・・・朝、ラジオを聴きながら、散歩をしている時に、表記の江戸吉原の楼の経営者には南知多の須佐村の出身者が多いという話を聞いた。
インタネットで調べると、その出所は「はんだ郷土史研究会」にレポートによる話らしい。
以下、インタネットで調べたレポートの抜粋です。
明暦2年、江戸に新吉原遊郭が誕生した時、突如、吉原に出現し、吉原一の揚屋を経営した男がいる。
その人は松本清十郎。店の名が尾張屋だから尾張屋清十郎とも、揚屋を代表する人だから、揚屋清十郎とも呼ばれた。生国は尾張国知多郡須佐村、今の愛知県南知多町豊浜町である。清十郎の店には諸国の大名やあの紀伊国屋文左衛門も常連だった。
私は知多半島の付け根にある市に住んでいるので、文中にある、須佐村(南知多町豊浜町)と云う場所をよく知っているが、今は景色が良いので、何度か遊びに行ったことがある場所ですが、普通の漁村と云う場所です。
こんな場所となぜ江戸吉原が関係するか、興味の持つところです。