アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

アイヌ人骨返還等訴訟第8回意見陳述報告

2014-06-20 14:12:37 | インポート
さる、5月30日(金)午後2時より、札幌地裁8階805号法廷にて行われました。
今回は、原告側弁護士より、「第5準備書面の要旨の説明」が行われました。以下のpdfファイルで読めます。
http://hmjk.world.coocan.jp/trial/syomen/jyunbisyomen005_20140530.pdf

わたし流に簡単に説明をすると、被告の北海道大学は、現行民法の相続法を前提にして、原告らが遺骨の祭祀承継者に該当するなら返還すると主張していますが、祭祀承継者かどうかを確定できるのは遺骨そのものが誰の遺骨かが認定されなければなりません。しかし、1636体(+個体として特定できない515箱の中に何人の遺骨が入っているかは全く不明)の遺骨のうち、個人を特定できる遺骨は23体のみ。他は、返せないことになり、白老に収容され実験材料に使われることになります。それは、先住権である遺骨返還請求権の違反だと主張。また、民法成立以前の遺骨について民法を適用するという点にも矛盾がありますよ、と。

さらに、たとえ北大のように現行民法にとらわれた立場をとったとしても、「総有」という考え方に基づく遺骨の返還請求権によれば、返還しなければならないですよ、と杵臼コタンの遺骨を例に説明しています。
この「総有」とは、たとえば個人ではなく村人たちが落葉などの肥料をとるために共有した山など(入会地)の土地を村全体で所有するときに使う言い方。入会地は村人が使用するのはいいけれど土地を処分する権利は個人にはなくて、村全体にある。これをアイヌコタンの墓地について見ると、墓地は共同墓地のように作られていましたが、一家一区画ではなく、コタン内で亡くなった順に埋葬されていた。木の墓標は朽ちてしまえば正確な埋葬場所は子孫の記憶以外分からなくなる。また、和人のように「墓参り」の風習はなく、その霊はコタン全体で儀式がなされ、神の国へ行った祖先の霊は、「現世同様の集落(コタン)を作って集団生活をしているもの」と信じられていた。このようなアイヌの死者、遺骨及び墓地の扱い方からみれば、墓地の遺骨は、埋葬後は、全く個人の区別が付かない状況にあり、遺骨に対する管理実体という点から見ても、各コタンの総有に属していたものと認められる。
加えて、遺骨(動産)の総有についても、アイヌ民族の墓地使用からみて、民法の不動産の総有の規定が準用されると主張。そこから、保存行為つまり、物の価値を維持するための行為については、共同所有者が単独で行うことが可能となる(民法252条但書)ので、失われた遺骨の所有権を取り戻す行為もコタンの構成員が単独で行い得ることを意味する。

第3に、原告側は、総有の主体となる杵臼コタン墓地において、原告の城野口さんやその母親は杵臼コタンの先祖の慰霊碑を建てて日々慰霊を行っているのだから、コタンとしての社会的・宗教的・法的機能は、現時点においてもなお存在しているものと認められるし、原告らは、現時点においても、杵臼コタンの子孫として、杵臼コタンの構成員としての地位を有しているものと認められ、遺骨の返還請求権を行使出来るものと考える。

う~~~ん、pdfファイルを読んだ方が分かりやすいでしょうか・・・。


裁判後の報告会にて(左から小川隆吉さん、差間正樹さん、清水裕二さん)

当日は、浦幌アイヌ協会が北大に対し、64体の遺骨返還等訴訟を起こしました。
「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」(2013年)収録のリストによると、同大学医学部が浦幌町内で発掘・収集したアイヌ遺骨は計64体。うち63体は医学部解剖学第二講座が1934年(昭9)10月27~31日の5日間に、同町愛牛地区で「解剖学研究資料収集のため、旧墓地を発掘」したとされ、うちわけは、性別不明のこどもが14人、成人女性12人(1人は推定)、成人男性14人(4人は推定)、性別不明の成人が23人。北大によって個人特定の可能性があるとされているのは、このうちこども一人の頭骨だけ(あまりにも雑な研究と管理ではありませんか)。
他にも北大は1935年に同町十勝太地区で収集したとする頭骨1体(性別、年齢、収集の経緯など一切不明)を保管しています。
裁判に先立って、差間正樹会長の記者会見が行われ、裁判で先に行われている遺骨返還等訴訟とドッキングして行うことになりました。原告の数は計4個人、1団体となりました。
浦幌はこの4月より北海道アイヌ協会から出て、独自の協会となりました。
次回の口頭弁論は2014年8月1日(金)午後2時から、札幌地方裁判所で。


史跡 開拓使美々鹿肉缶詰製造所(1874~1884)跡 (やっと見つけました)

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