おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

一太郎。

2005-02-02 12:43:15 | 我思う、故に書くなりよ。
久々に日本語入力をATOKにしてみる。

とかなんとかやっていたら、一太郎、花子の販売禁止の司法判断が出たっていうニュースが…。

一太郎との付き合いはVer3の頃からだから、MS-DOS時代からである。今でもちゃんと正規ユーザーとしての登録が生きていて、バージョンアップのご案内が届いているし、届いたばかりだったので、ちょっと驚いた。途中、マックを使っていた時代もあり、この時も「ことえり」よりは「ATOK」な私だったが、ここ数年はOS付属の日本語入力で間に合っていたし、ユーザーIDやらパスなんか書かれたカードがどっかへ行ってしまったので、再インストールするのが面倒だったので。

それ位に、OS付属の日本語入力も悪くなくなって来た…という事でもある。普通にテキストに打ち込んで行くのに、不自由は無い。ちなみに、ワープロソフトってのも面倒なので使わず、テキストエディタを使っている。

最初の頃は、新しいバージョンが出る度に買い換えて、一太郎なりワードなり、使っていた。まぁ、今でもワードは使わないこと無いが、作文するのに使うわけではない。ワードなりエクセルなりで開いた方がスムーズな物もあるからね。しかしながら、ブログに使うには重たいし、面倒だし、余計だし、ウザイんである。昔はどちらもシンプルで良かったのになぁ…。

そんなワケで、ワープロってソフトは要らなくなった。ただし、日本語入力って物は欠かせないワケでこれには拘っている人も多いと思う。私もかつては自分なりの辞書を作ってみたり、カスタマイズに明け暮れて、悦に入っていたりもしたが、自然とそのパワーはどこかほかの部分に流れ、普通に使っている。これといった妙ないじくりもしていない。そうしなくても良くなった、良くなっていた…って事の方が大きいのかな。

で、バージョンアップのお知らせを読みながら、何となくATOKに切り替えてみた。これはこれでまた良く出来ており、ストレス無く文字が入れられる。何か特殊な作業をしなくても、ちゃんと変換もしてくれるし、必要とあらばいたれり尽くせりの機能が裏側で控えてくれている。

一太郎の研修会で一太郎の由来を聞いた事があったが、うろ覚え…。太郎が日本で1番になったから「一太郎」で、確か太郎は社長の家庭教師時代の教え子の名前だったとかなんとかだった気がする。パソコンで日本語が不自由なく使える事は、今でこそ当たり前だが、昔は「マシン語」なんて言う言語を習得しなければパソコンそのものが扱えない時代だった。そんな中で生まれた「一太郎」だし「ATOK」なんだが、これが無かったら、今のパソコンが欠かせない時代が来なかったかもしれない。

まぁ、他にも考えて作り出す人はいただろうけれど、「一太郎」なり「桐」なりに積まれた「日本語入力」って物が無ければ、こんなには便利な時代がやって来なかったかもしれないし、もっともっと遅れていたかもしれない。格好良く言えば「黎明期から続く進化を受け継いだソフト」が一太郎であり、ATOKでもあると思う。

正直、今回の裁判騒動を良く読んでみても、さっぱり解らない。松下の言い分がその通りだとすると、他のソフトメーカーだって抵触する恐れがありそうだし、そうなると、便利なソフトがおいそれとは作られなくなってしまう。特許を取ったもん勝ちってのはこれはこれで仕方ないが、それがユーザーにとって不自由な環境を生み出してしまう様ならば、残念でならないし、パソコンがタンスの肥やしに戻ってしまう事にも繋がりかねないと思う。どちらもいい形で収拾してくれればと思うねぇ。

さて、さも当たり前って感じなソフトに何某かの対価を支払う事に抵抗を覚えなくも無いのだが、久々にバージョンアップしてみようかと思っている。しなくても不便はどこにも無いほどに完成された物だと思うが、ブログ書くのに何か便利な事があるかもしれないし。無くても、まぁ日本語入力位は最新の物でも悪くないかなぁ。

さて、ユーザーカードは何処へ? 探し出さないとなぁ…。困ったもんだ…。

Comments (2)
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