アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

劇「アイヌ逓送人 吉良平治郎」

2008-11-30 14:42:30 | インポート
昨夜の劇「アイヌ逓送人 吉良平治郎」~アイヌ・ネノ・アン・アイヌ~(人間らしくある人間)
見にいってよかったです。
一度みただけで、物語の深さや、言葉の意味をわかったとは言えませんが、もやもやした中で感じたことを書きます。詳しいストーリーと正しい解釈は本編を実際にご覧くださいね。


吉良平次郎さんは1922年1月、郵便物輸送中(真冬の夜間でほとんど徒歩による)に猛吹雪にあって遭難し、38歳の若さで亡くなります。その回想録を舞台化したもの。
劇の中でも触れられていましたが彼の殉死は、戦時中は公(天皇)に尽くす滅私奉公の鏡として利用され、戦後は民主主義のもとで責任を全うする鏡として利用されてきたようです。
しかし、いのちすべてを大切にするアイヌはそのようなかたちでいのちを無駄にはしないのだ、とこの物語は最初に否をとなえます。そして、時代を交差させながら物語の核心へと向います。

観終わって感動しました。が、アイヌはいのちすべてを大切にする・・・の最初のことばがストンと納得いく言葉で表現されずに物語が終わってしまったような、腑に落ちないモヤモヤを残したまま、帰路に向いました。


帰りの道の三時間、劇を回想しながら心にわいてきたのは悔しさでした。
劇の中にはアイヌということで多くの差別が行なわれたことが所々に描かれていました。
同時に、吉良平次郎さんは15歳で重い病に罹り左手足に麻痺が残りつつも、何事にも真面目で誠実にやり遂げ、皆からの信頼を得るほど努力家で責任感の強い人として描かれます。
それなのに、アイヌ差別が彼を窮地へと追いやっていく。最後は、その彼のプラスに評価されたすべてが彼を死へと向わせて行くのです。
「アイヌはいのちを大切にする。だから自らを死へと追いやっていくような死に方をアイヌはしないのだ、真面目で責任感の強い彼は差別によって死へと追い込まれていったのだ。公に尽くしただとか責任感が強いだとかに勝手に利用するな。彼を死へと追いやった差別を直視せよ」と言いたかったのでは、と。


劇場で配られたパンフレットの中に監修のおひとりの松本成実さん(釧路アイヌ文化懇談会会長)が、日本国政府へ謝罪を強い口調で訴えておられました。
松本さんは別の講演で、この劇はリアリズムだと、差別の実態が表現されていることを吉良さんの死後のエピソード(顕彰碑像においても差別があった)を交えて紹介されています。
文化振興財団 2006年度普及啓発セミナー報告参照
(http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1818.pdf )


差別を深くじんわりと考えさせられる劇でした。

ニサッタのグループで現在、有識者懇談会へ向けての提言をするべく、原案つくりをしていまます。差別、苦しみの歴史を覚えつつ考えていきたいと思いました。


役者はみんなよかった。特に、子役が光っていましたね。
それと、わたしはてっきり回想案内の山本多助さん役は当実行委員会長の得平さんかと思っていました。似てません?

今日は礼拝後にまた札幌に向かい、先住民族サミットの最終の会議と今後の話し合いに行ってきます。雪がまた降り出しました。



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