・・・新聞を見ていて、数ある記事の中でも、古代史に関する記事には、ついつい目が行く。
先日の新聞には、「東北から移住?」という見出しと上の写真が目についた。
私も、それほど詳しくはありませんが、近畿にあった、古代の朝廷にとって、関東以北は蝦夷(エミシ、エゾ)、南九州は隼人と言って、中央に従わない人と考えていた。しかし、早い時代から、南九州は朝廷に帰属していた、飛鳥、奈良時代以降は、野蛮な人としては、東北の人たちが主で、古来は蝦夷、毛人と呼ばれていた。
古墳時代の雄略天皇の頃、中国の皇帝に朝貢し、上表分をささげている。その中に、日本列島の中の野蛮人を征服していったと書いてある。 その中の毛人とあるのが東北の蝦夷を指す。
「・・・封国は偏遠にして藩を外に作す。昔から祖彌みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、寧処に、いとまあらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国・・・」
古墳は、東北では、仙台に雷神古墳という前方後円墳があるので、この辺りまでは、大和朝廷に参加していたと思われる。
この新聞記事によると、この写真の土器は関東で見つかった土器ですが、写真でもわかるように、土器の上フチにある赤の縦棒などの特徴は関東のものと違い、東北地方の土器の特徴らしい。その根拠は岩手県の北上盆地の遺跡で出土した土器と類似しているらしい。
つまり、奈良時代に、岩手の北上付近に住んでいた人が、関東の武蔵の国に連れてこられて、そこで生活していたがこの土器らしい。
単なる土器の破片であるが、考古学では、それらに関するいろいろな情報を寄せ集めると、文字記録の無い古代人の生活が見えてくるところが面白いと思う。