・・・12月10日の朝日新聞の一面トップに表記の記事が掲載されていた。
・・・更に33面にも詳細記事が載るほどの扱いであった。
この内容はそれほどの扱いかどうか、疑問のあるところであるが。
現代社会で云う箱モノが得意だった斉明天皇の御陵と言われている牽牛子塚古墳のそばで上記古墳は発見されたのである。
・・・私が引っかかった記事の内容は宮内庁が斉明天皇として管理
しているのは牽牛子塚古墳とは別の『車木ケンノウ古墳」と言われる別の場所の古墳で、多くの研究者が違うと言っているが、頑なに、陵墓指定を変えずにいるらしい。
この新聞の記事の中では「墓から、墓誌などの証拠が出てこないと陵墓の見直しはしない』と何時も通りのコメントが載っていた。
・・・学者の間では完全に間違っているとされている、有名な大阪府茨木市にある宮内庁管理の継体天皇陵はその地の有力豪族の墓らしく、本当は少し離れた場所にある高槻市の「今城塚古墳』が本当の継体陵であるが、宮内庁は茨木市の陵を大事に管理して、高槻の本当の陵は市の管理に任せている。
・・・もとに戻って斉明天皇の陵とされる牽牛子塚古墳は自由に見学できる状態になっていて、間違っている『車木ケンノウ古墳」をこれからも、宮内庁は大事に守っていくことでしょう。
・・・良く良く、考えてみると前期および中期の古墳の時代は日本では文字がなかった時代で、古墳から、墓誌が出てくるようなことは考えられないことである。
考古学的知見に基づく考察を無視して、学問的に固まっていなかった時代の知見をもとに決定した陵墓の指定をもとに、間違った天皇陵を管理する宮内庁の考え方は何なんだろうと思う。
保守でないと成り立たない天皇制を守る官僚組織なのだから、そうしないと自分自身を否定することになるからなのだからと考えてしまう。