在するのだろうか? 血液型占いの様に、人格否定に繋がる様な事なのだろうか? 「占い」って事がマズイのかな? だとしたら朝のテレビ番組なんかほとんどの番組が「マズイ…」事になりそうだぞ。

これはもう少し調べてみないと判らないなぁ。異を唱える根拠って物がありそうだが、詳しく書き記した物が少ない。国会議員の手帳には載っている様なので、全国規模での問題でも無さそうだ。国ってこういう部分は結構敏感でもあるし、票読みにも繋がりかねない。うーん。判らないなぁ。

ちなみに、本日は「先負」。朝から昼まで万事悪いが、昼過ぎから夕暮れまで障りなしって日ですが。昔の占いだから、夜はどーでもいいみたいで、どの日でもあまり触れてないねぇ。寝ちゃえばいいやって事かな。おおらかなんだろうなぁ、昔は。

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